第22話 設備投資
朝、目覚めると江莉香は黒いメイド服に袖を通し支度を始める。
「ふう。なんか戻って来たって感じね」
センプローズ邸に滞在していた時は衣食住を保証され困らないどころか、外出時にはセシリアの高価な衣装やアクセサリーを借してもらったりした。
別れる際に友情の証として紅サンゴの髪留めをいただいたが、村でつける機会は無いだろうな。
「これをつけるのも久しぶりだ」
オルレアーノでエリックに買ってもらった白銀のブレスレットを左腕に通した。老婆に言われてから左腕につけることは守っている。一度だけ右腕にはめてみたが付け心地がなんとなくしっくりこない。やはり老婆の言う通り左が正解の様だ。
王都ではセシリアが自分のアクセを色々貸してくれるのでつける機会がなかっが、華やかさではセシリアの物に劣るとは言え、腕に馴染む感覚はこのブレスの方が上だ。仕事をしている時も邪魔にならないし、けばけばしくないから普段使いができる。
「よし。忙しくなるわね」
頬を叩いて気合を入れた。
まずは魚の残骸を使って肥料を作る小屋に向かう。
底引き網漁で取れた魚のうち干物で使わない内臓や干物にできない小魚などが巨釜で煮られている。
「あっ、エリカだ」
小屋の中では汗だくで小学校高学年ぐらいの男の子が巨釜を木ベラで掻きまわしている。
「おはよう。一人? 」
「うん」
「お父さんか、お母さんはどこ」
「父ちゃんは漁に出てるよ。母ちゃんは向こうで干物作ってる」
なるほど。この子一人でやってるのか。それにしても火と熱湯を子供一人で扱わせるのは、ちょっと危険すぎやしませんかね。
この装置は大きな竈の上に鉄の巨釜を乗っけただけの簡単な造りだ。見ていて子供が火傷しないか心配になる。
「エリカにいいもの見せてあげる」
その子は足場から飛び降りて江莉香の手を引く。
「どこに行くの」
「こっち、こっち」
作業小屋の裏手、圧縮機からの排水が海に注ぐ所に連れていかれる。そこには子供が3人いて騒いでいた。
「ほら、見て」
子供が指さす。
「何やこれ」
目と鼻の先の磯にはたくさんの魚が集まって飛び跳ねている。小魚から中型の魚まで様々だ。
「お魚しぼると寄ってくるんだよ」
あー。うん。魚の血の匂いで寄ってくるのかな。
「ここに網入れるとたくさん取れるんだ」
「でしょうね」
仲間の血に引き寄せられて捕獲されちゃうんか。お魚さんごめんなさい。江莉香は思わず手を合わせてしまった。
「エリカ。見て見て」
今度は小さな女の子が両手を差し出してくる。小さな手のひらに何かついている。
「何、その白いベタベタ」
何かの粘液みたいな感じだ。
「すっごい、ヌルヌルするんだよ。触ってみて」
「ええっ、嫌よ。そんなものどこで見つけたの」
「あそこから、いっぱい出てくるよ」
女の子は小屋から延びる排水溝を指さした。
「ちょっと。それ魚の搾りカスでしょ。汚いわね。ペイしなさい。ペイ」
「汚くないよ。これで手洗ったらスベスベになるよ」
女の子は磯に降りて手を洗って見せた。
「ほら。スベスベ。エリカもやって」
なぬ。手がスベスベとな。
江莉香は試しに排水溝に引っかかっている白い物体を手に取った。どう見ても魚の油が凝固したものだった。
手を擦り合わせると少し泡立つ。
「あれ。これってハンドソープっていうか石鹸になるんじゃないの」
江莉香は海水で手を洗うと女の子の言う通り手がスベスベというかヌルスベみたいな状態になった。でも悪い感じはしない。
「このままじゃ、まだオイルの一種か。でも、オイルがあれば石鹸出来るわね。凝固用の苛性ソーダがあれば簡単に作れるし」
最近。友人と手作り石鹸セットなる商品を使って、お手製アロマ石鹸を作ったことがあった。そのセットではココナッツのオイルに凝固剤と香料を混ぜて固めるだけだったので、こっちでも簡単に作れそうだ。
「石鹸。たしかエミールのメモに値段が書いてあったわね。このまま海に流すのももったいないし。このオイルで石鹸ができたら村の産物になるかも。」
江莉香は手の匂いを嗅いで見る。少し生臭い。消臭するなり他の香りでごまかしたりする必要があるな。よしんば石鹸が出来なくても灯り用の油としても使えるか。魚油を使った健康サプリも見たことあるが流石に製造の難易度が高い上に需要があるのだろうか。
とりあえず圧縮小屋を改造して油がとれるようにしよう。それと子供が使っても安全なようにもしないとね。見ていて冷や冷やする。
子供たちに手を振って次に江莉香が向かったのは圧縮小屋の脇を流れる小川の上流。
この小川は村を流れる川の中で一番広い。だがそれでも幅5メートルあるかないかの小川だ。お世辞にも水量が豊富とは言えない。
小川の両側にニースの村の耕作地が広がっている。
ニースの村は南を海、東は山、北と西に丘陵地帯が広がっており平野が少ない。人々はその少ない平野部に畑を切り開いていた。
「地形的にも畑は増やしにくそうね」
近代以前の国力増加と言えば新田開発と相場が決まっているが、その手は使えそうにない。
江莉香は小川の土手沿いを歩いていく。畑を抜けると水車小屋が現れた。それはこの村唯一の水車小屋だ。
エリックはロラン親子と朝から作業をしていた。
川沿いの水車小屋の近くの空き地に縄を張り一定の間隔で木の杭を打ち込む。
「ここなら。もう一基置いても邪魔にならないだろう」
「水の量は十分ですから、おそらく問題ないでしょう」
ロランが同意した。
「エリック様。エリカ様が来ましたよ」
エミールが縄を巻き取っているとエリックに声をかける。
「よし。おーい。エリカ。この辺でいいか」
エリックは下流からテクテクやって来るエリカに手を振る。
ここにはエリカが考えた、あるものを建設する。張られた縄と打ち込んだ杭はそれの設計図みたいなものだ。
「うん。大きさはこんなものかな」
エリカは杭が打ち込まれた縄張りを見て回る。
「水車は使えそう」
「いや。新しくもう一つ作った方がいいな。職人を呼んでこないと」
「そっか。じゃあ。ここら辺に水車が来て。石臼はここか。解体する場所は石臼の隣がいいだろうから、ここいら辺。竈はここかな」
エリカは綱が張られた地面を歩きながら考え込む。
「竈の事なんだが、こことは別に作った方がいい」
エリックの指摘に顔を上げる。
「どうして。一緒にした方が便利でしょ」
「便利だが、火を使うからな。火事が怖い。離れた場所にしておけば火事になっても水車は無事だ」
「ああ。そっか。水車まで焼けたら大変だものね。分かった」
エリカは納得したように頷く。
「さあ。ここに村初めてのカマボコの工場を作るわよ」
エリカは高らかに宣言するのだった。
「エリカ。カマボコの工房を作るのは構わないが、水車までいるのか」
楽し気なエリカにロランは疑問をぶつける。
村の特産としてカマボコを作る専用の小屋を建てるのは理解できるが、水車まで作るのは大げさに見える。
エリックは水車を作る気でいるようだが、村には水車を作れる者はいない為、オルレアーノ辺りから職人を呼んでこなくてはならず、また、建設には大金がかかった。
「はい。絶対に必要です」
エリカの断言に続いてエリックが助け船を出す。
「カマボコを作るのには、魚の身をすり潰すんだが、このすり潰す作業が一番大変で味もここで決まるらしいぞ。しっかりとすり潰すには水車で動かすような大きな石臼が必要だ」
「ですが、若。売れるか分からないカマボコに水車を使うのは」
「心配するな。干物より高い値段で売れるのは王都で確認した。後は質と量を確保すれば損はしないさ」
「質と量ですか」
「考えてもみろ、手回しの石臼ですり身を作っていたら、たくさん作るのに人数がいるだろ。この工房なら少ない人数で作れる。水車が石臼を回してくれるから、我々は切り身を放り込むだけでいいい。エリカ、何人ぐらい必要だ」
「五人もいれば十分かな。魚をさばく人が一人、すり身を作る人が一人、蒸し焼きにする人が一人、なんやかんやの雑用に二人もいれば、今の村の漁獲なら全部をカマボコにできるはずよ。水車が無ければ十人はいるわね」
「十人で済むのなら、それでよくないか」
ロランはあくまでも水車を作ることに消極的だった。
「何言ってるんですか。もっと作る量を増やすに決まってるじゃないですか。最終的には今の十倍を目指しています」
「十倍。そんなに」
「はい。水車が無いと百人ぐらい人手が必要ですけど、水車があれば増やすのは捌く人と蒸す人だけですから、たぶんだけど二十人いらないんじゃないかな。二十人ならこの大きさの建物で作業できます」
「そういうことだ、ロラン理解してくれ」
「あっ、そうだ。エリック肥料を作っている小屋で作ってほしい物があるんだけど」
「なんだ。すぐに作れるものか」
「そんなに手間はかからないわ」
二人の話についていけずロランは呆然とするのだった。
続く
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