第45話 砂糖の工房
ニースの村で砂糖の工房の縄張りが始まると、同時に行商人たちがビーンを荷馬車に満載して押し寄せてきた。
モリーニは余程あちこちに声を掛けたらしく、一日一人から二人の行商人が訪れ、工房の建設が始まった頃には村の倉庫はビーンの山で埋め尽くされた。
エリックは、初めに訪れた行商人に鉄の大鍋を注文した。オルレアーノの鍛冶屋に頼めば一週間ほどで手配できるようだ。
行商人たちには銀貨か品物で支払った。大半の者が銀貨か干物、石鹸を選んだが、中には挑戦的な行商人もいてカマボコを仕入れていった。彼らのおかげでカマボコが広まる日も近いかもしれない。
行商人との折衝はエリックが行っていたが、エリカから一つ仕事を頼まれていた。
「これを食べてみてくれ」
エリックは訪れた行商人に家で作ったビスケットを振舞っていた。
行商人たちはビスケットを食べると、皆口をそろえて美味いと言う。
「売れそうか」
「売れますね。これを卸してくださるので」
行商人が目を輝かせる。商売になると考えているようだ。
「まだ。売り物ではないんだが、近いうちにそうしたいんだ。そこで尋ねたいのだが、どれ程の値段で売れるだろうか。適当で構わない」
エリックの質問に行商人達は、一瞬固まり、その後笑顔になったり眉をひそめたりする。皆頭を悩まして値段を考えて答え、エリックはその全てを記憶しエリカに伝えるのだった。行商人の答えを聞いて売値を考えるとのことだ。
てっきり一番高値を付けた値段で売りに出すのかと考えていたが、エリカと話をしている内に違うと気付いた。
どうやら、真ん中の値段を売値として考えているらしい。
「どうして、一番の高値で売らないんだ」
いつものように書斎での会議で疑問を口にした。
金儲けが目的ではないが、高く売れるならそれに越したことはない。今回の工房の建設にも金がかかっている。
「一番高いのと安いのは参考にしない方がいいのよ。この二つを除いた価格の平均値を売値として考えた方が間違いが少ないわ」
「なぜだ」
「明確な理由はないけど、値付けを間違っているかもしれないからね」
「高く売るのは間違いなのか」
「一回だけ売れても、後が続かなきゃダメでしょ。買いたたかれるのも嫌だけど、高くて売れないのはもっと嫌。在庫処分で安売りするぐらいなら、初めから価格控えめで売る」
エリックはいかに高く売るかばかり考えていたが、エリカは長く売る方がいいと言う。エリカの商売のやり方は独特なものだった。いや、もしかしたらこれが普通なのかもしれないな。商売には詳しくないが、これも学ばなければならない。
砂糖の精製工房が形を成してくる。
この工房の中心は大きな竈だ。それを二つ作る。
ここで、多くのビーンを煮込むのだ。煮込むため用の水を確保するため、川沿いのカマボコの工房の近くに建てた。どちらも多くの炭を使うので木炭の備蓄の面でもこの方が都合がよい。
竈を作っている職人の周りをエリカがうろついていた。
「どうした。何か問題か」
竈を睨みながら考え込んでいるエリカに声を掛けた。
「問題は無いんだけど・・・・・」
そこで言葉を切ってまた唸るように声を出す。
「なんだ。気になるなら言ってくれ」
解決の出来る出来ないに関わらず、問題は把握しておきたい。
「この竈の熱を使って、どうにかお風呂が作れないものかな」
「風呂って、またか」
呆れたような声で答えてしまった。
エリカは時折思い出したかのようにお風呂に入りたいと言う。
一度、家の竈でお湯を作り、どこで頼んだのか大きな木桶にお湯を張って風呂の代りにしたらしいが、満足しなかったようだ。一緒に入ったレイナは喜んでいたが。
「せっかく、これだけの熱が発生するんだから、ただ捨てるのも、もったいないのよね。何とか、熱循環を利用してお風呂が作れないかな」
「工房の近くに風呂を作るのか」
「近くって言うか、熱伝導を考えたら、竈の隣がいいわね」
エリカは何かを夢中で考えだすと会話に神聖語が混じるので、言いたい事がよく分からない。
「隣と言うことは、鍋で湯を沸かして、風呂に移すのか。かなりの力仕事だし危ないぞ」
熱湯を運ぶのは止めておいた方がいい。転倒でもすれば大火傷だ。
「違うの。竈の熱を直接、湯船に伝えたいの。どうしよっかな」
「魔導士の書には書いてないのか」
少し声を潜めて尋ねた。
「流石にお風呂の作り方までは載ってなかったわ。原理は火に掛けた鍋と一緒だから要らないと言えば要らないけど」
「面白そうなことをやっていますね」
コルネリアが杖を突いて現れた。
老人ではなく若い女性が杖を突いてる姿に違和感を覚えるが、魔法使いとはそういうものらしい。セシリアも杖を突いているのだろうか。
あまり想像したくないな。
コルネリアは教会が嫌いらしく、ニースへの来訪以来、シンクレア家に逗留してエリカと腕輪相手に魔法の研究を行っていた。
迷惑代と言って異国のドゥカート金貨を差し出してきたが丁重に断った。客人の一人や二人もてなせないのは村の恥になる。
エリカの腕輪は今はコルネリアが預かっていた。
自分が買ってやった腕輪が魔法の品らしいことに運命の不思議さを感じる。
「コルネリアはお風呂好きですか」
組んでいた腕をほどいてエリカは気さくに声を掛けた。
「藪から棒にですね。好きか嫌いかでは好きです」
「それじゃ、一緒に考えてください」
「何をです」
「この竈の火で隣に作ったお風呂にお湯を沸かせる方法です」
エリカは竈の裏側に回り、両手を広げてお風呂の位置を指し示す。
「単純に竈の後ろに湯船を取り付けたらよい。簡単ではないか」
「それだと入る時に外から見られちゃうわよ。竈から直接見えないように壁を作って、ここにお風呂の小屋を作りたいんです」
「そんなことをするのなら、別に竈を作ればよいだろう。なぜ一つの竈で行うのです」
「手持ちの炭が少ないの。それに村の人皆が入れる大きさにしたいから、湯船が大きくなるんです。大きくなったら炭が沢山必要でしょ。その点、工房の火を使えれば無駄が無い」
「王都の浴場でも始めるつもりですか」
「なるほど。こんなことなら王都の浴場見とけばよかった。何かいい方法知りませんか」
「私は魔法使いであって浴場の職人ではありませんよ。しかし、そうだな」
コルネリアも竈の後ろに回りこむ。
エリックの見たところ二人はとても馬が合っている。魔法の研究以外でも二人一緒に行動していた。見た目は全然違うが仲の良い姉妹みたいだ。
竈を作っている職人が助けを求めるようにこちらを見るが、すまん、気が済むまで調べさせてやってくれ。竈の形を変える羽目になったら追加の金を払うよ。
結局、問題は解決しなかったらしく、職人とロランの助言で蒸し風呂で我慢することになった。
従軍時代にロランは蒸し風呂を前線の近くで作ったらしく作り方を覚えていた。
竈から出る煙を利用するらしいが、聞く限りではお湯を張った風呂よりは簡単に作れそうだ。竈の手直しも少しで済む。
職人にとっては何よりの結果だろうが、エリックの見たところエリカはまだ、お湯の風呂を諦めてなさそうだった。炭の手当てが付いたら風呂を作る気だろう。どうしてそんなに風呂が好きなんだ。何か執念めいたものを感じる。
砂糖の工房とそれになぜか付属する事になった蒸し風呂が完成したころ、オルレアーノから注文していた鉄の大鍋が届いた。
取りあえず今回は一つだが、もう一つも近いうちに到着するだろう。この大鍋を使ってビーンを煮込んで砂糖を作るのだ。
「ついに、ここまで来たか」
荷馬車から降ろされた鉄の大鍋が竈に取り付けられる。ここから鍋をレンガで囲い竈と一体とする。肥料の鍋と同じだ。
去年の今頃は代官になりたてで右も左も分からず戸惑っていたが、よもやニースで砂糖が作れる日が来ようとは夢想だにしなかった。
「何、気の抜けたこと言っているのよ。ここからが大変よ」
台詞とは裏腹にエリカも満足げだ。
「ビーンから砂糖が取れるとはニースに来るまで知らなかったが、これからは甘いものが口にしやすくなりそうですね。王都でも砂糖は高い」
「コルネリア。このことはしばらく黙っていてくださいね。知られると村が困るので」
「秘伝の技か」
「うん。出来れば誰にも言わないでください」
エリカの願いに含みのある笑顔を返す。
「いいでしょう。私は何も知りませんよ。熱している時に糖蜜を加えることでより多くの砂糖を収穫するなどと。ええ、知りませんとも」
「ギャー。何で知ってるのよ。間違って混ぜて、たまたま発見したのに。誰にも言ってないのに」
エリカがコルネリアに取りついて肩をがくがく揺らす。
「だから、私は知りません。誰かが大きな声で叫んでいたなどと、知りませんよ」
「えっ嘘。私、叫んでた」
「秘密は胸にしまっておきなさい」
楽しそうに答える。
砂糖の精製はゼネイラとネルヴィア親子が中心に行うこととなっている。精製の秘密はどうやって守ったらいいか考えないとな。
ともかく、砂糖の力でニースの村は劇的に変化するだろう。これからが楽しみだ。
続く
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