第69話 軍事訓練
秋の日差しの中、ニースの牧場で江莉香は愛馬の羽黒に跨り、馬専用の柵の中をぐるぐる回っていた。
ロランの言いつけ通り毎日のように乗っているので、ゆっくり歩かせる分には問題ない。
しかし。
「背筋を伸ばせ。下を見るな。目線は遠くに、腕は楽に」
横で同じように馬に跨り伴走する鬼教官からは容赦のない指摘が飛んでくる。
江莉香としてやっているつもりだが、駄目らしい。
「よし。軽く走らせろ」
江莉香はロランに言われるがままに羽黒の腹を蹴ったが、羽黒は何の反応も見せない。
「あれ、羽黒。走って」
江莉香は羽黒にお願いするが、カッポ、カッポと歩くだけ。
ほとんど走らせたことが無いので意図が伝わらないのだろう。
「もう一度」
「はい」
先ほどより力を込めて腹を蹴ると、なんだという感じで羽黒は足を速めた。
「よしよし。身体はそのまま。しっかり保て」
簡単に言ってくれるが、かなり難しい。自転車と違って上半身を支えるハンドルが無いので、足と腰だけでバランスを取らなくてはいけないのだ。
速足程度でも結構大変だ。走らせるとか無理でしょ。
しかし、ロランに比べればまだ条件は良い。なぜなら江莉香の両足はしっかりと鐙を踏みつけている。これによりなんとかなっているが、ロランは足の力と腰のバランスだけで乗っている。サーカスの曲芸乗りみたいだ。
そんなんで敵と戦えるのやろか。
オルレアーノから帰ってから天気のいい日は毎日、乗馬訓練をしていた。
それは、エリックの一言から始まった。
「秋の取入れが終わったら蒐があるから、準備しておいてくれ」
「蒐って何だっけ」
江莉香は昼食のパンをちぎった。
「先日、将軍から言われただろ。オルレアーノの近郊で行う年に一回の軍団の合同訓練だ」
「そうだった。私も行かなきゃいけないのよね。でも、何の準備をしたらいいの。剣道? 」
「エリカは魔法使いだから、魔法の練習だな。それと、乗馬の訓練もした方がいい」
「えーっ。魔法は分かるけど乗馬の訓練要る? 言われたとおり毎日、羽黒に乗ってるんだけど」
「乗っているだけだろ。走れるようになってくれ」
「どうして」
「どうしてって、敵に追いかけられた時、歩いて逃げるつもりか? 」
エリックが苦笑いをする。
「それを言われると確かに」
「魔法の事は分からないが、蒐では魔法を使った演習があるから、それも準備してくれ」
「了解」
こうして、朝は砂糖作り、昼からは魔法と乗馬の訓練に費やすこととなった。
魔法はコルネリア、乗馬はロランから教えてもらうのだが、二人は共通点があった。それは、どちらも情け容赦のない鬼教官であると言うことだ。
いゃ、有難いんですけど、お手柔らかにお願いします。
「駄目だ。精神を内側に集中せよ。魔力を腕輪に導くのです」
村を見下ろせる丘の上で、コルネリアの厳しいレッスンを受ける。
体を流れる魔力に関しては少しだけど分かった気がする。例えて言うなら、もう一対手が生えたような感覚というか、遠隔操作でロボットを動かすのに近いと言うか。
つまり何かというと、上手くいかないのよ。
「もう一度、初めから。一度、息を整えよ」
「はい」
言われたとおりに深呼吸する。
お題は一定の時間、一定の強さで一定の向きに風を起こす。
上昇気流の竜巻を起こせるから簡単にできると思っていたけど大間違い。
何度も挑戦するが、風が弱かったり、空気の塊があっちこっちに散らばったりし、散々だ。
そして、なんでかな。乗馬より疲れる。
竜巻はため込んだ魔力を一気に腕輪に流し込んでぶっ放せば、なんとかなるけど、風向きを変えるのは本当に大変だ。そう言えば諸葛孔明も祭壇で三日三晩お祈りしたんだっけ、私が簡単にできないのはしょうがないわ。
「余計なことを考えるな。魔力が揺らいでいます」
雑念を見透かしたコルネリアから叱責が飛んでくる。
そんなことまでわかるの。魔法使いって怖い。
「私の調べでは、その腕輪はエリカの力を何倍にも増幅できるはずです」
そんなこと言われても使い方が未だにあやふや。
基本的に腕輪に話しかけてお願いするスタンスだ。
そして、心の中で腕輪に話しかける。
雑念を振り払って静かな面持ちで。
『海に向かって風速20メーターぐらいの風を一分間ほどお願いします』
何度目かのお願いを念じながら魔力を左腕に集中する。
『風・・・・・って、ど・・・い・・・よ・・・・・・・・・わ』
よしよし、今日初めて頭の中にエフェクトがかかったような声が聞こえてきた。
これなら上手くいくかもしれない。
ゆっくりと魔力を腕輪に流し込む。
『風よ。集まり流れよ』
背後から空気の塊が押し寄せるのがなぜかわかる。それを海に向けて流れるように魔力で道を作ってやる。そうすると水が水路を流れるように風が流れていく。
そうか、魔法と言っても空気の流れ自体は流体力学にのっとって動くから、魔法の発動後は科学か。気圧の高低を作ってやれば、後は勝手に流れる。
なんとなく、理屈がわかったような気がした。
「風よ」
江莉香が腕を振り下ろすと、背後に溜まった空気が一気に流れ始めた。
後は集まる空気の量の調節と通り道の維持をすればいい。
頭に血が上るような感覚に包まれるが、何とか耐えて風を流し切って見せた。
「いいでしょう」
コルネリアが笑顔で褒めてくれたのでほっと一息。
我ながらいい線行っていたように思う。
そうだ、広範囲の空間の空気をどんどん追い出して、人工的に低気圧が作れたら雨が降るかもしれない。逆に空気の密度を濃くしたら高気圧になって雨が止むのかもしれないわね。
江莉香はいい気になって気を抜いたが、それは早とちりだった。
「では、初めから、もう一度」
「・・・・・はい」
コルネリアに言わせれば、一度の成功は偶然、二度目の成功は事故で三度目でやっと成功らしい。
江莉香はもう一度深呼吸をして、意識を集中するのだった。
江莉香が訓練に勤しんでいる頃、エリックも蒐に向けての準備に取り組んでいた。
「エリック様。剣は問題ありません」
エミールが抜いていた剣を鞘に納める。
村の倉庫から、蓄えている武具を持ち出し、数と状態の点検だ。
「ご苦労。槍も見てくれ」
エリックは小型の合成弓に弦を張ってしなり具合を確かめる。一本引いては次の弓に弦を張り、また、確かめる。
エリックは簡単に引いて見せるが、強度の違う複数の材質の木を張り合わせて作る合成弓は、小型に作れるので取り回しが便利だが、弦を引くのにはかなりの力がいる。そこには日々の修練が見て取れた。
新たに手に取った弓を引くと眉をひそめた。
「これは、駄目だな。張り直しがいるか」
傷んでいる弓をより分ける。
弓の作成と修理は村の猟師の仕事だ。彼らには税の代りに弓と矢を治めさせていた。
これらの武器の全てを蒐に持っていくわけではない。
ここにあるのは村の自衛用の武具だ。
年に何度かは村の近くに夜盗が出没したという話を聞く。ここ数年ニースの村は被害はないが、安心はできない。最近もどこかの村が襲われたらしい。そうなれば村人の先頭に立って戦うのが代官の役目だ。点検は念入りにしなくてはならない。
「エリック様。槍は穂先が錆びているのが結構あります」
「研ぎ直せるか」
「いえ。打ち換えた方がいいでしょう」
槍を手にしたエミールが首を横に振る。
ニースは海沿いの村。倉庫に入れていても鉄が錆びるのは早い。
「分かった。穂先をルッキネロの所に持ち込んでくれ」
「わかりました」
武器の点検が終わると、次は防具の点検に移る。
と言っても、防具は武器ほど種類も数もない。動物の革を樹脂で固めた鎧と木製の盾。それだけ。
これらは村人が使うものだ。
エリックは父の残した、アルゲルト・セグメンタルスという種類の鉄の板金鎧を使っている。鉄の板を革紐でつないでいく組み立て式の鎧だ。普段は分解して櫃に収められている。
あれも組み立てないといけないな。
年に一度の蒐ではそれまで磨いた武芸を披露できる機会だ。無様な姿は見せられない。
先日届いた手紙によると、今回の蒐にはセシリアも参加するとの事なので尚更だ。
「そう言えばエリカの装備はどうしよう」
魔法使いの装備など今まで気にしたことが無かった。どんな格好をしていただろうか。思い出そうとするが記憶にない。
おそらく剣や鎧を着こむことはないはずだが。
「エミール。軍団付きの魔法使いの装備は何だったかな」
声を掛けるがエミールも首をひねった。
「すみません。私は見た事ありません」
エリックは魔法使いの近くに配備されたことが無い。どんな装備が必要なのだろうか。
「俺もだ。コルネリア様にでも聞くか」
ガーター騎士団と同じ装備を用意すれば間違いはないだろう。金はかかるが幸い金の心配はいらない。エリカの装備も整えなくてはならないな。
エリックは手にした盾を構えて見せた。
続く
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