第65話   開店

 最盛期の夏日に比べると優しい日差しが山の稜線を輝かせる灯の日。

 オルレアーノの街の市は朝早くから静かなざわめきに包まれていた。 

 市が開かれる広場から3本離れたロッシ通りで新しい店が開かれるとの話が広がっていたのだ。


 「おい、聞いたか。新しい店の話」

 「聞いたが、珍しくもないだろ。新しい店なんて」


 荷馬車から市に出す小麦袋を降ろしている男が噂話をしていた。


 「なんだ。知らんのか。新しい店は砂糖を売る店らしいぞ」


 荷台に乗った男が下の男に袋を手渡す。


 「だから何だってんだ。砂糖なんて手が届かねぇ代物、俺らに関係ねぇ」


 興味なさそうに袋を担いで露店に並べる。


 「いやいや、噂によると格安で売るらしい」

 「格安ねぇ。幾らだい」

 「いや、それは、分かんねぇ」

 「なんだい、そりゃ」

 「でも、格安って話は本当だぞ」

 「誰が言ってたんだ。そんな与太話。開いてもいない店の値段なんてわかんねぇだろ」

 「ドーリア商会の奴から聞いたんだよ」

 「商売敵じゃねぇか。担がれてんだよ」


 袋を受け取る男は荷台の男の話に呆れたように答えた。


 「そうなんかねぇ。でも気にならねぇか。砂糖が安く買えれば土産にはちょうどいい」

 「安く買えたらな」

 「後で見に行かねぇか。ロッシ通りに出来たらしいんだ。すぐそこさ」

 「仕事が終わったらな」

 「よし。終わったら行こう。店だから市が終わっても開いているだろ」


 男は最後の袋を手渡した。



 「エリック。準備はいい」


 女中服のエリカが張り切って頭に頭巾を巻いた。


 「問題ない。いつでもいい」

 「モリーニさんも大丈夫ですか」

 「抜かりございません。エリカ様」


 モリーニとその後ろに控えているドーリア商会の者たちも頷いた。


 「それじゃ。店開きをするわね」


 エリカは頑丈な木戸を外に向かって開く。丁度上ったばかりの日の光が店の中に差し込んだ。


 「ニースの砂糖ギルド直営店。本日開店」


 エリカは威勢よく声を出したが、通りの人はまばら。エリカの予想と違い、店に人が押し寄せるということはなかった。


 「まぁ。初めはこんなもんよ。徐々にお客さんは来るわよ」

 「そうだな」


 それから、しばらく時がたち太陽が街全体を照らす頃になったが客は現れない。

 何人かの市民が遠巻きにこちらを窺うだけだ。

 

 「あれ、これって不味いんじゃないの」


 エリカがいきなり前言を撤回する。

 早すぎるだろう。もう少し様子を見たらどうだ。


 「砂糖は高級品だからな。そう簡単には買いに行こうとはならないのかもな」


 自分より先に焦れてきたエリカの姿に笑いが零れる。


 「うーん。お店の開店はスタートダッシュが最も大事なのに」

 「エリカ様。もう一度仰って。なに、ダッシュでしょうか」


 ニースから連れてきた修道女のユリアがエリカの腕にしがみく。

 今日はいつもの修道女服ではなく、エリカと同じ女中服に身を包み頭を頭巾で覆っている。


 「後で。何かしないと不味いわね」


 エリカはぞんざいにその腕を振りほどいた。


 「また、呼び込みでもするか」


 エリックの提案にエリカは大きく頷いた。


 「そうしましょう。でも、声掛けだけっても芸がない。よし、ただで砂糖を配ろう」

 「おい。ただで配るのか」


 また、突拍子もないことを言い出した。


 「小さい粒を配るだけよ。いいでしょ」


 砂糖は大小さまざまな塊になっている。

 エリカが言うには精製が不完全で水気と蜜が多く混ざっているため、粉にならないらしい。

 逆に粉状の砂糖を見た事が無いので、違いが分からないが、上等な砂糖は雪のように真っ白な粉になるらしい。

 石臼で細かくする話も出たが、過程で失われる砂糖が惜しいと言う話となり、そのまま売ることとなっていた。

 

 「構わないが、気をつけろよ。砂糖をただで配ったら人が押し寄せるぞ」

 「それが目的よ。ユリアも手伝って」

 「はい。エリカ様」


 エリカは手提げ籠に布を引いてその上に小さな砂糖の粒を並べ、通りに出ていった。

 俺の懸念はエリカに正しく伝わらなかったらしい。街は街で危険が多い。

 エリックは壁際で控えていたクロードウィグに目で合図する。

 意図を理解したらしくクロードウィグは巨体を静かに動かしエリックの後に続いた。


 「ニースの砂糖ですよ。お一ついかがですか」

 「いかがですか」


 エリカとユリアが道行く人に声を掛ける。


 「いや。そんなお金はないよ」


 腰の曲がった老婆がユリアの勧めを断る。


 「お代は要りませんよ。おばあちゃん」

 「なんだって、くれるのかい」

 「はい」

 「本当に砂糖なのかい」


 ユリアの言葉に老婆は目を丸くする。


 「はい。どうぞ」


 ユリアは木製の匙で老婆の掌に砂糖を落とした。


 「ありがとね」


 老婆は礼を言うと掌の砂糖を口に含んだ。


 「あら。本当に砂糖だわ。久しぶりに口にしたけど美味しいわ」

 「良かったです。今までより安くなっていますから、良かったら買ってくださいね」


 驚きを露わにする老婆にユリアが優しく微笑みかける。

 老婆の話が聞こえたのだろう、一人また一人と人が集まってきた。

 エリックとクロードウィグは二人から少し離れた場所で様子をうかがう。


 「いいのか、砂糖なんだろ。後で金払えとか言わねぇのか」

 「言わないわよ。さあ、手を出して」


 半信半疑の男の掌にエリカは砂糖を落としてやる。


 「おいおい、本当に砂糖だぜ」

 「そこから信じてないの。砂糖だってば、看板にもそう書いてるでしょ」


 エリカは店の看板を指さした。


 「オラ、字が読めねぇんだ」

 「あら、そうなの。ごめんなさい。でも、分かったでしょ。安くしてるから買って行ってね」

 「すまねぇがそれは無理だ。安いってもオラには買えねぇよ」

 「1アス」

 「へ? 」

 「だから、1アスで売ってあげる」


 エリカは人差し指を立てる。


 「どれぐらい」


 エリスの言葉に男は恐る恐る尋ねた。


 「1トリム」

 「それって安いのか? 」


 人差し指をたてるエリカに男は首をひねった。


 「安いわよ。王都で買う値段の半分だもん」

 「本当かい」

 「本当よ。オルレアーノで他の商人さんから買うなら王都で買うよりもっと高いでしょうね」


 男はエリカの言葉を頭の中で反芻して答えた。


 「ってことは、半分より安い? 」

 「うん。たぶん」

 「ちょっと待ってくれ。それは銀貨じゃないとダメか。銅貨でもいいのか」


 両替商で銅貨を銀貨に両替すると手数料を取られる。男の懸念はもっともだ。


 「別にいいわよ。銅貨なら19枚ね」


 エリカが笑顔で答えると男は慌てて懐から金袋を取り出し中を覗き込む。

 

 「ねぇちゃん。少し待っててくれ。今、家に帰ってかかぁと相談してくる。店はなんどきまでやってるんだい」

 「日暮れまでやってるわよ」

 「よし、わかった」

 

 男は踵を返して走り出した。


 「上手くいきそうだな」


 一目散に通りを駆けだしていく男の後ろ姿を見ながらエリックは呟く。

 カマボコの時もそうだったがただで物を配るのは効果が絶大だ。


 「でしょ」

 

 胸を張るエリカに次は子供たちが群がってきた。


 「はいはい。並んで、ひとり一つづつだからね」


 子供が言うことを聞くはずもなくエリカに群がりスカートを引っ張る。エリックは群がる子供たちを捕まえて並ばせようとするが、無駄な努力だった。次第に子供だけではなく大人たちも群がってきたからだ。


 「おい。もういいだろう」

 

 次第に増えていく人波に危機感を覚える。

 

 「もう十分ね。ユリア。戻るわよ」

 「はっ、はい。きゃ」


 撤収が少し間に合わなくユリアが大人に囲まれた。

 こっちはエリカを店に入れるために手が離せない。


 「クロードウィグ」


 エリックの声にクロードウィグは素早く動くと簡単に人垣をかき分け、猫のような手軽さでユリアを持ち上げ戻ってきた。


 「ありがとうございます」


 地面に降ろされたユリアの感謝の念にクロードウィグは無言でうなずいた。

 やはり凄い膂力だ。連れてきて正解だったな。

 

 呼び込みは功を奏したようで、店に客が現れ始めた。

 エリカの指示通り売り子は全て女にした。

 ドーリア商会が用立てた女たちが客に値段と量の説明をする。

 売り方は塩と同じだ。違うのは買える量も決まっていることぐらいか。


 「1トリム分おくれ」

 「はい。銀貨一枚です」


 値段と量が決まっているので話は早いがここからが時間がかかる。

 1トリムの重りをぶら下げた天秤の皿の上に砂糖を乗せていく。これは客の目の前で行われる。不正を行わせないためだ。


 木の匙で少しずつ乗せ釣り合ったところでしばし待つ。


 「よろしいですか」

 「ああ、いいよ」


 客の差し出した銀貨を受け取り籠の中に砂糖を入れてやる。

 客は籠のふたを閉めると小脇に抱えて足早に立ち去った。途中で奪われるかもしれないと思えば当然だ。

 すぐに次の客が現れ、天秤の上に砂糖を乗せる光景が繰り広げられる。どうやら上手くいきそうだな。

 エリックは組んでいた腕をほどいて腰の剣の柄に手を置いた。

 砂糖の店が動き出したのだ。


 

                      続く

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