二話、初めての友達
他人と関わることが面倒になったのはいつからだろう? 由宇は海に浮かぶクラゲのように、記憶を漂ってみる。
小学校に入学する頃は、好きだった童話のように友達を百人作ることを目指していたような気がする。入学式を緊張と共に向かえ、未知の学校生活に希望を持っていたはずだ。だが実際は想像ほど楽しいものではなかった。
友達が出来た頃に片親だと知られて、無駄に可哀そうがられたり、それが理由で意地悪な男子に苛められたこともあった。深い人間関係を避けるようになったのはそのくらいからだ。
安い同情で現状が変わるわけでもあるまいし、知ったような顔でお節介をされるのも酷く嫌な気分にさせられた。
その我慢が爆発したのは、五、六年の時だった。親身な振りをしても、相手には見下されているのはわかるものだ。ウザイとはっきり口にしてクラスの女子を泣かせた。担任だった先生には諭すように説教されて、クラスメイトには冷たい子だと詰られた。
けれど、それで周囲の目が無関心になって、由宇はようやく安心したのだ。同情交じりの視線がどれだけ負担だったのかは、他人にはわからないことだろう。急に出かけることが減ると母に心配させてしまうから、休日になると友達と遊ぶふりをして街を一人でぶらついた。
人嫌いなわけではない。楽しいことは好きだから、もう少し人と上手くコミュニケーションが取れたらと思うこともある。けれどそれ以上に、あの時と同じ目に晒されるのは嫌なのだ。だから、緋央とも深く関わるつもりがなかった。
しかし、あの場限りのことと見なしていたのは、由宇だけだったようだ。
「おはよう、常盤。昨日の歌番組は見たか?」
「常盤、一緒に昼飯食べないか? オレ、ちょっと購買でパン買ってくるから待っててくれ」
「この問題がどうしてもわからないんだ。常盤って数学は得意か? この公式をどこに当てはめればいいんだ?」
常盤、常盤、常盤、とここ一週間で一年分くらいは呼ばれた気がする。最初は無視していたものの、最近は由宇も諦めた。無視しても、緋央は由宇が返事をするまでしつこく聞いてくるのだ。どれだけ聞き流しても粘り強く諦めない。それだけの根性があるなら、数学も自力で頑張ってほしい。
「常盤! 皆で一緒に帰ろう。敦達も常盤と話したいって言ってるんだ」
緋央を押しのけるように現れた集団に、由宇は目を瞬かせた。
「うぃーす。孝司の友達してる柏木敦(かしわぎあつし)っす。ツッコミとボケならボケ担当。常盤さん、仲良くしてぇ?」
「あんたはおねぇか! どーも、ツッコミ代表の本城麻衣(ほんじょうまい)です。こっちが桑原咲(くわばらさく)ね。常盤さんとは前から話してみたかったんだけど、機会がなくてさ。これからよろしくね」
「二人共、常盤さんびっくりしてるから。強烈な自己紹介でごめんね。オレは村田統也(むらたじゅんや)。この二人、四六時中こんな調子だから、まともに相手しちゃ駄目。でもいい奴等だからさ、そこは安心して。ほら、咲ちゃんも自分で挨拶しなきゃ」
「あの、麻衣ちゃんの幼馴染の咲です。な、仲良くしてください」
化学反応のような自己紹介に、心の奥がスパークする。どんな反応を返せばいいのか困って、とりあえず頷いておく。すると、楽しそうに見ていた緋央に手を取られた。
「さぁ、帰るぞ!」
握られた手を上に振り上げられる。四人が大きく声を上げて、ぞろぞろと後に続いてくる。
鬼退治にいく桃太郎のようだ。変に目立ちそうなものなのに、下校する生徒は由宇が思うほど気にしていないようだ。
階段を下りて一階に出ると昇降口から学校を出る。由宇は逃げる気力もなく、流されるままに緋央に付いて行く。
六人の影が道端に長く伸びる。そんな中、緋央の影が揺らいだ気がした。気のせいだろうか。由宇は目を凝らして影を凝視した。やはり、何の変哲もない影だ。
「なにを見てるんだ?」
「あんたの影。なんか変な気がしたけど、見間違いだったみたい」
「……もしかしたら、妖怪に化かされたのかもしれないぞ?」
ふざけたことを言う割には、その目は真剣だった。思わぬ一面を見せられて由宇は答えに窮する。それを困惑と受け取ったのか、緋央は一瞬でその色を消すと、にこりと笑う。
「冗談だ」
「出た! 孝司は何かって言うと、妖怪のせいにするからな。この妖怪オタクめ!」
「オタクだなんて言い過ぎだ。照れるぞ」
「いや、褒められてないからね。でも、美人ならオレも会ってみたいかな。ろくろっ首とかセクシーな感じがしない?」
「えぇ? 首が伸びるのはちょっと……」
「咲、いないからね。また孝司君は変なこと言って。常盤さん、緋央君は妖怪オタクなんだよ。この科学が進歩した世界に妖怪なんていないよねぇ」
こんなに騒がしい帰り道は初めてだ。由宇の口数が多くないことを誰も気にしていない。麻衣も同意を求めているのに、そこには押しつけがましさがない。気軽に自分の考えが言える空気に、由宇は少し考えて口を開いた。
「いるかどうかはわからない。ただ、いるなら話してみたいな、と思う」
「じゃあ緋央君にお願いしとけばいいよ。見つけたら教えてねって」
「……うん。灰野、お願い」
「わかった! 見つけたら真っ先に由宇に合わせるよ」
親しげな笑みに絆されて力が抜けたら、緋央に目を丸くされた。初めて笑ったと周りに騒がれて、由宇は自分が微笑んでいたことを知る。
その騒ぎに紛れて、名前で呼ばれたことに気付いたのは家についてからだった。
友達という存在がよくわかっていなかった由宇は、突然出来た存在との距離を測りかねていた。
ずっと一人だったから、誰かが傍にいることに慣れなくて、親しげに接してくる五人に困ったことが何度かあったのだ。けれど、そう言う時には必ず緋央が助けてくれたので、由宇も五人と一緒に居ることに少しずつ慣れていった。
緋央はこうと決めたら頑固だが、リーダーシップがあり六人のまとめ役だった。敦は考えるよりまず行動の性格。そこは麻衣と似ていた。遊びの提案はいつもこの二人が出し、それを検討したり、お金の計算等の細かいフォローをするのが統也だ。咲は一番大人しいタイプで優としては沈黙が苦にならないので非常に楽だった。
こうして五人の性格を分析出来るくらいには、由宇も馴染んできていた。一緒に遊んだ回数が片手から両手、両足に増えるのに時間はさほど必要なかった。
「由宇、今からボウリング行くぞ!」
休日に突然誘いの電話がかかってくることもあった。家族ともほとんど行ったことがないので、初心者同然と渋る由宇に、敦は大丈夫を三回繰り返した。相手が折れないことを読み、由宇は早々に誘いを断ることを諦めた。
現地集合だと言われ、五分早く着いたらもう全員が来ていた。敦はマイボールまで持参していて、やる気満々な様子だった。二つのチームに別れてジュースを賭けて勝負した。
足を引っ張る心配をしていた由宇だったが、相手チームにいた統也が恐ろしく下手だったため、同等の勝負になった。
運動神経は悪くないはずなのに、ボウリングは感覚が違うのか、統也はかなり苦戦していた。いつも何でもそつなくこなすだけに、統也の意外な弱点は周囲の笑いを誘った。
けれど頭が切れるだけあって、終盤にはガーターを出す回数が減り、最後はストライクで絞めていたのはさすがと言えた。
温水プールにも誘われた。水着を持っていないと言えば、何故か全員で由宇の水着を買いに行くことになった。自分のものでもないのに、真面目な顔をしてああでもないこうでもないと言い合って、麻衣と敦の間で白熱した水着議論が始まった時には、家に帰りたくなったりもした。
しかし、それだけ真剣に選んでもらった水着は、自分で見ても似合うと思えるものだった。
「ほら、早く。一緒なら怖くないって」
長い滑り台は気が進まなかったが、麻衣の言葉で結局全員で手をつないで滑り降りた。途中で団子状になってしまい、水に突っ込んだ時の衝撃は大きなものがあった。
犬かきがやたらと上手かった咲には、思わず由宇も笑ってしまった。
一緒に遊んだ中でも、六時間カラオケ耐久戦は強く印象に残っている。誘われた時に、今まで一度も行ったことがないと言えば、その週末には行くことが決定していた。
選曲が上手く出来なくて困っていると、咲がテキパキと教えてくれた。彼女は数え切れないほど来ているらしく、全てが手慣れていた。
その選曲はいろいろあって、由宇にはよくわからないものの、CMソングから演歌まで幅広く歌い、いつもより生き生きしていた。その様子に、なんとなく気持ちが浮き立った。
でも、ヘビメタを歌い出した時には、さすがにびっくりした。緋央なんて、毛を逆立てた猫のような顔をしていた。
由宇は今時の曲をあまり知らないので、何を歌うと聞かれて迷ったあげくに、一言。
「童話で」
順番が回ってくると全て童話の歌でやり過ごした由宇に、後日、咲からCDが贈呈された。これで新しい曲を開拓しようと言いたかったらしい。
思い出と呼べるものが増えていく。それは人間関係に悩んでいた由宇には想像も出来ない宝物だった。写真の数も少なく、たった一つのアルバムにさえ白紙のページが残っていた。それが埋められていく度に、由宇の中でも何かが変化していった。
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