第21話 出会いと別れの始まり 2
「ねーねー、るいちゃん。」
「どうしたの?つもりちゃん。」
「この本読んでー。」
「いいよー。」
瑠衣がこの家に来て大切な家族の一員になってから早くも2ヶ月が経過した。
楽しい時間っていうのはどうしてあっという間に過ぎていくんだろう。こうして父の書斎の本棚に入っていた難しい本を一緒に読んでいる今の私たちのように。
逆に苦手な科目のテストや授業のように楽しくない時間は毒が身体をじわじわと蝕んでいくようにゆっくり進んでいくんだろう。流れていく時間はみんな同じであるはずなのに。
「るいちゃん、このかんじってなんて読むの?」
「これはきょうとさんだいようかいって読むんだよ。かんじになおすと京都三大妖怪。」
「すごーい!るいちゃんってこんなにむずかしいかんじを読んだり書けたりするんだー!」
「そんなにすごくないよ。つもりちゃんもべんきょうすれば読んだり、書けるようになるよ。」
「でもわたし、べんきょうが苦手なんだ。このまえのテストの点数もよくなかったし。」
「苦手だからってやらなかったらいつまでも苦手なままだよ。」
「じゃあるいちゃんがわたしにべんきょう教えてよ。るいちゃんが教えてくれたら楽しくてべんきょうが好きになれるかも。」
瑠衣は一瞬、戸惑ったような顔をして少し考え込む。
「いいよ。」
「やったー!」
こうして私は学校の授業や宿題で分からないところを聞いたりして苦手だった勉強や学習を少しずつだけど克服していった。
今でこそ成績優秀なんて周囲からよく言われているけど当時はてんで駄目で苦労したっけ。
個人的にだけど、当時も今も学力で瑠衣には敵わないと私は思っている。どれくらい頭がいいかというと学年で毎回10位以内に入っているほど。現に高校の期末試験の順位だって瑠衣の方が高かったし。
話を戻してその日の夜中、私は冬の寒さで体が冷えてトイレに行きたくなった。用を済ませて再び床に就こうかという時に父と母の会話が父の書斎から聞こえてくる。
よく聞きとれなかったからか、気になったのか、私は電灯の光がほのかに漏れたその襖をほんの少し開いてその隙間から中を覗いてみるとなにやら二人が深刻そうな顔をして何かを話している。
「それで、本当なのか?その話は?」
「ええ、その筋から得た確かな情報よ。」
「なんてことだ。今月に入って20人目か…。」
「京都に属する腕利きの陰陽師たちが討伐に派遣されたらしいけどことごとく惨殺されたわ。未だに犠牲者は増え続けるばかりね。」
「津守家の当主としてもこれ以上は無視できない事態だ。」
私の父、津守雄一は元々は京都出身の陰陽師だ。陰陽師たちの総本山、京都において天才と称され、自身も上級妖怪を何度か討伐したことがある超一流の凄腕だ。
しかし、24歳の時に私の母、津守静花と恋に落ちて二年の交際を経て結婚。そして、私が生まれた。
その後、母と娘である私を危険に晒したくないということで京都を去り、妖怪が少ないこの偶鱈町に移住することになる。
しかし、肉体や術式の鍛練は欠かしたことはなく、現役を退いた今でもその実力は衰えを感じさせない。むしろ以前よりも強くなっていると言ってもいい。
引退した後も彼を慕う者は多く、自身もたまに京都へ出向いてかつての同僚と酒を飲み交わしたり、次世代を担う弟子である陰陽師たちを育てたりしているのだそうだ。
「急だが明日、京都に向かう。犠牲者の中には俺の弟子やかつて共に戦った仲間もいるんだ。それをこのまま黙って見ている訳にはいかない。」
「あなた、本当に大丈夫なの?必ず帰ってくるのよね?」
「大丈夫だ、必ず帰ってくる。あんまり心配させると悪いから、若菜と瑠衣には仕事の都合で出張に行くって伝えといてくれ。」
「おとーさん…。」
この時の私はもう二度と父に会えなくなるんじゃないかって心配で初めて眠れない夜を過ごした。かといってそれを瑠衣に相談しようにも両親の私たちに対する気遣いを無下にしたくない。
でもそれは、単なる思い過ごしだったんだと後に知ることとなる。それもそうよね。だって、本当の悪夢はこれからで今回のは序章に過ぎない…いや、今思えばまだ始まってすらいなかったのかもしれない。
翌日
「じゃあ、行ってくるよ。」
「あなた…気をつけてね。」
「あぁ、もちろんだ。それと、若菜、瑠衣。お父さんはこれからお仕事に行くからあんまりお母さんを困らせないように良い子でいるんだぞ。」
そう言い残して雄一はスーツに身を包み、片手に鞄を携えて家を出ていくのだった。
「おとーさん…」
「大丈夫。お父さん、明日には帰ってくるから。ささ、あなたたちも朝ごはん食べて支度しなさい。学校に遅刻するわよ。」
「うん…。」
そうして私たちは言われるがまま、支度を済ませて瑠衣と共に使い慣れたランドセルを背中に背負っていつもの通学路を通って学校に向かうのだった。気のせいだったのか、今日の授業で使用する教科書がそれほど入っていないそのランドセルがいつもより重く感じたのは。
(まもなく京都か。何年ぶりだろう、こうして妖怪の討伐に向かうのは。6年ぶりくらいだろうか。)
頭の中でそんな思考を展開しながら、新幹線の中で肘をついて窓際越しの景色を眺めている雄一。
「すみません、缶コーヒーのブラックを二つください。」
物腰穏やかに落ち着いた口調で車内販売の女性に注文した缶コーヒーを飲み干し、空き缶を握りつぶす。
(牛鬼…お前は必ず討ち取る。首を洗って待っていろ、お前に殺された数多の人々の無念、この俺が晴らす。)
顔には現さなかった友と弟子を殺されたその男の静かなる怒りは握りしめた両の拳にしっかりと現れていた。
人間には時として二つの選択を迫られることがある。これを世間一般的に人々は人生の分かれ道、あるいは転換点と呼んでいる。
その選んだ結果によって未来は幸せの絶頂にもなるし、絶望のどん底にも落ちうる。
何が言いたいのかというと、この津守雄一という男は人生の分かれ道に差し掛かっていたのである。
もしも、この男が他人なんて知ったことか、自分さえ良ければそれでいい、という人間ならどうなっていただろうか。
このまま仲間や弟子の仇など取らずに知らん顔する、あるいは京都からすぐに引き返していればこの先の悲劇は起こらなかったのではないだろうか。
だが、あの時、ああしていれば、こうしていれば、なんてものは終わってから言ったって後の祭り。この男はそういう選択をして二人の子供を残して妻と一緒に死ぬという結果だけが残ったのである。
「ッ!!感じる、感じるよ…なんとなくだけど、僕を思う存分満たしてくれる最高のごちそうがもうすぐやって来るのが…あぁ、楽しみでたまらない。」
日の当たらぬ京都のどこかに牛鬼は身を潜めてただ一人、これから届くであろう久々の強者好物の存在を直感的に感じとりながら、今日も殺した人間の血肉を貪ってそう呟くのだった。
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