81.一緒にいたいだけなのに
―― 一方、地獄、エカノダ領…… ――
「ミ”ィーーーーヒヒッ、ヒッヒッヒッ! ウ〜ン、酸の雨も降らず毎日快晴……土いじりも
独特の羽音を響かせながら歌を奏でるオイパーゴスの後ろで、ケランダットは領地の城に根を下ろす大華、フポリリーから取れた種を荒野に植えていた。
ケランダットが地獄に帰還するよう命じられたのは、エイレンが片腕の鉱夫を広場で治療する前日のことだった。
何でもオイパーゴスから重要な話があるということで、ガガラにいても自分でなければ解決できないという案件を抱えているでもなかったケランダットは、不本意ながら地獄に戻って来ていた。
エカノダの腕を切り落として口論となった後から、ケランダットは以前にも増して単独で行動することにわびしさを感じるようになっていた。
冬の間ずっと寝食を共にしていた男の声が隣から聞こえてこないと、赤空の寂しい荒野がさらに灰がかって見えた。
とっととつまらない用事を終わらせて地上へ降りようと、早まる足でオイパーゴスに会いにいくと、彼は人を呼び出しておきながら自分のやりかけの仕事を手伝えと言ってきた。
それが今行っている種まきだった。植えた先から芽を生やし、瞬く間に城の親木と同じ高さまで成長する華を何十と咲かせてゆくと、一帯は赤と黒の花弁に彩られた食肉華の群生地と化した。
種を一つ放り投げては、また違う場所に種を放り投げる……そうして黙々と作業をこなしながら、ケランダットはベルトリウスと最後に共にした酒場での会話を思い出していた。
今になって語り忘れていた話題に気付いたり、あの時のやり取りではこう答えた方がもっと盛り上がったんじゃないかとか、話の流れで彼を小馬鹿にした時の台詞を本気で受け取られていたらどうしようとか、もしかして
そんな
ケランダットは静かに”
本当は浄化の光で豪快に燃やしてやりたかったのだが、有事に備えて魔力の消費量が少ない術を選んだ。だがその選択がいけなかったのか、風の刃は人体を真っ二つにする程度の威力はあったものの、オイパーゴスの羽には目視にも至らない僅かな切れ目しか作れなかった。
「ンッ? 今なんかした? ナンかしたよね? キミねェ、親しき仲にも礼儀アリやで? オッちゃん丈夫やけど攻撃されたらちゃーんと分かるんやからね。あんましオイタはアカンよ?」
「……うるせぇ。お前の鳴き声、耳障りなんだよ。こんな雑用を押し付けるために俺を呼び出したのか」
こちらを振り返ったオイパーゴスに苛立ちを隠さず吐き捨てると、ケランダットは手にしていたフポリリーの種を宙に撒き、再度”
嫌がらせ目的なので殺傷力は皆無だが、異物が面の下に入り込んだオイパーゴスは鬱陶しそうに顔の触手を震わせて液体を噴射し、粒を吐き出してからケランダットを見下ろした。
「ちっこい人間が偉っそうに……そんなに早よ取り組みたいっちゅーんならワシも喜んで進めたろうやないの。ホイ、後ついて来なや。嬢ちゃんと合流して実験開始や」
雰囲気の変わったオイパーゴスにもケランダットは臆することなく舌打ちを決め、言われた通り城へ向かう大きな丸い背中を追った。
並ぶ二人を見た時のエカノダの表情は、なんとも切なげであった。
特にケランダットに対して”本当にやる気なの?”と気遣わしげに尋ねてくるので、呼び出された理由について詳しく聞かされていなかったケランダットは今更ながらに隣の巨漢に問うた。
「おい、一体何をしようってんだ。事によっては拒否するぞ。俺は他の奴らと違ってお前を信用してないからな」
「ハァ〜……腕の治療までしてあげたのに恩知らずな子やねェ。そもそも文句言える立場かい? キミを呼び出したんは、嬢ちゃんの能力でキミを他の魔物みたいに強化してもらうためや。地獄の陣取り合戦において神の如き輝きはとぉーっても重要やからなァ、軍団のためにもキミには強くなってもらわんと困るんやわ。そんでもってワシ、この件に関してはベルトちゃんに”よう面倒見といて”とヨロシク言われとるのね。あの子たってのオネガイをキミは拒否するんかいな?」
オイパーゴスの煽るような言葉にケランダットは分かりやすくたじろいだ。
エカノダが案じるということは危険を伴う行為なのだろう。事前に何の説明もしてくれず、あまつさえこんな胡散臭い魔物に自分の命を預けるなんて……ケランダットはベルトリウスに対して勝手に裏切られたような気持ちになり、また持ち前の陰鬱の気が体に重くのしかかった。
「……強化するつったって、俺は人間だ……魔物のやり方で上手くいくのか」
「まぁ、何事にも失敗は付きもんや。でも肉体が崩壊しきる前にワシがきっちり治したるから安心してな! 多少のシンドさは我慢や!」
「んなことして……失敗の影響で体がイカれて魔術が使えなくなったらどうする? そうなりゃ俺は、それこそここにいる意味がなくなっちまうだろうが……」
「キョキョッ! まぁ、捨てられちゃうカモね。でも成功すればエエだけの話やん? 今んなって拒否したって、根性ナシ言うて愛想尽かされるかも分からんし……ま、ハナっからキミに拒否権なんてなかったっちゅーことやね! 諦めて実験をはじめまショ!」
明るい調子で逃げ道を潰すオイパーゴスの嫌らしいやり口にケランダットが追い詰められていると、見兼ねたエカノダが溜息を一つこぼして助け舟を出した。
「やる前から不安定にさせてどうするの。それに、私は本人が同意しない限り許可しないと言っていたはずよ。無理強いは同意ではないわ」
「キョア”ッ”!? まァーーた甘いこと言いくさってホンマッ……! ……ネェッ、キミが早よ答えんからこんなこと言われてますケドッ!? やんのッ!? やらんのッ!? どっちなのンッ!?」
オイパーゴスがぐいぐいと面を寄せて迫ると、ケランダットは口をもごつかせながら小さく呟いた。
「……やる」
「お前ねぇ……知らないわよ、私は止めたんだからね。後で文句を言っても――」
「ホォォーーラッ!! コレッ、同意やんねッ!? やる言いましたヨねッ!? ほなら気分変わらんうちにタマゴのお部屋へ駆け込みまショウねェーーーーッ!!」
「ちょっ、何すんっ―― !!」
まくし立てたオイパーゴスは格納していた羽を広げると、驚くエカノダとケランダットを両脇に抱えて浮き上がり、普段は見せない素早い飛行で城内を駆け抜けた。
そしてあっという間にお馴染みの卵の部屋に辿り着くと、巨影の前に二人をドンッと押し出して解放した。
「ホイ、すぐ始めて。すぐすぐ始めて。もう無駄は問答は受け付けまセン。チャッチャと終わらせて
わざと相棒の名前を強調して言ってやると、ケランダットは渋々といった動作で卵に触れた。
そのまま吸い込まれるように中へ消えてゆくと、エカノダも観念したように彼が触れた場所と同じ位置に手を添え、目を閉じて操作を始めた。
深淵は果てなき暗闇の揺り
それは邪気で肉体を構築した者にのみ許される抱擁で、亡者は如何なる生者も歓迎することはない。
―― 何故生ける者がここにいる? 何故生ける者が怨嗟の中に漂う? この無限の苦しみに望んでやって来たというのか? 何故……あぁ……愚かな……愚かな……。
―― 代わってくれ、代わってくれ!! ここに居たいんだろう!? 代わってくれよ!! もう嫌なんだっ、充分苦しんだっ!! あとどれだけ潰されて引き伸ばされて回って回って回って回回回回回回回回回回……。
―― 坊やっ、坊やなのっ!? お母さんはこっちよぉ!! 助けてぇ!! 迎えにきてぇ!! 坊やぁ!! わたしの坊やぁ!! お母さんよっ、お母さんはコココココココココォホホホホホホホホッ!!
―― イ”ヤァァァァァァァァァァァァッ”ッ”、イイ”ィ”ィ”ィィィヤァァァァァァァァァァァァッ”ッ”!!!! ン”ギィィィィィ”ィ”ィ”ィ”ナ”ア”ア”アアアアアアッ”ッ”!!!!
―― 見えません……見えない……見えません……見たくない……聞かない……聞きません……聞きたくない……聞けま…………アレ、今…………あっ!! 誰かいるぅっ!? おーーいっ、おーーーーいっ、こっち来てーーーーっ、数えようよーーーーっ、一緒になろうねぇーーーー!? 見聞来してぇーーーー!? アッ、あああああああいかないでぇーーーーーーっ、アッ!! アッ!! …………あーあ。
―― ジマニェ? ア、オノミッ? オロ……リリルパスチェ、エルイカバネッ、ドュミナイネネップリシ!! ヒヒッ、ヒシベッ!! オロッ!! ィギルッペンナー、ウェダチッ!! フベッ、フベッ!! ヴィダランコチェミニバーダリャクスカコンチャブグロムッチャイオロブスッ、オロブステーッヨッ!! イニーッ!!
「ゔッ”……、エ”ェ”ェ”ッ”!! ゲボッ”!! グェ”ッ”……ゲェ”ッ”!! うぇッ”……、ゔっ……ゔブぅッ!!」
「アララ、失敗」
卵から這い出たケランダットは、たまらず嘔吐した。
あれは現実であって現実でない。自身を引きずり込もうとする亡者達の叫びや感触が頭にこびり付いて離れないのに、どこか夢であったような虚無感に襲われていた。他者の恐怖が己が心に転写される……一体どれが自分の記憶で、どれか別人の記憶なのか? 視界が定まらない。ぐるぐると上下が入れ替わっている。地面にうつ伏せているはずなのに、こちら側が空中である気がする。定まらない……定まらない……。
三十分もの間、地面を掻きむしりながら胃液しか出ないほど吐き続けたケランダットは、ようやく本物の”自分”に辿り着いて息の整え方を思い出せるようになった。
そして悠長に自身を見下ろしていたオイパーゴスに向かって、悲鳴にも似た怒りをぶつけた。
「む”っ……む”りだっ!! 耐えれるがっ、ごんなもん”っ!!」
「なんや、思ったより元気そうやん。案外次で成功するんやない?」
「やめなさい……見て分かったでしょう。やはり人間には負担が大きすぎるのよ。何か別の方法を考えましょう」
なんとなく予想は付いていたが、ここまで苦しんだというのに強化に失敗してしまったことに対してケランダットは酷く絶望していた。
ベルトリウスが望む限り、自分はこの挑戦から逃れられない。次こそは亡者共に己の心の芯を折られるかもしれないと……彼らに取って代わられるかと思うと……あまりの恐ろしさに、未だに止まっていなかった体の震えがさらに増してしまった。
ケランダットの反応を見てエカノダは完全に二度目を諦めていたが、オイパーゴスは面の奥の瞳を火花のようにバチバチと点滅させた。
「あンなァ……世紀の大発明が一度や二度の試行で生まれると思っとるんか? キミらに足りんのは”犠牲の心”や。ワシはなァ、キミらを見とるとベルトちゃんが不憫でならんのよ。あの子ばっかり貧乏くじ引いてなァ……エェ? 本人がヘラヘラ笑っとるから平気やと思っとるんか? あの子はワシの領地で戦ってた時、ワシの獄徒に胴体を食い散らかされて最終的には首ひとつになったんやで? それでも死にきれず、あの子は生きとった。自らの意思で死ぬこともできず、ワシらには想像もできひん苦しみの中で命を繋ぎ止め、ンでいざ復活したら敵であるワシを口説き落としてキミらの尻ぬぐいに奔走して……」
オイパーゴスの口から語られる事実に二人は心臓をえぐり取られたような気分になった。エカノダはマスクでほとんど隠れた顔を歪めて俯き、ケランダットは動揺により再度こみ上げてくる吐き気に嗚咽を漏らした。
オイパーゴスは本気でベルトリウスを哀れんでいるつもりではなかった。ただ二人を刺激するために感情的な言い方をしたまでだったが、この仲間となった者達の生半可な態度を見ているとむかっ腹が立つのは確かだった。
「あの子、キミらにそういう裏事情話しとらんのやろ? 恥ずかしい連中やね……キミらは悪いコトぜぇんぶあの子に押し付けて、ジブンらは上澄みをすすっとるわけや。中途半端にイイ子ちゃんぶって我が身の甘っちょろさを正当化して、ホンマ面の皮の厚い連中やで。ワシはあの子のたくましさに惚れてここに来たんや。
屈折した歩脚をその場で上手くかがませると、オイパーゴスはしゃがんだ先で這いつくばるケランダットを、首を傾げて見下ろした。
「誠意くらい見せようや。ジブンの代わりに死んでくれとるんやから」
「……や、や”る……もう一度、や”ってやる……っ」
「一回だけかい? ショーモナ」
「つづけては無理なんだよぉ”!! やすませろデブ虫がぁ”っ!!」
友を想ってか、己の不甲斐なさを恥じてか……涙と鼻水を垂れ流してうつ伏せて泣くケランダットに、オイパーゴスは冷めた溜息をこぼした。
エカノダに支えられながら立ち上がったケランダットは、ぐずぐずと鼻をすすってうなだれながら卵へと向き合い、荒い呼吸を整えるように何度も息を吸っては吐いた。
「本当に続けるの? せめて、もう少し時間を空けた方が……」
「……おっ……おれはっ、自分の価値を証明しなくちゃならないっ……あいつが死にものぐるいで生きてるのにっ、隣に立つおれがやらないわけにはいかないんだっ……! おれは使えない人間だと思われたくないっ……見捨てられたくないっ……ここで踏ん張らなきゃダメなんだっ……!!」
己に言い聞かせるように殻に手を付けたケランダットは、再び深き闇の海へと飲まれていった。
エカノダはまた一つ良心を殺した。
殺しても殺しても湧き上がるこの情というものは、彼女が歩まんとする道に茨のツルを絡ませていた。
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