80.ああ、聖女様!

 護公会議を終えてから二週間。ガガラは様々な地方からやって来た訪問客と地元住民とで、街中ひしめき合っていた。飯屋や宿屋は以前にも増して繁盛し、全店から売上をついばんで保管していた城内の金庫には、たくさんの硬貨が積み上げられていった。

 そもそも何故こんなにも来訪者の数が増えているのかというと、それは新たに街に誕生した”名物”が原因であった。



「串焼き二本」

「はいどうもぉ。すぐ焼けっからねぇ〜」

「……なぁ、ここの聖女様の力って本当なのかい?」


 第二市場のとある屋台を訪れた客は、串に刺したウサギ肉を焼いている店主に向かって声を掛けた。……以前の反省を活かして人間らしさを意識したは、人当たりの良い笑みを浮かべて客を見上げた。



 エイレンがブノーシュに滞在していた頃にベルトリウスが新たに企てていた作戦……それがこの、”聖女の奇跡”だ。

 まず街の外で活動している人形達に行く先々で、どんな怪我や病気でも治してくれる令嬢がいるという作り話を広めさせた。無論、エイレンふんするミェンタージュに治癒の能力などない。口当たりの良い噂を流して各地から人間をおびき寄せ、城内で体を乗っ取ろうという寸法だ。

 最初の五日間は人が集まらなかったが、噂を流して七日目には体の一部を欠損した人間が三名城を訪れ、人形と化した彼らを元の集落へ戻して絶賛を口にさせると、翌日からドッと人が増えた。なんせ腕がなかったり、視力が完全に失われていた人間が嘘のように回復してはつらつとしているのだから、近隣住民達は我先にと財産を握り締めて持病の治療に街を訪れた。

 加えて、聖女と名乗るからには無償で応対すると宣伝したのも受けが良かった。訪問客を道中で襲おうとする賊を討つために警備隊を編成して各地を巡回させた効果もあり、人間の入りは飛躍的に伸びた。これも無給で動かせる手駒がいるからこそ行える荒業あらわざである。

 近日対談の約束を交わした東手ヌジマから近況に一驚する便りが届くほど、ガガラ……いやミェンタージュという少女は、国内で注目の的となっていた。


 こうして屋台で串焼きを買う客も、例に漏れず聖女の奇跡を受けに来た一人だった。半信半疑な男の不安をぬぐってやるかのように、店主であるエイレンの人形は景気のいい声で答えた。


「うちのミェンタージュ様は天から遣わされた御子みこ様さ! かくいうオレも治療を受けさせてもらった一人でな、ほれ見てみぃこの手! 何年か前に薬指と小指を野犬に食いちぎられたってのに、ミェンタージュ様の祈りのお陰で元通りよっ! あんな身分の高い御方が下々のために無償で力をお貸しくださるなんて……ぐすっ、素晴らしいお嬢様だよっ! お前さんも早く会えるといいなぁ!」

「お、おぉ……! そうだなっ、待ち遠しいよっ……!」


 涙ぐむ店主の話を聞いて期待を抱いた男は、坂の上にそびえる堅固な城を見上げて目を輝かせた。






 ……その”聖女”が住まう城の上階の一室。魔物の待機所と化した部屋には、パジオの部下である北部の執政官が今日の分の予定を報告しに訪れていた。


「本日は二十名の予約が入っております。うち一人、腕を欠損した者を実演に選びました」

「そう、ご苦労さま」


 人形との無意味なお喋りにもすっかり慣れたエイレンは、雑な挨拶を返して執政官を下がらせた。

 先程から腰掛けている鏡台の前で、変身して金に染まった自分の髪をせっせと結ぶイヴリーチの姿に頬が緩む。”神様のお使いなら、とびっきり可愛い髪型にしてあげるね!”と言われ、朝一番から色々な結び方を試されているが……どれも彼女の納得のいく出来ではないらしく、ああでもないこうでもないと解き直してはまた結ぶを繰り返されていた。イヴリーチが施してくれた髪型なら例えイノシシに踏み荒らされた花壇のようにグチャグチャに乱れていても気にしないのだが、小一時間ほど続く無駄な身支度に、ついに溜息を吐いたのが遠巻きに見ていた褐色肌の男だった。


「なぁ……そろそろお祈りの時間だぜ」

「もうちょっと! あと一回だけ試させて! ここの編み込みが綺麗にいかないの……コツは掴めてきたからっ、次こそいけるからっ!」

「今でも充分綺麗にできてると思うが……」

「全然ダメだよぉ!もぉーーっ、男の人ってなんにも分かってないんだねっ! 大勢の前で”奇跡”を披露するんだから、一番可愛いエイレンを見てもらわなくてどうするのっ!」

「どうもしねぇよ……つか、可愛くするんなら使用人とか本人にやらせるのが一番いいんじゃねぇの? 全身別人に変われるくらいだし、髪ぐらいどうとでもできるだろ」


 ベルトリウスの指摘にイヴリーチはムッと頬を膨らませた。共に過ごすうちに情が移ってしまったのか、この頃はイヴリーチの方もエイレンに執着し始めたようだった。自分の手で親友を美しく整えたいという気持ちが強いみたいで、幼少期の女子特有の空気感に押され、ベルトリウスは立つ瀬をなくしていた。

 結局一回どころか四回の挑戦を経てようやく送り出されたエイレンは、騎士が使用する甲冑かっちゅうに身を包んだベルトリウス同伴の元、私室を出て謁見えっけんの間として設けた客間へと向かった。




◇◇◇




 午前中に二十人の治療……もとい乗っ取りを成功させたエイレンは、本日最後の大仕事を終わらせるべく、片腕を失った鉱夫と共に第三市場にて用意された演壇の上にいた。

 この鉱夫はすでに人形と化した男で、これから行う見世物のために連れてきていた。騎士や兵士もエイレンの手駒、集まった群衆もエイレンの手駒……純粋な人間は奇跡をその身に受けようと田舎から足を運んできた体の不自由な者や、噂の真意を確かめようと野次馬根性で集まった見物客だけだった。

 そんな彼らに余計な思考を抱かせんまいと、数を占める手駒達は耳が壊れそうな大歓声で場を盛り上げた。


「ミェンタージュ様ーーーーッ!!!!」

「ミェンタージュ様っ、先日助けていただいた者ですっ!! あの時はありがとうございましたぁーーーーっ!!」

「うおおおおおおーーーーっ!!!! ミェンタージュ様ぁーーーーっ!!!! こちらにも麗しきお顔をお見せくださぁーーーーいっ!!!!」

「ミェンタージュ様ぁあーーーーッ!!!!」

「ミェンタージュ様ああああーーーーーーッ”!!!!」


 ビリビリと空気を震わす声に気圧され、人形の群れに混じっていた純粋な人間達は胸を高鳴らせて演壇に立つ少女を見上げた。


「皆さんお集まりいただき感謝します。それでは、本日の公開治療を始めたいと思います」


 そう言うとエイレンは鉱夫に向かって頷き、失くした左腕の欠損部分まで服をまくらせた。肘から下がない左腕が露わになると、エイレンは年月を経て完全に塞がってしまっている傷口に手を当て、ケランダットが監修した古代語を詠唱した。


「”ポネアーの名においてポネアーコクィム・慈悲を与えるエダー・ルシィム”」


 万が一、人間の魔術師が耳にしても違和感を持たれないようにと組み合わせられた言葉は、凛とした声に調和して一層彼女の神秘性を演出していた。

 詠唱が終わると同時に、エイレンは事前に手の中に埋め込んでおいたオイパーゴスの分泌液をたっぷり染み込ませた布を体内から押し出し、どの角度からも見えないように鉱夫の傷口に密着させた。肉の高さが不揃いだった欠損部分はたちまちに新しい骨肉を構築していき、エイレンが手を離して十秒も経たぬ間に、節くれ立った爪先までもが完璧に再生させた。


 タハボートでは魔術を併用した外科手術が推奨されていたが、現在ではまだ”結合レジュラコ”という対象同士を繋ぎ合わせる縫合ほうごうの役目を果たす古代語しか実用されていなかった。危険も代償もなしに肉体を再生させられる夢のような古代語が見つかればいいのだが、そんな都合の良いものは存在せず……医学界は死体や罪人を使い、既知の古代語の中から応用の利くものがないかと試していた。

 とどのつまり、上流階級に属する優秀な医師であっても、存在しない腕を生やすことは不可能ということだ。賢人ですら説明できない事柄を、知識の乏しい平民が理解できるわけがない。人間にとって、理解を超えた現象は”奇跡”となる。この街で行われる催しの全てが一匹の魔物によって繰り広げられる虚構であると、誰も気付けはしなかった。


 息を呑んだ群衆から放たれた第一発声は雷鳴の如く広場を打ち鳴らした。

 最早誰が人間で誰が人形かなど見分けが付かない。人魔が入り乱れて咆哮を轟かせる中、エイレンは馬を鎮めるように手を小さく上下させて歓声を抑えさせた。徐々に静まる人々の視線は、春陽しゅんように照らされた壇上の少女に釘付けとなっていた。


「本日も多くの方を救済することができて嬉しく思います。本来ならば寝ずにでも治療を施して差し上げたいのですが……祈りの代償がことのほか大きく、体調を崩してしまうため、不本意ではございますが制限を設けさせていただいております。こればかりは、わたくしの不徳の致すところ……」


 エイレンが嘆くように眉を歪ませて口元を押さえると、市民は”おぉぉぉ……”と嗚咽を漏らし、健気な聖女に感極まって涙を流し始めた。まるで一つの共同体のように反応を示す群衆の姿は異常と言う他なかったが、遠巻きで見ていれば嫌悪感を覚えられた光景も、人形の輪の中に混じっていた人間達は奇妙さに気付くどころか、一緒になって感動に心打たれていた。

 演壇から覗ける人々の呆けた面に内心であざけりを入れながら、エイレンは偽りの微笑みを浮かべ、群衆にまた嘘を重ねた。


今日こんにち、タハボートでは各地で自然災害や魔物被害が多発しています。わたくしはこの災禍さいかを憂い、日夜天に祈りを捧げました。どうか悩める我々をお救いくださいと……すると先日夢の中で、ある女神様がわたくしにお返事をくださったのです。”ポネアー”様……御身おんみはそう名乗られました。ポネアー様はわたくしに、御使みつかいの命を授けてくださいました。以前より人の上に立つ身だからこそ、自分にしかできないことをやりなさいと……わたくしは敬服いたしました。こんなことを口にするのは無礼とは承知ですが、ポネアー様は地上での知名度が低うございます。これほど愛に満ち満ちた御方がですよ? 今まで信仰を集めなかったなんて、わたくしは信じられなくて……そして他者と同様に無知であった己が恥ずかしく……身を裂く思いです。ですから皆さん……皆さんもどうか、わたくしと共にポネアー様に祈りを捧げてください。我々下界の人間に無償の愛を与えてくださる女神様に、今からでも多大な感謝を……」



 エイレンがひと筋の涙を流して語り終えると、群衆は再び熱狂に沸き上がった。

 歓声と悲嘆の叫び……集団心理とは恐ろしいものである。”ポネアー”などという神は存在しない。信仰の対象としてベルトリウスが架空に生み出した女神を、人々はその場の雰囲気と少女の口上に乗せられて信じてしまったのだ。挙げ句にこの瞬間から手を合わせて祈りを捧げる者までいる。

 疑うことを知らぬ弱者のなんと御しやすいことか……エイレンの背後に控えるベルトリウスは、高台から覗ける愚鈍な人間共の喜びの表情を大兜の下でせせら笑った。


「それでは本日の治療を終えさせていただきます。皆さん、また明日お会いしましょう」


 エイレンは颯爽さっそうと背を向けると、寄り集まった騎士に囲まれて城へと続く坂道を上っていった。群衆は高台から広場へと下りてきていた鉱夫に群がりながらも、去りゆくエイレンの後ろ姿に名残惜しげに手を伸ばして叫んだ。


「あぁっ!! ミェンタージュ様が行ってしまわれるっ!!」

「ミェンタージュ様ッ……!! ミェンタージュ様、万歳っ!!!! ミェンタージュ様、万歳っ!!!!」

「ミェンタージュ様、万歳っ!!!!ミェンタージュ様、万歳っ!!!!」

「ミェンタージュ様、万歳っ!!!!ミェンタージュ様、万歳っ!!!!」

「ミェンタージュ様、万歳っ!!!!ミェンタージュ様、万歳っ!!!!」



―― ミェンタージュ様、万歳っ!!!!

―― ミェンタージュ様、万歳っ!!!!

―― ミェンタージュ様、万歳っ!!!!

―― ミェンタージュ様、万歳っ!!!!

―― ミェンタージュ様、万歳っ!!!!

―― ミェンタージュ様、万歳っ!!!!

―― ミェンタージュ様、万歳っ!!!!

―― ミェンタージュ様、万歳っ!!!!



 群衆の合唱はエイレンが城内へ入っていった後も続いた。その夜、城下の酒場では奇跡を受けた者達が中心となって聖女を称える歌を口ずさみ、新たに街に到着した訪問客らの期待や好奇心をくすぐった。

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