第62話   薬屋

 夕食が終わるといつものように書斎で作戦会議を始める。

 エリックがオルレアーノに砂糖の店を出したいと言ったので、江莉香は迷わず賛成した。


 「いいじゃない。市の日だけしか買えないより、毎日買える方が便利だし。何よりギルドと代官の区別がはっきりわかるから、お金の管理が楽になるわ」

 「よし、さっそくオルレアーノに店を出すことにしよう。ただ、少なくとも店株を手に入れるには金貨で20枚は掛かるらしいんだ」


 エリックが困ったように言う。


 「いきなり店を買わずに借りればいいでしょ。それならもっと安く済むはずよ」

 「違う。店を出す許可をもらうために金貨が必要なんだ」

 「店を出す許可。ってことは家賃は別に掛かるの。酷いわね」

 「街で好き勝手に店を出すことはできないんだ。市の参事会に許可してもらうための金貨だ」

 「それで20枚はぼったくりじゃない」


 印紙代にしたって高過ぎよ。


 「俺もそれは思った。どうする、今回は見送るか」

 「でもな。ギルドの売り上げを正確に管理するためには店が欲しいわね。市場で売ったら蒲鉾とかの売り上げとごっちゃになって管理しにくい。また、横領だなんだって言われる」

 「尚更、砂糖の店が必要か。モリーニが商会から金を借りれるかどうか聞いてくれるが、どうなるか分からない」

 「あっそうか、商会にお金借りればいいのか。大丈夫よ。まだ金貨残ってるでしょ」


 江莉香は手を打った。


 「エリカから借りた金貨なら20枚以上残っている」

 「私も手持ちの金貨があるから、それを質草に貸してくれるわよ。利率だけ注意すれば問題なし」

 「なるほど、そういうものなのか」

 「私の国の感覚では大丈夫のはず」

 「エリカの国の感覚なのか。大丈夫か」


 疑わし気に見てくるエリックに手を振ってこたえた。


 「お金のやり取りなんて古今東西大して変わらないわよ」

 「よし。では商会から金を借りて店を出そう。店は誰に任せる」

 「店番か。オルレアーノに住んでいる人に頼むしかないけど、当てがないわね。村の人をだれか向こうに住んでもらう? 」

 「あまりそういった事は強制したくないな。希望者がいたらいいが。それに、ニースの者は商売に疎い。いきなり店を任せられる人間はいないと思う」

 「市場で魚を売るのとは違うものね」 


 店を運営するにはそれなりの読み書きそろばん能力が求められる。村での該当者は片手で数えるほどだ。

 しばらくは私がやろうかな。でもな、村から遠いと不便だしな。どうしよう。


 「こうなったら、店を任せられる人も商会に探してもらうか」

 「あんまり、商会に依存しすぎるのは良くないけど、私たちには頼める人がいないものね」


 オルレアーノの店に関しては、商会と要相談と言うところね。


 「次に、10日後の朱色の日に司教様から秘伝の授与を受けることとなった。オルレアーノに行くから、そのつもりでいてくれ」

 「わかった。丁度いいから向こうでフスさんとお店の話をしようかな」

 「いいと思う。すまないが、店の件は任せていいか。俺はギルドの件でやることがあるんだ」

 「OK 任せて」


 打ち合わせは日が沈んでからも続いた。



 教会での儀式の前日。ドーリア商会を訪れた江莉香はフスの満面の笑みの出迎えを受けた。


 「お任せください。全力で協力させていただきます」


 砂糖の店の話をすると、あっけなく了承されてしまった。


 「すみません。何から何まで頼んじゃって」

 「いえいえ、選りすぐりの者を店に出しましょう。私共といたしましてもエリカ様のギルドに大いなる期待をしております。この程度の投資など安いものでございます」

 

 これで、お金と人手の目途は付いた。次はどこにお店を出すか見て見ないと。

 治安が良くて人通りが多くて家賃の安いところがいい。



 江莉香は案内役の商会員の後をついてオルレアーノの街に繰り出した。

 判り切ったことだが、そんな都合のいい物件がホイホイ転がっているはずもなく、立地が良くて家賃が高いか、家賃が安くて立地が悪いかを選ばなくてはならなくなった。


 「うーん。治安はともかく人通りはなくてもいいかな。砂糖売ってる店、他にないしな。競合する心配が無いのよね。でも、仮にライバル店が現れたら負けるかもしんないし。どうしよう」


 街一番の広場に面した一等地にはそもそも空き店舗などなく、路地を一つまた一つと入り込んでいく。工房街に一つ、寂れた裏通りに一つ。店として使えそうな建物を見つけたが、どれも気に入らない。

 工房の近くは荷馬車と品物が行きかい活気があるが、買い物には向いていない。寂れた裏通りは通りの幅も狭く、ろくに日光の当たらないから、なんとなく気味が悪かった。

 ああでもない、こうでもないと言いながら、商会のお兄さんに案内されながらオルレアーノの街を歩き回った。


 どれぐらい歩いただろうか、人がすれ違える程度の狭い路地を抜けると、突然、日当たりのよい整備された石畳の通りに出た。

 江莉香が通りを見渡すと両側には小ぎれいな住居が並んでいる。街の中産階級が集まっているみたいだ。しかし、不思議なことに人通りが全くなく黒猫が一匹道を横切っているだけだった。

 きれいな街並みに誘われて石畳の上を歩いていく。

 道の両側に街路樹が植えられ各家庭には花壇が整えられ、色とりどりの花々が夏の日差しの中で輝いていた。


 「綺麗な通りね。こんなところにお店を構えられたらいいんだけどな」


 江莉香の感想に応えるように鉄製の看板らしきものが目に飛び込んできた。看板が出てると言うことは何かのお店だろう。

 

 黒光りするサークルに猫のモチーフの看板、オレンジ色のレンガで組み上げられた小さな建物。一見すると何のお店か分からなかったが、誘われるように足を踏み入れた。

 店内は20畳程度の広さと正面に大きなカウンター。

 カウンターの背後の壁にはたくさんの戸棚のついた車箪笥のような家具が取り付けられていた。

 全体的に明るく掃除が行き届いていて清潔な印象を与えていた。そして、店内に漂う不思議な香り。


 「わぁ。凄い。このお店、ガラスの窓が付いている」


 日の光が小さなガラス窓にあたって乱反射し、淡く優しい光が店内を照らしていた。


 「なんのお店かな。すいませーん」


 江莉香の入店に気が付かないのか店の人は現れない。

 奥に向かって呼びかけると、正面のカウンターの向こう側に椅子があり一人の女の子が座っているのに気が付いた。

 その子に声を掛けるが反応が無い。

 よくよく見て見るとそれは人間の服を着せた等身大の人形であった。


 「なんだ、人形か、びっくりした」


 淡いピンクを基調とした高そうな服にブラウンの髪の毛。青い瞳はガラスか宝石か分からないが透き通った色合いだ。人形自体は木製の様で肌の色は白く塗られていた。


 「それにしても良くできてるな。高そう」


 友人の家で1メートル弱の精巧な人形を見せてもらい、自分も欲しくなったので値段を聞いてみておったまげたことを思い出す。

 諭吉が数人いなくなる金額だった。

 この人形はそれよりも大きい。きっと諭吉換算で20人ぐらい要るかも知れない。


 「どちら様」


 人形を覗き込んでいると頭上から声が降ってきた。

 見上げると上は吹き抜けになっており、二階の廊下の欄干から黒髪の女性が江莉香を見下ろしていた。


 「すみません勝手に入って。声はかけたんですけど」


 江莉香の言葉に女性は頷くと脇の階段を下りて江莉香の前に立った。

 女性はこの辺りでは見かけない裾の長い着物のような衣装を身に着けていた。

 衣装の色合いは限りなく黒に近い深い紺色。多色染めの高級品だ。

 黒い髪に黒い瞳。そして生気を感じさせない極端に白い肌。


 この人。すごく綺麗と言うか、怖いぐらいの美人だわ。

 何より、こちらに来て初めて自分より明らかに背の高い女性に会った。身長180センチ近くあるでしょ。

 江莉香は金縛りにあったかのように身じろぎもせず見上げた。


 「何が欲しいの」


 女性にしては低く冷たいその言葉を掛けられると、魔法でも融けたかのように身体が動いた。


 「えっと、お店を探していて」

 「何のお店? 」

 「何の店と言うか、私、砂糖のお店を出すことになったんですけど、店を貸してくれる店? を探しているんです」

 「貸店舗を探しているのね。残念だけどこの店は貸せないわよ」

 「ええっと分かってます。何のお店か興味があったのでお邪魔しただけです」

 「あら、そう」

 「このお店、何のお店ですか」

 

 江莉香は店内を見渡すが商品らしきものが無い。あるのは等身大人形だけ。

 特製人形のオーダーメイド店かな。それにしてはサンプルが一つなのは寂しいしな。もっと一杯並べましょうよ。


 「ここは、薬屋よ」

 「ああ、それで、良い匂いがしてるんですね。漢方」

 「表向きはね」

 「薬の匂い・・・・・・」


 今何か不吉なことを言われたような気がする。

 何? 表向きって。裏があるって事。なぜそれを私に言うの。


 「冗談よ」


 女の人は楽しそうに笑いだす。

 何だろう、初対面だけどこの人が言うと冗談に聞こえない。妙な説得力のある人だ。


 「えっと、薬っていう事は風邪薬とかお腹痛の薬とか売ってるんですか」

 「そうよ。何か欲しいものはある? 」

 「見せてもらっていいですか」

 「いいわよ」


 女性はカウンターに入ると車箪笥の引き出しからいくつかの小瓶を出して並べた。


 「これは、シャクティー。熱さましに使えるわ」


 瓶から小皿に中身を移した。細長い薄緑のハーブが出てきた。


 「これは、ロロイナ。痛み止めよ」


 次は、正露丸のような強烈な匂いのする茶色い粉が出てきた。

 本当に薬屋だったのね。良かった良かった。


 「ちょっと欲しいかも。うちの村ってお医者さんがいなくて、風邪とか引いても薬とか無いんですよね」


 山や畑で取れた薬草を意味も分からず使っているって感じ。だからあんまり効かない。

 ロランなんて風邪をひいたら葡萄酒飲んで寝ろとしか言わないし。


 「小さな子供用にはこれよ。ボネット」


 また別の瓶から薬を取り出す。


 「あっ、これ欲しいです」


 レイナとか村の子供が風邪をひいたら使いたい。日本と違って小さい子供が割と簡単に死んでしまうのがこの世界だ。小さい子供が病気になると神様に祈るしか治療方法が無かった。

 

 「売ってあげてもいいけど、対価が必要よ」

 「はい。御幾らですか」


 腰のポーチから財布を取り出す。村では使わないから銅貨や銀貨を結構入れてきた。足りるはずよ。

 

 「お金は要らないわ」

 「へっ、どうしてです」

 「名前を」

 「はい? 」

 「貴方の名前を教えて頂戴」


 女の人が近づいて黒い瞳でこちらを覗き込んでくる。


 「私の名前ですか。なぜです」


 急速に嫌な予感がしてくる。冷たい空気感に謎の迫力。

 よく考えたら普通の人とは違う雰囲気。この人も魔法使い、いや魔女なのかもしれない。表の商売が薬屋なんて如何にも有りがち。

 セシリアやコルネリア。そして自分を含めても一番魔女っぽいだもん。名前を教えたら呪われたり魂取られたりしないでしょうね。


 「知りたいからよ。次からはお金をもらうわ」

 

 女の人は急に笑顔になり距離を取るとあたりの空気が軽くなったような気がした。

 ほっと、安堵のため息が出る。


 「まぁ、名前ぐらいなら。エリカです」

 「エリカの続きは」

 「苗字ですか」

 「そうよ」


 こちらの人はあまり苗字にこだわらない。初めて聞かれた。


 「窪塚江莉香です」

 「あら、珍しい。苗字が先なのね」

 「はい。失礼ですけどあなたは」

 「ペタルダ」

 「ペタルダさん」


 この人は苗字は教えてくれないのね。別にいいけど。


 「さんは要らないわ。エリカ」

 「分かりました。ペタルダ」


 小さな袋にボネットを入れて手渡してくれる。漢方特有の香りがした。


 「ありがとうございます」

 「いいのよ。それと、この先を行ったところに一つ空いているお店があるわ。借りるならそこになさい。私の紹介と言えば貸してくれるわ」


 右手で来た方向の反対を指し示した。


 「えっ、いいんですか」

 「構わないわ。困ったことがあったらまた来なさい」


 そう言ってペタルダは小さく手を振った。

 ペタルダに何度もお辞儀をして店を出ると、さっきまで誰もいなかった通りに、たくさんの人が歩いていた。


 「ああっ、やっと見つけたエリカ様。探しましたよ」

 

 通りの反対側から商会のお兄さんが走り寄ってきた。


 「ごめんなさい。ちょっとこの薬屋さんに立ち寄っていたので」

 「薬屋? この付近に薬屋なんかありましたか」

 「ほらここに」

 

 丁度出てきた店の看板を指さす。


 「ここは、薬屋だったのですか、知りませんでした」


 商会のお兄さんが看板を見上げ首をかしげた。

 確かに、猫の看板では誰も薬屋とは思わないでしょうね。


 「ここのご主人に聞いたんですけど、この先に空いているお店があるらしいんで行ってみましょう」

 「畏まりました」


 立ち去るエリカたちの後ろ姿を一匹の黒猫が眺めていた。



                  続く

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