第56話   締結

 翌日。丸一日かけて作った契約書を片手にエリックは教会に向かった。

 先日と同じ食堂に通されると、時を置かずにメッシーナ神父とボスケッティ神父、シスター・ユリアが入ってきた。


 「仲間と検討した結果。貴方に勧められた通りギルドを作ることに決めました」


 エリックが口火を切ると教会の三人はそれぞれ笑顔を作った。

 ボスケッティ神父は声を出して笑い。メッシーナ神父は目を細め、シスター・ユリアは小さく頷く。


 「お預かりした仮の契約書を参考に、こちらで契約書を作ったのでご一読を」


 エリックは黒光りするテーブルの上に一枚の羊皮紙を乗せると、ボスケッティ神父から笑いが消えた。


 「契約書でございますか」

 「はい。頂いた仮の文書が参考になった。ありがとう」

 「いえ。お役に立てたのなら幸いです。拝見します」


 ボスケッティ神父はエリックの差し出した契約書を手に取り読み始めた。


 「これは、エリック様がお書きになられたのですか」

 「私一人ではありませんが、そうです。私は代官と言ってもこの手の契約書の書式に関しては無知なので、詳しい方の助けを受けてようやく書き上げた」

 「なるほど・・・・・・」


 しばらくは、ボスケッティ神父の羊皮紙を巻き上げる音だけが鳴る。

 差し出した契約書は大して中身のあるものではない。教会の契約書に少し付け足してから、最後の一文を削除しただけのものだ。


 「拝見いたしました。大変興味深い内容でございました」

 「ありがとう」


 ボスケッティ神父は読み終えた契約書を脇に避け、シスター・ユリアに合図を送る。

 ユリアからエリックの前に同じような羊皮紙が差し出された。


 「では、教会の方でも仮ではなく正式な契約書を作成いたしましたので、ご一読くださいますか」

 「勿論だ。拝見する」


 エリックが読み始めると、食堂の扉がノックされた。


 「すみません。遅れてしまって」


 扉の脇からエリカが顔を出した。


 「これは、エリカ様。いらっしゃらないのかと思いましたぞ。どうぞ、お席へ」


 メッシーナ神父に促されてエリックの隣の席に腰かける。


 「今読んでるの教会側の契約書ね。どんな感じ」

 「予想の範疇内だ。安心した」

 「どっちの予想。いい方。悪い方」

 「悪い方かな」

 「ありゃま。悲しいけどプランB発動か」

 「そうなるな。頼む」

 「うん。ちょっと失礼します」


 エリカは席を立ち部屋を出て行ってしまった。


 「どうされたのですか」


 メッシーナ神父の疑問にも無言で会釈しただけであった。


 「教会のお考えは確かに拝見しました。この条件では、このお話はお断りさせていただきます」

 「エリック様」


 この部屋で動揺したのはメッシーナ神父だけであった。

 ボスケッティ神父は笑顔を張り付けたまま身じろき一つしない。ユリアは意味が解らなかったのかきょとんとしたままだ。


 「同様に、教会も我々の条件ではギルドに参加できないでしょう。今回のお話はなかったことに、では」


 エリックは立ち上がり、ボスケッティ神父の傍らの契約書に手を伸ばす。


 「お待ちください。私共はお互いに交渉の余地があるのではありませんか」

 「交渉の意志がおありと言うことですか」


 伸ばした手が止まる。


 「勿論でございます」

 

 当初の予想通り引き留めにかかりだした。

 さて、どこまで、こちらの意図を理解しているかが重要だな。


 「まず、私共の協力について具体的なお話をさせていただきたい」

 

 ボスケッティ神父は教会がギルドに参加した場合。レキテーヌ司教区はニースに新しく修道院を作る計画だと語り始めた。

 今年中に50名の修道士を派遣し、砂糖作りに協力させると言うもので、最終的には200名規模で考えていると。

 200名もの人がいる修道院なぞ、レキテーヌでは最大規模になるだろう。

 確かにその規模の修道士が手伝ってくれれば、今抱えている人手不足問題は一瞬で解決する。ただでさえ教会の作る農地は立派なものだ。あの丘の開墾も手早く済ませられるだろう。そして、修道士たちは読み書きや計算と言った教育を受けている。ギルドの運営に大きな力となるだろう。村を短期間で豊かにするのも現実として目の前に広がっている。

 しかし、村の人口が500名前後のニースに200名の修道士。あり得ない規模だ。ニースが教会に占領されるようなものだな。村の者が労働力として酷使されるか、全く関与させてもらえず、豊かさを得られないかの二者択一か。 


 「教会のご協力には感謝の言葉しかない。ぜひともそうなればいいとニースとしても考えている」

 「製法の秘伝もしっかりと管理できますぞ」

 「そうでしょうね」


 投げやりに答えるが、体内では心臓が早鐘を打っている。


 「これらの為にも、恩意と助言は欠かせない物と愚考いたします」

 「教会の助言には感謝を申し上げたい」


 自分がここまで心無い言葉を吐けることに驚きすら感じる。

 正直な感想を言えばエリックは教会に失望していた。

 昨日のドーリア商会の二人やコルネリア様の言い草は、いくら何でも誇大な言い様であろうと、心のどこかで思っていた。

 彷徨える人々の魂の救済に努める教会がそのような真似をするはずが無いと。

 だが、こうして相対していると、彼らの言い分に正しさがあるように思える。教会はその権威を笠に着て利益の独占を考えているようだ。

 こんなこと神々が望んでおられるとも思えない。

 自然にため息が出た。


 「実をいうと、我々の契約書は不完全というか、続きがあるのだ」

 

 滔々と自説を語るボスケッティ神父に向かって声を掛けた。


 「続きですと」


 ボスケッティ神父の話が止まると同時に再び食堂の扉がノックされる。


 「丁度良く続きが来たようだ」

 

 エリックは扉に視線を送った。


 「失礼します」

 

 先頭のエリカに続き、コルネリア、フス、モリーニの順に入ってきた。


 「どちら様ですかな」


 次々に席に着くニース側の人物にボスケッティ神父の声が高くなる。


 「お久しぶりでございます。ボスケッティ財務担当官様。私、ドーリア商会オルレアーノ支店を任されております。フス・カンタビーレでございます。司祭様の夜会で一度ご挨拶を」

 「ドーリア商会・・・・・」


 ボスケッティ神父の顔に初めて動揺の色が浮かんだ。


 「こちらの御代官様とはノルトビーンの取引でお世話になっております」


 フスがモリーニに合図を出すと一枚の羊皮紙がボスケッティ神父の前に差し出された。


 「ニース側の契約書の続きだ。それが我々の最終案だ」


 エリックに促されて書類に走らせる目の動きは先ほどより早くなっていた。

 誰一人発言しない。奇妙な沈黙ののちボスケッティ神父はため息をついた。


 「これでは、秘伝認定の件は厳しいですぞ」

 「致し方ない事だろう。我々も秘伝の認定を受けたとしても永遠に秘密を守れるとは考えていない。いずれ製法は知れ渡る。遅いか早いかだ」

 「あなた方のためになるとは思えませんが」

 「それはどういう意味か」

 

 それまで閉じていた目を見開いてコルネリアが声を上げた。 


 「教会の案を受けて入れなければ、よくないことが起こると言う意味か」

 「とんでもない。誤解を与えてしまったようですね。謝罪いたします」


 素早く謝罪し、コルネリアに追撃の隙を与えない。


 「さて、これが、我々の最終案だ。残念ながらこれに関しては交渉の余地は少ない。この場でギルドに参加するか不参加を決めてくれ」

 「事が事ですので、返答までのご猶予を頂きたい。改めて検討いたしたく」

 「すまないが、出来ない相談なのだ」

 「お時間は取らせません。ただ、司教様にご報告いたしたく」

 「そうか、実は我々もセンプローズ将軍閣下へのご報告がまだなのだ。これ以上遅れたくない。申し訳ないが、この場でご判断を」


 エリックは一歩も妥協しなかった。

 戸惑うボスケッティ神父の姿にエリカは口元をムズムズ動かし、コルネリアは冷たいまなざしを向け、商会の二人は商売用の笑顔を張り付けたままであった。


 「一文だけ追加していただきたい」


 額に深い皺を浮かべたまま声を出す。


 「何だろう」

 「この契約について3年、いや5年ごとに見直しの場を設けていただきたい」

 「見直しの場? 」

 「はい。時が経てば、この契約も古くなってまいります。それを5年ごとに検討していただきたい」

 「必要だろうか。お読みになったと思うのだが、ギルド内での寄合への席をご用意している。そこで発言されたらよろしいだろう。なぜ、5年ごとに見直すのだ」

 「エリック卿の言われるとおりだ。そのような一文がいるとは思えないのだが、どのような意図がおありか。我らに分かるようにご説明頂きたい」


 エリックとコルネリアが畳みかけるように発言する。


 「それは・・・・・・」


 ボスケッティ神父は返答に窮した。

 しばらくの沈黙の後、噴出すような笑い声がその沈黙を破った。


 「もうこれぐらいでいいんじゃないかな。あんまりいじめても可哀そう。私たちが甘くないことだけでも理解してくれたらそれでいいわ」

 「エリカ様」


 神父の視線の先でエリカは楽しそうに笑う。


 「エリック。いいでしょう」

 「いいだろう。その一文入れることに同意しよう。ただし、条件がある」


 エリックが神父に視線を送った。


 「何でございますか」

 「言わないと分からないのであれば、この話はなかったことに」


 エリックの言葉にボスケッティ神父は今日一番の深いため息をついた。


 「承った。司教様から秘伝の認定を出していただこう。それでよろしいか」

 「感謝する。これで我々は同じギルドの一員だ」


 ようやくエリックが笑顔を見せた。



 ニースが用意した契約書に代官の印章と教会の印章が押され、エリックとボスケッティ神父がそれぞれの名前を書いた。後日ドーリア商会の印章も付け足されるが、問題ない。

 これで契約は完了した。

 ニース側の希望通りの内容となり、ほぼ満額回答だ。これで、飲み込まれる心配は激減しただろう。


 「congratulations やったわね。エリック。大手柄よ」


 エリカが背中をバンバン叩く。


 「お若いのに、なかなかどうして、見事な交渉ぶりでしたぞ」

 「失礼ながら、商会でも十分やっていけますね」

 「良い交渉でした。教会にも教訓となったでしょう」


 次々と称賛の言葉を浴びた。こんなことは初めての経験だ。


 「皆のおかげだ。ありがとう」


 エリックは皆に頭を下げた。

 何とか乗り越えた。

 喜びよりも安心の感情の方が強い。

 コルネリアや商会の協力が無ければ食い物にされていただろう。


 「エリック様」


 声に向き直ると、笑顔を取り戻したボスケッティ神父がいた。


 「やはり、ビーンから砂糖をお作りになられる方は違いますな。まさか昨日今日で商会に相談されているとは予想しておりませんでした」

 「私も必死なのだ。使えるものは何でも使うつもりだ」

 「若いのに恐ろしい方だ。これからはレキテーヌ司教区にもご協力できることがございましたらお声がけを」

 「お互いにな」

 「そう言っていただけて、胸のつかえがおります」

 「教会側の代表は誰にするおつもりか。シスター・ユリアですか」

 「いえ、彼女にはまだ早いでしょう。取りあえずメッシーナ神父にやってもらいます。その方がエリック様もご安心でしょう」

 「それは、ありがたい。彼なら信用できますからね」

 「これは手厳しい。では何かありましたら彼にお伝えください」


 一礼してボスケッティ神父は立ち去った。


 「エリック。恰好よかったわよ。セシリアに見せてあげたかった」


 エリカが人差し指と中指を突き立てる仕草をした。

 よく分からないが喜びの合図か何かなのだろう。同じ仕草をして返した。

 ニースに砂糖を精製し販売するギルドが発足した。



                     続く

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