第71話 土地問題
ニースの村の広場に面したシンクレア家には以前と比べて来訪者が多くなった。
行商人や聞いたこともない商会の人間が砂糖を直接買い付けに来るのは毎日の事だ。
今日も朝から村の顔役たちと打ち合わせを行う。その中でややこしい話が飛び出した。
「エリック様。新しく開墾したビーンの畑なんですがね。アレの持ち主は誰ですかい」
エリックは走らせていたペンを止める。
「持ち主か」
「はい。今は教会から来た修道士の皆さんが耕しておりますが、あの畑は教会に寄進なさったので? 」
「いや、そんなことはしていない。そもそもそんな権限は俺にはないよ」
ビーン増産のために畑を切り開いたが、村の者には自分たちの畑がある。彼らには手の空いた時に手伝ってもらっているが、主に働いているのは教会から派遣された修道士たちだ。
「ああ、そいつは良かった。昨日、ため池の様子を見に行ったら修道士さんに注意されまして、どうなってるんですかい」
「そんなことがあったのか」
初めて聞く話しに目が丸くなる。
「へえ。あの畑はオラたちが切り開いた畑です。あれは村の畑って事でいいんですよね。修道士さんが間違ってるんだ」
村人は鼻息荒く念を押してきた。
余程に心配なんだな。
「村の者が切り開いた農地は村のものだ。今までだって、そうだっただろう」
エリックは力強く同意を表す。
「よかった。神父様にエリック様からお伝えしてもらっていいですかい。あの畑は村の物だって。オラたちから言うのはちょっと・・・・・・・」
それまでの勢いが急に弱まる。メッシーナ神父に直接文句を言うのは憚られるのだろう。
「分かった。必ず伝えよう」
歯切れのよい返事に村の者は満足したが、エリックは考え込んでしまった。
村の者の言う通り、村の敷地で村の者が切り開いた畑は村のものだ。
代官である自分の指示で開拓したため、誰か個人の所有ではなく森や海と同じく入り会地として村の共有財産になるのが慣例だ。そこからの利益は村に平等に分配される。
エリックは父がやっていたように、海から取れる魚は漁師たちの長、山での獲物は狩人にそれぞれ分配を任せていた。
問題は、エリックの指示で開墾したビーンの畑。これは、代官のエリックが管理しなくてはいけない。
ややこしいのは、そこで主に働いている者が教会の修道士ということだ。本来起こり得ない事態だ。修道士は教会の畑を耕すのが仕事。たまに村の畑を耕すことがあっても手伝い程度だった。だが今は、ビーンの畑の面倒を見ているのは主に修道士。
新しく他所から来た修道士が事情も知らずに勝手に入るなとかなんとか村人に注意したのだろう。
エリックは教会でメッシーナ神父とこの事を話し合うと、事態が更にややこしくなった。
「お話は分かりました。私の方で注意しておきましょう」
「お願いします」
村人が注意された件は簡単に片付いたが、神父は何かを考えこむ仕草をした。
「なにか」
「エリック様。今気が付いたのですが、我々の広げた畑はどこの所有ですか。これまでの慣例通りですと教会の持ち物になりますが」
「・・・・・修道士が広げた分ですか」
「ええ、ただこの場合はどうなるのでしょうか。あの丘は教会の土地ではありませんし。ふむ」
メッシーナ神父が考え込む。
そうだった。村の者と切り開いた畑は修道士たちがさらに広げている。今では修道士が広げた畑も同じ程度の大きさになっている。そして、その両者にきっちりとした境界線などない。どこからどこまでが村の持ち物かはっきりしない。
そもそもとして、あの丘は教会の土地でもない。これでは、村の者と修道士の間でまた、言い合いが起こるだろう。
「これは、迂闊でしたね。私も畑を大きくすることしか考えておりませんでした」
「いえ、これは代官である私の失敗です」
修道士に開墾してもらえること単純に喜んでいただけだった。
「どういたしましょう。教会の土地でもない所を私どもが開墾するのもおかしな話です。私どもが畑に入るのは不味いかもしれませんね」
「おっしゃる通りです」
基本的には開墾した畑は開墾した者の所有が認められるが、教会の場合は話が少し違う。
教会が土地の所有をする時は、元の所有者からの寄進という形を取る。そして教会に一度寄進してしまうとその土地は代官の支配が及ばなくなる。
簡単に言うと教会の畑からは税は取れない。
エリックのような一代官の権限では村の土地を勝手に教会に寄進できるわけもなく、領主である将軍閣下が考えることだ。
当然のことだが、理由もなく領主である閣下が村の土地を教会に寄進することはない。
これは、どうすればいいんだ。
「困ったな。修道士が畑に入れないとなると、何のために来てもらったのか分からない」
「はい。同じギルドと言うことで深く考えておりませんでしたな」
「申し訳ない」
「いえいえ、大事になる前に気がつけて、むしろよろしかったでしょう」
「そうですね。ただ、どうしたものか・・・・・・」
土地の係争事は全て領主である将軍閣下に報告しなくてはならないが、この場合はそこまで発展していない。土地争いが起こらないように調停するのも代官の仕事のはずだ。
父が、時折村人同士の畑や牧草地の境界線の争いを治めていたのは小耳にはさんではいたが、エリックはこの手の話を解決した経験が無かった。
畑を教会に寄進することは出来ないだろうが、そうなると修道士たちが畑を耕す根拠がなくなってしまう。
「本当にどうしたらいいんだ」
解決の糸口が見えずに頭を抱えてしまった。
「エリック様。お一人で考えてはいけませんよ」
「しかし、閣下に報告するには早いかと」
作ったばかりのギルドが早々に問題を起こすなど面目が立たない。出来るだけ自分で解決しなくては。
「そうではありません。これはギルドの問題でもあります。他の皆さんに意見を聞かれてみてはどうでしょう」
「良いのだろうか」
「問題ないでしょう。元々ギルドに関わるお話です」
「そうですね。そうします」
エリックは救われた気分になり、ほっと息を吐いた。
昼食後、ニースのギルドの主立った面々が招集された。
よく考えればこれが初めての招集だ。
「なに、何か問題」
村からはギルド長の自分と代理のエリカ。
「新しく開墾した畑の事で揉め事になりそうなのです」
教会からはメッシーナ神父。
「こういった話は大きくなる前に片付けるべきですな」
ドーリア商会からはモリーニ。
最後に、我関せずといった感じの相談役のコルネリア。
エリックは集まった面々にそれまでの経緯を話した。
「何か意見があったら言ってくれ」
「はい」
エリックの言葉にエリカが手を挙げた。
「ギルド長のエリックの管轄の畑なんだから、全部ひっくるめてギルドの畑にすればいいんじゃないの。それなら、境界線も関係ないし。その上で畑は教会に全部お願いしたらダメなの。村の人、手が足りないんでしょ」
随分乱暴な意見だ。確かにそれなら話は早いが、それはそれで問題だ。
「いけません。エリック様が代官とギルド長を兼任なさっているとはいえ、この二つの職は本来別々のものです。村人や修道士を使って自分のギルドの土地を開墾させたとあっては、後々問題になりかねません」
モリーニが強い語気で諫めた。
「でも、今はどっちもエリックだから問題ないんじゃ」
「今は問題なくても、エリック様が今後とも兼任できるとは限りません。特に代官職は将軍様に任免権があります。将軍様が心変わりしないとは言い切れません。そうなった場合この問題は一気に燃え広がるでしょう」
「ごっ、ごめんなさい」
お気楽な答えにモリーニがさらに語気を強めると、エリカは首を引っ込める仕草をした。
「確かにその通りだな。代官のままギルド長になったが、ギルド長はエリカにした方がよかったかもな」
砂糖作りが失敗しても責任を取るつもりでギルド長になったが、幸い上手くいっている。いっそのこと今からでもギルド長の職はエリカに任せるべきだろうか。
「それは駄目。計画が狂っちゃう。この二つはエリックが務めることに意味があるの」
「そうなのですか?」
思いのほか力説するエリカに皆が不思議そうな視線を送る。
「ともかく、なにか方策はないだろうか。このままだと村の者との諍いが絶えなくなるし、教会も働きにくい」
「どちらも神の御業を広めるために働く者同士、諍いは良くありません」
エリックの呼びかけに神父が頷く。
「なんだかよく分かんないけど、面倒くさい事になってる事だけはわかった」
「何かいい案はないか」
これまでも難問を解決してくれたエリカにどうしても頼ってしまう自分が歯がゆい。
「そう言われても、これって法律とかの話でしょ。私まだ法律まで勉強できてない」
「しっかりと境界線を作って所有権をはっきりさせた方がよいのでしょうが、そうなると話が大きくなりすぎますな」
モリーニも腕を組んで考え込む。
「それは避けたい。だが方法が思いつかないんだ」
今後とも増える予定の修道士たちが心配なく働けるように、村人たちから不満が出ないようにしなくてはならない。
やはり、土地の係争を取り扱う役人に話を聞きに行くべきかな。
「よろしいか」
それまで沈黙を守っていたコルネリアが声を上げた。
「勿論です。何でも仰ってください」
「傍から聞いていると難しく考えすぎと思われるが、ニースの村で開墾しているのだ畑はどちらも村の物。それで良いではないか」
「しかし、それでは」
話の腰を折りそうになったがコルネリアは意に介さず話を続ける。
「その上で、全てをギルドが借り受ければよい。ギルドの一員である教会は、その畑を耕すのであるから筋も通っている」
ギルドで土地を借りる?
そう言えば、教会が人に土地を貸して耕させているという話を聞いたことがある。それをギルドですればいいのか。
全く思いもつかなかった。
「おお、なるほど、そうなればギルドの一員である教会の方々がどちらの畑の面倒を見れますな。村の人も畑を奪われたとは思いますまい。ギルドはこの村のギルドですから」
モリーニが大いに同意を表した。
「さよう、それとも教会は寄進された土地以外は耕せぬか?」
コルネリアは無表情のまま神父に視線を送った。
「すべての土地は神々が私たちにお与えになったものです。どこの畑だからと言って手を抜くことは教えに反します」
神父がコルネリアの視線を跳ね返す。
教会としても問題はないようだ。これ解決するかもしれない。
「なおも心配であるなら領主に伺いを立てるのだな」
「そうします。ありがとうございます。コルネリア様」
エリックはコルネリアの助言に心から感謝した。彼女を相談役にして本当に良かった。
「なによ。私が最初にいったのと同じじゃない」
エリカが頬を膨らませた。
「そうか? エリカの話しぶりだと畑を全てギルドのものにしろと言っているように聞こえたぞ」
「えっと、そう言ったけど、違うの?」
「全然違う」
何と言えばいいのか、過程とかを全てをすっ飛ばして結果だけ見ているよな。エリカは。
翌日に教会で礼拝に来た村人たちに畑の事を告げた。
修道士の中には教会がギルドの株を持っていると誤解している者もいたようだ。あくまでも教会は一員であって主人ではない。今後ともその事をはっきりさせていこう。
土地問題は代官の職責を超えることとはいえ、まだまだ、代官として未熟であることを痛感した。
もっとしっかりしなくては。
続く
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