第23話   石鹸と燃やすもの

 エリックたちが水車動力付き蒲鉾工場の建設に入った頃、江莉香は書斎で魔導士の書を捲っていた。

 圧縮小屋から採取される魚油を使って石鹸を作りたいのだが、魚油を凝固するための苛性ソーダの製造法が不明だ。

 ヒントが無いかとページを捲るとあっさり解決してしまった。


 「なんだ。薪の灰でいいんだ。めっちゃ簡単だ」


 魔導士の書にはずばり石鹸の製造法が僅か三行の説明で書いてあった。


 「他には生石灰を混ぜる。生石灰って何? 生石灰、生石灰」


 江莉香は魔導士の書をせわしなく捲る。

 魔導士の書は動物の皮で出来ており重いのだが、律義にも項目が五十音順に掲載されていて便利すぎる代物だ。


 「あった。あった。生石灰は酸化カルシュウムか、それなら骨を焼けばいいのかな。ええっと、貝殻を石灰窯で強熱する。なんや貝殻で作れるのか、貝殻なら唸るほどあるわ。石灰窯って何・・・・・・・ああ、これはすぐには作れないな」


 江莉香は魔導士の書を閉じた。

 取りあえず、台所の竈から灰を集めて魚油に混ぜてみよう。



 江莉香は竈から集めた灰を桶に入れ、圧縮小屋に向かう。


 「エリカだ。おはよう」

 「おはよう。頑張ってるわね。偉いね」


 圧縮小屋での肥料作りは相変わらず子供たちが行っていたが、前に比べて安全の面では改良されていた。

 危険だった鉄の巨釜は竈と一体化しており、万が一にもひっくり返らない様にした。巨釜の縁も日干し煉瓦で覆われ、手をついても火傷しにくいようになっており、完全ではないが危険度はかなり軽減されただろう。


 「おおっ溜まってる。溜まってる」


 江莉香は地面に埋められた水槽を覗き込む。

 それまで圧縮機から出た絞り汁は、地面に掘られた溝を伝って海に排水されていたが、今は水を張った木製の水槽に溜まるように変わっていた。

 絞り汁がこの水槽に落ちると、油分が冷却され凝固し浮かんでくる。浮かんだ油を回収した後、水槽の仕切りを開くと残りは自然に海に流れ出るという極めて原始的な分離機だ。

 江莉香が回収した油を再び温めて液体に戻していると子供たちが寄って来る。


 「エリカ。なにしてるの」

 「んっとね。石鹸を作っているのよ」

 「セッケン。セッケンってなに」

 「そうね。これで洗うと何でもピカピカになる魔法の石よ」

 「魔法の石。すごい。エリカ。魔法使い」


 あれ、余計なことを言ったかな。


 「よし、じゃあ。みんなも魔法使いになる? 」

 「なる」


 子供たちは一斉に食いついてきた。


 「よし、それじゃあ。この棒もって。油が固まるまで混ぜてね」


 江莉香は融けた油を木桶に入れ、子供たちに棒を持たせる。


 「みんな、いい。はい混ぜて」


 子供たちが油をかき混ぜる上から灰を振りまく。どれぐらい入れればいいか分からないので様子を見ながら振りまいていくと。


 「ドロドロだ」


 油が固まりだした。

 子供たちは大喜びでかき混ぜる。

 しばらく続けると灰色のムースが完成した。


 「完成かな。後は冷やすだけか」

 「エリカ。魔法の石できた? 」

 「うん。出来たよ。これでみんなも、魔法使いよ」


 子供たちを小川の縁に連れていき、石鹸を掬って子供たちの手に持たせてやる。


 「いい、見てて。こうやって使うのよ」


 江莉香は出来立ての石鹸を水に浸して泡立たせた。


 「ブクブク」

 「こうなったら、こう」


 思い切って顔を洗ってみた。

 灰のお蔭か匂いが少しマシになっており、十分に使えそうだ。


 「はぁ。久しぶりに、ちゃんと顔洗った」


 水だけで洗うのとはやはり違う。まさしく石鹸だった。

 見ていた子供たちも一斉に真似をし出した。


 「にがい」

 「顔を洗うときは口を閉じなさい」

 「め痛い」

 「水で流して。しっかり洗って。ハイハイ、泣かないの」


 大騒ぎをしながら子供たちは石鹸で手や顔を洗った。

 普段、煤や垢で汚れていた子供たちの顔が綺麗になっていく。


 「うん。成功だ。たぶん売れる」


 石鹸のプロトタイプが完成した。完成したが。


 「あー。お風呂入りたい」


 久しぶりの石鹸をつかった洗顔に江莉香の中で違う欲望が発生した。

 


 エリックは連日連夜エリカと魔導士の書を前に話し合ううちに一つの事に気が付いた。


 「このままでは木炭が足りないな」


 エリカの考える道具にはとにかく火を使うものが多い。

 肥料を作るにしてもカマボコを作るにしても大きな竈を必要とする。今度は石鹸を作るために貝殻を焼く窯が欲しいと言い出した。

 持ってきた石鹸の試し品を見て見ると確かに売れそうだ。質を上げるために貝殻を焼く窯が欲しいと言うのも理解できる。

 これまでは柴や木炭を考え無しに使っていたが、このままでは足りなくなるだろう。


 「炭焼き小屋を増やすしかないな」

 


 エリックは村のはずれの炭焼き小屋に馬を走らせる。

 炭焼き小屋は山の中腹に立っていた。


 「ビット爺さん。いるかい」


 エリックが小屋に向かって声をかけると、小屋の裏手から返事が返ってくる。


 「おや。エリック様でねぇか。どうしなすった」


 背は低いが筋骨たくましい老人が出てくる。


 「元気かい爺さん。今日は爺さんに頼みがあってきたんだ」

 「へぇ。何ですかい」


 怪訝なそうなビット爺さんに持ってきた葡萄酒を渡す。


 「こいつは、ありがたい」


 椅子代わりにしている丸太に腰を下ろすと、早速壺を開けて中身を飲みだす。ビット爺さんは村でも酒好きとして知られている。機嫌を取るにはこれが一番だ。


 「爺さん。炭が沢山欲しいんだが、作る量を増やせるかい」


 エリックもビット爺さんの向かいの丸太に腰かける。


 「へえ。昨日、火入れしたから、今ある分は全部持って行ってもかまいませんぜ」


 爺さんは納屋の奥を指さす。


 「ありがとう。でも、それじゃすぐに足りなくなっちまうんだ。これから村では今までの倍以上の炭を使うことになる。作る量を増やしてくれないかな」

 「倍ですかい。そりゃ無理ってもんだ。エリックの旦那」


 エリックの要請にビット爺さんは手を振って拒否した。


 「そうだよな。困ったな」


 予想通りの反応だ。作れる量が簡単に倍になったりしない。


 「何で、そんなに炭がいるんかですかい」


 エリックは爺さんに工房や窯のことを説明した。


 「はあはあ。噂の奥さんがそんなことを」

 「いや、妻ではないんだが、なんとか。頼めないか」


 いい加減否定して回るのにも疲れた。エリカの立場を明白にしないとな。



 「話は分かりましたがね。作る数を増やそうたって、簡単にはいきませんぜ。炭焼き小屋を大きくしなきゃならんし、人手だって要りまさぁな」

 「そうだよな。仮になんだが、小屋を増やすなり大きくするなりすれば、人手はなんとかなるかい」


 水車小屋に金を使ったが手持ちの資金には余裕がある。

 炭焼き小屋を作ることには問題はない。


 「炭焼きは簡単にはやれませんぜ。長い修行が必要でさ。うちの息子を炭焼きに掛かりっきりにすれば、増やせるが、畑があるからな」

 「へぇ。カインは炭焼きできるのか。凄いじゃないか」

 「いや、儂から見たらまだまだてさぁ」


 ビット爺さんは笑いながら葡萄酒を胃袋に流し込む。

 そうか、ビット爺さんの家の畑を何とかすれば息子のカインを炭焼きに専念させれるか。後は。


 「ビット爺さん。炭焼きの弟子を取ってくれないか」


 エリカの木炭の要求が増えすぎる前に何とかしないと。


 「弟子ですかい。やりたいやつがいれば教えないこともねぇが、大変ですぜ。木を切って、形を整えて一日窯の前で火の番だ」

 「それは、俺の方で何とかするよ。炭の作る量を増やすこと考えておいてくれ」

 「ふむ。本当に炭がいるんかい。わかりやした。うちの息子にも話しておきんしょ」

 「頼んだよ。炭焼き小屋を増やすのは俺がやるから、それの心配はしなくていいから」

 「おうよ。しっかし、王都に行ったって聞いたけんど、向こうで何かあったかね」

 「何か変かな」


 エリックは腰を上げる。


 「変というか、ちいとばかり、人が変わったというか。いや、なんでもねぇ」


 ビット爺さんはそう言って残りの葡萄酒を飲み干した。

 少しは、自分も変わったのだろうか。

 エリックはそう考えながら山を下りて行った。


                       続く

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