83.西手の怒り

「パジオは同行させるな、魔術が使えないと西手に知られたら厄介だ。今から連れて行く騎士も人間の頃から非術師だった平民出身の奴らで固めておけ。イヴリーチは連絡が入らない限り騒ぎを耳にしても部屋から姿を現すな。攻撃を仕掛けてこないところを見るに戦いを挑みに来たわけじゃなさそうだが、万が一戦闘に発展してこっちの分が悪けりゃ人形達をおとりにして地獄へずらかるぞ。適度にちょっかいを掛けながら奴らの気が抜けるのを待つ。ひと月やふた月の間ずっと気を張り続けるなんて無理だからな、顔色の悪い時を狙って奇襲を仕掛けてやるんだ。いいか、ここで勝負を決めようとするんじゃねぇぞ。殺り合おうとするな。特にエイレンは自衛する力がねぇんだから、イヴリーチに危険が迫ったからって助けにいくような馬鹿な真似だけはするなよ。お前は俺らと違って替えの利かねぇ侵略の要なんだからな」


 大股で歩みを進めながら流れるように指示を出すベルトリウスの声を、後をゆく少女二人は顔を強張らせて聞いていた。

 エイレンは彼の言う通り、平民から成り上がった下級騎士を召集した。廊下の曲がり角から一人、階段を下りた先でまた一人と、次々と人が加わり長くなってゆく列を使用人達は無表情で見送った。



 依然、街の入口……外道を上った先の大門の前で群れている招かれざる客の元へ向かうと、人形である門番らをじっと睨み構えていた武装集団がこちらへと注目を移した。


「どうもミェンタージュ嬢、連絡もなしにすまないな」

「そう思われるのでしたら先に使者を寄越してご一報くださればよろしかったのでは?」

「ぶぁははっ! やけに攻撃的ではないか! いやな、境域付近で魔物の征伐せいばつを行っていたのだが、思わぬ反撃を食らってしまってな。ほら」


 そう言って左腕を掲げてみせたランカガの前腕部分には、確かに籠手こての下で血の滲んだ布が巻かれていた。


「自領よりガガラの方が近場であったので寄らせてもらった。ただ手当てを頼みたいだけだ。西の護り手の命に関わることだというのに、ここの門番は上からの許可がないと入れられぬと通せんぼしてなぁ……ああ、こうしている間にも一体どれだけの血が失われてゆくことか! もうあと何分この場で突っ立っていれば案内が始まるのだろうな? まさか、聖女と持て囃される者が手を差し伸べる対象を選り好みするなど、あるはずがないよな?」

「……配慮が足りず、申し訳ございませんでした。どうぞ城へ。門番達には後で然るべき罰を与えておきますわ」


 控えめに頭を下げるエイレンとそれに続く北の民を見つめ、ランカガはにこやかに”そうか”と短い返事をした。

 目付きの鋭い西部側の騎士らもあわせて城へ向かうと、ランカガは不用心なことに仲間の同席を自らしりぞけ、彼らに外で待機しているよう告げた。六名の配下はためらう素振りも見せず、命に従い自領の長を一人置いて玄関ホールまでつかつかと並んで引き返していった。有り余る自信の表れに不審感をつのらせるエイレンとベルトリウスは、コバエを通して秘密裏にやり取りを行い、今回は”如何にしてボロを出さずお引き取りいただくか”ということに専念した。



「ただのかすり傷のようです。この程度なら薬を塗布とふして体を休ませれば直に治るでしょう。今日のところはお泊まりになっていってください。念の為、アラスチカ家でお世話になっているお医者様にお声掛けしておきますわ。ひとまず客間へご案内いたします」


 そう言ってエイレンが今程腰掛けたばかりの椅子から尻を浮かせると、ランカガは拍子抜けしたように片眉をつり上げた。


「なんだ、祈りとやらを行ってくれないのか? 魔物が付けた傷だというのに素人目で軽々しく大丈夫などと言い切って……体内で毒が働いていたらどうする? 護り手の座は君が思っている以上に重い役なのだぞ」

「一日に治療できる人数には限りがあるのです。先程限界まで治療を行ってしまったので、次に力を使えるのは早くても明日の朝になります。今のわたくしにできることは医師の手配ぐらいなのです」

「下々のことは治療するくせに、領主である俺は治せないと?」

「こればかりはどうしようも……自ら魔物退治に向かわれるのはご立派ですが、このように軽傷で臆病になられるくらいでしたら今後は戦場に医師をお連れになられるか、領地で部下の方からの報告をお待ちになられるのがよろしいかと」


 暗に"文句を言うくらいなら自城に引っ込んでろ"と告げると、意を汲み取ったランカガは表情をそのままに、纏う空気を零下れいかに引き下げてエイレンを貫き始めた。


「君は母君の喪失を受けてから一切の魔術を使用できなくなったな。他に子をつくらぬパジオも悪いが、心血注いで育てた子がここまで不出来だと奴も哀れだよ。ようやく意義のある能を身に付けたかと思えば、今度は使用に限度があるだと? いくら特別な力を有していても、必要な時に役に立てない人間というのは結局のところ無価値と同列なのだ。分かるかな、ミェンタージュ嬢?」


 泰然たいぜんとした態度で答えるエイレンが面白くなかったランカガは、これでもかというほど嫌味の羅列を展開した。”本体ミェンタージュ”であって”本人ミェンタージュ”ではないエイレンにしてみると痛くも痒くもない台詞なのだが、このまま渋り続けていると、何かしら治療の演技でも見せない限りランカガは大人しく客間へ移動してはくれないだろう。

 エイレンが俯きがちに次の打つ手を模索していると、らちが明かないと考えたベルトリウスがランカガの視線を遮るように、両者の間に手を割り込ませた。


「あまりお嬢様をお責めにならないでください。本来こうしてお話されるのもやっとなのです。どうか、これ以上はご容赦を……」

「何だ貴様は? 従者風情が伺いも立てず会話に割り込んでくるとは不躾な。このランカガ・スタウツーデュに向かって物申すとは見下げ果てた命知らずだ。名を述べよ、家の取り潰しで勘弁してやる」

「……ベルトリウスです。平民出なので家名はありません」

「平民? では俺は平民上がりに注意を受けたのか? ああ……なんということだミェンタージュ嬢よ、北の教育は相当にたるんでいるらしいな。俺に軍を預けてみよ、一日で全兵の姿勢を正してやろう」

「……重ねての非礼をお詫び申し上げます。全ては未熟であった己のとがです……お嬢様へ責を向けられることだけは、どうか……」

「愚かな、まだ言うか。面も取らぬ無作法者の言葉など、耳に入れるだけで憤りが芽生える」


 偽りの笑顔だったとはいえ、ついに表情をなくしたランカガから指摘されたベルトリウスは、ぎこちない動作で自身の顔を覆い隠していた大兜を外した。そして……被り物の下にあったぼうが現れたその時、ランカガの目は今までにないほど大きく見開かれた。



「大変申し訳ありませんでした。私のことは如何様にも――」

「貴様ユージャムルの者か」



 次の瞬間、ベルトリウスの眼前に突如として血が舞った。


 ベルトリウスは異変の湧く胸部分を手で押さえながら後退した。座って何かを呟いたランカガが一瞬うちに剣を握って立ち上がり、凄まじい速度の抜剣で己の首を斬り落とそうとしたのだ。向上した視覚で一連の動きを捉え、何とか急所だけは外したものの……上体からは絶え間なく赤い液体が流れ出るので、反射的に毒に変換されないよう慌てて能力の調整を行った。

 以前地獄へ寄った際にエカノダに痛覚をなくしてもらっていて正解だったと、ベルトリウスは床に手をつきながら痛々しく呻きを上げ、怪しまれないように演技してみせた。


「ぐぅ”っ!? ゔッ”、ん”ぉ”ぉ”っ”……!!」

「せっ、西手様っ!? なにをなさるのですかっ!?」


 呆気に取られたエイレンもすぐに調子を合わせ、うずくまるベルトリウスを抱えるように手を添わせた。すると、二人を見下ろしていたランカガは害虫でも眺めるような目付きで吐き捨てた。


「此奴はユージャムル人であろう。この浅黒い肌はかの蛮族特有のものだ。ミェンタージュ嬢……君は逆賊か? なにゆえこのような男を連れ歩いている。よもや北部は敵国の手に落ちたのではあるまいな」

「一体何の話をなさっているのですっ!? 彼はこの街の生まれです!! 成長して自ら志願して兵役を勤めっ、実力で騎士の位についた者なのですよっ!? こんな不当な仕打ちはあんまりですっ!!」

「……これだけは覚えておけ、俺は己が所有物に手を伸ばす者を決して許しはせん。この国は俺の物だ。侵略者共には必ず報いを受けさせてやる。残念だ、愛すべき隣人よ」


 エイレンのそれらしい嘘など聞き入れず、金の瞳は冷たく輝いて部屋を去った。大柄な獅子が立てる足音はとても静かで、今しがた廊下へ出たはずが、あっという間に城の外へと移動していた。

 遠ざかる背を窓際から見つめながら、エイレンは小さな影と化す西手にかき乱された胸の内を落ち着かせるために、仲間の男に真情を吐露した。


「本当に帰ってっちゃった……すごく怒らせたみたいだけど、大丈夫なのかな……」

「泊めるよりはマシだったろ。はぁ〜……にしても、魔術師って情緒不安定な奴ばっかりなのか? 余所サマの部下に突然斬り掛かるとか頭沸いてんだろ。見ろよ、鎧は半壊……強化した肉体にもこれだけ深い切り目を入れてやがる。腕力だけでこうなら並の人間なんて話にならないだろうな。痛覚なくしといて正解だったぜ」

「あの男……すごい殺気だった。あなた、知り合いってわけでもないんでしょう? ただ敵視している国の人間と同じ肌の色をしているからって、あそこまで攻撃的になるものなの?」

「いいように捉えれば、西手様にも付け入る隙があるってことさ。まぁ……気にする奴なんてあんなもんだよ。あの手の絡みには昔から慣れてる。髪の色を気にしたり、肌の色を気にしたり……ああいう輩はどこにでもいるもんさ」


 面倒くさそうに肩をすくめて言うベルトリウスに対し、エイレンは何とも言えない顔で彼を見た。


「……そういう可哀想な話、イヴの前では話さないでね。イヴ優しいから、あなたみたいな酷い人にも本気で同情しちゃう」

「はぁ? 同情だって? んなもんこっちから願い下げだ、反吐へどが出る。……俺が言いたいのはなぁ、俺くらいツラのいい男でさえ、しょうもない見た目の違いでどうこうけなされちまうってことだ! そりゃあ世界から争いがなくならないわけだぜ」

「……自分で言ってて恥ずかしくならないの?」



 西の一行が街を発ったのを城下の人形達の目で追って確認すると、エイレンは使用人を呼んで床に広がった血を拭き取らせた。掃除を終える頃にはベルトリウスの胸にできた赤い一線も自然治癒力で綺麗さっぱりなくなり、獄徒達はまた各自で行動するようになった。


 ……この日、ランカガ・スタウツーデュという男の怒りに火をつけてしまったことを、二人は後日痛いほど後悔することとなる。

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