第58話 視察
ギルド結成の目途が付いた段階で、エリックは代官を統括する勘定方への報告を上げたのだが、これに不満を持っている者がいた。
「仕方ないだろう。話がここまで大きくなってしまったのに、いつまでも報告しなかったら、職務怠慢と言われるかもしれないんだ」
「それは、分かるけど、もう少し、こうもったいぶって報告したかったのよ」
昼食の席でエリカの零した愚痴をエリックはなだめた。
「もったいぶっても、結果は変わらないと思うぞ」
「そんな事ないって。こういうのは最初の印象が大事なの。人は見た目で九割決まるっていうでしょ。それとおんなじよ」
「そんなこと言うのは、エリカだけだと思うけどな。具体的にはどうしたかったんだ」
「そりゃ。将軍のお屋敷に行ってね、エリックがこう言うのよ」
『将軍様。一つお尋ねいたします。砂糖と塩どちらがより高価でございましょう』
『それは、砂糖だ。遠く南の国でしかとれない貴重なものだ。その価値は同じ重さの銀と同等であろう』
エリカは食堂の椅子から立ち上がると二種類の声色を使い、将軍とエリックの二役を身振り手振りを交えて演じ始めた。
『なるほど、では砂糖を作ると言うことは、銀を作ると同じ価値でございますね』
『そう言えるだろう。金持ちのみが味わえる至福のひと時、それが砂糖よ』
『将軍様、私は神の啓示を受け閃きました。それは、ビーンから砂糖を作る方法でございます。長い研鑽の末、ついに砂糖を作ることに成功いたしました』
『そのような世迷言許さぬぞ。本当というなら証を見せよ』
『畏まりました。この広間に砂糖の山を築いてごらんに入れましょう』
『砂糖の山とな。よう言った。やって見せるがよい』
『ただちに。ですが偽りでなければ、私の願いを一つお叶え下さい』
『大きくでおったな。よかろう。だが、もし偽りであったのならば貴様は鞭打ちの刑だぞ』
『望むところでございます。いでよ。ビーンより生まれし砂糖たちよ」
「はい。ここで、私が颯爽と登場ね。後ろには大きな瓶。クロードウィグとエミールが重そうに押してくるのよ」
「エリカ。何やってんの」
レイナがエリカのスカートの端を引っ張った。
「レイナ。いいとこだから大人しくして」
『将軍様。ご覧ください。これが全てニースで作った砂糖にございます』
「はい。ここで、瓶を将軍の前で引っ繰り返すのよ。中からは大量の砂糖がザァバァ。そしたらエリックがどや顔でこう言うのよ」
『お試しください。将軍様。全て紛れもなく砂糖にございます』
『なんと、誠か』
『口にすれば分かります。塩など入れてかさ上げなどしてはおりません』
『わしは夢でも見ているのか。信じられん。誠に砂糖の山であるか』
『これはまだ、一つ目の瓶でございます。屋敷の前には、まだ三つの瓶をご用意しております。その中も砂糖で一杯でございます』
『何と言うことだ。この瓶一つだけでも信じられぬ量だと言うのに、まだ、三つも残っておるのか』
「将軍の前で瓶をひっくり返すのか。随分と無作法だな。怒られるぞ。それに、どや顔ってなんだ。どんな顔なんだ」
「こんな顔よ」
エリカはいい笑顔で右手の親指と人差し指を広げて顎につける。
「なんだろう。少し腹が立つ笑顔だな」
エリックは呆れて目を半眼にして言った。
「うるさい。茶々入れないで」
『将軍様。私は真実を語りました』
『うむ。疑ってすまなかった。約束通り褒美を取らす。なんなりと申すがよい』
『さすれば、我が願いは一つだけ』
エリカは歌うように言葉を紡いでいたかと思うと、突然エリックに近づき小声でささやいた。
「お嬢様を僕に下さいってね」
「おい」
エリックは顔を真っ赤にして抗議するが、エリカは驚くべき速さで身をひるがえして、身体を回転させ始めた。
「ララララーラーラッララララーQue Sera, Sera なるようになる。未来は見えない。Que Sera, Sera」
今度はほんとに歌いだす。
「将軍様は喜んで二人を祝福して、めでたしめでたし。いや、我ながらいい脚本だわ。べったべったの王道恋愛ストーリー」
「そんなお伽話みたいなことを考えていたのか。頭が痛くなってきた」
踊るエリカの姿に毒気を抜かれてエリックは頭を抱えた。そこに、開けっ放しの扉からエミールが駆け込んできた。
「エリック様。大変です。将軍閣下が、将軍閣下が」
エミールは口をパクパクさせるだけで続きを言わない。
「落ち着け。エミール。閣下がどうされた。ああ、砂糖の件で使いの者でも来たか。随分早かったな」
「違います。そうではなくて」
「では何だ」
「閣下が直々に来られました」
エミールの言葉にエリックは首をかしげた。
「どこに」
「ここにです。早く来てください」
エミールに腕を引っ張られて家の外に出ると、目の前の村の広場におびただしい数の騎馬が現れた。馬蹄と馬の嘶きで辺りは騒然となる。
エリックはその中で一際立派な衣装に身を包んだ男の馬の轡を取った。
「閣下。これはいったい」
「おう。エリック。報告は聞いた。砂糖の件、確かめに参った」
将軍は年を感じさせない身軽さで馬から飛び降りた。
早すぎる。確認の者が来るのは分かっていたが、まさか将軍自らのお越しとは。
「直々にですか」
「当然であろう。事は重大事だ。早速だが見せてもらおう」
将軍の下馬と共に供周りの者たちも後に続いた。誰一人としてエリックより立場の低いものはいないようだ。皆それぞれ良い身なりをしていた。
「畏まりました。こちらでございます」
エリックの後に続いて家を飛び出したエリカも目を丸くさせている。
エリックは将軍を砂糖の工房に先導した。丁度昼休みの時間であったため中には誰もいない。
「ここか」
「はい」
「中を見せよ」
「はっ。どうぞ」
エリックは将軍を中にいざなう。竈には薪がくべられ工房の中は熱い。
「熱いな」
「はい。ノルトビーンをゆでるための竈でございます」
将軍に説明を始めると突然、外で言い合いが始まった。
「どういうおつもりか、エリカ殿。通していただきたい」
「どうもこうもありません。勝手に入らないで」
振り返ると、エリカが両手を広げて工房の入り口をふさいでいた。
「どうした」
「ああ、エリック。この人たちに言ってよ。勝手に入ろうとするのよ」
「そうだったな。見せるわけにはいかない。申し訳ありませんが皆さま。これより中へはご遠慮いただきます」
エリックは声を張って宣言した。
「どういうつもりだ。シンクレア。我らは将軍閣下の供周りであるぞ。其方の指図はうけぬ。控えよ」
エリックよりも十歳ほど年長の騎士が、大声で叱責した。
エリカが反射的に首を引っ込める。
「この件に関しては、ご遠慮ください。これはニースにとって大きな秘密。誰にでもお見せするわけにはまいりません」
「何を言うか。ニースはセンプローズ一門の領地であるぞ。その中で我らに隠し事とは何事であるか」
「何と言われましても、閣下以外の方はご遠慮いただく」
相手の声に負けじとエリックも声を張り上げた。
ボスケッティ神父にも見せなかったのだ。いくら、閣下の供周りと言えども安易に見せるわけにはいかない。
ギルドの認定を受けてはいないが、砂糖の精製方法が秘密であることに変わりはないのだから。
「その方たちは外で待て」
工房の中から一際威厳に満ちた声が響いた。
「されど、閣下。代官風情が我等を遮るなどあっては示しがつきませぬ」
「代官風情ではない。わしの命だ。聞けぬか」
落ち着いた声色であったが、聞いた者を黙らせるには充分であった。
「申し訳ございません。ご命令承りました」
戸口に押し寄せていた男たちが潮が引くように下がっていった。
「はぁ。鶴の一声とはよく言ったものね」
あっという間に距離を取った供周りにエリカは感嘆の声を上げた。
「ご配慮痛み入ります」
「なに、わしも不注意であったわ。続けよ」
エリックはエリカと共に工房と砂糖の精製方法について説明し、昼休みから戻ったゼネイラとネルヴィアを促して、実際の砂糖作りを実演して見せた。
「以上でございます」
エリックの説明が終わると将軍は大きな唸り声の後沈黙した。勿論誰一人声を上げない。竈の音だけが響いた。
「エリックよ。これはとんでもないことになったな」
しばらくの沈黙の後、将軍は呻くように言った。
続く
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