第57話 不可解な報告
レキテーヌの領主にして王国の第5軍団を指揮する将軍ユシティヌス・インセスト・センプローズは今年で45歳になる。
インセスト家は、王国の東の辺境を守護する小さな封建領主であったが、40年前に勃発したダインレイグの乱の折、反乱軍に呼応し国境線を突破してきたアッバス王国軍を僅かな手勢で食い止め反乱を早期に終結させることに貢献した。
その功績により、インセスト家は王国枢密院の席と軍団長の職、そして、穀倉地帯として名高いレキテーヌ地方を領地として与えられた。
王国を代表する大貴族の一員になったが、辺境領主時代の名残だろうか、代々の当主は領内の細かいことをおざなりにしないように心がけていた。
それはユシティヌスの代になっても変わらなかった
「閣下。リンドンからの報告書です。盗賊団による被害の実態が掴めました。やはり、傭兵団崩れの連中のようです」
「盗賊どもを追跡する部隊の指揮はホートネットに一任する。必ず捕捉し殲滅せよ」
将軍は報告書に決裁印を押し、新たな命令書にサインした。
朝食と朝の狩りが終わると、政務担当の秘書官たちが両手で抱えている書類の決裁に追われるのが将軍の日常だ。
「閣下。村の復興事業は誰の担当にいたしましょうか」
「リンドンの代官は戦死したのだったな」
「はい。生き残った者も重傷者が多く、誰か別の者を派遣すべきかと」
「候補は? 」
「はい。ナーベルの代官。イートラ殿はいかがでしょうか。リンドンの隣の村ですし、素早く対応が取れると思われます」
「隣村か、妥当であろうな」
「では、そのように」
将軍は次の書類に手を伸ばそうとして止め、一礼して立ち去ろうとする秘書官を止めた。
「いや、待て」
「はっ」
「リンドンとナーベルは入会地を巡って争って居ったな。駄目だ。イートラが何かしでかすとは思わんが、リンドンの者にいらぬ不安を与えよう。他の者にせよ」
「畏まりました。至急人選を」
「うむ。次」
秘書官が一人立ち去ると、次の一人が仕事を携えて待っている。
「最近、領内に出回っている偽銀貨の出どころですが、やはり、東から渡ってきたようでございます」
「分かっているのは東という事だけか、正確にはどこだ」
「恐れながら、カミーラ地方からかと推察されます」
部下の回りくどい報告に将軍は笑い出した。
「はっきりと言え。カミーラと言うことは出どころは、その中心の街ナバラ。すなわち叔父上の領地と言うことだな」
「まだ、確証はございませんが、銀貨を発行できる工房を抱えている場所は限られますので」
「変な気を使うな。叔父上宛に書状を書く。草案を出せ」
「はっ。抗議の内容でよろしいでしょうか」
「確たる証拠もないのに抗議するわけにもいかん。報告の態で構わん。叔父上も理解するだろう」
「畏まりました」
将軍は部下の報告を聞き指示を出す。判断に迷うと、側近たちに検討させ、出てきた案に対して裁可を出していく。そのきめ細かさが他の領主と違っていた。
「次の者」
将軍の呼びかけにレキテーヌ地方の財務担当官が進み出る。
「閣下。ニースの村より来年度の税負担を引き上げられるとの報告が上がっております。その件に関して幾つかご報告いたしたく」
「どういうことだ。税の軽減の話しではないのか」
将軍は眉をひそめた。
干ばつや長雨により凶作になると、税の免除や負担軽減の嘆願書が送られてくるが、増税の希望の報告書など聞いたこともない。
「はい。四年ごとの税の見直しを前倒しして、来年度より税を多く収められるとの報告が」
財務担当官の表情も晴れない。
「ニースか。最近、魚の収穫が増えたと聞く。何か不思議な魚料理を作っておったな」
「はい。カマボコとか言う。魚のハムのようなものが街で出回っております」
「おお、そうだ。何度か、ニースから献上されたな。確かに美味かった。その売り上げが上がったからか」
将軍は顎髭を撫でた。
「無用であると伝えよ。村の収入が増えたと言っても少しばかりであろう。次の税調査の時に改めて審議する。それまでは村の取り分として自由に使うがよい」
代官に限らないが部下の中には、目立ちたいのか出世したいのか、たまに、このような無茶を言い出すものが現れる。このような話はどこかに無理があるので認めない方が無難であった。
ニースの村か。
ブレグの跡を継いで息子のエリックを代官に任じていたな。出世への焦りか。まだ若いのだから腰を据えて取り組めばよいものを。いや、若さゆえの焦りか。どちらにしても村の者にとってはいい迷惑であろう。
「次」
話を終わらせたのだが、財務担当官は立ち去らず困惑したままであった。
「どうした。まだ、何かあるのか」
「はっ。私も閣下同様。代官の独断かと思ったのですが、どうも違うようでありまして。その、税の量なんですが、前年の三倍までなら納付可能と言ってきております」
「前年の三倍だと。何かの冗談か」
村人から搾り取るつもりか。そんな無茶をやらかす男には見えなかったが。
代官の中には出世のために付け届けを頻繁に行う者がいるが、全て領民の負担だ。領民の不満や反感は代官だけにとどまらず領主に及び、最悪、騒乱になって跳ね返ってくる。愚策と言えた。
「いえ。ただ、その納付に関しまして一つ嘆願が出ております。どちらかと申しますとこちらの方が本題でございます」
「益々分からんな。税を上げるための嘆願だと」
川の水が下流から上流に流れるようなものだ。減免の嘆願なら理解できるのだが、増税の嘆願だと。
「その、にわかには信じがたいのですが、ニースで砂糖の生産に成功したため、砂糖のギルドを作りたいと許可を求めております。税はギルドを通じて収めると」
「・・・・・・・・貴様。朝から酒の飲みすぎだな」
僅かな沈黙の後に将軍がにやりと笑うと、財務担当官は両手を振って否定した。
「とんでもありません。確かにそのように書かれておりまして」
「すまんすまん、冗談だ。だが、荒唐無稽な話だな。塩の密売の方がまだ理解できるわ」
「私も信じられませんでしたが、ギルドの結成者の中にレキテーヌ司教区とドーリア商会の名がございまして。冗談にしてもあまりに規模が大きく」
担当官の話しについに将軍は笑い出した。
「見せよ」
将軍は担当官に向かって手を出すと、担当官は慌てた。
「申し訳ありません。持参しておりませんでした。直ちにお届を」
「急げ」
担当官は転がるように執務室を出ていった。
「砂糖の生産だと。そうか。ニースにはエリカが居ったな。魔法の力か何かか。しかし、あの女、錬金術師か何かなのか。塩を砂糖にでも変えたか」
鉄や銅を金に変えることができると吹聴する者たちがいる。
彼らは錬金術師と呼ばれ、領主や商人果ては国王に取り入って援助を求めるが、大抵は詐欺師だ。
将軍の所にもたまにそのような話をする者がやってきては金品をせびるが、漏れなく牢に数日放り込んでいる。
しかし、自分から金を払うと言い出した者は初めてだ。
次の報告と決裁が終わるころ、財務担当官が息を切らせて執務室に駆け込み、筒状の羊皮紙を差し出した。
羊皮紙を開くと特徴的な印が目に入る。
「これは、レキテーヌ司教の印ではないか」
嘆願書には司教のサインと共に豪華な意匠の印が押されていた。
「はい。ドーリア商会の印も本物としか」
「では、事実なのか」
「現在。ニース、教会、商会の三者に確認を取っております。一応、お耳に入れておこうかと」
「ニースに人を派遣したのだな」
「はい。追ってご報告いたします」
「よし」
一礼する部下を横目で見ながら、再び嘆願書に目を通す。
「砂糖のギルドだと? 仮に真実であった場合、王都のギルドとひと悶着有るかもしれんな」
レキテーヌ地方のギルドの任命権は将軍の裁量権の中にあるが、なんでも簡単に出せるものではない。特に王権とかかわりが深い産物のギルドを認めてしまうと、最悪、王家との諍いの種になってしまう。
砂糖のギルドはその可能性が高かった。
当初の予定としては、襲撃されたリンドンの状況を確認するつもりであったが、より大きな問題に発展する可能性はニースの方が高い。
「決めた。決裁が済み次第、ニースに向かう。支度せよ」
将軍の指示に周りが慌ただしく動き始めた。
さて、海辺の漁村で何が起こっているのか確かめねばならぬ。
続く
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