夜の食事

「ただいまー」


 僕が扉を開けると、みそ汁の匂いを含んだ空気が僕の鼻を伝る。

 学校で嫌なことがあればあるほど、やはり自分の家に帰ると、その反動からかより一層天国であるように感じる。


「おかえり。最近帰り遅くない?」


「高校生なんだから、色々あるんだって。中学生基準で僕の行動を図られても困るから。母さんや父さんほどじゃないだろ」


 エプロンを来た姉が、僕に話しかける。

 僕はスマホ分軽くなったバッグを自分の部屋に置き、適当な普段着に着替えるとリビングに戻る。そろそろ夕飯だろうし、宿題などの他の作業を始めてもどうせ中断してしまうのだったら、潔くここは姉が夕飯の支度を済ますのを待つことにしよう。


「学校復帰したばっかりなんだから、そんな無理しないでね。姉ちゃんこれでも心配なんだから」


「だからさ、もう子ども扱いすんのやめてくれって。しっかり自分のことぐらい自分で管理できるからさ」


 父は単身赴任中だし、母も割と激務な職業であるとため、ろくに顔を合わせることがないのだが、姉がほぼ保護者の代わりだ。大学生、しかも就活も決まり、単位も取り切った姉はずっと家にいて主婦をしている。親よりも保護者らしく、前回の保護者面談時は親の代わりに姉が出席したぐらいだ。


 料理は母よりも美味しいし、年齢も僕と近い分色々話易いので、僕としては別に何の不自由もない。


「あのさ、姉ちゃん。古いスマホって持ってない?」


 保護者が親か、姉かというよりも、スマホがないほうが現代社会を生きる上では不自由である。


 職員室に呼ばれた僕はスマホを没収され、授業中で何を見ていたのかを確認され、こっぴどく叱られた。

 帰路が苦痛で仕方なかったのは言うまでもないだろう。スマホがなくて、何をしようとしても何が出来るわけでもなく、SNSを確認することもできなければ、ふとした瞬間にカメラを構えることもできない。ないないだらけの帰路で僕が唯一出来たことといえば、周囲の光景を楽しむことだけだった。


「ん? ああ、機種変したときの古い奴ならあるけど、どうかした?」


「スマホ没収されちゃって……」


「何やってんのよ、あんた……」


 姉は呆れた様子で肩を落とす。

 これに関しては間違いなく僕が悪かったので、何も言い返せない。


「まあ、いいわ。夕飯の後にその古いスマホ取ってきてあげるから。明日には私の方から学校に電話してお詫びしとく。全く、子ども扱いしてほしくないなら、もっと大人らしく、大人しくしてよね」


「ありがとう、姉ちゃん……面目ない」


 僕はリビングの椅子に腰かけながら、姉の料理が出てくるのを待つ。ほぼほぼ出来上がっているようで、あとは温めなおすだけのようだ。姉はみそ汁の鍋をかき回しながら、僕と雑談をすることにしたらしい。


「んで、最近の学校はどうなの?」


「どうって言われても……まあ、ぼちぼちかな。楽しくやってるよ、サルもいるし」


「そっか、まあサルくんいるし、それもそうか」


 中学時代から付き合いのあったサルは、昔からよく家に遊びに来ていたし、家族全員がその存在を知っていた。だから僕がサルと友人であると言っても、僕が突然動物園の飼育員になったわけではなく、あくまでも野球部に所属している人間のサルであると正確に伝わっているのだ。


「写真部は抜けたの?」


「……うん。自然消滅っていうのかな? 知らない間に部員から外されてたよ」


「まあ、それでいいんじゃない? あんな連中と付き合うほうが時間の無駄だったしさ。自分を大切にしてくれない人たちを大切にする義理なんてないって」


「まあ、そうだね……今ではそう思ってる」


 合意もなく部員を外す連中だ、こちらから願い下げである。写真部は今の僕からすれば歴史でしかないが、決して輝かしい歴史ではなく、醜く辛い歴史として後世に語り継がれるだろう。


 写真部の部員たちがどのように感じていたのかは定かではないが、僕からしてみたら方向性の違いでしかなかったのだ。僕が取った写真は写真部の部長を筆頭に受け入れられず、上下関係を弁えずに僕が反抗した結果、僕の写真部での居場所がなくなってしまった。写真なんて芸術の一部なのだから、個々人の自由で良いではないかと思ってしまうが、それでも僕の写真は赤点らしい。


 別にどちらが悪いわけでもなく、僕が写真部のルールに乗ることが出来なかっただけだ。


 靴に画びょうを入れられるとか、バケツ一杯の水を頭から掛けられるといったような悪質なイジめはなかったにせよ、あからさまに僕を写真部というグループから排除しようという空気が作られてしまい、学校という狭い集団の中で生活している幼気な高校生である僕にとっては、それが耐えきれないほど苦痛であった。

 一時期学校に行けなくなったが、時間が経つとともに自らを奮い立たせ、何とか僕の歴史として処理することで再度通学路を辿る日常に戻ることが出来たのである。


「部活に行かなきゃ、あいつらにも合わないし。基本的にずっとクラスとトイレの往復だから、姉ちゃんが心配することもないって」


「そうだね、安心した。ただ、無理だけはしないでね」


「……わかったよ」


 子供扱いするな、と言いたいところだが、姉には明日僕のスマホを返してもらうために学校に電話してもらうというミッションがあるので、ここは素直に姉の言葉を飲み込むとする。そうこうしているうちに夕飯が出来上がったようで、テーブルの上にみそ汁や豚の生姜焼きなどが並んだ。今日失った体力を補充するには十分すぎるほどの献立で、母には悪いが主婦力は姉のほうが格段に上だ。


「さて、食べようか。いただきます!」


「いただきます」


 そういうと、僕は自分専用の黒い箸を手に取り、食事を堪能することにした。

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