第15話   ドーリア商会


 「どうぞ、おかけください」


 簡素な応接室に通され椅子をすすめられた。

 エリックの隣に江莉香が腰掛けエミールは一歩下がって立ったままなのを見て、モレイは一瞬だけ訝しんだ。

 そこからしばらく世間話をしていると丁稚奉公の小僧が飲み物を運んできた。

 カップの中身を見たエリックは声を上げる。


 「何ですか。これは飲み物なのですか」

 「驚いていただけて嬉しいですな。いや、失礼しました。これを初めてごらんになる方の反応を見るのが密かな楽しみでして」


 モレイは愉快そうに笑う。


 「驚くも何も。真っ黒なんですが、本当に飲めるのですか」

 「もちろんですよ。少し苦いですが、癖になるとやめられません」


 盛り上がる男二人の隣で江莉香はカップの香りをかいだ。


 「うぁ。やっぱりコーヒーだ。こっちにもコーヒーあるんだ。嬉しい」


 戸惑うエリックをしり目にカップに口を付けた。


 「おい。エリカ。大丈夫なのか」

 「うん。美味しいからエリックも飲みなよ」


 頷いて勧めると、エリックも恐る恐る口をつけ。


 「なんだか。凄い香りだ。苦っ」


 予想通りの反応に江莉香は笑った。


 「美味しいでしょう」

 「そうか? 俺にはただ苦いだけにしか」


 エミールはコーヒーにせき込んでいた。


 「お嬢様はカフィをご存じでしたか。どうしても苦ければミルクを入れれば飲みやすいですよ」

 「ああ。そうしよう」


 エリックは小瓶に入ったミルクをカップに注ぐ。


 「確かに、飲みやすくなった」


 エリックが納得したように頷き隣の江莉香を見る。


 「エリカはミルクいらないのか」

 「うん。私、ブラック派だから」


 江莉香も子供の頃は牛乳と砂糖をドバドバ入れていて飲んでいたが、いつからかブラックの方が美味しいと感じるようになっていた。

 「ハッハッハ。お嬢様は味の分かるお方だ。カフィを何も入れずに飲むのは中々に難しいのですが」


 一通りコーヒー談議が済むとモレイが姿勢を正した。


 「それでは商談に入りましょう、お話では商品をお持ちいただいたという事でしたね。商品と言うのは」

 「そうでした。エミール」


 後ろで控えていたエミールが木箱から中身を二つ取り出した。

 周りを包んでいる赤い葉を取り除くとピンク色と白色の蒲鉾が現れた。アカカマドの葉っぱにも防腐作用があることを期待しての処置だ。


 「何でしょうか、これは、食べ物ですかな」

 「はい。魚で作ったハムです」


 江莉香がモレイに分かるように答えた。


 「魚のハムですか。おい」


 モレイは控えていた小僧に声をかけナイフと皿を持ってこさせた。


 「ハムと言うことは、そのまま頂けるのですな」

 「はい。どうぞ」


 江莉香は切り分けられた一部を先に食べて見せる。

 それを見たモレイもピンク色の蒲鉾を口に運んだ。


 「確かに豚や牛の肉ではありませんな」


 咀嚼しながら考える。売れるかどうか吟味しているのだろう。


 「味は悪くありませんな。ただ何というか」

 「味が薄いですか」


 江莉香は事前に予想していた欠点を口にした。

 日本人の味覚からすれば蒲鉾には味があると感じるが、こちらの人々は濃い味付けが好みらしく、江莉香の蒲鉾は薄味に感じるだろう。砂糖もないしね。


 「そうですね。ただ噛んでいると味が出てきますね」


 今度は白い蒲鉾を口に入れる。


 「そうなんですよ」


 相槌を打ちながら江莉香はモレイを観察する。白い蒲鉾は江莉香が無理して白身魚だけで作ったものだ。いわば蒲鉾の完成体と言える。日本人の味覚的にはこちらの方がうまいと感じる。はたしてモレイさんはどうなんだろう。

 しかし、観察している限りリアクションに違いがなかった。残念。


 「どうですか。王都でも売れそうですか」


 さて、ここからが本番だ。

 江莉香は気を引き締めなおした。交渉についてはエリックから全権を任されている。村の為にもいい結果を掴もう。

 あらかじめエリックからは商会と言うものがどんなものかは聞いている。無理に今の日本に当て嵌めようとするなら商社かな。でも業態は問屋と運送屋と信用金庫を足して二で割ったみたいな感じだ。

 このモレイさんも長年、ドーリア商会に勤めている番頭さんらしい。いいものは理解してくれるだろうけど、それが売れるかは別問題だ。其処ら辺、シビアに違いない。


 「王都でも魚料理は人気がありますからね。これはどうやって作ったのですか」

 「それは、秘密です」


 江莉香はいい笑顔で回答を拒否した。

 教えたら私のアドバンテージがなくなるでしょうが。


 「それはそうでしたな。いや、失礼を申しました。ちなみにこれはハムと仰られましたが、作られてどれぐらい経った物ですか」

 「五日です。保存方法にもよりますが二週間ほど日持ちします」

 「ホウ。二週間ですか。なるほど」


 本当はもうちょっと持つと思うが、恰好つけて長く言って結果、嘘になるぐらいなら、短めに伝えて確実に信用を稼いでいこう。

 嘘はダメ。高確率で見抜かれると考えておかなきゃ。


 「今のところ多くは作れませんが、王都で売れるのであれば、たくさん作ることもできます」


 高値で売れるのであれば、干物に回ってる魚も全て蒲鉾に投入してもいい。

 村に工場を建ててマニュファクチュアによる生産も視野に入れるべきかな。村人の現金収入源にもなるだろうし。


 「ほう。増産も可能ですか」


 モレイは江莉香を見ながら話しているが、その眼は江莉香を見ているようで見ていない。恐らく商売になるか猛烈な勢いで計算しているのだろう。

 ああ。怖い。


 「ふむ。それでおいくらぐらいで、お考えですか」


 江莉香は干物と塩漬け魚の中間の値段を提示した。卸値がこれぐらいなら販売時でも塩漬け魚より安く提供できるだろう。ただ一つ懸念があるとすれば、王都の物価が解らないことだ。オルレアーノより高いはずだ。一応、ここに来る前に魚屋を覗いて王都の塩漬け魚の値段を聞いてきた。予想通りオルレアーノより高かったが、まだ何とも言えない。しかし、これで距離の不利を何とかできないだろうか。


 「この値段に輸送の代金が乗ります」


 江莉香の言葉にモレイは目をパチクリさせる。


 「なるほど。輸送費は数を捌けばなんとかなるでしょう。問題は売れるかですな」


 最大の懸念を言われた。



 やっぱり。薄味だったかな。私だって蒲鉾にはマヨネーズをかけるし。これはいよいよマヨネーズを作る時が来たか。しかし、マヨネーズってどうやって作ったっけ。卵と塩とお酢。他に何か必要なものあったかな。それに作れたとしても保存できるのかな。だって卵だし。すぐに悪くなる気がする。でも、お酢が入っていれば持つのかな。レシピだけ伝えたら、こっちに利益がないし。困った。それなら二番手の醤油か、醤油が出来たらいろいろ便利よね。作り方知らないけど、大豆を発酵させることしかわからん。あの本に載ってないかな。帰ったら一度全部に目を通す必要があるわね。ああ、醤油が出来たらお刺身が食べれるな。駄目よ。寄生虫がいるんだった。アニサキスだったっけ。こっちにもいるのかな。多分似たような虫がいるだろう。半端な知識で生魚に手を出したらどんなしっぺ返しが来るか怖い。



 上辺だけの会話を続けながら、モレイに負けず劣らず江莉香も蒲鉾がダメだった時を見越して頭脳をフル回転させる。


 「よろしいでしょう。今回はそのお値段で買いましょう。お客様の反応を見て正式にお取引できるか考えましょう。それでいかがですか」


 モレイが結論を出した。

 やった。取りあえず門前払いは回避できた。後は王都の人たちの反応次第だ。それと、味はもう少し強くしないと。取りあえず砂糖が手に入ればもう少し味がわかりやすくなるはずだ。やっぱり砂糖か。

 様々な思考を巡らしながら、江莉香は笑顔で握手するのだった。

 


 代金を受け取り立ち去っていく三人を見送ると、モレイは急いで机に取って返し、手紙を書き上げ連絡係の使用人を呼んだ。


 「おい。これをオルレアーノの支店に届けろ。急いで行け」


 旅費が入った袋と手紙を受け取ると使用人は港に向かって走り出す。一番早くフレジュスに向かう船に乗り込むのだ。


 「なんなんだ。あの娘は」


 モレイは今しがた自分が見たものが信じられなかった。

 モレイは初め、エリックと名乗った少年を相手にするつもりであった。

 若く経験不足の彼なら有利な交渉が簡単に出来ると考えていた。

 そして、その印象は間違っていないと今でも思っている。

 センプローズの一門でなければ、かなり足元を見た商談もあり得た。

 その構想を根底から覆したのが一緒についてきた娘だ。

 いざ交渉になるとエリックではなくエリカと呼ばれた娘が自分の相手をする。 

 男と女が一緒にいて女が交渉するのも意外だった。その上カフィを知っているような様子にも驚いたが、そんなことは些細なことだ。

 どう見ても、エリックと同じぐらいの年齢。

 本来この道20年のモレイの相手になるはずがなかった。

 この世界に女の商人は少なくない。だがそれは市場の露店で売り子をするとか、酒場や宿屋を切り盛りする女将のような人物に限られる。それだって手強いのはある程度の経験をへた年長者だ。大人になりたての小娘が交易商人の基本を押さえたかのような話し方をした。驚愕を禁じえない。

 エリックがエリカに交渉を任せっきりだったのも頷ける。自分でもそうするだろう。

 こちらの質問をあらかじめ想定していたとしか思えない受け答え。言葉遣いはたどたどしいが、高い教育を受けたとしか思えない話の内容だった。


 「貴族の娘か。いや、違うな。貴族の娘の発想ではない。どこかの商会の娘か。しかし、あんな娘がいる商会なぞ聞いたことがない」


 どこの貴族の令嬢が輸送費の心配をする。

 たまに酒場に恐ろしく頭の回る少女がいるがその類か。しかし、彼女たちとも根本的なところで違う気がする。

 センプローズのクリエンティスにこんな娘がいたのか。

 買った魚のハムの値段などどうでもいい。それよりもあの娘の素性だ。敵になるにしても味方になるにしても情報が欲しい。敵になるのならば早めに対処しなくてはならないし。味方に引き込めればドーリア商会に大きな利益をもたらすかもしれない。江莉香はそれほどの印象をモレイに与えていた。


 「そうなると、あの娘と繋がるためにも、この魚のハムを何とかしないとな」


 モレイは一周回って蒲鉾の流通について本気で考え始めた。



 一方、言い値で蒲鉾が売れた江莉香は上機嫌で。


 「エリック。砂糖。砂糖、買って。砂糖」

 「わかった。わかったから。財布を引っ張るな」


 その足で砂糖を買いに市場に向かい、その値段の高さに悲鳴をあげるのだった。

 まぁ、それでも買うんですけどね。


                     続く

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