第34話 襲来、百鬼夜行 4

食物連鎖を生き延びるために自らの尻尾を自切した蜥蜴のごとく、両腕、両足がみるみるうちに傷口から生え、先ほどまで四肢が欠落していた肉体は完全に元通りとなったぬらりひょんは長ドスを持ち直し、和彦に向けてそう呟く。


先ほどとは違い、目付きが獲物を見定める鷹のように鋭くなり、強者故の余裕から片手で握っていた長ドスに至っても今度は両手で構えていることからその発言は決して冗談などではなく、本気であることが窺えるだろう。


それはすなわち、広川和彦という鳥や獣のように爪も牙も持たない脆弱な人間の男が初めて一人の敵として認められたということだ。


妖怪共の頂点に君臨する京都三大妖怪の一角たるこの自分と肩を並べる程、あるいはそれ以上にこの男は強い。今はまだ使っていないが何か奥の手をを隠している。このまま手を抜いていては負ける、そして殺される。ならばやるべきことはただひとつ、こちらも本気を出す以外にないであろう、と。


本来、この状況なら呼吸は荒くなり、全身の血の巡りは加速し、生きるか死ぬかが決まる命のやり取りから来る焦燥感が全身を襲うはずだが、それと同時にもうひとつ、彼女は妙な心の昂りを腹の底から感じていた。


これまで数多の妖怪たちと幾度となく死闘を繰り広げ、最強の称号を欲するがままにしてきた儂は恐らく退屈していたのだろう。強くなっていくにつれて自分と対等に渡り合える相手がどんどん減っていくことに。強さを求め続けた先に待ち受けるのは孤独である。


やがて数少ない好敵手である自分と同じ他の京都三大妖怪たちとの戦いにも飽きを覚え、さらなる強い相手を求めて全国各地を放浪するようになった。しかし、それでも自分に敵う相手は見つからない。 やはりそれほどの猛者はそうそう現れたりするものではないな。


一体いつからだろうか。こんなにも戦う相手を欲するようになったのは。少なくとも手当たり次第に名のある妖怪たちへ喧嘩を仕掛けては返り討ちに逢い、その悔しさを糧に強さを求めがむしゃらになっていたあの頃が一番楽しかったのは記憶に新しい。


ただ純粋に強さを求めてはひたすら鍛練を重ねて技を研鑽する日々。昨日勝てなかった相手に勝つたびにそれらを実感することができる。これが堪らなく心地良い。相手に勝つたびにまた強い相手を求めて鍛練を重ねていくうちに儂は気付いてしまった。


あれほど目指していたはずの妖怪の頂点そこには何もないことに。なんというつまらない幕引き、終点だろうか。百鬼夜行の総大将?京都三大妖怪最強?畏怖と尊敬の念を込めたのかどうかは知らんがそんな連中が勝手に作ったそんな薄っぺらい肩書きなどどうでもいい。


今日もいつものように強い相手がどこかに落ちていないかどうかを道端に落ちている銭探しの要領でこの町を彷徨いていた。その道中で儂は見た。そして驚愕した。非力で脆弱で再生能力も持たない人間が上級妖怪、牛鬼を見事に討ち取ったその瞬間を。こんな二十歳にも満たず、か弱い見た目の小娘が。身長だって儂よりも一回り小さく、細い腕や足で瀕死の状態になってもなお立ち上がるのだ。いつ死んでもおかしくない重症だというのに一体どこからそれほどの力が沸き上がってくる?


土壇場で垣間見せる人間の底知れぬ爆発力、もしかしたら儂に対抗しうるのでは?弱いはずの人間が上級妖怪に勝ったのだ。ならば京都三大妖怪の自分が相手なら人間はどれ程の力を引き出すことができる?古来より不可能を可能にしてきた人間なら…翼がないのに空を飛ぶことができた人間なら…身の丈よりもはるかに巨大な建築物を創造することができた人間なら…儂の強者への飢えをもしかしたら満たすことができるのでは?


そんな思考を巡らせていくうちに儂はいてもたってもいられなくなり、気が付くといつの間にか、あの小娘に愛刀で斬りかかっていた。今になって思えばその時は冷静さを欠いていたのかもしれない。自分に勝てるかも知れない未知なる強者に初めて出会えたことで。


それからすぐに儂は自分の起こした行動をひどく後悔した。普通に考えればこんなに傷だらけで、かつ、持てる力を全て出しきって今にも死にそうなくらいにひどく衰弱した小娘に戦いを挑んだところで何の勝負にもならないことは目に見えている。そればかりか、武人の風上にも置けない愚行である。このままでは儂の愛刀が小娘の肉体を貫いて勝負が終わってしまう…せっかく出会えたというのに…


これから先、この小娘は10年、20年、30年と幾度も鍛練を積み重ねて成長し、やがて儂にすら匹敵するかも知れないというのに、今ここで殺してしまっては元も子も無いではないか。本当に愚かだ、なんという失態、もしも一度だけ過去に戻れるのならここでそれを使ってやり直したい、しかし、それは叶わぬ夢である。いずれにせよ、どう取り繕おうが儂の愚行は許されない。こうなれば自ら腹を切って自害しよう。そう諦めかけていた。あの男が儂の攻撃を受け止めるまでは。


あぁ、そういうことだったのか。儂が本当に求めていた相手はあの小娘などではなく、この男だったのだと。なぜこんなすでに虫の息となっている小娘ごときに刀を抜いて襲いかかったのか、ようやく理解することができた。全てはこの男の本気を出させるため、この男に戦う意欲を持たせるためだったんだと。


生まれて初めて運命というものを感じた。戦い続けて1000年と少々、この日をどれほど待ち焦がれたことだろうか。なんと愛おしく、狂おしい。戦う相手にこんな感情を抱く日が来るとは夢にも思わなかった。


「…最後にひとつ、お主の名を聞かせてくれないか。」


「…広川和彦だ。もっとも、その名をお前に呼ばれることは今日で最後になるだろうがな。」


「そうか、覚えておこう。我は京都三大妖怪が一角、ぬらりひょん。いざ、参る!」


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