第26話 秘密の守り方
思いがけずサトウダイコンの代りとなるノルトビーンとか言う蕪を発見し、その勢いで砂糖の精製までも成功した江莉香であったが一つの懸念が頭の中に浮かんできた。
「ここからどうやって運営しよう」
書斎の椅子に腰かけ、砂糖を入れた小瓶を手の中で転がしながら考える。
「よく考えたら作って、はい終わりとはならないのよね。こっからどうしよう」
エリックを将軍に認めさせるために村に産業を作る。ここまでは順調だけど次のステップが見えてこないのよね。
江莉香はエリックの羽ペンを手に取ると薄く剥いだ木の板にこれからの予定を書きだすことにした。
①砂糖の精製に成功したからノルトビーンを大量に作付けして増産する。
どこかにビーン専用の畑を開かないと。
②砂糖の精製工場を建てる。
お金足りるかな。
③蒲鉾工場を建てる。
これはもうすぐ完成するか
④ノルトビーンの畑用に肥料の増産をする。
作付けを増やせば当然使用する肥料の量が増える。効果がある現状を踏まえればなおさらやな。
⑤肥料用の魚を確保するために漁獲高を今まで以上にする。
他の漁法も考えなくっちゃね。
⑥蒲鉾と砂糖の販路を確保する。
これは王都の商会に流していこうかしら。
⑦工場や農地で働く人を確保する。
5人10人ならともかく、それ以上はどうしよう。
思いつくままつらつらと書き上げていく。
「他になんかあるかな。ああそうだ。大切なことがあるわ」
⑧各種製造方法の機密保持
「あー。これ、完全に頭から抜け落ちてたわ」
特にビーンから砂糖を精製するのは、やり方さえ理解すればすぐにでも模倣可能な代物だ。他の村や町に知られたら、世の中としてはいいことだけど、開発者としてのニースの村のアドバンテージが損なわれる。せめてこの村で砂糖の大量生産が可能になるまでは他に知られたくない。今の段階で知れ渡るとビーンをたくさん持っている所が有利すぎる。
8項目目でペンを置き立ち上がると部屋を出る。
「アリシア。エリックはどこですか」
居間で糸車を回していたアリシアに声をかける。
「あの子ならロランの所に行くと言っていたわ」
まずい。
絶対に言いふらしに行ったに違いない。気持ちはわかるけどちょっとまって。
山手に建ってあるロランの家まで走ろうと家を出た瞬間。目と鼻の先の教会の前でエリックを発見した。彼の前には何人かの村人がいる。
おいおい。もしかして村中に言いふらしてるんじゃないだろうな。
江莉香はエリックに駆け寄ると心配は的中していた。
「みんな聞いてくれ、ビーンから砂糖が取れたんだ」
エリックはエミールを引き連れて得意満面の笑みでそうのたもうた。
そこに、必死の形相の江莉香が走りこんでくる。
「ああ。みんな、エリカがその方法を見つけてくれたんだ。これで、村は豊かになるぞ」
「エリック。ストップ、ストープ」
江莉香はエリックと村人との間に飛び込んだ。
急に現れた江莉香に皆が驚いているが、そんなことには構っていられない。
「エリック。こっちに来て。エミールも早く」
強引にエリックの手を取って引っ張る。
「どうした。エリカ」
戸惑いながらもエリックは付いてくる。
家の前まで来ると江莉香は手を放して、息を吸い込む。
「エリック。どこまで話したの。いいえ。黙っていて」
何か言おうとするエリックの口を塞ぐ。
「エミール。エリックから聞いた話を私に話して。全部よ」
鬼の形相でエミールに迫る。
「は、はい。ビーンから、砂糖が取れたと、エリカ様がそれをしたと」
狼狽えながらもエミールは答える。
「他には」
「えっと、砂糖が作れれば村が豊かになると」
「作り方は」
「作り方ですか? 貝殻を粉にしたとか、袋を振り回したとか聞きました」
チキショーメ。
そんなことまで言っちゃってたか。そこまで情報があれば知恵の回る人間なら答えにたどり着いちゃうよ。
「村の人には? 」
「その前にエリカが走りこんできただろうが」
エリックがエリカの手を払いのけた。
よし。村の人にはまだ言って無いのね。
エリックが不機嫌そうだが構っていられない。
「二人とも家に入って。それと、ロランにも話したの」
「ああ、さっき話したが」
そうでしょうとも。黙っていられるはずがないわよね。
「エミール。急いでロランをここに連れてきて。いい」
「はい」
江莉香はロランの家を指さす。
意味も分からずエミールは走り出した。
「どうしたんだエリカ。いつもより変だぞ」
「いいから、書斎に来て」
後、いつも変みたいに言わないで。
「エリック。私も今気が付いたから人のこと言えないけど、砂糖の事は特に作り方については秘密にしてほしいの」
エリックを書斎の椅子に座らせると江莉香は切り出した。
「秘密に? なぜだ。どのみち知られることだろう。エリカ一人で砂糖作りをさせるわけにもいかないし。村の連中にも協力してもらわないと」
正論ね。
「それはその通りなんだけど。例えばよ。あなたがニースの村の人間じゃなければどう」
「どうとは? 」
エリックは首をひねる。
ああ。もう、察しが悪いわね。
「あなたが、ビーンから砂糖を作る方法を聞いたらどうする。自分の村で同じ事をしようとしない? 」
エリックが返事にならない声を漏らして固まる。
「作るでしょ。そうなったら、そこいら辺の村々で砂糖作りが始まっちゃうわよ。作り方が広まった後で将軍に砂糖を献上してもあなたの功績にならないでしょ」
エリックの顔に焦りの色が浮かぶ。
「思い至らなかった」
声のトーンが落ちる。
「しょうがないわよ。私も今気が付いたところよ。砂糖が出来て浮かれていたわ」
江莉香も頭を掻いて反省する。
「だが、秘密にしたままどうやって作るんだ。何と言うか今の段階でも人手が足りなくなってきているんだ。ある程度教えないといつまでたっても出来ないぞ」
「勿論。作り方は教えるわよ。私一人で作れる量なんてちょびっとよ」
「何人かの信用できる者にのみ教えると言う事か」
その答え近いようで遠い。
「そういうんじゃなくて、作り方はいずれ知られるけど、先行者利益って言ってもわからんか。うーんとね」
江莉香はエリックが理解しやすいようにもう頭をひねる。
「例えばエリックあなたはオルレアーノの市民です。ある日市場を覗いたら砂糖を売っているお店がありました。あなたは砂糖が大好きで欲しくて仕方ありません。今までは値段が高くて手が出ませんでした。でも、その砂糖は他より安くて買える値段でした。買うでしょ」
「いきなり何なんだ。ああ。買うだろうな」
唐突に物語形式のたとえ話が始まった。戸惑いながらも同意する。
「あなたはどうして砂糖がこんなに安いか売り子に尋ねました。だって遠い南の国からやって来るのに安かったら変でしょ。もしかしたら何か変なものが混じっているかもしれないし」
「その通りだ。安い小麦を買ったらよくある」
エリックは大きく頷く。
そんなことあるの? 世知辛いな。
「売っていたおじさんは遠くの南の島で作ったんじゃなくて、近くのニースの村で作った砂糖だから安いんだと言いました。次も買うでしょ。ニースの砂糖を」
「ああ」
「そうやって何度か買っている内にあなたは深く考えずにニースの砂糖を買い続けるようになるの。だって今まで買ってたのより安いんだから、それでいいでしょ。もっと安いの探す? 」
「いや。今までより安く買えたら、探したりしないかな」
「そうよ。普通はそうなの。そういうお客さんが増えたら、他の村が砂糖作りに成功しても、かなり長い間ニースの砂糖が売れるのよ。だって今までより安いんだから。仮に少し安い他の村の砂糖があったとしても、今まで買ってた方を選ぶのよ」
「そうなのか。安い方を買わないのか」
「いつも買ってる方が安心するの。そりゃ。ウチよりも凄く安ければそっちに流れるでしょうけど、そんな値段で売れないわよ。私たちも法外な値段で売るんじゃないんだし」
まぁ。価格に関しては要調査ってとこね。安過ぎず高過ぎずギリギリのラインを見極めないと。
「なるほど。こういう事か。砂糖の作り方を秘密にしている間にニースの砂糖を覚えてもらう。一度覚えられたら引き続きニースの砂糖を買うから、そうなった後に砂糖の作り方が知れ渡っても大丈夫なんだな」
「大体あってる。限度はあるけど」
「すまん。売ることまで考えていなかった」
エリックはため息をついた。
「いいのよ。私も今さっき気が付いたところだから。どのみちお願いして作ってもらうんだから、どんなに秘密にしても作り方は漏れちゃうわよ」
だって、そこら辺にある蕪から作れるんだから。
「だが、出来るだけ秘密にはした方がいいんだな」
「おっしゃる通り。せめてエリックの武器として将軍に突き刺せるまでは」
江莉香は大きく頷いた。
「突き刺すって。まぁ。その通りか」
江莉香の言い回しにエリックは苦笑した。
「さて、どうやって秘密を守るかだが」
エリックと江莉香が方策について論議していると扉がノックされた。エリックがロランを連れてきたのだろう。
「どうぞ」
エリックが声をかけると案の定エミールが扉を開く。そして、後ろにいた人物を中へと促した。
「こんにちはエリック様。エリカ様。あなたたちに神々のご加護がありますように」
一番に入ってきたのはにこやかな表情のメッシーナ神父だった。
続く
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