朝の登校時間
雲一つない晴天は別に嫌いではないが、淀みのない空というものは退屈極まりなく、見上げたときに視界一面が青く染まるというのはいささか僕を不安な気分にしてしまう。色彩の芸術というのは、色と色の差から生まれる絶妙なバランスとアンバランスさを楽しむものであり、全く同じ色が頭上に広がっていることは、僕にとっては少し怖くもあった。
「おう、杉内!」
そんな晴天の中でも、今日も相変わらず神崎渚が別の車両に乗車していたなと、ふと考えながら校門をくぐると、突然強烈な勢いで肩を叩かれた。この痛みを伴う声のかけ方が出来るのは、人間と動物の中間にいる存在にしかできず、つまりサルに違いなかった。
「ああ、サルか。どうした突然」
今日は珍しく朝練がなかったようで、僕と同時刻の登校だ。
朝練がなくてたっぷり睡眠をとることが出来たのか、心なしか目元が少しすっきりしたようにも思える。
「昨日神崎さんに聞いてみたぜ、例の件」
「おお、流石だな。なんだって?」
ろくに会話もしたことがない女性によく話しかけられるものだと感心しながらも、果ての見えない彼の行動力に尊敬すらしてしまうが、それよりもこれで僕の一か月間に渡って頭の中を埋め尽くした謎が解き明かされるのかもしれないと、期待に胸を躍らせる。彼女の行動を知ったからといって僕の人生が大きく変わることはないだろうが、それでも胸のつっかえが解けるのは間違いないだろう。
「えーっと、た、単なる気分だってさ。日によって見たい景色があって、その気分に応じて車両を選んでるんだってよ」
「景色?」
僕が深堀するように聞き返すと、サルは少し考えるようなしぐさを見せる。少ない記憶力を頼りに昨日神崎渚と会話した会話を思い返しているのだろう、まさかここで忘れたなんて言わないでほしい。
「そ、そう。景色だよ! 先頭車両と後方車両だと見えるものが違うだろ? その日その日の気分によって場所を変えてるんだって」
「そう、なのか……」
多少ではあるが前方車両と後方車両だと見えるものが違うのは確かだ。実際に僕も最前方の車両に行き、車掌室から移り行く景色を眺めるのは嫌いじゃない。
何より神崎渚自身がそのように言ったのであれば、そうなのだろう。常に涼しげな表情をしているから、風景や芸術には興味がない人間なのではないかと思っていたが、実は見た目以上に感性豊かなのかもしれない。
「あと……友人としての忠告だが、神崎さんを狙うのはやめたほうがいい」
「どうしたんだ、いきなり?」
人の悪口はあまり言わないサルが、珍しく神崎渚を下げるような発言を呟く。
「あの女、相当性格が悪いぞ。少ししか話してないんだが、結構ヤバい。悪いことは言わないから、距離を置いたほうがいいぜ」
「……そうなのか? そういう風に見えなかったけどな。どういう風にヤバいんだ?」
僕が見ている神崎渚とは逆説的な評価に僕は不思議でならなかったが、実際に神崎渚と会話をしたサル以上に僕が彼女を理解しているとは言い切れない。僕は彼女と直接接触したわけではなく、彼女の外側から見て、『何となくこういう人だな』と把握しているにしか過ぎないのだから。
それでも、僕はサルが接触した神崎渚がどのような人物なのか興味を持った。
外見と内面の二面性がどういったものなのか、知りたかった。
「どういう風にって言われてもなあ……とにかくヤバいんだ!」
「おいおい、風評被害甚だしいな……」
残念ながら、語彙力に欠けたサルに説明を求めても自分がみじめになるだけだと痛感させられた。彼が神崎渚をどのように見ていようが自由だが、人並み外れた彼の行動力で変な噂を流布することだけはしないでほしいと願うばかりだ。
「親友としての助言だ! 彼女に近づくと痛い目見るぜ! あいつは悪女だ、悪女!」
「わかった、わかった。だから、校内で叫ぶな」
謎が一つ解けても、新たな謎が生まれるだけで、それはマトリョーシカのようにいつ終わりが見えるのかは分からない。
神崎渚が僕の思考から消えることは、ひとまずはなさそうである。
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