第39話 ぶぶ漬けでもどうどすか
家に戻り羽黒を馬房に戻してから来客用の飲み物を用意していると、アリシアが近づいてきた。
「エリカ。なんだか厄介そうなお客よ。気をつけてね」
「えっ、やっぱり、そうなんですか。やだな」
「飲み物だけ出してすぐに戻ってらっしゃい」
「わかりました」
手早くエリカはトレーに器と葡萄酒を用意した。
応接室をノックして中に入ると、使者がエリックの前で足を組んで文字通りふんぞり返っていた。
「飲み物など必要ない。早く、エリカ嬢を呼んでまいれ」
江莉香がテーブルに器を並べようとすると、上から大きな声が降ってきた。
えっ、何。この人私に用があるの。
「はい。何でしょうか」
江莉香は使者の顔をまじまじと見る。
日焼けした肌に鋭い眼光。引き締まった筋肉。エリックの外出着に近いデザイン。きっと兵隊だな。それも地位が高い兵隊に違いない。隊長とかそんな感じ。
使者は江莉香の返答に形の良い眉をひそめた。
「オルヴェーク卿。こちらが、エリカ・クボツカ嬢です」
「なんだと・・・・」
エリックの紹介に使者が固まった。
そんな目で見られても困るんやけど。
「初めまして。オルヴェーク卿。私がエリカ・クボヅカですけど、私に何か御用ですか」
江莉香が挨拶をすると、使者は途端に態度を改めた。組んでいた足を素早く戻すと立ち上がり丁重な礼を返して見せる。
「失礼をいたしました。エリカ様。ご無礼の段、平にご容赦を。私はフールランスの地を治めているオルヴェーク家の一員。セルドア・オルヴェーク・アナイケと申します」
そのあまりの豹変ぶりに声も出ない。
よく分からないけれど、どこかの偉いさんらしい。そうは言っても若殿のパシリだから若殿よりは偉くないわよね。
「はい。どうもご丁寧に」
「この度はエリカ様を王都エンデュミオンにご招待すべく罷り越しました。私と共に王都へ足をお運び願えないでしょうか」
それまでの横柄な態度から一変、馬鹿に丁寧な仕草に変わる。あまりの変わり身の早さに不快感よりも、しょうもないコントでも見せられているような可笑しさがこみあげてきた。
「そうなんですか。でも、いきなり押しかけられても困るのですが。そもそもどうして招待してくださるのですか」
「これは申し遅れました。この度エリカ様が魔法使いとしての力に目覚められたと言うことで、そのお祝いと、これからの御立場についてご相談申し上げたく、不肖ながら私がご案内役を仰せつかりました」
「あの、失礼ですが、どこでその話を」
どうして魔法のこと知っているのよ。耳が早いにもほどがあるでしょ。
江莉香の問いかけに横にいたエリックが申し訳なさそうに手を上げる。
「俺が若殿にお知らせしたんだ。話してなかったか。すまない」
あんたかい。まぁ、そうよね。エリックしかいないか。
別に秘密にしているわけでもないので気を取り直す。
「それで、お祝いですか」
「その通りでございます。おお。これは失念しておりました。実はこの場にも祝いの品をお届けにまいっておりまして」
セルドアは応接室から外に向かって呼びかけると、幾人もの男たちが手に品物を携えて入ってきた。
「ちょっと。なになに、なんなの」
江莉香の前で包みが広げられ、中からは色鮮やかな生地や衣類が現れる。
「全て、フリードリヒ・インセスト・センプローズ様からエリカ様への贈り物でございます。お納めください」
「それは・・・どうも・・・ありがとう」
積み上げられた衣類を手に取って広げてみると、普段着ている女中服とは比べるべくもない上等な品であった。生地も染色も縫製も現代日本人の目から見ても及第点と言えた。
「うわ。エリック見て。凄く高そうよ」
「良かったな」
エリックに広げて見せると苦笑いを返された。
「どうか、ご来駕いただけないでしょうか」
セルドアは余裕のある笑みを浮かべて江莉香の返答を待った。
「そうですね。贈り物ありがとうごさいます。時機を見てまたお伺いいたします。とフリードリヒ様にお伝えください」
江莉香の返答にセルドアはしばし固まった。拒否されることを想定していなかったのだろう。
「恐れ入りますが、私と共においで頂く訳にはまいりませんか」
「今すぐですか」
「はい。もちろん旅の準備と護衛はお手伝いさせていただきますので」
「今すぐは無理ですね」
江莉香は一顧だにせずに答える。
この人には遠回りに言っても通じないだろう。ここはyes,noをはっきりと伝えよう。
私はNOと言える日本人。
「私。今、仕事で手が離せないんですよ。やることいっぱいあって当分王都には行けそうにないんです」
「お仕事ですか。失礼ながら女中としての仕事などこれ以上する必要はありませんよ。これからは魔法使いとしての御立場があるのですから」
「魔法使いとしての御立場ですか」
「はい」
江莉香は首をかしげる。魔法使いが何か今一つ分からないのに、その立場など分かるわけがなかった。
威張り散らしていたこの人が態度を改めるぐらいの立場なのは判るけど。
「お招きは大変ありがたいのですが、本当に今は手が離せないので王都には行けません。ごめんなさい」
こちらの人には通じないのだが、江莉香は深く頭を下げて謝った。
王都からわざわざ迎えに来てくれたのに申し訳ない。
でも、先に手紙で知らせてほしいかな。そうすれば対応の取りようもあった気がする。いきなり来られても困るのよ。
「そうですか」
セルドアは笑顔を張りつかせたままだが、声色には動揺がにじんでいた。しかし、一呼吸の間に態勢を立て直す。
「これは私見ですが、ただ王都にお招きしてお祝いを行うだけではないと考えます」
「他に何かあるのでしょうか」
「はい。まず間違いなくエリカ様をセンプローズ一門のクリエンティスとして迎え、一門の魔法使いとして重く用いられると愚考いたします」
それは、前にエリックが言っていたな。今一何をさせられるのか不明だけど。
「それは、ありがとうございます。一門の魔法使いになったら何をするのですか」
江莉香の興味を引けたと確信したのかセルドアはさらに語りだした。
「もちろん。心行くまで魔法の研究ができますよ。王都には国の内外から多くの魔法使いが集まり、日夜研鑽を積んでおります。このような田舎の村では望みえない暮らしが送れます」
「えっと。それって、王都に行ったら帰ってこれないってことですか」
なんやそれ。
江莉香は内心で首をかしげながら問いかける。
「帰る必要が無いと思われますが、ここでの生活より豊かな暮らしができますよ。もちろんパトローネであるセンプローズがエリカ様の王都での生活をお手伝いいたします。何の心配もありません」
セルドアは決定的な一言で江莉香を誘惑できたと考えた。確かにそれは決定的であった。逆の意味で。
「それは困ります。私はここでやりたい仕事が沢山あるので王都で暮らしたいとか思いません」
魔法の研究には少し興味があるけど、王都に行ったら村を良くする仕事ができない。この話は断るべきね。お祝いとして招待してくれるのはありがたいけど、帰ってこれなければ意味が無い。
王都に行ったら、アレをしろコレはするな、的な束縛される生活が目に見えてる。そんな窮屈な生活にわざわざ自分から行く必要はないだろう。
うん。そう考えたらエリックって結構、私の好き放題にさせてくれるわね。ちゃんと感謝しないと。
「そう言う訳で、若殿には宜しくお伝えください」
江莉香はそう言って話を終わらせようとしたが、セルドアは簡単には諦めなかった。
「そうですか・・・・・・・・・エリカ様、失礼ながら中座させていただきます。エリック・シンクレア。ついて来い」
セルドアはエリックの返事も待たずに部屋を出ていった。
「あらら、行っちゃった」
同じように出ていこうとするエリックが扉の前で振り返り尋ねた。
「エリカ。王都には行きたくないって事でいいんだな」
「うん」
「わかった」
エリックはそう言い残して部屋を出ていった。
この後の流れは大体予想できる。あのオルヴェーク卿とか言う使者の人がエリックからも説得するように言うのだろう。
エリックにとばっちりが行かないようにフォローしようと、江莉香はこっそりと後を付いて行くことにした。
「貴様からも王都に行くように説得しろ」
「しかし、本人が嫌がっておりますので。私からはなんとも」
案の定、家の裏庭でセルドアがエリックに説得の強要をしていた。
江莉香は物陰から二人の様子を窺った。
「大体、貴様。エリカ様を女中にするとは、どういう了見だ。平民風情が魔法使いを小間使い扱いなどと、あってはならぬことだ」
「お言葉ですが、私は彼女を小間使い扱いには致しておりません」
「何を言うか。仕事が多くて手が離せないと仰ったではないか。貴様が立場もわきまえずに仕事を命じたのであろうが」
「私は何も命じてなどおりません。全て彼女が自分から進んで協力していることです」
何だろう。話がそれていっている気がする。
立場もわきまえずって、私は行き倒れていたところをエリックに助けてもらって、ここに置いてもらってるんやけどな。助けてくれた人に感謝して、あれこれ手伝うのは当然の事じゃないのかな。
事情を知らない人から見ればそう見えるのかもしれないけど。
しばらく二人の言い合いを聞いていたが、どうやら私が王都行を渋っているのはエリックのせいだと思い込んでるみたいだった。
どうしてそうなるのよ。
「貴様からもエリカ様に王都へ行くように説得せよ」
「お断りいたします。当人が行きたいと言っているのであれば、止める資格はありませんが、行きたくないと言っている者に行けなどと言えません」
「フリードリヒ様のご下知を何と心得る。思い上がるな」
「若殿からのご指示は守っております」
高圧的なセルドアに対して一歩も引かないエリック。
江莉香はその姿に少し感心した。
しかし、なんなんだろう。言葉の端々に人を見下すような言い方をする人やな。
江莉香は一層、王都に行く気が失せてしまった。
少なくとも彼とは一緒に行きたくない。
話はそこからさらにエスカレートし、エリックが江莉香に対してよからぬ劣情を抱き行動を束縛しているなどという事実無根の話まで飛び出した。
あまりの邪推にエリックは絶句してしまう。
聞いていたらだんだん腹が立ってきたので、江莉香は隠れていた物陰から飛び出した。
「はいはい。そこまでよ。使者の人。貴方に話すまでもないから言わないけど。私は私の意志でここにいたいの。判る? 判ったら今日の所は帰って頂戴」
「エリカ様」
「ひとつ言っておくけど私とエリックは対等の友人で、なおかつ私の恩人よ。エリックを下に見るような言葉遣いを止めてください。今、あなたがエリックに言った事、私に向かっても言えるの」
「申し訳ございません」
セルドアは片膝を地面につき大げさに謝罪する。
「私に謝らないで、エリックに謝罪しなさいな。まぁいいわ。貴方も仕事だから手ぶらでは帰れないでしょ。私からフリードリヒ様にお詫びの手紙を書くからそれを届けて頂戴」
あまり追い詰めても可哀そうだし、話が長引くから一応セルドアの顔が立つようにした。
「しかし、それは・・・・」
「嫌ならいいけど、それなら贈り物もお返しするからすべて持って帰って頂戴」
「っ・・・」
「エリカ。それはさすがに・・・・」
江莉香の剣幕にセルドアが動揺した。そして、エリックも同じように動揺する。
どうしてエリックまでうろたえるのよ。ブラフよ。交渉術の一つよ。贈り物を突っ返すなんて失礼な真似、私がするわけないでしょうが。
「どうなさいますか。私はどちらでもいいですけど」
セルドアが瞼を閉じて考え込んでいる。
考えるまでもなく答えは一つしかないと思うけど、プライドが邪魔しているんだろうな。
「承りました。お手紙を届けさせていただきます」
「はい。お願いしますね」
江莉香はパチンと手を打った。
「それじゃあ。若殿宛にお礼状を書くから、エリック手伝って。私まだ字を書くのは苦手なの。後、紙とペンを貸してね」
エリックの助けを受けて何とかフリードリヒ宛の手紙を書き上げ、セルドアに押し付けた。
これで少しは貴方の顔もたつでしょう。
「どうしてあの人はあんなに偉そうだったのかしらね」
とぼとぼと帰っていく一行の後ろ姿に江莉香は感想を述べた。
「エリカ・・・ハハッ・・それ、本気で言っているんだろうな」
エリックが急に笑い出した。
「なによ。エリックもそう思ったでしょ。私の国ではあんな人は虎の威を借る狐って言うのよ。感じ悪っ」
「いや。エリカは凄いよ。騎士にも動じないんだからな。俺も見習いたいよ」
「あの人、騎士だったの。騎士ってあんな偉そうな人なんだ。エリック、出世して騎士になってもあんな人になっちゃ駄目よ」
「そうだな。オルヴェーク卿の様になったら、エリカにあんな風に追い返されるんだな。気をつけるよ」
「なんで、私が悪いみたいになってるのよ」
「そう聞こえたか」
「そう聞こえた」
二人は顔を見合わせて笑うのだった。
続く
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