第111話   突撃

 ジュリエットの側近たちが天幕内を制圧し、王国の者と思しき数人を縛り上げた。

 宴会に参加していた、北方民たちは立ち向かってきた数人を残して逃げ散っている。その数人も瞬く間に切り伏せられ地面に沈んだ。


 「行くぞ。セシリー。歩けるか」


 エリックは呆然としているセシリアの手を引っ張り天幕の外に出た。

 ジュリエットの側近の一人が焚火に袋を投げ込むと、猛烈な匂いのする黄色い煙が上がる。

 予定よりかなり早いが、突撃の合図だ。

 セシリアの無事さえ確保してしまえば、後は単純な話だ。

 混乱している包囲陣にアマヌの一族と王国軍が突撃するだけ。

 ただ、事態の展開が予想よりかなり速い。若殿の軍は間に合わないだろう。

 ジュリエットが繋いでいた馬に飛び乗る。


 「一度、退く。遅れたら見捨てる」


 それだけ言い残すと東に向かって駆けだした。

 エリックはアンゼ・ロッタの背にセシリアを押し上げ、その後ろに飛び乗る。


 「しっかり捕まっていろ」

 「はっ、はい」


 身体を回してセシリアはエリックにしがみついた。


 「はっ」


 アンゼ・ロッタの腹を蹴ると、嘶きと共に加速する。

 エリックとセシリアの二人を乗せても、その速さには陰りはない。楽々とジュリエットの後に着いた。時折、矢が飛んでは来るが、狙いも定まらず数も少ない。散発的な抵抗はアマヌの戦士たちが排除する。

 突破は容易だ。

 エリックは包囲陣を突破しセシリアを無事に助け出した。


 「セシリー。怪我は無いか」


 振り返り追手が無いことを確認して、首にかじりついているセシリアに優しく声を掛けた。


 「エッ、エリック。わたくし何が何だか」


 セシリアは小さく震えながら、視線を彷徨わせる。


 「安心しろ。もう大丈夫だ。ほら、よく見て」


 セシリアの顔を覗き込んだ。


 「助けに来たんだ。助かったんだよ」


 セシリアは確かめる様にエリックの顔に指を這わせる。その指は震えていた。


 「うん。信じてた。きっと助けに来てくれるって信じてた。でもどうして。貴方、捕まっていたんじゃ。だから、わたくし」


 呂律の定まらないセシリアを落ち着かせようと肩を叩いた。


 「捕まったふりをしてセシリーを探すつもりだったんだ。ジュリエット様とその一族も味方だ。安心してくれ」

 「ジュリエット様? あの赤毛の族長のことですか」

 「ああ」

 「わたくしが、あそこに居るって知ったの。どうやって」

 「知らないさ。ただ、エリカが絶対に包囲軍にいるって言うから、それに賭けてみたんだ。本当だったな。夢のお告げも馬鹿にできない」

 「エリカが? 」

 「そうだよ。また、エリカに助けられたな。二人でお礼を言わないとな」

 「うん。うん」


 セシリアは何度も頷いた。


 「直ぐにセシリーが見つかるなんて奇跡だよ。二、三日は捕虜として扱われる事を覚悟していたんだけどな」

 「だって、エリックが引っ立てられていくから、わたくし助けようと必死で」


 泣きそうな声を上げ、エリックの胸に額をこすりつけた。


 「最初の引きまわしで見つけてくれたのか、それで助けに来てくれたんだな」

 「そうよ。あれを見たらそう思うでしょう」

 「助けに来たのを助けに来たのか。それで、あの場に引き出されたのか。目の前にセシリーが引き出されたときは目を疑ったぞ」


 奇妙なすれ違いが面白かった。

 エリックはセシリアを力一杯に抱きしめると、同じ強さで抱き着かれる。

 無事でいてくれて、本当に良かった。神々に感謝を。



 包囲陣を抜けたところで前方から騎馬隊が現れた。アマヌの一族の騎馬隊だ。


 「よし。このまま、蹂躙するぞ。エリック。貴様はこのまま娘を連れて陣に戻るがよい。後は我等の差配の内だ」

 

 ジュリエットが目を爛々と光らせる。

 とんだ女将軍だ。敵にしなくて正解だ。


 「分かりました」


 その言葉に従おうとすると、両腕をセシリアに捕まれる。


 「待ってください。エリック。もしかしてこのまま戦ですか」

 「そうだ。安心しろ。こちらは五千。混乱している今なら包囲軍を破れるさ。砦も解放される」

 「エリック」


 エリックの言葉が終わらぬうちにセシリアが大声を出した。


 「なんだ」

 「もう少し、あの人に近寄って」

 「急にどうした」

 「いいから、早く」


 願いを聞かないわけにもいかず、エリックはジュリエット馬を寄せるとセシリアは飛び降りた。止める暇もない。

 セシリアは近づく味方に気を取られているジュリエットの馬の轡を取った。


 「族長様。お願いがございます。ラミ族は、ラミ族だけはお目こぼしください」

 「なんだ。何の話か」


 セシリアの突然の行動にジュリエットが眉をひそめる。


 「わたくしが、包囲軍の中で生きていけたのはラミ族の助け合っての事です。何卒、何卒、ご慈悲を」


 必死にセシリアはラミ族の助命を願った。


 「ラミ族とやらは、ようわからぬが、主を助けた部族か。助けても良いが我等にも見分けは付くのか」


 ジュリエットの言葉にセシリアは絶句した。

 轡を取った手の力が抜ける。

 他の北方民とラミ族だけを見分けるのは困難だ。羽飾りや入れ墨に違いはあるが、注意深く観察しないと見分けは付かない。


 「分からぬのであれば、手心を加えるのは無理だな。降伏するのであれば悪いようにはせぬ。この身が言えるのはそれだけだ」


 それだけ言うとジュリエットは騎馬隊と合流すべく馬を走らせた。

 右手を上げるジュリエットの周りに、アマヌの戦士たちが集まり師が形成される。このまま一気呵成に突撃し敵陣を踏み潰すのだ。


 「セシリー。どうしたんだ」


 アンゼ・ロッタから降りたエリックが声を掛けると、勢いよくセシリアが振り返った。


 「エリック。お願いがあります。わたくしにも馬を」

 「馬? 馬で何をするつもりだ」


 エリックは辺りを見渡すが、都合よく空馬がいるはずもない。


 「助けます」

 「助けるって、今言った。ラミ族をか」


 ラミ族という部族の中で北方人の振りをしていたのだろう。

 このままでは、助けてくれたラミ族は他の北方民諸共に蹂躙されるだろう。


 「そうです」

 「駄目だ」


 エリックは口調に強い力を籠める。


 「なぜ。わたくしの命の恩人です。ラミ族がいなかったら、わたくしは死んでいました」

 「例えそうであっても、今からあの中に飛び込むってことだろう。危険だ」


 つい先ほど逃げ出してきた陣営地を指さす。

 今頃、奴らは陣立てに必死になっているだろう。


 「わたくし一人が助かって、ラミ族の者たちが死んでは申し訳が立ちません」

 「気持ちは分かるが、それでも駄目だ」

 「エリック」

 「代りに俺が行く。その、ラミ族を探して、降伏するように伝えよう。それが無理なら逃げろと」


 エリックの提案はセシリアの絶叫に迎えられた。


 「馬鹿を言わないで。どうやって見つけるの。エリックにはわたくしたちの違いが分からないでしょう。他の北方人とラミ族の違いなんて」

 

 セシリアの叫びにエリックはたじろく。

 怒鳴られたことと、セシリアが自分は北方人だと宣言したことに衝撃を受けたのだ。


 「ラミ族を見捨ててまで、生き永らえたくはありません。お願い。エリック。わたくしを助けて」


 セシリアの両頬は涙に濡れていた。


 「どうしてそこまで」


 恩人を助けたい気持ちは分かるが、ようやく助かった命を張る理由が分からない。

 エリックとしてはこのままセシリアを味方の陣に連れて行くことが正解であったが、彼女の願いを安易に拒否したくなかった。

 エリックはこの場で進退を窮する。

 頭の片隅では、セシリアを縛ってでも、この場から連れ出すべきだとのささやきが聞こえる。

 セシリアに恨まれても、彼女が死ぬことに比べれば安い代償だ。

 戦いが終わってから若殿や将軍に事情を話せば、きっと悪いようにはされない。捕虜になった者も奴隷にされることも無く故郷に帰れるだろう。乱戦で何人かは死ぬだろうが、全滅することはないだろう。

 エリックは説得を試みたが、セシリアは納得しない。


 「母の、わたくしの一族だからよ。母はラミ族出身なの。だから。わたくしが」

 「・・・・・・」


 セシリアの絞り出すような叫びに、エリックの周りから音が消えた。

 彼女の言っていることが本当なのか、それともセシリアの思い込みなのか、それは分からない。

 その静寂の中で、セシリアの瞳を真っすぐに見つめ、そして、思った。

 そうか、俺が好きになった女はこういう奴だったのか。

 エリックはセシリアが初めて見せた激情に驚きを隠せなかった。

 それは、嬉しい驚きであった。

 助けてくれた恩人は見捨てない。それが、血のつながりのある一族なら尚更か。

 俺が捕虜になったと知ると、潜伏している身の上にもかかわらず、危険を顧みず助けに来てくれる女だ。ましてや自分の一族の危機は、到底見過ごせるはずも無し。

 情の深い女だ。だから好きになったのかもな。

 しかし、ここで感情に流されて戦火に飛び込めば、どちらかが、もしくは二人とも死んでしまうかもしれない。それは、馬鹿げたことだ。

 ここまで助けてくれたエリカやコルネリア様、アラン卿の努力を全て無に帰す行為だ。

 そんなことが許されるのか。許されるはずがない。

 頭では分かっている。分かってはいるが。

 エリックは内心でため息をつく。

 どうやら俺は思っていたより自分勝手な男だったのだな。

 まぁ、いいか。ここで死ぬなら。それが俺たちの運命(さだめ)だったのだろう。セシリアの願いをかなえるために斃れるなら悔いはない。二人で死ぬのも悪くは無いか。

 それは、死神の囁きだ。恐ろしく、そして甘美なまでの囁き。

 分かっている。分かっているが、仕方がない。俺はこういう男だ。

 エリックはもう一度小さく息を吐いた。


 「分かった。一緒に行こう」

 「エリック」


 歓喜の表情でセシリアがエリックに抱き着いた。


 「但し、俺が逃げろと言ったら逃げろよ。それに逆らわないって言うのなら一緒に行こう」

 「うん、約束する」


 絶対に一人では逃げないと瞳が語っていたが、それも今更だな。

 エリックは再びセシリアをアンゼ・ロッタの背に引き上げると、突撃していくアマヌの戦士たちの後に続く。

 それは敵である北方民を倒す突撃ではなく、セシリアを助けてくれた北方民を救うためという、不思議な突撃だった。



               続く

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