96.思考を蝕む…

 地獄の領地へと二人を送り届けると、クリーパーはそそくさと地中を移動して、その場から退散した。

 遠くに自城が見える荒廃した野に、気怠げに頭を掻くベルトリウスと、うつむいて表情の読めないケランダットだけが立っていた。


 ベルトリウスは背後で黙り込んでいるケランダットを振り返り、目を細めて冷めた声色で言い放った。


「顔色が悪いな、原因は分かってる。魔物を仕留め切れないお前に価値なんて――」

「やめろっ!!!!」


 決定的な台詞が吐かれる前に、ケランダットはバッと顔を上げてベルトリウスに掴み掛かった。

 感情の赴くままに自身の左手でベルトリウスはの口を圧迫するように塞ぎ、加えて褐色の喉元をもう片方の手で強く絞め上げた。


「なぁ……おれっ、どうすればいいっ……? こんなことになるなんて思わなかったっ……聖魔術がきかない魔物なんて、今までいなかったからっ……!」


 今にも泣きそうな顔で懇願するように首を傾げて呟くケランダットに、ベルトリウスは暴れることなく視線を返した。

 首を絞めたところで死ぬわけでもなし……無意味な脅しを終わらせるため、首に絡まる節くれ立った指に自身の指を沿わせ、一本ずつ丁寧にほどいていく。


 青い顔をして、あたかも己の方が被害者であるかのような悲愴ひそうな面持ちで指がほどかれゆく様を見守っていたケランダットは、自主的に口元を塞いでいた手を離した。

 次に飛んで来るであろう叱責に唇をきつく結んで構えていると、それを見たベルトリウスは呆れた様子で小さく溜息をこぼしてから、眼前の相棒を見上げた。


「人の話を最後まで聞きもしねぇで勝手に落ち込んでんじゃねぇよ。俺は前に、オイパーゴスからユー・ボーローみたいに聖魔術に耐えることのできる強い魔物の話を聞いてたんだ。地獄の激戦区じゃ、ああいうたちの悪い奴らが神様とドンパチやってるらしいぜ。だから今回は、ついにその手の奴と出会っちまったか、って感じだな」

「……じゃ、じゃあ……おこってないのか……?」


 懲りずに怒りの有無を気にするケランダットに、ベルトリウスは薄く笑って淡々と答えた。


「俺は信じてる。お前が強化に成功して、神々と同じくらい強い魔術が使えるようになることを。だってお前にはそれ以外に道がないからな。俺は軍団に有能なこまが揃ってきて、いよいよお前に雑魚狩り以上の仕事が回ってこなくなれば、思い切ってお前を殺しちまおうと考えてるんだ。死んで魔物に生まれ変われば、今よりもっといい能力が手に入るかもしれないだろ? なんたって元になる魂が魔術師のものだしな」

「…………な……にを、言って……っ……?」

「もし魔物になっても使えないお荷物のままなら、魂にかえしてその他大勢と共に卵の中にぶち込んでやる。獄徒の強化に使われる方が意義のある死だと思わないか?」


 ”殺す”だとか、”死”だとか、おおよそ友人に向けるべきではない言葉の連続に、ケランダットは目を白黒させて口ごもった。


「おっ……おれを殺すのかっ!? 半年も一緒にいたのにっ!?」

「半年、だろ? 人のえんなんて呆気なく切れるもんだ。その時が来たら苦しまないように一瞬で終わらせてやるから、お前も大人しく殺されてくれよな」

「半年っ、だ!! なんでそんなっ……簡単に殺すとか言えるんだっ……!? お前にとって俺ってそんなちっぽけな存在なのかっ……!?」

「ちっぽけなら”魔物に生まれ変わって”、なんて提案をしてやるわけがねぇだろう? これでも俺はお前のことを気に入ってんだぜ……期待してるんだ、そして確信してる。俺の隣に立つ男が、この程度のことでつまづくはずがないってな」


 静かに足を踏み出したベルトリウスは、真正面に立つケランダットの薄汚れた顔へと手を伸ばし、痩せこけた頬を優しく包み込んだ。

 自身より十数センチ背の低い青年の方へ強引に引っ張られたケランダットは、首だけ下げた不自然な体勢でベルトリウスを困惑気味に見つめた。

 加齢や心労によってできた目尻のシワを、親指の腹で円を描くようにして揉みほぐされる……まるで獣の毛づくろいのようだ。


 指先から伝わる人間と同じ体温は、泣きたくなるほどの心地よさを感じた。

 どうしてこんなことをするのかと、ケランダットは何も言えないまま困ったように眉を寄せ、ぐにぐにと歪む視界が元に戻るのを待つしかなかった。


「お前は面白い奴だ、一緒にいて飽きないよ。でも俺は薄情な男だからさ、お前よりもずっと強くて面白い仲間が現れちまったら、きっとそいつとばかりつるむようになる。そんなの嫌だろ? だったらやるしかない」

「……でも……やっぱりっ、もし生まれ変わっても使えない魔物だったら――」



 ……ベルトリウスは何も、本当にケランダットを殺してしまおうと考えているわけではなかった。

 これは所謂いわゆる、”発破を掛ける”というやつだ。人心掌握じんしんしょうあくに長けたベルトリウスがいつも配下に行っていた、”しつけ”の一種だった。


 人を屈服させるにはまず、強い言動で相手の心を折る必要がある。この時に重要なのが、”自分の至らなさ故に招いた結果”だという意識を相手に植え付けることだ。

 まともな考えを思い浮かばせないよう、は反論する余地を与えず、一方的な暴力や暴言でたたみ掛けるのが効果的である。


 そうして砕いた心を、次は優しさで修復する。

 人間とは不思議な生き物で、己を攻撃してきた者が深く信頼を寄せていた相手であればあるほど、全ての振る舞いに”意味”を見いだしてしまう。

 揺さぶられた心に甘い言葉や抱擁が差し込まれると、哀歓あいかんが認識を掻き乱し、うまい具合に感覚が狂っていく――。



「俺を信じろケランダット、悪い未来ばかり想像しちまうのはお前の良くない癖だ。これからは何も考えずに、俺の言葉だけを信じて従えばいい。俺の言う通りにしていれば全てが上手くいく。お前は選択した責任すら負う必要がない。全てを俺に任せていればいいんだ……」



 穏やかに微笑むベルトリウスの言葉は、思考にかすみをかけるようだった。


 これだけ酷い話を聞かされても、ベルトリウスに対する嫌悪の気持ちは微塵も湧いてこなかった。

 兄は父に、弟は母によく頭を撫でてもらっていた。それを遠くから眺めているだけの自分が惨めで仕方なかった。

 とのふれあいを大切にしていた両親から得たものといえば、さげすみ目と罵倒と体罰……欲しかったものを与えてくれるのは、いつだってこの男だ。


 そうだ、いつだってベルトリウスの言う通りにしていれば上手く事が進んだじゃないか。

 今更何を疑うっていうんだ? 乗り越えれば解決する話だ。強化に成功して、ユー・ボーローのような神性に耐えうる魔物をも打ち負かす最強の魔術師になれば……こうしていちいちベルトリウスの機嫌を損ねることもないんだ。



 ケランダットは頬に添えられた手を引きがし、怪しく映る紫色の瞳を力なく見つめて言った。


「……悪い、また興奮しちまったな……」

「もう慣れたよ。魔物を食い続けてりゃ、そういうのも改善されるさ」

「……ははっ、改善か……言うほど体に変化を感じてはいないんだがな……」

「始めてすぐに効果が表れてりゃ苦労しねぇよ。今からだよ、今から」

「……そうか……今からか……はっ、ははっ……! ひひっ……くくっ………………ゔぅ”っ―― !」


 ケランダットはいびつに笑いながら、こみ上がる涙を抑えきれずにポロポロと地に落とし、膝から崩れ落ちた。

 頭では理解していても、やっと得た友であり家族を失ってしまうかもしれないという恐怖を打ち消すことはできなかった。


「ベルトリウスっ……怖いよっ……お前を失望させるのがすごく怖いっ……! 嘘でもいいから俺に勇気を与えてくれっ……! お前だけを信じるっ、もう強化も何も嫌がらないからっ……お前の言葉で俺を安心させてくれっ……!」

「……それこそ俺が聞きたかった”答え”だ、ケランダット」


 ベルトリウスは足にすがり付いて離れない黒い頭を優しく撫でた。

 打ちひしがれる我が子を慰める親のように柔らかなその手付きは、ケランダットの中の喪失への不安をより増長させた。

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