第12話   魔法

 エリックが廃棄される魚の残骸で肥料を作成し始めたころ、江莉香の蒲鉾づくりも次の段階に入っていた。


 「あっ、またネズミにかじられた。どっから入ってくんのよ」


 江莉香は保存庫で4日前に作った蒲鉾の入った木箱を開ける。

 消費期限を調べるため作った蒲鉾を保存用の木箱に入れているが上手くいかない。

 ネズミにかじられたり想定より早く悪くなったりする。


 「やっぱり保存料がいるのかな」


 家で作った時はその日のうちに食べてしまったから鮮度なんか考えなかった。


 「きっと砂糖よ。砂糖があればもう少し持つはずよ」


 無い物ねだりと知りつつも愚痴ってしまう。

 食感は身を石臼で挽くことにより随分改善された。後は保存期間の延長が出来れば商品として完成だ。


 「エリカ様。ああ、ここに」


 保存庫にエミールが顔を覗かせる。


 「完成しました。エリック様が来てほしいと」

 「はぁい」


 木箱の蓋を閉じて立ち上がる。



 海沿いの小屋の前に村人たちが集まっている。


 「エリカ」


 エリックが小屋の中から手招きをする。


 「エリカの言う通りに作ったが、これで大丈夫か」


 小屋の中には特別に作った竈の上に鉄製の大きな鍋。その隣に大人が3人ぐらいは入れる木桶が置かれている。木桶の下には排水路が掘ってあり海に続いている。

 江莉香は竈と木桶の周りをぐるっと一周した。


 「うん。たぶん大丈夫。後は動かしてみないと」


 エリックに向かって親指を立てた。

 ここには村で出た魚の残骸がすべて集められ、辺りには異臭が漂っていた。

 鉄鍋に水を張りその中に残骸を投入。竈に火がくべられ巨大な木ベラで焦げないように定期的にかき混ぜていると、中身が煮立ってくる。魔導書には水と油を分離するとしか書かれていなかったので、とりあえず鍋の表面に油が浮いてくるまで加熱することにした。


 「慎重にやってくれ」


 今度は巨大な柄杓に持ち替えた村人にエリックが声をかける。

 十分に煮込まれた内臓、皮、骨は柄杓で隣の木桶に移される。辺りは熱気と異臭で大変なことになっている。


 「臭い。凄い匂い」


 江莉香は思わず鼻を押さえた。

 腐りかけの魚を煮ているので仕方ないが、この作業をするときは風向きに注意した方がよさそうだ。

 どんどん煮立ったブツが木桶に放り込まれていく。

 わざときっちり作っていない木桶からは水分と油分が染みだし下に落ちると、そのまま排水路を伝って海に流し込まれる。


 「これ、日本でやったら絶対に警察来るな」


 どす黒い液体に油が混じりそのまま海に流れていく。


 「化学物質でもないから大丈夫よね」


 あまりの色に江莉香も心配になる。

 村人たちは誰も気にしていないが、江莉香としては最近環境汚染を推進させている気がしてならない。

 鍋の中身を移し終えると、木桶の中に大きな落し蓋が入れられる。その上にバスケットボールほどの石が次々に積み上げられピラミッドみたいになった。


 「あとはこのままにして1日様子見だな。皆。ありがとう」


 石を乗せ終えたエリックが足場から飛び降りた。


 「これで、アッシュク? できるのか」

 「たぶん」


 エリックの言葉に自信なさげに頷く。

 この木桶は江莉香が考えた圧縮機だ。

 魔導士の書には圧縮機を使うと書かれていたが、肝心の圧縮機がどんなものか分からなかった。第一、圧縮機の構造が解ったとしても製造できるとは限らない。それなら単純に上下左右から圧をかけてやればいい。漬物の作り方と原理は同じだ。何も現代日本のクオリティで作る必要もないだろう。魚から作られた肥料と言うだけで十分画期的なはずだ。

 だが合っているのか一抹の不安がある。


 「水気がなくなったら天日干しで完成か。意外に簡単だな」


 江莉香の懸念をよそにエリックは楽観的だった。

 


 翌日、木桶の中身が取り出され天日干しされた。


 「次からは骨は砕いてから煮た方がいいわね」


 江莉香は敷物の上に広げられた中身を見て回った。 

 茶色の物体の間に骨が散乱している。

 最終的には天日干しの後に石臼で挽いて粉にすることにした。この方が作物の吸収も早そうだ。



 3日ほど天日干しを行い粉にした。


 「出来上がったか」


 エリックは茶色の粉を掬ってみる。乾燥させたら匂いもましになった。

 初回分として3袋分の肥料が完成した。


 「これを畑に撒けば、実りが豊かになるのか」

 「誰の畑に撒きますか」


 エミールが馬車の荷台に袋を積み込む。


 「そうだな。俺の家にまいてもいいが、もっと大きな畑に撒きたいな」


 シンクレア家の畑は母アリシアが一人で面倒を見れる程度の大きさしかなかった。家庭菜園に毛が生えた程度の畑では効果がわかりにくい。

 エリックとしては効果を確信しているが、村人たちからしてみればただの魚の粉だ。進んで撒きたいという者がいるかどうか。


 「それなら、教会の畑に撒いてみましょう」


 様子を見に来ていたメッシーナ神父が手を上げた。


 「よろしいのですか」


 教会の畑は村でも大きな部類だ。なにより教会の畑で効果があると分かれば村人たちも安心して使うだろう。試してもらうにはうってつけだ。


 「ええ、教会の畑であれば魚たちもうかばれるでしょう」

 「お願いします」


 エリックはメッシーナ神父に肥料を渡した。

 


 エリックたちが肥料を完成させた頃。江莉香の蒲鉾づくりにも変化が起きた。


 「どうしてこれだけ長持ちするんだろ」


 江莉香は一つの蒲鉾を手に取り匂いを嗅ぐ。


 「うん。大丈夫そうやね」


 同じ日に、同じ材料で作った他の蒲鉾は痛んでいたが、一つだけ様子が違うものがあった。


 「なんでやろう」


 江莉香は蒲鉾をひっくり返すとあることに気が付いた。


 「あれ、この蒲鉾板だけ赤い。もしかしてこれのせえ? 」


 その蒲鉾板は他のものと違い赤みがかった木材であった。

 エリックが用意した蒲鉾板は製材所の端材を使っていたので材質に統一性がなかった。江莉香も大きさ以外は気にしていなかったのが逆に功を奏した形だ。

 


 「ああ。これはアカカマドの木だよ」


 製材所のタックさんが教えてくれた。


 「これ、欲しい。沢山」


 江莉香は赤い蒲鉾板を指し示した。

 あれからこの赤い木材だけで蒲鉾を作ると不思議と長持ちすることが判明した。きっと木材から出る何らかの物質か酵素の働きがあるのだろう。詳しくは知りようもないが、長持ちしてくれるなら何でもいい。食べてみても調子が悪くなるわけでもないから毒っていう事もないだろう。


 「アカカマドをかい。今はないね。ごめんよ」


 タックは立てかけてある木材の在庫を見渡した。


 「切る。アカカマド」

 「アカカマドは山の上の方にしか生えていないからね。すぐという訳にも」


 タックが困った顔をした。


 「エリック」


 江莉香は付いてきたエリックの方に振り向く。


 「わかった。わかった。その木を切りに行こう」

 


 翌日に江莉香はエリックとロランの3人でアカカマドを伐採するために、なだらかな山道を上を目指して進む。

 先頭にエリックが進み、ロランが切り倒したアカカマドを運ぶために一匹のロバを引く。江莉香は。


 「ロバってちっちゃいのに力あるのね」


 ロバの背に揺られご満悦だった。


 「家で待っていたら持って帰るのに」


 エリックはぼやきながら先を進む。


 「わぁ。綺麗。何の花だろ。あっ、海が見えた。上から見るとやっぱり違うわね」


 江莉香は完全にピクニック気分だった。

 アカカマドの木は山を半分以上上ったあたりに生えていた。


 「ふーん。葉っぱも赤いんだ」


 江莉香はアカカマドの枝を掴む。


 「おーい。切るぞ。はなれてろ」

 「はーい」


 直径20センチほどの木を切り倒すと、枝を落とし1メートル間隔に切断しロバの背に括り付けた。


 「これで当分は大丈夫ね」


 括り付けたアカカマドを叩いて江莉香は満足そうに笑う。その時遠くから動物の遠吠えが聞こえた。


 「若」


 ロランが鋭く叫び持っていた斧を構えた。


 「ああ、急ごう」


 エリックが縄をロバにしっかりと固定する。


 「何? 何かあるの」


 一人状況が呑み込めない江莉香が戸惑う。


 「狼だ」


 ロバの綱を引っ張り向きを変える。


 「狼? 」


 江莉香には彼らの緊張が理解できなかった。江莉香にとって狼とは犬の親戚で日本からは絶滅した生き物だ。その姿はTVの動物番組で見るだけで狼に関して怖いという感覚が薄い。

 だが男たちは緊張を露わにし急いで動き出した。


 「ああっ、まってよ」


 江莉香は二人の後を追った。



 エリックを先頭に江莉香を真ん中にして先を急ぐ。

 しかし歩き慣れない山道。しかも下り坂を急いで進むと。


 「あっ。しまっ・・・」


 江莉香は足をもつれさせ転倒した。


 「エリカ」


 悲鳴と共に江莉香が斜面を転がり落ちていく。


 「くそ」


 エリックは慌てて後を追いかけようとするが草木に阻まれる。

 

 「あ痛たた。しまった。落ちちゃった」


 20メートルほど滑落したが幸い途中で石にぶつかることもなく。止まった。

 黒のワンピースに小枝やら落ち葉やらが纏わりついていた。

 立ち上がり払おうとすると、近くから何かの威嚇音がした。


 「えっ」


 目の前に灰色の狼がいた。それは犬とは違い明らかに野生の獣の姿であった。

 本能的な恐怖に足をもつれさせて腰を抜かす江莉香。


 「エリカ。くそ。離れろ」


 まだ距離のあるエリックとロランが石を投げるが、狼は動じることなく江莉香だけを見据える。

 そして、ひと声吠えると江莉香にとびかかった。


 「キャー」


 悲鳴と共に江莉香は両手を顔の前にかざした。


 「居ね」


 江莉香の頭の中で不思議な声が響き左手の腕輪が光った。

 強烈な光が江莉香を包み込んだ。


 「キャウン」


 真正面から光に飛び込む形になった狼が情けない声を上げて転がる。


 「エリカ」


 エリックとロランが江莉香の前に走り出た。

 狼は転がるように文字通り尻尾を巻いて逃げていく。

 自分が助かったことも分らず固まっている江莉香。


 「エリカ。無事か」


 エリックの声でようやく硬直が解けた。


 「う、うん」

 「エリカ。今のは」

 「今の? 」 

 「今の光は何だ」

 「えっ光? 」


 江莉香は完全に目を閉じていたので自分が光を出したことに気が付いていなかった。


 「魔法です。信じられん」


 ロランが驚愕の表情のまま呟く。


 「マホウ? 」

 「魔法。あれが。エリカ。お前魔法使いだったのか」


 男たちの驚愕ぶりについていけない江莉香であった。


                        続く

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