第68話 反響
オルレアーノに出した砂糖専門店は大成功した。
人が集まる市の立つ日に開店したことにより、格安で砂糖を買えるという評判は翌日には付近の村々に伝わった。4日も経つと日帰りでは来れない遠隔地の人々も集まりだした。
江莉香はこれらの販売実績を分析し、一人が購入できる砂糖の量を10トリムまで引き上げた。
変更により遠隔地からの顧客と街の富裕層の需要に対応することが出来る。
当初のルールでは、買い主が同じの人々が日を跨いで何度も買いに来るので作業効率が著しく悪くなり、また街に頻繁に来れない遠隔地から買いに来るお客さんへの便宜も必要だった。
だが、商人や領主などの有力者からの一括の大量購入はすべて拒否した。
王都や他地域への転売が問題というよりは供給量の問題であった。ニースより運んだ砂糖はこの調子で売れれば10日程度で枯渇する計算だからだ。
需要に供給が全く追いつかない。
「生産と運搬が問題よね」
店の台所のダイニングテーブルで帳簿を眺めながら果実水を啜った。
帳簿には、この数日間での売り上げが並んでいる。
1トリム銀貨1枚での販売にしたおかげでデータが見やすい。
残りの砂糖の量から売り上げ予想も立てやすく、雇った店員さんなどの横流しなどの不正も起こりにくい。不正しにくい単純なシステムを組めば一々見張ってなくても悪さをする人間はいない。我ながらいい運営だ。
「セイサン。沢山作ることですね」
迎えの席から帳簿を覗き込んでいたユリアが答える。
「そうそう、工房とかでたくさん売り物を作る時に使う言葉、って言うか勉強熱心ね」
「はい。折角エリカ様が神聖語を教えてくださるのです。しっかり学んでいきたいです」
この帳簿も彼女が作ったものだ。整った文字で正確に書き込まれており、ざっと確認した限りでは間違いもない。やっぱり優秀な人だった。
帳簿は2冊用意した。本部があるニースに一冊。店舗に一冊。
帳簿の付け方を店員さんに教え、市の立つ日にニースの露店に写しを提出してもらおう。
これなら、この世界の中ではかなり円滑な情報処理が出来るはず。
「前から疑問なんだけど、神聖語を覚えて何に使うの」
「なにって、神々との対話に決まっているじゃありませんか」
真っ直ぐな瞳で返された。
「そうなんだ」
申し訳ないけど、日本語覚えても神様と対話は恐らく出来ないわよ。私みたいにこの世界に迷い込んだ日本人と会話ができるだけよ。おかげで助かっているから口にはしないけど。
きっと私と同じ境遇の日本人がこっちの人に調子のいい事を吹き込んだ結果なんだろうけど、乗っかっているから同罪かな。
「さて、店の感じも分かったからニースに帰りますか。後は雇った店員さんに任せましょう」
「はい」
江莉香は60センチ近い大きさの帳簿を閉じた。木製の装丁に布のページ。これだけでも一財産の代物だ。
そうだ。ペタルダさんのお店に開店の挨拶として砂糖を持っていこう。ついでに薬も買い付けよう。あの人の薬は良く効くと村でも評判になったからね。
オルレアーノの実質的支配者のセンプローズ将軍がこの日最後の決裁を終えると、執事頭のアルフレッドがいつものように飲み物を用意した。
「エリックたちの店はどうであった」
アルフレッドがポットからカフィを器に注ぐのを見ながら問うた。
「はい。本日も大変繁盛しておりました。朝から人が列をなしておりました。明日も同じような光景になりましょう」
将軍の命を受けアルフレッドは様子を見に行っていた。
女中の一人をあえて並ばせて砂糖を買わせることまでしていた。
「上手くいきそうか」
「はい。かなり安い値段で売っておりました。あの値であれば下層民でも手が出るかと」
「ほう」
カップを手にしカフィの香りを楽しむ。
「1トリムで銀貨1枚にございます」
「ふむ。それは、安いのか」
将軍が自ら買い物をすると、額と規模が違い過ぎるので値段を言われても感覚がつかめない。
「はい。王都からの下りものの砂糖は、およそ2~3倍の値で売られておりますのでかなり安いかと」
「ビーンから作れるから安いとはいえ、ちと安く売り過ぎのようだが」
立ち昇る香りを楽しみつつカップに口をつける。
「はい。3トリムを銀貨4枚でも飛ぶように売れたでしょう」
「では、なぜ安く売っておるのだ。ギルドにはドーリアが噛んでいるのであろう。あやつらから助言は得られなかったのか」
「調べた限りでは、ドーリア商会はギルドに相当に入れ込んでおります。支店長のフス殿自らが関与しておりますので」
「ほう。あやつがな。儲け話には抜け目がない男が、尚更不思議よな」
「調べますか」
「いや、儂がエリックから直接聞けば済む話よ。お前の話を聞く限りでは明日にでも砂糖は店からなくなりそうだな」
「それが、そうとも言えません」
アルフレッドは飲み干したカップにお代わりを注いだ。
「ほう。どうしてだ。誰でも買える値なのであろう。目端の利くものが買い占めるであろう」
「いえ。一人10トリム以上の量は売っておりません」
「なんだ、少ないな。それだけか」
子供でも片手で持てる量だ。
「はい。昨日までは一人3トリムまででしたのでオブイェーク家の家人が総出で並んで買っていたとのことです」
「なぜそのような真似を」
「恐らくですが、閣下のご指示を守るためかと」
執事頭の言葉にしばし考え込む。
「王都に砂糖を流すなというアレか」
「はい。商人どもの買占めを防ぐためと存じます」
「なるほど。良く考えておるわ。しかし、それなら売値を上げれば済む話であろうに。ややこしいことをしておるな」
「はい。意図を計りかねます」
「エリックも元は農家の倅よ。商売が何であるのか分からぬのであろうな。なんにせよ、繁盛しているのであるならめでたい事よ」
「はっ、しかし、懸念もございます」
「なんだ。ゆうてみよ」
「儲かり過ぎではないでしょうか。このままですと数日であの店は相当な財を築きます」
「何が問題だ」
「ギルドと申しましても、街中の小さな店でございます。夜ともなれば警備の者などおらず」
「ふむ・・・襲われるか」
「商会と違いただの店でございますから。寝込みを夜盗にでも襲われますと一堪りもありますまい」
教会や商会などの大きな金を動かす者たちは皆、頑丈な石造りの建物に鉄の門扉を備え付けている。城内といえ安全ではないのだ。
「エリックは自覚しておるか」
「それは何とも。今になって慌てておるやもしれません」
「村の代官とは勝手が違うだろうからな。よし、警備隊にしばらくはエリックの店を重点的に回らせよ」
街の治安は参事会の領分ではあるが、将軍の意向はすべてに優先される。
「畏まりました。ただ、解決には程遠いかと」
「そうよな、参事会から危険だと伝えさせるか」
「それがよろしいかと存じます」
「我が領内で砂糖が作れるようになったのだ。潰させるわけにはいかん」
「ははっ」
ギルドの自治権に干渉は出来ないが、エリックが自分の命令を聞き流す心配もない。ニースの砂糖ギルドは将軍にとっても管理しやすいギルドであった。
オルレアーノの目抜き通りに支店を構えるドーリア商会。
支店長のフスは、モリーニからの報告を聞いて満足そうに頷いた。
「ここまでは計画通りだ。引き続きお二人をお助けしてください」
「承りました。店に買い付けに来た商人には商会の話を吹き込みましたが、いかがでしたか」
「ああ、大いに効果がありましたよ。行商人だけでなく、商会などの各方面から砂糖の取引についての話が舞い込んでいます。皆、必死に売ってくれと言ってきています」
「こちらも計画通りですな」
「ああ、ギルド様様ですよ」
フスは声を上げて笑う。
ドーリア商会はギルドの一員としてニースの二人に情報を流し、商習慣を教え、街での商売の手配をし、行商人の世話までして、取り分は10分の1。構成員の中では最も少ないが、全く問題ではない。
ここまで手を尽くしてもそれ以上の旨みがあるからだ。
それは、砂糖ギルドの一員。ただそれだけである。
ニースの砂糖を売買したければドーリア商会を無視しては出来ない。その事が広まれば大きな利益となって跳ね返ってくる。
例えば『お前の販路に砂糖を融通してやるから、こちらの件は我々に譲れ』などと、砂糖以外のあらゆる取引を有利にする強力な手札となる。砂糖の評判が広まれば広まるほど、砂糖からの利益よりもそちらの方が大きいだろう。
ギルド設立への密談でコルネリア様が教会と取り分を同じにすべきと言ったが、フスからしてみれば有難迷惑であった。一見取り分が少ない方が、いろいろと睨まれにくい。教会は2番目の取り分と言うことで自尊心を満たし、エリックたちは少ない配当で貢献する商会に好意を向けるだろう。エリカ様や教会の代りはいないが、我々商会の代りはいくらでもいる。ギルド内での立ち回りは慎重を求められるのだ。
「エリック様たちが我々の商会を尋ねてくれたことを商売の神に感謝しなくては」
「お二人が違う商会にこの話を持ち込んでいたら」
モリーニのもしも話にフスは身震いする。
「考えたくもありませんよ。悔しさのあまりに発狂しそうだ」
王都の本店にも景気の良い報告書が書けそうだ。
ここ数日、酒の美味いフスであった。
続く
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