1-3 キマイラと異世界人 前編

第六呪い王子 日記帳抜粋

『ずっとあんな連中と一緒にいて、僕、苦労してるんだな……』


「キマイラって確か……呪い王子を守る人達か何かだよね?」

「正しくは四つの部隊からなるこの国の組織、ひいてはその隊長達四人の事ですね。さあ王子。こちらにどうぞ」

「あ、うん」

 誘われるがまま、アインは姿見の前に置かれている椅子に座らされる。

 水を張った器を横に置いたフィリアは、静かに言葉を紡ぎ始めた。

「まず、『呪い王子』の事は分かりますか?」

「ぷはっ、えっと……世界に六つある大国の一つ、通称『呪いの国』と呼ばれる、ラギウス王国の現王子にして支配者……かな?」

 置かれた器で顔を洗い、答えを返したアインに、フィリアはタオルを差し出す。

「支配者、ですか」

「覚えている限りでは……」

 顔を拭き終えたのを確認してから、乱れたままであった髪に櫛を通し始めた。

「では、ラギウス王国については?」

「えっと……『魔女』から呪いの傷、『刻印』を受け、ラギウスの厄災全てを受け止める呪いをかけられながらも、魔女を倒した『呪い王』が作った国……かな?」

「そうですね。初代キマイラも元は刻印を付けられた呪い王の仲間達だったとされています。彼らの刻印は、歴代王子とキマイラに今でも受け継がれ、今ではこの国を守る力となっています」

 髪をとかし終え、薄い寝間着を脱がしたフィリアは、むき出しとなった彼の背に静かに触れた。

「フィ!? リ、ア……」

 突如感じた感触に驚きを返そうするが、姿見に映る自身の体に、その言葉は尻すぼみに終わる。

 何故ならその全身には、複雑怪奇な傷跡が、くまなくと言ってよいほど刻まれていたのだから。

 首から下、手首から上、足首から上。まるでそれらを境界線にしたように、その体には『痛々しい』と称せるほどの切り傷のような傷跡が、彼の体の端から端まで広がっていた。

 更に注意深い人間が見れば、その傷は枝葉のように無数に広がり曲がり、どこか紋様の如き、規則性のある形をしている事に気が付いたであろう。

「これが王子の刻印です。もっとも、本来の刻印とは全く異なるのですが」

「そ、そうなの?」

「ええ。本来の刻印は、こんな感じです」

「!?」

 鏡越しにフィリアは胸元を緩めると、体をアインに押し付けるように前に突き出す。

「ちょ、フィリア!」

「ほらほら、見て下さい王子。ここですここ」

 柔らかい質感と共に、更に下まで見えかねない勢いで開かれた、健康的な肌を覗かせるフィリアの胸元。

 そこには、十字に刻まれた傷が存在していた。

 傷は十字を刻む二つの線を中心とし、アインの物と同様に広がり曲がり、何かの紋様のように形を形成している。

「本来の刻印は十字に刻まれます。一方が呪いを、もう一方が力を、刻印を刻まれた者に与えるとか」

「……どう見てもそれに当てはまってないね」

「本来刻印は魔女のいた場所や物、『魔女の遺物』の影響を受けて出来るものですが、我々と王子の刻印は、本来の持ち主が魔女に直接付けられたからか少し特殊で、特に王子のものは呪いしか与えられていない代物ですからね」

「……なるほど、まさに呪い王子だね」

 視線を下に落とすアインに、フィリアは体を押しつけたまま肩を叩く。

「そう卑下するような事でもありませんよ。王子のおかげで、この国は繁栄の一途を辿っているわけですから。それより私の胸の感想はそれだけで?」

「いいから離れて。今すぐに」

「ちぇー分かりました分かりました。王子の鈍感むっつり意気地なし~」

 ぶつぶつと文句を言いながらも彼から離れ、一枚の服を広げる。

 金の縁取りのされた、見るからに上質な布の服だ。

「っんっと……呪いと力を与えるって事は、突然移動してたのって……」

「私の力。瞬間移動です」

 服を彼に着せてから、呟きと共に彼女は消え失せる。

「? フィリア?」

 顔を上げたアインの正面、姿見の前に彼女は再度出現した。

 その手を、腰の刃の鍔元にかけた状態で。

「そして、キマイラの各隊長は他にもいくつか力を有しています。例え……っば!」

「!?」

 響いたのは、言葉を切って放たれたフィリアの短い裂帛の声と、刃を引き抜く居合の音。

 鞘から放たれた片刃の刃が、反応すら出来ないアインの喉元に迫り…。

 『黒い何か』がアインの首元から、素早く飛び退いた。

 放たれた刃はそれが居た場所の寸前でぴたりと止まり、切り裂かれた金髪が数本踊った。

「な、な、な……!?」

 一体何が起こったのか分からないアインは、喉元の刃を前に、身を固める事しか出来ない。

「同じ、キマイラ隊長格の場所が分かったりします。そう……貴様の事だ『三つ首蛇』」

 地面に吸い込まれるように降り立った『三つ首蛇』に、彼女は今までと変わらぬ無感情な、けれどもやや強い語気を投げつつ、刃を向ける。

「な、何がどうなって……?」

 何とかその身をよじり、刃の先へと視線を送る。

 そこに『いた』、いや『あった』のは、影であった。

 サイズにしてアインの二の腕程度の大きさの、細長い蛇の影。

 だが、その影の持ち主はその上にはいない。

 影だけが、まるで命を有しているかのようにその身をくねらせているのだ。

「おしいおしい。そのまま王子殿の首をはねてくれても構わんのだよ?」

「あいにくですね。私は、王子の命から愛欲まで、あらゆる事を寸止め出来る女ですよ。『三つ首蛇』」

「ふん……まあいいさ」

 『三つ首蛇』は、体をくねらせながら地面の中で鎌首をもたげる。

「やあやあおはよう王子殿。どうも今日は記憶喪失だそうで。とてもとても残念だったね」

 空間に反響する、くぐもった『三つ首蛇』の言葉に、喉奥が乾くのを感じながらも、何とかアインは口を開いた。

「な、何が?」

「私は君の父君の代から約束していてね。『もし王子殿が国を総べるに値しない人物だと判断した場合、王子殿を殺しても良い』とね。何も知らない君は、まさに国を総べるに値しない、そうは思わないかね?」

「『三つ首蛇』。それ以上その口が滑るならば、その喉、切り裂かれると知れ」

 膨れ上がる殺気と共に抜身の刃を再度向けられ、『三つ首蛇』はやれやれと諦めたようにため息を付く。

「分かった分かった。取りあえず自己紹介と行こうか。何も知らない王子殿」

 影から這い出るように、黒い蛇が出現したと思った瞬間、その姿は黒い塊として溶け、一気にその身を巨大化させる。

「……え?」

「ラギウス王国近衛軍、『キマイラ』の『三つ首蛇』隊長、A(エー)だ。よろしく」

 芝居かかった、大仰な動作で頭を下げるAと名乗った『それ』に、アインはただ驚き、文字通り眼を丸くする事しか出来なかった。

 そこに居たのは、目の前の鏡にいる人物と、全く同じ姿形をしていたのだから。

 サラリと流れるような金髪に、ぱちりと開かれた碧眼の瞳。

 ほとんど筋肉の付いていない、細身で傷だらけの体。

 その身に纏うのは、纏金の縁取りのされた、明かに上質な布の服。

 声から動作から、それは紛れもなく、アイン=K=ラギウス、その人であった。

 ……いや、『紛れもなく』と言うにはやや語弊があるか。

 何故なら、その足元には存在する筈の影がなかったし、その端整な顔つきが口を開けて漏れ出た舌は、まるで蛇のように鋭く長く、そして二股に裂けていたのだから。

「一応信頼の証に、力と呪いを言っておこうか。私の力は『蛇変化』、『影変化』、そして『触れた他者への変化』だ。対して呪いは『人に戻っても蛇の特性が一部残る』、『人に戻っても影が生まれない』そして、『元々の姿に戻れなくなる』」

「み、三つもあるのか? 力も呪いも」

「今の『三つ首蛇』は少々特殊です。本来ならば『三つ首蛇』はその名の通り、三人の隊長が、それぞれ一つずつ力と呪いを持っているのですが……」

「君の父君の時、色々あってね。今は私一人が三つの力を有していると言う訳さ」

 言いながら、その身は再度黒い塊へと変化し、縮小。

 先ほどと同サイズの黒蛇となって、地面の中でうねり動く。

「まあせいぜい気を付ける事だ。迂闊な発言、迂闊な行動。それで私は君を殺すにたる理由を持つのだから」

「わ、分かった」

 言葉に、何度も頷きを返す。

 そんな彼に、フィリアは静かに刃を収め、無表情に、しかし力強く言葉を送る。

「安心して下さい王子。あなたの操は、私がお守りしますから」

「そんなものよりも命を守って欲しいんだけど」

「そうですね……」

 ジト目で見られながらも、それを気にせず上空を見つめ、一言。

「取りあえず、は命の危機はありませんので、ご安心を」

「何だよ、その含みのある……」

 言い方は、と告げようとした彼の言葉は、続く事はなかった。

 何故なら、言葉をかき消す突風を纏い、巨大な何かが頭上を駆け抜けたからだ。

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