第63話   開店準備

 店を出た江莉香がペタルダに言われたとおりに進むと、小ぎれいな空き店舗を発見した。

 店の隣に住んでいる持ち主にペタルダの名前を出したら、あっさりと了承してくれた。家賃も手ごろで、これなら店としてやっていけそうだった。


 「よし。ここに決めます」


 店の中を一通り確認して江莉香は決断した。


 その後はドーリア商会の案内役の力を借りて、賃貸の契約を完了した。

 広場からは遠いけれど、治安は良さそうだし何よりも街並みが綺麗。

 借り受けた店は初めから店として建てられたわけではなく、民家を改装したような作りで、元からあったのであろう台所や寝室らしい空き部屋がいくつかあった。

 

 「店に必要な物を買わないといけないわね。何がいるのかな」


 江莉香はそれらを見て回りながら思案する。

 現代日本なら、サーバーに接続したレジスターやごつい金庫、もしもの時の防犯設備だけど、この世界にあるのは金庫ぐらいかな。


 「エリカ様。店に必要なものは私どもで揃えておきましょう」


 商会のお兄さんが請け負ってくれた。

 お店の運営に関しては、この人たちがプロだ。任せておこう。


 「お願いします。どれぐらいで準備できますか」

 「この大きさですと3日もあれば十分でしょう」

 「となると4日後には店を開けるのか。しまったな。砂糖を積んでくればよかった」


 今回のオルレアーノ行は、秘伝の授与と商会への相談がメインだったため、ほとんど身一つで来ていた。


 「では、ニースのモリーニへ、私共から連絡いたしましょう。砂糖はどれ程運び入れますか」

 「いいんですか。ありがとうございます。そうですね。あるだけ全部かな」

 「承りました」


 お兄さんが一礼するのを片目で見ながら、店となった姿を想像した。


 「ここに、砂糖の保存庫でカウンターがここら辺。お客さんが入れるところは、ここまでの方がいいかな」

 

 店の中を歩き回る江莉香の後をついて、商会員がメモを取る。

 ああでもないと、呟きながら完成予想図を捏ね繰り回していると、段々と不満点が見えてきた。


 「うーん。砂糖だけだと味気ないかな。でも、蒲鉾を並べるとややこしくなるし」


 砂糖だけ取り扱う専門店では、お店として面白くない気がしてきた。他に何か置きたい。


 「そっか、ついでにビスケットとか砂糖がらみの品物も一緒に並べればいいのか。すいません。ニースに連絡しなくていいです。私が一度戻って用意しますから。改装の方に専念してください」

 「よろしいのですか」

 「はい。ここまで来たら慌てる必要もないので」


 砂糖しか売っていない店ではなく、関連商品もできるだけ並べよう。それなら他のお店と競合することもないでしょう。


 「承りました。改装のご要望は商会で図面にしたく思います」

 

 商会のお兄さんの進言に頷いた。

 任されたとはいえ、エリックの意見も聞かないで勝手に決めるわけにもいかない。この辺りは相談してからにしよう。



 商会でエリックと合流し、借りてきた店の話をすると、エリックが追加の注文を出した。


 「二階が空いているなら、簡単でいいから寝床を作ってくれ。オルレアーノに来た時の拠点にしたい」

 「宿屋の代りってこと? 」

 「ああ。店に休める場所があれば、宿を探して歩いたり部屋が無くて困ったりしないだろう。昔、祭りの日に宿が取れなくて、野宿する羽目になったからな。雨が降っていて大変だった。店に泊まれる場所があれば有難い。構わないか」

 「もちろん、賛成。オルレアーノに自分たちの拠点があるのも便利よね」

 「では、二階は寝室にいたしましょう」


 話に参加していたフスが、木の板に書かれた店の図面に書き込みを行う。


 「エリック。考えたんだけど、お店には砂糖以外に砂糖で作った食べ物も置いたらいいと思うんだけど、どうかな」

 「砂糖で作った食べ物・・・まさか豚の砂糖煮込み。あれを置くつもりか」


 エリックの顔が引きつった。

 なぜ、それを真っ先に思い浮かべるのよ。


 「違うわよ。ビスケットとかジャムとかドライフルーツよ」

 「脅かすな」


 エリックかが勝手に驚いただけでしょ。そう思ったけど黙ってよ。


 「でっ、どう」

 「いいと思うぞ。だが、肝心の砂糖はどうやって売るつもりなんだ」

 「いろいろ考えたけど、定額制にしようと思うの」

 「何だそれは」

 「つまり、いつでも同じ値段で、一々交渉しなくても値段がわかるように売るのよ」


 この世界の売買には、値札というものがほとんど存在しない。

 あらゆる商品になんとなくの相場があり、お客は店の者と交渉しながら値段と量を決める。

 正直これがめんどくさいくて管理しにくい。砂糖100g 何円。みたいな定価を決めて販売したい。

 これなら、売れた量と金額が連動するから統計も取りやすい。長期的な戦略が立てられるだろう。


 「塩のように初めから値段を決めて売るんだな」

 「そうそう」

 「いいんじゃないか」

 

 エリックの賛同を得られた。これで行こう。


 「しばらくはドーリア商会の商人以外には卸さないが、他の商人が店に直接買いに来たらどうする。断るか」

 「断ったら揉め事の種になるから断らない。その代わり一人のお客さんが買える量をこっちで決めようと思う」

 「こちらで先に決めるのか。それなら文句も出ないか」

 「うん。簡単に、大と小に分けようと思う。余裕のある人が大、無い人のために小。とにかく、いろんな人の手に入るようにして、一人でも多くの人に砂糖の味を覚えてもらうのよ。そうなったら、絶対また買いに来てくれるし、街の話題にもなると思う」

 「おお、エリカ様。流石、商売のできる魔法使い。恐ろしいまでに狡猾なお考えですね。オルレアーノの市民を砂糖の虜にしてしまうおつもりですか。私はぞくぞくしてまいりました」

 「狡猾って褒めてないですよね」

 「これは口が滑りました。失礼をば」


 フスは大げさな身振りで謝罪する。


 「しかし、一つ懸念が。銅貨や銀貨の交換比率は日々変化いたしますが、定量、定額でよろしいのですか」


 フスが首をかしげる。


 「えっ。毎日変わるんですか」

 「はい。日々、両替商の取引で変化いたします。一日の変化は微量ですが、一月もたちますと大きく変動することもございます」


 円とドルの相場のように国内通貨ですら毎日変動するの。不便すぎる。私の長期的戦略が……


 「因みにどれぐらい変わりますか」

 「お待ちを」


 フスは立ち上がり部屋を出ていく。戻った時には大きな本を携えていた。


 「本日の交換比率でございますが、アス銀貨一枚に対してデリス銅貨32.7枚です。これが一か月前は33.3枚でございましたので大きく違いますな」

 「32.7枚って、どうしてそんなに半端な数字なんですか。例えば私が銀貨一枚持って両替商に行ったらどうなるの」

 「小額の交換比率は各領主によってきめられております。オルレアーノの場合は参事会でございますが、ここ数年は33枚が交換比率でございます」

 「なら問題ないのでは」


 決まった相場があるんなら、それでいいでしょ。


 「庶民はそうでございますが、我々ギルドは大金が動きます。砂糖の取引が大きくなればなるほど、馬鹿に出来ぬ差となります」

 

 塵も積もれば山になるということか。確かにそれは不味い。


 「また、異変が起こると、定められた交換比率は無視され、貨幣の価値は大きく変動いたします」

 「異変って何ですか」

 「一番、あり得るのは戦(いくさ)ですね。全ての物の値段が跳ね上がります」

 「戦争かぁ。確かに大きく動くわよね。困ったな。どうしよう」


 エリックに顔を向けると、彼も眉をひそめて考え込む。


 「今、言った話は大きな取引の場合の話だろう。それなら店で売る分には問題ないんじゃないか。他の商人相手の大きな取引の場合は、砂糖の量とその時の貨幣の相場で売ればいいだろう。戦が起こった場合も同じだ。その時に対応すればいい」

 「なるほど、その通りですな」


 フスが同意した。

 よしよし。売る相手によって対応を変えればいいって事ね。少し手間だけど管理はしやすいか。


 「じゃ、それで」


 一つ一つ懸案事項を取り除いていく。


 「私思うんだけど、砂糖の甘さは一度経験したら忘れられないんじゃないかな」

 「仰せの通りかと、そして、街の者たちが砂糖の甘美さを味わいたいのなら、銀貨を握りしめて店を訪れよ、という訳でございますね」

 「うん、今までより安い値段で売るんだから、文句ないでしょ」

 「はい。皆こぞって店に押し寄せることでございましょう」

 「やってみないと分からないから、お客さんが押し寄せるなんてのは、捕らぬ狸の皮算用。全部が全部うまくいくとは思ってない。だから、ビスケットとか置いて様子を見るのよ」

 「それも、値段を決めて売るのか」

 「うん。こっちは注文に応じての量り売りでいいかな」

 「天秤をいくつかご用意いたしましょう」

 「ですね。砂糖用が2個。その他用に1個かな」

 「ご用意いたしましょう」


 いよいよ現実的に私が作った砂糖のデビューが近づきつつある。楽しみで仕方ない。



 翌日はオルレアーノの中心部に威容を誇っているアナーニー司教座教会で、砂糖の製法について秘伝認定してもらった。

 エリックが立派な白色のマントを羽織った司祭から厳かに杖で祝福を受けた。

 随分ともったいぶった割には儀式は小一時間で終わり、意外に年若い司祭からありがたいお言葉を頂戴した。

 神々の恩寵を忘れるなとか、身を慎んで良き行いをせよとか、小学校の全校集会で聞いたような話が続く。これが儀式とは比べ物にならないほど喋る喋る。

 要するに、教会のご恩を忘れずにこれからも奉仕しなさいって事でしょ。

 分かっているわよ。押し掛けとはいえ一応ビジネスパートナーなんだから、心配しないで。

 その代わり、ちゃんと知的財産権を保護してよね。


 「って言えたらなぁ」

 「何か言ったか」

 

 司祭様のありがたいお話の途中なのに、思わず本音が零れた。

 隣で一緒に話を聞いていたエリックが尋ねる。


 「何でもない」

 「ほっほっほ。エリカは退屈しましたかな」


 司祭が笑顔を向けてきた。


 「そんなことありません」


 慌てて首を振った。

 しまった顔に出てたか。


 「ボスケッティの話によると、貴方はとても用心深いとのことですが、どうしてなのですか」

 「どうしてって言われましても」


 何か予想外の事を聞かれた。

 用心深いかな? 結構その場の乗りと勢いでここまで来たような気がするけど。

 何と答えたものかと思案していると司祭がまた笑った。


 「誤解を与えてしまいましたか。用心深い事は良い事ですよ。常に足元に注意しているということですからね」

 「ありがとうございます」

 「貴方達の成功を祈りましょう」


 これで、秘伝の認定は完了し、江莉香は準備のために一度ニースに帰ることにした。



                   続く

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