第10話   腕輪

 予定より早くに商品が捌けた江莉香は、市場を見て回ることにした。

 市場は小麦、大麦などの穀類、ほうれん草のような葉物野菜、カブ、人参などの根菜。生きた鶏と卵、そしてヤギや羊も群れで大混雑だ。

 しかし、生活必需品と日常品だけのラインナップ。現代日本人の江莉香が見ても、面白いが欲しいものはない。

 布地を売っている店を覗いても、織り方、色も染め方も拙い。

 西陣織、丹後ちりめん、京友禅などの世界でもトップクラスの絹織物と、染色技法を目にする機会が多い京女の江莉香。

 織物に関しては、平均的な日本人より目の高い、彼女のお眼鏡にかなうものはなかった。


 「おばあちゃんのきもの、綺麗やったな。ちっちゃすぎて着れなかったけど」


 シンクレア家に保管してあるスプリングコートを、この市場に出せば金貨十枚ぐらいになるんじゃないかと思う。

 売らないけど。

 器を売っている店に座り込んで物色するが、保存用の瓶や壺、日常使いの雑器ばかりだ。

  

 「うーん。用の美とはいいはるけど、用が強すぎるな」


 持ち上げた器を元に戻すと、右手に気になる物が目に飛び込んできた。

 江莉香は食器屋にお礼を言って、隣の店に足を向けた。

 その露店には、細々とした雑貨とアクセサリーを売っていた。


 「なんか光ってる」


 ごちゃっと置かれたアクセサリーの中に、明らかにおかしなものが混じっている。

 触っていいかと身振りで伝えると、店の老婆はゆっくりと頷いた。

 こちらに来てから、アメリカ人並みにジェスチャーが増えた気がする。

 江莉香が取り上げたのは、細い銀色のブレスレット。真ん中にガーネットのような赤い石がはめ込まれていた。一見高級品に見えるのだが、その他のアクセと同じように積み上げられ、扱いはぞんざいだ。

 しかし問題はそこではなく、なぜかこのブレスレットだけ淡く光って見えるのだ。


 「これ、なんで光ってるんですか」


 江莉香はブレスレットを持ち上げ、透かして見ながら老婆に話しかけるが、応答はない。


 「うーん。まだ、質問は苦手やな。えっと、なんて言おう」

 「それが気に入ったのか」


 突然、頭上から声が降ってきた。

 首を上げると、隣にエリックが立っていた。


 「エリック。いえ。そうじゃなくてね」

 「これは、いくらだ」


 江莉香の言葉を無視して老婆に話しかけると、老婆は何事かをエリックに伝える。どうやら買ってくれるつもりらしい。


 「エリック。まって。これ、たぶんすごく高い」


 ブレスレット本体は銀色の金属色。黒ずみも無いから、もしかしたらホワイトゴールドか、プラチナかもしれない。ガーネットは左程、高くないけど。

 いや、そんなことよりこのブレスレットなぜか光っているのよ。きっと金貨10枚ぐらいの品物よ。

 やきもきしていると、エリックは何枚かの銅貨を老婆に渡しただけだった。


 「えっ、そんなもの? 高くないの? 」


 袋いっぱいの干物と同じ値段だった。


 「今日はよく頑張ってくれたからな。そのお礼だ」


 エリックが笑顔で買ったばかりのブレスレットを、手渡してくれた。


 「ありがとう」


 嬉しいような。恥ずかしいような。

 男の子からアクセサリーを買ってもらうのは、ちょっと憧れていた。まさかこっちで叶うとは考えてなかった。


 「つけてみれば」

 「うん」


 江莉香は左腕に時計をする関係上、ブレスレットは右腕につける主義の人だ。

 普段と同じように右腕に、身に着けようとすると。


 「左。左腕につけな」


 突然、老婆がはっきりと声を発した。


 「はっ、はい」


 老婆には有無を言わせない迫力がありったので、素直に従うことにした。

 左手にブレスレットを通すと、すんなり腕にフィットした。

 そのまま手をかざすと、それまで淡く輝いていた光が、江莉香の腕に吸い込まれるように消えた。


 「あれ。消えちゃった」


 ちょっと残念。でも綺麗だからいいや。


 「大切におし」


 再び老婆が口を開いた。


 「はい。ありがとう」


 江莉香は、左手を振り上げ感謝した。



 エリックは、品物を眺めながら市場でエリカを探していると、雑貨屋の前で座り込んでいる姿を見つけた。

 そろそろ、昼飯にして引き上げれば。明日にはニースに帰れるだろう。

 エリカは一つの腕輪を興味深げに眺めている。

 そうだな。日頃の仕事ぶりに感謝して、何か買ってやろう。今日の利益の半分はエリカのおかげだしな。少々高くてもいいか。

 興味深げに見ている腕輪の値段を、店主に尋ねた。

 店の老婆の提示した金額は案外安かった。もう少し高いものでもよかったが、気に入っているならいいだろう。

 買ってやると、喜んでいる。エリカは老婆に言いつけられた通りに、左手に腕輪を通した。

 それはエリカによく似合っていた。


 「昼食にしよう」


 二人はニースの露店まで戻ろうとした。すると、途中でエリカがエリックの袖を引っ張る。


 「なんだ」


 エリカは塩漬けの肉や魚を並べている店を指さす。


 「塩漬け肉がどうかしたか。あれが食べたいのか」

 「違う。塩。肉。敵」

 「塩漬け肉が敵? なぜだ」


 ただの露店に見えるのだが。癇に障るところでもあったのか。


 「商売。敵」

 「ああ。商売敵と言いたいのか」


 エリカは敵と言う割に、その露店に近づいていく。


 「おい。エリカ」


 エリカは熱心に塩漬けの魚を吟味する。

 お客と思った店の主人がエリカに品物と値段を説明している。その説明を食い入るように聞くエリカ。


 「どうしたんだ。やっぱり。食べたいんじゃ」

 「エリック。一匹。買う」

 「なら、最初からそう言え」


 笑いながらエリックは、塩漬けの魚を買ってやった。

 道すがらエリカは、買ってやった魚をしげしげと見つめる。


 「塩魚。高い」

 「そりゃそうだろう。塩漬けなんだから」


 エリックの説明に、不思議そうな顔をする。


 「干物。安い。塩魚。高い。作る」

 「ニースで塩漬けの魚を作るつもりか。しかし、塩漬けに使えるほど塩がないぞ」


 塩漬けの魚の作り方を詳しくは知らないが、少なくとも全身に隈なくまぶすほどの塩がいるはずだ。


 「塩。有る。海」

 「いや。海があるからって勝手に塩を作るわけには。ああそうか」


 エリカが勘違いしていることに、気が付いた。


 「勝手に塩を作るのは犯罪だ」


 エリカは何言ってんだ、見たいな顔で首をかしげる。


 「塩の販売は王権に関わる」


 神聖ロンダー王国では塩は王による専売となっている。

 人々は決められた塩商人からしか、塩を買うことは許されていない。塩の値段はある意味王が決めるものだ。そして王の貴重な財源となるため、塩の値段はいつでも高めだ。塩の値段の高い低いで、その王が名君かどうか決まると言ってもいい。

 そして残念ながら、塩の値段は安いとは言えない。

 もちろんニースのような海沿いの村が、自給する程度の塩を作るぐらいであればお目こぼしがあるが、塩商人から塩を買っていないのに、大量の塩漬け魚をオルレアーノに卸したら、役人が飛んでくる。


 「塩の密売は最悪死刑だ」


 エリックの言葉に、エリカは目をぱちくりさせた。


 「なんだ。それで買ってくれと言ったのか」


 エリックは笑ったが、その後反省した。

 今エリカが考えたことは、本来代官である自分が考えなくてはならないことだ。塩の専売について知らなかったとはいえ、エリカの考えは柔軟だ。自分も見習わなくてはならない。 

 干物と塩漬け以外の魚の売り方を考えよう。

 それにしても、そこまで真剣に村のことを考えていてくれたのか。


 「ありがとう。エリカ」


 お礼を言うと、これまた、きょとんとした顔をされてしまった。



 エリックが塩の密売は死刑と言い出したので、びっくりする。

 そういえば、中世では塩とか鉄って国家の独占販売だったような。

 授業では「ふーん」ぐらいで聞き流していたけど、いざ自分がその立場になると、なんか腹立つ。

 塩漬けの魚の方が高いなら、村でバンバン作って安く売ってやろうと思ったのに。

 塩なら海水を煮詰めるなり、塩田を作るなりすれば大量に手にできる。それと村で取れた魚で塩漬けを作れば、他の地域よりコストパフォーマンスに優れているだろう。確か塩漬けはかなり長期間の保存に耐えたはずだ。その点でも優秀な商材だったのに、肝心の塩が高いなんて。

 せっかくの名案を王様に潰された形だ。


 「それなら、それでその裏をかけばいいのよ」


 江莉香は村の為と言うより、自分が考えたビジネスプランの検証に夢中になっていたので、エリックの礼の意味が解らなかった。



               続く

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