第41話 来訪者
ニースの砂浜に一艘の小舟が乗り上げた。
その小舟には灰色のローブを身にまとった女が乗り込んでいた。
女は船頭に船賃を渡すと、波が洗う砂浜に勢い良く飛び降り、近くにいた村人に声を掛けた。
「エリカという女性の居場所を知っていますか」
「エリカ様ですか。もちろんでさ。若の家で暮らしてますよ。若の家は、ホレ、あの赤い屋根の家がそうですわ」
「ありがとう」
女は礼を言って歩き出した。
そのころシンクレア家では丁度昼食が終わる時間であった。
「ねぇ。エリック。やっぱり、あの人、追い返したのはまずかったかな。あの時はつい頭に血が上って、追い返しちゃったけど。後から考えたらエリックの立場とか印象が悪くなっちゃったかな」
エリカが食後のビスケットをかじりながら言う。
「俺の印象か。良くはないかもな。オルヴェーク卿が若殿に誇張して報告しているかもしれない。その場合俺が悪者扱いされているかもしれないな」
エリックは気にも留めない様子でビスケットを口に放り込んだ。
「やっぱりそうよね。ごめんね。若殿のエリックへの印象が悪くなったら作戦に支障が出るわ」
「その時はその時さ。エリカが王都に行って帰ってこなくなったら俺たちの作戦は半分失敗したようなものだし、気にするな」
「でも、私がなんか、足を引っ張ってるみたいで」
「引っ張ってなんか無い。いい加減気にするな」
エリックは半ば呆れたように言う。
エリカは使者を追い返した後、時折思い出したかのようにエリックに謝るのだった。これで何度目だろう。普段はサバサバしているように見えるが、意外と気に病む性分らしい。
「また。王都に誘われたらどうしよう」
「エリカの好きにしたらいい。俺や村のみんなから言わせてもらうと留まってくれる方がありがたいけどな」
「うん」
「今の作業が一段落したら、こっちから王都に挨拶に行ったらいいだろう。そこで、くわしく若殿と話したら」
「わかった。そうする」
「まぁ。その前に次の使者が来るかもな」
エリックは手についたパン屑を払いながら笑った。
「嫌なこと言わないでよ。なんて言ったらいいのか分からないのに」
エリカが抗議の声を上げると。
「どなたかいらっしゃるか」
戸口で誰かが呼ぶ声がした。
「はぁい」
エリカは立ち上がると戸口に向かっていった。
「久しぶりですね。エリカ」
戸口で呼びかけていた人が頭のフードを取ると銀色の髪が現れた。
その灰色のローブを纏った女性を見て江莉香は玄関で凍り付く。
意外な人物が現れた。
「コルネリア様」
声がかすれて上手く音が出ない。
彼女が次の使者だと直感した。
私があの騎士の人を追い返したから今度はコルネリア様が使者になったの。しかも丁度その話をしていたなんて。口は災いの門って言うけど、こんなに即効性がなくてもいいじゃない。もしかして魔法使いになったから言霊も扱えるようになったんじゃないやろな。
「どうかしましたか」
凍り付く江莉香にコルネリアが不審そうに声を掛けた。
「いえいえ。お久しぶりです。遠いところからようこそ。どうぞ中に」
「では、失礼します」
江莉香は、コルネリアを応接室に通した。それまでほとんど使われていなかったのに、最近は頻繁にお客が来るので応接室は大活躍だ。
江莉香は飲み物とビスケットを用意してコルネリアに振舞った。
「これは何ですか。固焼きパン? 」
コルネリアは出されたビスケットを不思議そうに手に取る。
「私が考えたお菓子です、ビスケットっていいます」
正確にはヨーロッパ辺りのお菓子で、私が考えてはいないけど。
「ほう。お菓子ですか。それでは」
口に入れた瞬間、コルネリアの形の良い眉が跳ね上がった。
「甘い・・・これは砂糖菓子ですね。こんな高級品を作ったのですか」
「はい。ある試みの副産物ですけど」
「これが副産物・・・・その試み、興味がありますね。しかし、それよりも」
来たぞ。王都に来いと言うつもりね。
おのれ、若殿め。一度目の使者が断られたからって、次がコルネリア様なんて、あんまりよ。こんな断りづらい人、他にいいへんわ。
「エリカ。魔法が使えるようになったらしいですね。いえ、正確にはその腕輪の力とか」
コルネリアは江莉香の左腕を指さした。そこにはいつものように銀色の腕輪が光っている。
「はい。そうなんですよ。私もびっくりです」
「詳しく」
コルネリアが前のめりになる。
江莉香は魔法を使った時の顛末を語り、左腕から腕輪を抜き取るとコルネリアの前に置いた。
「なるほど。セシリア様のお話では、これが魔導回路とか。触ってもいいか」
「どうぞ」
「では」
コルネリアは右手を動かし呪文を唱え始めると右手が一瞬光を放った。
「コルネリア様。それは」
「レジェクトと呼ばれる光りの魔法です。呪いが掛かっていないかがわかります。この腕輪にはかかってないようですね」
コルネリアは腕輪を手に取った。
「なるほど。確かに魔力の残滓が強い。そうか。儀式のときはこの腕輪を外していたから気が付かなかったのか。しかし、魔導回路を宿した腕輪か。これはどこで」
「オルレアーノの市で買いました」
「どんな店ですか」
「どんな店って、お婆ちゃんが営んでいた雑貨屋さんでした」
「その者は腕輪の価値について理解していましたか、それともただの宝飾品として売っていましたか」
「言われてみれば、あのお婆ちゃん、それが魔法の腕輪と知っていたと思います。私が右手につけようとしたら、左につけろって注意されましたから」
「そうなるとその者も魔法使いだったのでしょうね。高かったでしょう」
「いえ。全然。銅貨10枚ぐらいだったと思います」
江莉香の返答にコルネリアは目をパチクリさせた。
この人、こうやって見ると結構かわいらしいのよね。ちょっとあざとい感じがするけど、たぶん天然だわ。
「銅貨10枚。信じられませんね。価値を理解していないのならともかく、これが本当に魔導回路を埋め込んだ腕輪なら、その値段はあり得ない」
「やっぱり、高価な品ですか」
「高価でしょう。私なら金貨50枚は出します」
「金貨50枚」
「それでも安いかもしれない」
「ええっ」
何それ。若殿から貰った金貨より多いんですけど。
「私も魔力の宿った道具はそれなりに見てきましたが、魔導回路を宿した道具など、見た事はおろか、聞いたこともない。大変興味深い」
コルネリアは腕輪を光にかざす。
「腕に嵌めてもいいだろうか」
「どうぞ」
少し緊張した面持ちでコルネリアは腕輪を左腕に通した。
「どうです」
腕輪を通した後、コルネリアは固まったように動かない。
「コルネリア様。大丈夫ですか」
江莉香の問いかけにコルネリアは大きく息を吐きだした。
「面白い。面白いですよ。エリカ。力が。力を感じます。なんだろう。ただの魔導回路ではないな。フッフッフッ」
コルネリアはご満悦のようでニコニコ笑いだした。
くそ。この人、笑うと可愛いわね。やはり天然か。
しかし、不思議なことにコルネリアは一向に本題に入る気配が無い。待っているのも心臓に悪い。ここは私から切り出して断ろう。
「あの。コルネリア様。大変言いにくいのですが、王都の件は難しくてですね」
「王都の件? 」
「はい。もう少しで目途が付きそうなので、それが終わったら王都にお伺いしますので待っていてもらえませんか」
「エリカ」
コルネリアは腕輪を外すとテーブルに置いた。
「はい」
声がひっくり返りそうになる。
「話が見えません。王都に何をしに出かけるのですか。私に関係ある話なのですか。判りません」
「えっ」
「何か、勘違いをしていませんか」
「コルネリア様は、フリードリヒ様からの使者なのでは」
「違います」
「あれ」
「私はセシリア様からエリカの話を伺って、この村に来ました。センプローズの跡取りとは関係ありませんよ」
なんや、脅かして。無関係やったなんて。
言われてみればそんなことは一言も言っていない。私の独り相撲だったか。
肩の力がどっと抜けた。
「何かあったのですか」
「そのですね」
先日の使者とのやり取りを説明した。
「それで、少し様子がおかしかったのですか」
「おかしかったですか」
「ええ。それで、王都に行くのですか。それなら私も一緒に」
「いえ。手が空くまではお断りしようかと考えていまして」
「先ほど言っていた試みですか」
「はい」
「良いのではないですか。クリエンティスに成るも成らぬもエリカの自由。センプローズに入らねばならぬと言う道理も無かろう」
「本当ですか」
「本当です。現に私はセンプローズのクリエンティスではない」
「あれ。そうだったんですか。でも、良かった。安心しました」
「それはなにより。処でエリカ。この村に宿はありますか」
「無いです。教会が旅人を泊めてくれますけど」
「教会は好きではありません」
コルネリアが駄々を捏ねる様に視線を外した。
「それなら。この家に泊まってください。エリックに頼んでみます。駄目とは言わないでしょう」
「良いのですか」
「はい」
「それでは、しばらく厄介になります。この腕輪の事をもっと知りたい」
コルネリアは再び腕輪を手に取った。
この人、本当に腕輪が気になってこんな所まで来たんだ。行動力ある研究大好き女子。侮れない。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます