第8話 初めての行商
エリカの協力により魔導士の書から学んだ新しい漁のやり方はニースの村を沸かせた。
村人が食べる分以上の魚が獲れるようになり、食べきれない魚は保存のために干物にされる。
風通しと日当たりのよい海岸には戸板がずらりと並び、ひらいた魚が天日干しされている。
「これぐらいの量があればオルレアーノの街に売りに行けるな」
ニースの村の代官エリック・シンクレア・センプローズは従者のロランに声をかけた。
「左様ですな。荷馬車2台分はあるでしょう」
ロランもずらりと並ぶ魚に目を細める。
「よし。天気もよさそうだ。明日にでも出発しよう。特に出来のいいのは将軍に献上する。見繕っておいてくれ」
「わかりました。将軍はボロンツォが好物です。何匹か上がっていました。それにしましょう」
「頼む。おおい、エリカ」
干物をひっくり返しているエリカに声をかける。
新しい漁が成功してからエリカは目に見えて明るくなった。もう物陰で泣くこともなく、食欲も出てきたようでたくさん食べる。とてもいいことだ。
「エリカ。私と一緒に、明日。街に行く」
エリカはエリックの言葉を少し考えてから頷いた。自分から話すのはまだ苦手のようだが、エリックが話した内容は、ほぼ理解するようになっていた。
「若。エリカも連れていきなさるので」
「ああ。駄目か」
「いえ。ただエリカは目立ちますので、お気をつけください」
最近。エリックはどこに行くにもエリカを連れて歩くようになった。エリックが何と言おうが、村人からはエリカは妻に見える。
「そうだな。注意しよう」
ロランの忠告はそれも含んでいたが、エリックには通じていなかった。
「エリカには一度、オルレアーノの街を見せておきたいんだ」
無邪気に笑うエリックにロランは苦笑いを浮かべるのだった。
翌朝。江莉香は用意された二頭立て馬車の御者台に乗り込んだ。荷台には箱詰めされた干物が積まれている。
エリックが普段と同じように村人に指示を出しているが、恰好は普段とは違う。
白の上下に赤いラインが入った衣装。腰には普段、壁に飾られている長剣を佩いていた。なんだか兵士みたいだ。
「おはようございます」
御者台の若者に頭を下げると、大げさに挨拶を返された。
この若者はロランの息子らしい。名前をエミール。江莉香より少し年上だろうか。父親に似て実直そうな若者だ。エミールもエリックと同じ格好をしている。この村の外出着なのだろうか。
「出発」
エリックが号令をかける。エリックとロランが馬にまたがり、残りは馬車だ。馬車は全部で3台。
この地方の馬は江莉香の知っているサラブレッドと違い、全体的に馬格が小さく足が太い。足は遅そうだが、踏ん張りの利きそうな馬だった。
石畳の山道を進んでいくと、昼過ぎに山小屋に到着した。
「よし着いた。皆お疲れ。野営の準備をしてくれ」
エリックが馬から降りる。今日はここまでらしい。
「疲れた。お尻痛い」
江莉香はよろけながら御者台から降りた。途中で何度か休憩を挟んでいたが、長時間の移動は堪える。
「揺れ過ぎなのよ。サスペンションは無いの。あとゴムのタイヤ」
しゃがみこんで、木でできた車輪を睨む。
これのせいで、地面の衝撃がダイレクトに伝わるのだ。
「エリカ様。大丈夫ですか」
気分が悪いと思ったのかエミールが心配そうに声をかける。この人はなぜか自分に敬称らしきものをつける。エリックやロランは付けないのに。
「ハイ。ダイジョウブ」
立ち上がって、何でもないとアピールした。
「エリカ」
馬を繋いだエリックが手招きをする。
「ハイ」
近寄ると山道の先を指さす。
「エリカを見つけた。場所」
ああ。ここで力尽きたのか。それにしても、倒れたのが道で良かった。ここまでたどり着いていなかったら、エリックに助けてもらうこともできなかっただろう。
エリックはそれだけだと言って笑った。
この山小屋は目的地との中間点にあるらしく、ここで一泊するのが通例らしい。
早めの夕食を取ると、疲れが出て急速に眠たくなった。
「エリカ。休め」
エリックの言葉に頷くと、エミールに案内されて山小屋に入る。与えられた寝床に入ると一瞬で眠りに落ちた。藁の寝床も、もう慣れた。
「エリカはかなり疲れているみたいだな」
エリックは焚火に小枝を投げ込む。
「初めての行商ですからな。無理もありません」
ロランが葡萄酒を呷る。
「もう少し。ゆっくり進みますか」
エミールが心配そうに言うが、エリックは首を振る。
「ここからは道もなだらかになるし、今日よりは楽だろう。それに干物と言っても時間をかけたくない」
「そうですな。雨にでも降られてはせっかくの魚が悪くなる」
男たちは酒を飲みながら雑談を続け、結局皆、山小屋ではなく焚火の周りで寝た。
前日とは違い、なだらかな下り坂となった街道を進むと、昼頃に丘の上に広がる街が見えてきた。
「うわぁ お城だ」
江莉香は御者台から立ち上がり手をかざす。
「オルレアーノの街だ」
エリックが馬を寄せて説明する。
高い塔と頑丈な石壁の城壁で囲まれた立派な街だ。
「オルレアーノ」
江莉香は口に出して呼んでみた。よい響きの街だ。
街道の周りは畑が広がり、たくさんの農民が働いている。街道の石畳もより立派にそして滑らかになっている。その分快適で馬車のスピードも上がった。
街に近づくにつれ道を行きかう人も増えた。農民、行商人、馬にまたがった兵士、白い衣装で統一された集団など様々な人々が行きかう。
そして、昼過ぎにはオルレアーノの街の城門に到着した。そこでエリックは首から下げた札を見せると、門番たちが道を開いてくれた。
「先にセンプローズ将軍のお屋敷に向かう」
エリックの号令の下、一行は街の中心部へ向かった。
市内は完全に舗装され、二階三階建ての建物が密集して建っている。何かの工房だろうか、多くの男たちが作業している。子供たちが走り回り、犬が吠える。なかなか賑やかなところだ。
物珍しさも手伝って、きょろきょろと辺りを見渡す。
エリックから目立たないように言われているが、しょうがない。江莉香は初めて街に出てきた田舎者と言ったところだ。
中央の通りを抜けると大きな広場に出た。ここがオルレアーノの中心部だろう。
二本の高い塔を付属させた立派な石造りの教会が建っている。その隣にはこれまた美しいアーチに囲まれた建物が並んでいる。何だろう役所かな。
「凄い。凄い」
またもや御者台から立ち上がる江莉香。
「エリカ様。座ってください。危ないです」
エミールの注意も耳に届かない。
昔のヨーロッパみたいだ。やっぱりタイムスリップしたのかな。
はしゃぐ江莉香を乗せたまま、一行は立派な屋敷の前で止まった。城内だと言うのに大きな庭付きの屋敷だ。王様でも住んでいるのだろうか。
「なに。ここ」
「この街の領主センプローズ将軍のお屋敷だ」
エリックは馬から飛び降りると馬車に近づく。
「将軍。屋敷? 」
差し出されたエリックの手を取って江莉香も馬車を降りる。
そのまま正面の門に行くのかと思いきや、立派な柵で囲まれた屋敷の裏に回る。そこには小さな門があり。人が出入りしている。
「ああ、勝手口ね。なんだか御用聞きみたい」
そこから屋敷の敷地に入ると、中から人が出てくる。
「ニースの代官エリック・シンクレア・センプローズだ。将軍への献上品を持参した」
ロランが出てきた下男に干物が入った箱を手渡す。
しばらくすると、立派な服を着た小柄な老人が出てきた。
老人は下男に蓋を開けさせ中身を確認すると頷く。下男はそのまま屋敷に入っていく。
「エリック殿、将軍へのご献身、ご苦労様です。将軍のお耳に入れましょう」
「ありがとう。アルフレッド殿。将軍によろしくお伝えください」
短い時間でやり取りは終わり、屋敷を出た。
表通りに出ると、正面から騎馬の一行がやってくる。
「エリカ様。降りてください」
「えっ。何」
エミールが慌てたように馬車を降りる。
何事と周りを見るとエリックが騎馬集団に近づいて一礼をしたので、江莉香も馬車を降りる。
「エリックではないか。どうした」
騎馬集団の先頭にいた一際立派ないでたちの男が馬を止めた。
「ご機嫌麗しゅうございます。将軍閣下。村で良いボロンツォが獲れましたので献上に伺った次第です」
「そうか。ボロンツォか。今晩の夕食が楽しみだな」
「お口に合えば幸いです」
「うむ。そういえばエリック。娘の王都への伺候、断ったそうではないか」
それまで黙って二人の会話を聞いていた取り巻きがざわめく。
「はい。光栄なお役目とは存じますが、代官としての役割がございますのでご辞退させていただきました」
「そうか。ならよい」
将軍はそのまま開かれた門から屋敷に入っていった。
取り巻きのうちの何人かが、エリックを睨みつけていた。
彼らが通り過ぎるまで頭を下げていたエリックが振り返る。
「さぁ。宿に向かうとしよう。明日は市で魚を売るぞ」
その瞳には一抹の寂しさが浮かんでいた。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます