第54話   教会のやり口

 エリックはその日帰ってこなかった。

 江莉香は何かあったのかと心配してアリシアやロランに話したが二人とも反応が薄い。

 二人とも明日にでも戻って来るだろうと言う。

 まあ、それならいいんだけど。


 翌日。二人の言う通りエリックが帰ってきた。

 ただし、3人で。

 増えた二人は荷馬車に乗っていた。だから遅くなったのか。


 「おかえり。あら」


 エリックの後ろにいたのは、行商人のモリーニと、夜会で顔を合わせたフスであった。


 「こんにちは。エリカ様。急に押し掛けて申し訳ございません」


 フスが、荷馬車から降りると満面の笑みで挨拶をした。

 うーん。100点満点の営業スマイル。番頭さんというよりトップセールスマンと言われた方がしっくりくる。


 「こちらこそ、急にめんどくさい話を持って行ってしまい。ごめんなさい」

 「とんでもございません。お話を伺えて光栄です。ことは、重大でございます」


 フスは、声を潜めた。これ以上ここで立ち話をするのはまずいわね。

 二人を応接室に通し、井戸で冷やした葡萄酒を出した。

 シンクレア家の大して大きくない応接室に、コルネリアも含めて五人で卓を囲む。

 コルネリアを紹介されたフスが大げさに挨拶しようとするのを押しとどめ、本題に入る。


 「まずは、確認させていただきたいのですが、エリカ様。ビーンから砂糖をお作りになられたと言うのは本当ですか」

 「本当ですよ。お見せいたしましょうか」

 「是非に」

 「わかりました。取ってきます」

 「いや。俺が行こう」


 立ち上がろうとする江莉香を留めエリックは部屋を出ていった。


 「その砂糖は、あれですか、魔法の力でお作りになられたのですか」


 フスが少し体を前に出す。モリーニも全身が耳になったように集中している。

 エリックがどこまで話したか分からないうちに手札を全て公開するのは良くない。少しはぐらかすか。


 「うーん。半分そうですね」

 「半分ですか」


 私も魔導士の書が無かったら、こんな短時間で精製することは不可能だった。魔導士の書は魔法の本ではなく科学の本だけど、高度な科学力は魔法と見分けがつかないって誰か言っていたし。


 「ただ、魔法使いでなくても砂糖は作れます」

 「おお」

 「これは、えらいことになりましたね」


 ドーリア商会の二人の声が大きくなる。


 「そこに、教会から砂糖のギルドを作らないかと持ち掛けられたわけですね」

 「はい。精製の秘密の守り方をうちの村の神父さんに頼んでいたので、そこから知ったんでしょう」

 

 フスが大げさにため息をついて見せる。

 

 「教会の情報を集める力はいつもながら恐ろしいものがございますな。黙って座っていても向こうから報せが飛んでくる」

 「羨ましい限りです。我々は日々、駆けずり回っていると言うのに」

 

 大きな商会に所属しているのに心底から羨ましいらしい。でも、よく考えたら教会って全国組織だものね。集まる情報の数は桁違いか。


 「いきなりこの話が出たんですけど、私たち恥ずかしながらギルドに関しては全くの無知でして。判断がつかなかったんです」

 「エリック様から伺いました。よくぞ、我々にお声がけいただき感謝いたします。失礼ながらその場でお決めになられなかったことを称賛させていただきたい」


 コルネリアと同じことを言った。


 「コルネリア様からも同じことを言われました。やっぱり、危険でしたか」

 「はい。最悪の事態ですが。身ぐるみをはがされます」

 「えっ。身ぐるみ? そんな、盗賊じゃあるまいし」


 わぁ、凄い偏見。


 「大げさではありません。事実でございます」


 話の途中でエリックが戻ってきた。手には新しく精製した砂糖の入った壺。


 「拝見いたします。試してみてよろしいでしょうか」


 目の前に砂糖を出して見せるとフスの顔から笑みが消えた。まるで獲物を狙う狼の目だ。これが本当の顔なんだろうな。


 「どうぞ」


 二人は慎重に手を伸ばして砂糖の味を確かめた。


 「まさしく」

 「凄い。教会が飛びつく訳ですね」


 何度もうなずく。


 「ギルドについて教えてもらってもいいですか」

 「はい。その前に教会側から取り決めについての文書を渡されませんでしたか。このような書式なのですが」


 フスが鞄から羊皮紙を取り出したので受け取る。

 うーん。半分以上読めない。つまり全く読めないのと変わりない。これ契約書だからね。一字一句がとても大事。


 「正式なものは頂いていませんが、仮のものは頂きました」

 

 江莉香も教会から渡された文書を出す。

 

 「拝見しても」

 「どうぞ。すみません。私、字が読めないので出来れば声を出して読んでいただいてよろしいですか」


 フスがきょとんとした顔をする。

 うわ。この歳で字が読めないと申告するの恥ずかしすぎる。勉強しよう。


 「畏まりました」


 フスが仮の契約書を声に出して読み上げる。

 甲とか乙とかが出てくる堅苦しいものを想像していたけど、意外に単純というか簡単な内容に少し拍子抜けした。仮のものだからかな。

 聞いている分にはおかしなところはなかったような気がしたが、読み終わるのを待っていたかのようにコルネリアが声を上げ立ち上がる。しかも勢いよく大声で。


 「これだから教会は気に入らないのだ。恩意と助言だと。何様のつもりか」


 手にしていた杖で応接室の床を激しく突く。

 あんまり強く突かないで、床に穴が開いちゃう。

 コルネリアの態度にドーリア商会の二人が激しく同意した。


 「全くでございます。商売に無知な村人たちから搾り取る手練手管に関しては彼らは超一流でございますな」 

 「エリカ様。席を蹴って大正解でしたよ。これはあまりに酷い」


 私とエリックは完全に蚊帳の外。残りの三名が憤っておられますが、私たちは、ぽかんとした顔を浮かべている。

 今の契約書どこかおかしいところあったの。


 「何なんだ。何かおかしい所があったのか」

 「私たちにはわかりませんでした。教えてください。お願いします」


 どうやら、特大の地雷原に誘い込まれそうになったことだけは理解した。


 「エリカ。フス殿が身ぐるみをはがされると言いましたが、その通りです。大半は当たり障りのない内容と、エリカたちにとっても良いところがありましたが、最後の一文で台無しになっています」

 「コルネリア様の仰る通りでございます」

 「え、なになに。詳しく」

 「この部分です」

 

 コルネリアはテーブルに置かれた仮契約書をひったくると、エリカの前に指し示す。


 「教会はギルドに対して恩意と助言を行うこととす」

 

 コルネリアは怒りに満ちた声を出すが、やっぱり理解できないんですけど。助言はアドバイスって事でしょ。恩意ってなに。


 「わかりやすく解説いたしますと。砂糖の製法については教会のものであり、ギルドに対しての命令権も教会が持つと言う意味になります」


 想像の斜め37度の返答が返ってきた。それは契約書じゃないでしょ。


 「はい? なにそれ」

 「本当なのですか、信じられない」


 まだ、私たちは話についていけない。


 「生臭のクソ坊主どもが」


 コルネリアが女の子が口にしてはいけないことを口走った。


 「いいですか。エリカ。この恩意というのは恐らく秘伝を認めるか取り消すかについては教会が有していると言う意味でしょう。それだけなら、教会の権限として理解できますが、ここに助言が加わることにより事態は最悪になります」


 コルネリアがまるで我がことのように憤る。


 「助言がですか。助言って横から、こうした方がいいよって言うだけの事ですよね。そんなに危険な事ですか。助言を聞くか聞かないかはこちらに選択権があるでしょう」

 「甘い」


 一喝されて、身体が5センチ飛び跳ねた。

 コルネリアは江莉香を捨て置いてエリックの方を向いた。


 「仮にだがエリック卿。この助言の主が法王であった場合。其方はその助言を拒めるのか」

 「法王猊下? 」


 エリックもコルネリアの剣幕に圧倒されて、まともに返事が出来ない。

 法王猊下って、あれでしょ。教会で一番偉い人。王都で見た壮麗な神殿みたいな宮殿に住んでる人ですよね。


 「法王の名のもとに無理難題が助言とした形で送られても、それに抗うことができるか。無理であろう」

 「確かにそれは無理ですが、我々のような者に法王猊下が直接なにかをお命じなることなどあるのですか」

 「無いであろうな。だが、その真偽をどうやって確かめる。其方は法王と面識がお有か」


 コルネリアの言葉にエリックは返答に詰まる。

 そんなものあるわけない。アリシアが王都で祝福されたことを一生の自慢にしているぐらい、雲の上の人なのに。白浜でパンダに抱き着くより難しい。


 「ちょっと待って。それって、教会の人が勝手に法王の名前を騙るって事。完全に詐欺じゃん」

 「詐欺ではありませんよ。エリカ様。教会にとって都合が良ければ追認されるかもしれません。そして厄介なことに我々には事の真偽を確かめようがないのです。全ては教会の内側で処理されますから」

 

 フスの言葉にモリーニも後に続く。


 「ただ単に助言だけでしたら、こちらも、のらりくらりと躱す手段がございますが、恩意を盾取ってからの助言です。砂糖を人質に取られたようなものなんです。断れません」


 なんやそれ。やり口がハイジャック犯なんですけど。


 「しかし、ボスケッティ神父はレキテーヌ司教区としてかかわると言っていた。いくら何でも法王猊下が出てくるなんて、出てくるとしたら司教様までではないのか」


 いまだに信じられない様子でエリックが反論を試みる。


 「エリック様。法王様は教会の頂点に立つお方です。教会という制度上、全ての司教区を監督する責任があるのです。それを逆手にとって、法皇様のご意向として一司教区が自分たちの要求を、法皇様の名でごり押しをしてくる可能性もあるのです。安心できません」


 フスの言葉に再び絶句するエリック。


 「やり口が完全に悪代官のそれじゃない」


 御公儀の御威光を笠に着て農民から搾り取る、悪代官を思い出した。


 「一緒にしないでくれ。代官の職務はそんな物じゃない」


 エリックが江莉香のつぶやきに過剰に反応する。


 「違うのエリックの事じゃなくてね。ごめんなさい」


 慌てて謝った。そりゃ、こんなのと一緒にされたら怒るわ。


 「まあまあ、お二人とも落ち着いて、今お話ししたことは最悪の事態についてでございます。教会が必ずそうするとは限りませんが、その気になればそれぐらいやって来るのも、また事実でございます。私共は幾つかの前例を知っておりますので」


 フスが二人の間に入った。


 「教会の助言とは力の無いものにとっては命令と同じ意味です。気を付けなさい。特に文書として書かれているものは」

 

 コルネリアは少し落ち着いたのか席に着いた。


 「わかりました。なら、どうしよう。エリック」

 「これは、ギルドは無理だろう。そんな権限が教会にあれば、他の村で砂糖を作ることだって教会の思うがままじゃないか。ニースの村はその他大勢の一つに成り下がる」


 そうよね。

 これって、起業詐欺の一種でしょ。

 あの時感じた違和感はこれか。

 なんか、大学で似たような話を聞いたな。学生ベンチャーに群がる詐欺グループかハゲタカファンド。もしくは新興ベンチャー企業の株式を、公開と同時に圧倒的な資金力で大量に購入し乗っ取るみたいな。

 どこかのGAFAみたいな提案しやがって。

 こっちの世界でM&Aの提案を受けるなんて思いもしなかったわよ。

 ボスケッティ神父の言う通りギルドを作って教会を引き入れたら、こっちは個人、向こうは組織。あっという間に乗っ取られて、良くて名目だけの存在に成り下がるわよ。

 結果。砂糖の精製方法と利権を奪われて教会の独り勝ち。これなら、ドーリア商会と結託する方がまだましよ。


 「この契約は無理よね」

 「無理だ。村の代官としても認められない」


 しかし、ここでふざけんなって言ってもしょうがないわ。教会は味方にしなくても敵にしては絶対にダメな存在よ。

 落ち着いて考えよう。何か利点はないかな。

 水を飲んで落ち着こう。

 江莉香は器に入れた水を両手で持ち上げて飲み干した。

 利点利点。あるわ。一つだけだが、見過ごせないものが。

 それは、エリックが教会の後ろ盾を得られると言うこと。

 エリック個人の出世を考えたら決して悪い話ではないわ。ただ単に砂糖をばら撒くよりも教会の権威をバックに勢力を拡大するほうが、はるかに効果的だし。

 その結果として乗っ取られてもエリックの事は無下にはしないだろう。

 うーん。出世の事だけ考えたら悪い話ではないのかな。

 でも、エリックはそんな事絶対に認めないだろう。村を犠牲にしてまで出世したい人ではない。

 この契約は無理筋。でも、突っぱねる事も不味い。一体どうしたらいいんだろう。

 あかん。頭がクラクラしてきた。


 「お任せください。エリカ様。当ドーリア商会からご提案が」


 フスの顔がいつの間にか営業マンのそれに戻った。

 今度は何。


 

                    続く

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