82.東手の悩み

 己が地獄で罪悪感を掻き立てるだしに使われているとも知らず、この日もベルトリウスは重量のある甲冑を着込んでエイレンの背後に控えていた。

 対面する東部の護り手……ヌジマ・ガバスはようやく訪れた会談の機会に期待を隠し切れぬ表情で馬車から降りると、差し出されたパジオ手を取って力強い握手を交わした。


「どうもアラスチカ公、ミェンタージュ嬢! お招きいただき感謝する! いやぁ〜、まさに渡りに船だっ! 最近多方の処理に追われていたせいか、目の前で起こった洪水に大量の金貨を押し流される悪夢を連日みてな……もう頭が沸騰しそうだったのだよっ!」

「君も苦労が絶えないな……さぁ、続きは中に入ってからにしよう。我が娘も東部の状況を案じているので、後で同席させても構わないか?」

「勿論だとも! 噂の”聖女”の活躍をぜひとも本人から聞かせてもらいたい!」

「ふふっ、恐縮ですわ」



 あながち間違いでもない予言じみた夢に思わず笑い声を漏らしそうになりながら、エイレンはヌジマとパジオを見送り、自身はベルトリウスを引き連れて主と共に来訪した東部の騎士達を宿舎へと案内した。

 全員を部屋に通すなりベルトリウスは殺傷能力の低い毒雨を彼らに浴びせた。倒れた騎士らの傷口や口内から分裂体を忍び込ませると、エイレンは頭の中に流れ始める見知らぬ記憶を感じることで乗っ取りの成功を確認した。


 宿舎を出た二人は、会談が程よく進んだ頃合いを見て応接間に向かった。


「失礼いたします。お荷物の移動とおともの方々への案内が終了いたしましたので、よろしければ、わたくしも輪に加えていただきたく……」

「ああ、こちらも主な議題はあらかた終えたところだ。構わないよな東手殿?」

「どうぞどうぞ。私も貴女あなたの登場を楽しみにしていたよ」


 護公会議の時とは違い、余裕を持って答えるヌジマはそれなりに風格のある気さくな紳士に見えた。

 ベルトリウスは廊下で待機し、エイレンだけが中に入る。後ろをついてきた侍女が手早く新たなお茶を用意して出ていくと、まず口を開いたのはヌジマだった。


「それにしても、本当に祈るだけで消失した人体さえも回復させることが可能なのか? 貴公らを疑っているわけではないが、人の口伝えというのは歪曲わいきょくするものだからな……」

「あら、でしたらお試しになられますか? 公のお体でどこか悪い部分があれば、この場で披露いたしますが」


 口では否定しているが、探りを入れるような聞き方は明らかに疑念をはらんでいた。だがエイレンが自信満々に実践の意を掲げてみせると、ヌジマは薄く笑いながら首を横に振って言った。


「いや……実はてほしい者は別にいるのだよ。うちの娘を治療してやってはくれないか? 末の子なのだが、昔から重い心臓の病を抱えていてな。医者もとうにさじを投げているもので……今日はこの件についても相談したくて訪ねたのだ。もしあの子を救ってくれたならば、私はその恩を絶対に忘れない」

「承りました。また東手様のご都合の良い日を提示してください。わたくしは明日にでもガガラを発てるよう準備しておきますので、どうぞいつでもご遠慮なさらず」

「おぉっ、ありがとう……! 聖女というのは本当だな、心配りが違う! 融資から娘の命まで、何から何まで頭が上がらないよ!」

「ふっ……いつになく殊勝じゃないか、ガバス殿。護公会議でも今みたいな調子で駆け引きを楽しんでみたらどうだ?」


 パジオが皮肉めいた口調で言うと、ヌジマは会議の際に見慣れた苦い表情で肩をすくめた。


「そりゃあ、生まれた頃から苦しみを背負う哀れな我が子が助かるとなれば、安心するというものだよ。貴公は煙たがるかもしれないが、娘のスヂリーナは側室の子だ。末の子で女……しかも側室の子だからな。正妻はろくに表舞台に立てないあの子をうとんじている。割り当てる経費を減らして、社交場を遠目から眺めることも許さず……今のスヂリーナはまるで小部屋の怪人だ。希望もなく痩せ細った体で部屋に閉じこもり、一日中ベッドの上で過ごしているのを見ていると気の毒で気の毒で……」

「そこまで言うなら、せめて家長として奥方を注意したらどうだ。彼女の実家はそこまで太くなかったはずだ。喧嘩したからといって君の公務に支障をきたすこともないだろう」

「いやそれは……なんというか……妻は気難しい女性ひとでな。うん。それにほら、女同士のいざこざに男が介入したら余計にこじれるだろう? やはり当事者間で折り合いを付けるのが一番なのだよ! とっ、私は思うっ!」

「……」


 事なかれ精神は家庭内でも発揮されるらしい。人差し指をビシッ! と天井に向けて空笑そらわらいを決めるヌジマからは、先程の憂いが嘘のように霧散むさんしていた。

 ここでヌジマは己を落ち着けるため、会談開始と同時に用意されていたお茶のカップに手を伸ばした。れてから少々時間の経った中身を一口、二口と喉を上下させて飲み込んでゆく様子を、父娘の透き通った翠色すいしょくの瞳がじっと見つめていた。


 そして……。



「―― グブッ!!」



 ヌジマは濃赤色の血をお茶と共に勢いよく吐き出すと、そのまま何度か咳き込みながら床へ崩れ落ちた。

 焼けるような痛みを発する喉や腹を手で押さえ、藻掻いた拍子にテーブルの脚に額をぶつける。たった今まで滞りなく会談を進めていたというのに、なにゆえこのような事態に陥っているのか? 恐らく盛られたであろう毒……いくら即効性のものを使ったとしても、ここまで効果が早い毒は聞いたこともない。一体なにが、どうして……などと、ヌジマは侵食されゆく意識の中で考えを駆け巡らせながら、外にいる己の騎士に異変を知らせようと必死に足元の椅子を蹴った。しかし、ガタンッ! ガタンッ! と大きな音を立てても、部屋の扉は無情にも閉まりきったままだった。

 いつの間にか頭上に移動していた父娘が自身を見下ろしていたことに気が付くと、目が合った”ミェンタージュ”の、薄く紅を引いた唇がゆっくりと弧を描いた。


「暴れても誰も助けに来ないよ。あなたの部下は全員死んじゃってるもの」

「ン”ゥッ”……!? ごっ、ごべァ”ッ”……!? グッ”、ゔゥゥ”ゥ”ッ”、ゲフッ”!!!! グフゥ”ッ”!!!! オ”ゲエ”エ”エ”ッ”―― !!!!」

「安心して。お望み通り、娘さんはになるわ」


 忌々いまいましい言い回しを耳にする前に、ヌジマの魂は天へと昇った。彼が話していた娘、スヂリーナの枯れ枝のような姿が大量の記憶の中に加えられると、エイレンは不気味に笑んで部屋の扉を開けた。


「成功よ、ヌジマは死んだわ」

「よくやった。こいつも食っとけ。行きと帰りの頭数が合わねぇと変だからな」

「言われなくても分かってる」


 いつも通り少し強い語気でベルトリウスとやり取りをすると、足元に転がるヌジマのお付きの東部の騎士に分裂体を流し込む。この騎士が最後の獲物だった。これで来訪者は漏れなく片付いた。これより、東部は北部と同じ運命を辿るのだ……。



 そして当初の予定通り、エイレン達は東部の一行を一晩城に泊まらせてから、次の昼前にガガラを発たせた。これは本物のヌジマと事前に組んでいた時間割なので、外部の人間に怪しまれないように律儀に守る必要があった。

 そうして馬車を見送って二時間ほど経った頃だろうか。午後から予約が入っていた分の一般人を”治療”し終え、エイレンがイヴリーチと共に自室でお喋りを楽しんでいる時だった。

 突然エイレンが立ち上がり、部屋の中を右往左往とせわしなく行き来して、ゔーゔーと唸り始めた。


「どうしたのエイレン? 何か問題でもあった?」

「ゔ〜〜〜〜っ”……どうしようイヴっ、門の所に西手ランカガが来てるのっ!」

「え”っ」


 思わぬ報告にイヴリーチは驚愕の声を上げると、顔色の悪いエイレンを抱えて別室でくつろぐベルトリウスの元まで一目散に駆けていった。

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