【番外編】 side ルビィ

 午後の陽射しに、蒼いガラスがきらりと光る。あたしはその中でゆったり揺れる透明な薬をじっと見つめた。


 ウツボのおばばに無理言って作ってもらった、おばば特製の惚れ薬。


 ……だって仕方ないじゃない! もうすぐ、キャプテン・ジャヌアリーが砂漠の旅から帰ってくる。そうしたら、Jは……船の旅に、出てしまう。


 次に会えるのはいつになるか分からない。無事に帰ってくるとも限らない。それに、それに……あんなに素敵な人だもの、他の港に、女の人が待ってるかもしれない。彼が帰る場所はここじゃないかもしれない……。


「タイ、ここにいたのか」


 突然部屋に入ってきたJに、あたしはどきりとして瓶を落としてしまいそうになった。慌てて両手で握りなおして、さっとドレスの後ろに隠す。


「えっ、な、何、どうしたの? J」

「何、お前に渡したいものがあってな」


 つかつかと長い足で部屋を横切ると、Jは傍にあった椅子を引き寄せ、あたしの肩に手を添えて、そっとあたしを座らせた。そうして胸ポケットから、輝く指輪を取り出した。金のリングに、真っ赤な宝石。


「え、これ……」

「モラに見立ててもらった」


 マンボウに?


 思わずJの顔を見つめ返すと、Jはふっと柔らかく瞳を揺るがせた。……自信家で、クールで、なのにこんな時はすごく優しくて。


「嬉しい……ありがとう、J」


 そう言って手にした指輪をそっと撫ぜると、Jはその上から、あたしの手を包むように手のひらを重ねてきた。とくん、とくん、左胸で心臓がスピードを上げる。

 ねぇJ、あたしの気持ち気付いてる? あたしやっぱり、あなたにあの薬を飲んで欲しい!


「J、あのね!」

「以前、名前が欲しいと言っていたな」


 え。あ。

 そんな事も、言った……かも。

 きょとんとJを見上げると彼はあたしの手を取って、指輪をするりと滑り込ませた。


「『ルビィ』というのはどうだ? この石と、同じ名前だ」


 顔が赤くなっていくのが自分でもわかった。どうしよう、なんだか泣きそう!


「嬉しい! こんなに素敵な宝石と一緒でいいの?」

「モラが言っていた。この色が一番、お前の鱗に似ているそうだ」

「え……」

「私も、そう思う。波間に光るお前は、ちょうどこんな色をしていた」


 どうしよう、心臓が止まりそう。

 あたし、あたしこんなに綺麗な色だった? 紅くて、透明で、きらきらしてて。そんな風に思っていてくれていたの? J……。


 と、Jがあたしの手に、机の上の羽ペンを握らせた。それからあたしの手を包んだまま、紙の上にゆっくりと、何かの文字を綴っていく。


「R……U……B……Y……、ルビィ、これが綴りだ。いいか、私が船旅から帰るまでに、自分で書けるようになっておくんだぞ?」


 あたしはこくんと頷いて、けれどはたとして振り向くと、目を丸くしてJを見上げた。


「でも、名前なんて、急にどうして?」

「結婚式当日には、自分で自分の名前を誓約書にサインしなくてはならないからな」


 ふぅん、そっか……って。


 え?


 えええっ!?


「け……っ!」

「必ず戻る。待っていてくれるな?」


 なんだかいろいろ飛び越してるわよJ! 手順とか段取りとか、だってまだ告白だってされてないのに!


 びっくりして、くらくらして、けれど慌てて何度も何度も頷いたら、Jにくすりと笑われた。


「あっ、あの、あたし……」


 と、立ち上がりかけた拍子にゴトリと床に何かが落ちて、見れば、例の薬瓶だった。


「? なんだ?」


 ひょいと拾い上げたJの手からぱっと瓶を取り戻すと、あたしは肩をすくめて俯いた。


「な、なんでもないの!」


 そう、こんな物……。


「……なんでもないの……」


 俯いたままのあたしの顎を、ふわり、Jの指先がが掬い上げて。誘われるままに上を向いたら、優しいキスが待っていた。

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