95.陵辱の魔牛
ウラウルと別れた後、ベルトリウスは道端に転がる三つの死体をその場に残して、森の入口まで戻った。
合流したケランダットは腕を組み、こちらを責めるような目付きで迎えた。
「まだキレてんのか?」
「……おかしいだろ。俺みたいに特異な才があるわけでもないガキが、いいとこ取りして楽に困難から解放されるなんて……そんな不公平で無益な話があってたまるか。ああいう甘えたガキこそ世の中の理不尽をその身で受け止めるべきなんだ。好意の安売りはやめろ。誰のためにもならない」
「いちいちうるせぇなぁ……俺は気まぐれに人助けもしちゃいけねぇのか?」
「いけないに決まってるだろう。人殺しが偽善者ぶった行動を取るな」
「人殺しだから偽善者ぶるんだろ。裏社会で生きていくには”演技”が重要なんだ。お前は自分の描いた一本道から外れることを毛嫌いしすぎだ。俺に無理強いをするな。また不毛な言い争いをおっ始めたいのか?」
「……それは……だから……」
ベルトリウスが単調に告げるとケランダットは一転して焦ったように視線を右往左往させ、言い訳めいた謝罪をもごもごと口にしてから、明日の討伐に向けて森の前の野原に転がって休息を取った。
月が昇る間中、集落の方に体を向けて追手に備えていたベルトリウスであったが、結局誰一人として自分を討ちに現れる者はいなかった。
いじめっ子の親達は、息子の命を奪った殺人犯への怒りよりも自らの命の安全を選んだのだ。だが、それが悪い選択だとは思わない。ウラウルは自らが暮らす集落を”村”と呼称していたが、あそこは村と呼べるほど規模の大きい場所には見えなかった。建っていた家の軒数から推測するに、多くて総勢三十人程度が集まって暮らしている集落だろう。
だから、あだ討ちなどで住民の数を減らすわけにはいかないという結論に至ったのかもしれない。個よりも全体としての存続を優先した……それだけのことだ。ベルトリウスにとっては、何とも期待外れな夜となったが。
◇◇◇
「よし……じゃあ森に入るから、術の準備をしといてくれよ。探索が長くなりそうならコバエを使って連絡を入れる。連絡がなかったり、何かヤバそうな空気を感じ取ったら迷わず領地へ戻れ。いいな?」
「ああ……」
「ンビビ」
昨夕の小さな死体を担いで話すベルトリウスに対し、顔色の冴えないケランダットと、地獄から呼び付けておいたクリーパーが続けざまに返事をした。
一人と一匹に見送られ、ベルトリウスは深く茂る森の中へと足を進めた。
獣というのはニオイに敏感だ。なので死体と共に移動し、血のニオイを振りまきながらこちらの位置を知らせて探索することによって、より手早にユー・ボーローを見つけだそうとベルトリウスは考えていた。
言い伝えによれば、ユー・ボーローは人間が立てるかすかな足音も感知して、即刻現場へ駆け付けては侵入者をバラバラに引きちぎって食べてしまうらしい。しかし、森に入ってからすでに数分……お目当ての魔物が現れるどころか、その気配すら感じられずにいた。
「ユー・ボーロー、おーーい、ゆーーぼぉーーろぉーーっ! どこにいるんだぁーー? 隠れてないで出てこいよーーっ!」
ベルトリウスは近くにいるかどうかも分からないユー・ボーローに向かって、試しに呼び掛けてみた。
すると―― 森中に息を吐くのも苦しくなる、凍てついた緊張感が流れ始めた。
ベルトリウスは即座に警戒を強めた。
このゾクゾクと全身が
これが土地に縛り付ける以外に方法がなかった魔物、ユー・ボーロー……ベルトリウスは来た道を急いで引き返した。直感的に己の敗北を悟ったからだ。
巨大な手に握り潰される自身の哀れな姿が頭の中で思い浮かぶのは、森に充満する”緊張”のせいだ。そしてその”緊張”は、存在感を増して
「フ”モ”ォ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”ーーーーーーーーッ”ッ”!!!!!!!!!!!!!!!!」
「お”ぉぉわああああああっ!!??」
双方を隔てる大木の群れを、まるでそこに存在していないかのように容易くなぎ倒しながら、毛むくじゃらの巨体はベルトリウスに向かって物凄い勢いで突進してきた。
ベルトリウスは走る速度をそのままに、一瞬後方へと目をやってその姿を確認した。
勇ましい雄牛の頭部に、人間と同じ形状をした四肢や胴体。体長六メートルはあろうかという
ベルトリウスは距離を縮めてくるユー・ボーローの頭部に向かって、担いでいたゲックの死体を放り投げた。狂ったように雄叫びを上げながら猛進していたユー・ボーローは、口の中に飛び込んできた小さな
走行を止めるどころか緩めることすらできずに散っていったゲックに舌打ちをかますと、ベルトリウスはユー・ボーローの頭よりも高い位置にある木の枝へと跳び上がり、茂みに身を隠しながら森の外を目指した。
足音か、はたまたニオイを感じ取っているのか。魔牛は子供騙しの目くらましなどお構いなしに、頭上を進むベルトリウスの居場所を的確に把握して、依然距離を詰めてきた。
あと少しで森を抜けるというところで、直近まで迫り来たユー・ボーローに向かってベルトリウスは大量の毒を浴びせた。
とめどなく投下される毒に全身を濡らしたユー・ボーローは、顔の毛に絡み付く液体を苛立った様子で乱暴に手で払った。魔物相手であろうと骨も残らない強力な毒を生み出したつもりであったが、ユー・ボーローはただ鬱陶しがるだけだった。
流石は討伐を断念された魔物だ、やはり直感は正しかった。自分では相手にならない。この魔牛を倒すことができるのは、神から授かりし聖魔術を扱えるケランダットだけだ。
毒に気がそれたせいで走行速度が落ちていたユー・ボーローは、徐々に開く距離に気付いていなかった。そして今、目前の人間が己をどこへ誘導しているかも――。
「ケェーーーーランダットぉぉおおーーーーーーーーっ!!!! こっちだああああああああーーーーーーっ!!!!」
「―― ”
ベルトリウスが陽の下へ現れてすぐに展開された聖魔術は、森の端側の広範囲に降り注いだ。
ありがたいことに過去の術師が施した封印は本物だった。我を忘れて侵入者を追い回していたユー・ボーローは、自身も共に森の外に向かって駆けていたが、見えない壁に追突し、弾かれるように森の中へと転がっていった。
そして上空から穏やかに降り立つ純白の光が雄々しい大角に触れると、二百年余り感じることのなかった痛みが魔牛を襲った。
「フ”モ”ォ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”ッ”ッ”!!!!!!!!????????」
ユー・ボーローは怒りと痛みの入り交じった絶叫で、辺りの空気をビリビリと裂くように震わせた。
身をよじり、近くの大木に次々と頭突きをかましては、自身が倒した木々の下敷きになり……気を荒立てて木々を押しのけて立ち上がると、また浄化の光に
「ブル”ル”ッ”ッ”!!!!???? フヴゥ”ーーーーン”ッ”、ブル”ァ”ッ”!!!!!! ブヴ”ッ”、フ”モ”ォ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”―― ッ”ッ”!!!!!!!!!!!!」
ユー・ボーローは苦しんでいた。確かに苦しんでいたが、恐ろしいことに、この魔牛はいつまで経っても命が果てる気配がなかった。
一向に動きを止めないユー・ボーローに最も焦りを感じていたのは、術者のケランダットであった。
今までどんな魔物であろうと一度の展開で死に追いやっていたはずなのにと、ケランダットは生まれて初めて術の重ね掛けを行ってみた。しかし無情にも、ユー・ボーローの暴走がやむことはなかった。
それどころか段々と痛みに慣れてきたユー・ボーローは、安全圏から自身を観察する小さな敵を視界に捉えると、そばに倒れていた大木を鷲掴みにして肩まで持ち上げ、大きく振りかぶり槍の如く
焦りに支配されていたせいで一瞬の判断が遅れたケランダットは、ベルトリウスに腕を引っ張られて
攻撃を避けられたユー・ボーローはさらに怒り狂い、手当り次第に大木を取っては投げ付けてきた。
「オ”オ”ッ”ッ”!!!!!! フ”ル”ル”ァ”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ーーーーーーーーーーッ”ッ”!!!!!!」
「どっ……どうして死なないんだっ……!?」
「チッ……
「ビビッ!」
二人は地表へ現れたクリーパーの口内へと飛び込んだ。
突如として現れた地面の大穴に獲物をかすめ取られたユー・ボーローは、鼻息を荒くして目を血走らせた。
「ブル”ル”ッ”…………フ”モ”ォ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”ーーーーーーーーーーッ”ッ”!!!!!!!!!!!!!!!!」
近隣のいくつもの集落に響き渡った激昂の声は、人々の不安を煽り立てた。
前日にベルトリウスと関わりを持ってしまった少年ウラウルは、恩人がユー・ボーローに殺されたものだと思い込み静かに枕を濡らした。その勘違いは我が子を失ったいじめっ子達の親も同様に抱いており、大人達は口々に”人殺しに相応しい末路だ”と、汚い言葉で名も知らぬ傭兵を罵った。
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