55.残酷な歯車が回り出す

 あれから牢に閉じ込められたイヴリーチは、定期的に運ばれる食事を待つだけの手持ち無沙汰な生活を送っていた。

 何度かベルトリウスに言葉を発信してみたものの、返事はなし……”回復したら連絡する”、と言われていたのもあり、まだその時ではないのだろうと信じることにした。


 時折、ミェンタージュが訪れては扉に付いている横引きの小窓を開け、つまらない話を聞かせて帰ってゆく。やれ疲れてないかとか、やれ欲しい物はないかとか。今日は天気がいいから、こんな寂しい場所から連れ出して一緒に散歩したいのに……とか。


 彼女に話し掛けられると、イヴリーチは決まって悲哀に満ちた表情を浮かべ、そばに寄って格子越しにじっと姿を見つめ返した。

 しかし、その唯一の来訪者は軽く微笑むだけですぐに帰ってゆく。

 終わりの見えない軟禁状態にやきもきしたイヴリーチは、早々にミェンタージュに懐く方向に決めた。



 いつものように地下へ足を運んだミェンタージュが様子を窺うべく小窓を引くと、イヴリーチは寂しそうに扉に近付いて、小さな隙間から手を伸ばし、日に焼けていない貴族特有の真っ白な頬に指を添えた。

 人差し指で恋しそうにスリスリと撫でてみると、ミェンタージュは今までにないほど満足げに笑って帰っていった。

 そして次に訪れた際、ミェンタージュはイヴリーチがいる牢の鍵を解錠し、重苦しい鉄扉を開放した。


「さぁ、付いてらっしゃい。あなたも人に慣れてきたようですからね、もっと良い部屋に移してあげますわ」


 ミェンタージュはイヴリーチの手を優しく取ると、絶対に離れないようにと念を込めるかのように指を絡ませてきて、自らの方へと引っ張った。


 地下牢の見張り兵二人をお供に階段から上の階へと顔を出すと、ちょうど出入り口付近で掃除をしていた城の使用人女性四名に姿を見られた。

 悲鳴を上げるかと思いきや、彼女らは落ち着いた様子でミェンタージュに挨拶をし、一瞬目に動揺を浮かべたものの、イヴリーチにも同じ微笑みを向けた。

 イヴリーチが不可解な面持ちをしていると、察したミェンタージュが顔を覗き込んで囁いた。


「ここの人達は良い人でしょう? 誰もあなたを傷付けないわ。みんな、あなたが大好き。あなたを歓迎しているわ」


 ミェンタージュの言葉に同調するように使用人達がうんうんと頷く。

 必死に恐怖を隠し通そうとしているのが見え見えだった。四人共雑巾を持つ手は震え、その笑みはぎこちない。恐らくミェンタージュに言い付けられているのだろう、”蛇の魔物の警戒を解くために愛想よく振る舞え”……と。


 とんだ茶番だ。

 イヴリーチは幼児のように首を傾げ、ミェンタージュの手をギュッと握り締めた。


 その後も別の使用人や警備で徘徊している兵士など、すれ違う人々は皆一様に貼り付けたような固い笑みでイヴリーチを迎えた。

 仲間を手に掛けた後でこんな出し物を披露されても不快でしかない。

 それでもイヴリーチはミェンタージュが喜ぶように威嚇を封印し、段階を踏んで徐々に口元を緩ませてみせた。



 薄暗さの中から昇る陽と空気の澄み具合からして、今は早朝なのだろう……驚くことにミェンタージュが連れて来たのは、広い中庭。建物の外だった。

 ここも現時点では”目的地までの中継地点”だったみたいだが、鼻腔を抜ける新鮮な冷気はイヴリーチの鬱々とした胸のモヤを浄化してくれている気がした。


 流石に貴族が有する庭は広いと、じっと景色を眺めていたイヴリーチは、ある点に気が付いた。

 この中庭にあるのは、葉を散らせた色の抜けた木々や、匠の技でなめらかな肌質を表現した一体の聖母像だけだ。内装は目が痛くなるほど華やかであったのに、この場所は冬のわびしさを感じさせる……悪く言えば、”貧相”な外観をしていた。


 この時代の庭の手入れというのは、主に女性貴族、特に当主の妻が担当していた。

 単に育てて楽しむという趣味の一環でもあるが、来客への見栄も兼ねている。

 男は外で戦い、女は家を守る……多くの社会階層で浸透している考え方であるが、貴族の場合、この”守る”は、”面子を守る”という意識が強く含まれている。

 どこの国の貴族も、如何なる状況であろうと優雅さを疎かにしてはいけないのだ。

 仮に統治する民が飢餓に喘いでいようとも、尊き者は良い生活を送らなければならない。優雅な生活を送れないのはその貴族の裁量が悪かったという証明になり、力不足として仲間内から蔑みの的となる。


 貴族は純粋な暴力だけでのし上がれる甘い世界ではない。一人の剛腕も、百匹の猫に同時に噛み付かれたならば、ひとたまりもない。

 面子が命に関わる世界なのだ。


 上に立つ者は、弱みを見せてはいけない。

 上に立ち続けたいのであれば。


 だから、冬に咲く鮮やかな花はたくさんあるというのに、手入れされているとは思えない中庭は異常性を語るには充分だった。

 イヴリーチが寂しい景観を食い入るように見つめていると、ミェンタージュは同じように中庭に目をやって言った。


「庭の良し悪しが分かるの? ふふ、嫌な子ね。……以前はお母様が管理していたのだけれど、わたくしが九つの時にお亡くなりになられてね。一応役目は引き継いだけれど、わたくしは園芸に興味がなくて。荒れちゃった」


 ポツポツと話すミェンタージュ。

 その声色には憂いなど微塵も含まれていなかった。


「こんなご時世ですもの。女であろうと生き残るために戦やはかりごとについて学んでた方が有意義だと思わない? せっかく整えた庭だって、負けたら敵方に踏みにじられるだけなんだから」


 淡々と述べる彼女が何に思いを馳せているのか、イヴリーチには理解できなかった。

 ”先に進みましょう”と、ミェンタージュはイヴリーチの手をぐいっと引っ張った。


 どうやらミェンタージュは離れの双塔を目指しているようだった。

 天に向かって伸びる長く巨大な塔は、根本である中庭から見上げると圧巻の迫力。二つのうちの、どちらか一方に、また軟禁されるのだろう。

 塔というのは用途によって構造が違ってくるが、目の前にあるのは絶対に逃したくない罪人などを最上階で隔離するためにある……そんな気がした。

 近付けば近付くほど見上げる首の角度が急になり、ないに等しい喉仏が薄っすらと出る。

 塔といえば長い螺旋階段。これから閉じ込められる最上階の部屋まで、ひたすら階段を上って行くのだろうか? 汗まみれになることを嫌悪しそうな、この不遜な少女も?


 それはそれで見てみたいと思うイヴリーチの前で、ミェンタージュは塔の入り口の見張り兵に扉を開放させた。

 ギギギッ……と鈍い音が響くと、現れたのは大人十名ほどが入れる鉄の檻だった。

 何故階段ではなく、こんな物が置いてあるのか……イヴリーチが眉をひそめていると、ミェンタージュは鱗の付いた手を取ったまま、共に檻の中へひょいと乗り込んだ。


「これはショーディが開発した自動昇降機なの。見ててね、この石を操作すると……」


 牢から同行させた兵士達も乗り込み、檻……昇降機のかごの、入り口の格子を閉じたのを確認すると、ミェンタージュは中心部に立つ円柱に組み込まれた手のひらほどの大きさの石を掴み、右に捻った。

 すると、建物内部に轟音が響き渡る。

 音は振動を呼び、かご全体を揺らした。イヴリーチが身を強張らせていると、かごは地面を離れ浮遊し、動き出した格子の隙間からは、所狭しと壁に設置された大小様々な大きさの歯車が回転しているのが見て取れた。


 ショーディ……姓名をショーデルカナル・カーディスという。

 将軍と些末さまつないさかいを起こしていた彼だが、代々アラスチカ家に仕える由緒正しき魔術師一家の嫡男ちゃくなんであり、その才芸は非常に秀でていた。

 特に彼が得意としたのが、”付呪ふじゅ”だ。


 付呪は己の魔力を対象に流し込むことにより、生命を持たない物質に何かしらの行動を記憶させたり、単体で魔術を発動させたりすることができるなど、活用法は多岐にわたる。

 実に使い勝手の良い力であるが、やはり魅力的なものには希少性が付いて回る。

 一般的に魔力は体を巡るものとされているが、付呪の際は魔力を体へと放出しなければならない。肉や皮膚など、何層にもわたる障壁を越えた先にある対象へと魔力を流すには熟達した技術が必要であり、例え万の軍勢を一撃で仕留める術師だろうと失敗に終わることもある。

 加えて、複雑な命令をかけようとすればするほど大量の魔力を注ぎ込まなければならないので、高い利便性に惹かれても、日々の少しばかりの空き時間と膨大な訓練量を考慮すると、身に付けようとする術師は少ないのだ。


 ショーディが行ったのは、ミェンタージュが回した、あの昇降機内部に設置された魔力が込められた石を起点とし、昇降機並びに関連する塔全体の仕掛けに作用する付呪だ。壁に取り付けられた歯車一つ一つに動力補助の文字を彫ってあるので、約七百キログラムまでの荷を一定の速度で上げ下げできる仕組みだ。

 普通なら人力で動かす昇降機を自動化し、無駄な労力を割かずに大きな塔を天辺から根本まで移動できる……この大規模な付呪を見れば、仕掛けを施したショーディの実力も窺えるというものだ。


 しかし、魔術とは無縁の生活を送っていたイヴリーチがそんなことを知るはずもなく、彼女は謎の乗り物で二階部分、三階部分と、僅かな足場を保管庫代わりに木箱を山積みにしている光景を上り過ぎながら眺めるだけだった。

 徐々に轟音が緩まり、最後にガシャンッという音と足元のぐらつきが訪れると、今までに見なかった足場だけではない、しっかりとしたフロアが登場した。


 兵士が閉め切っていた格子を開けると、ミェンタージュはイヴリーチの手を取ったまま檻の外へと足を踏み出す。

 しっかりとしたフロアといったものの開けていただけで、そこにあるのは螺旋階段だけだった。

 ミェンタージュは迷いなく螺旋階段を上って行き、突然現れたあの地下牢にあったのと同じくらい重く冷たい鉄の扉の鍵を開けた。


「さぁ、新しいお部屋よ」


 ミェンタージュが弾むように案内した先には、手の届く範囲に窓がない、塞ぎ込んだ孤独な部屋が待っていた。

 だが、全くの閉鎖空間という訳ではない。手の届く範囲にはないが、天窓はあった。

 天窓はまばゆい光を降り注ぎ、ポツンと置かれた簡素なベッドと、その上に寝転がっている子供が持ち歩いてそうな人形を明るく照らしていた。


 しばらく新たな部屋で時間を共にしたミェンタージュだったが、いつものつまらない話が終わるとイヴリーチを残し、ご丁寧に鍵を掛けて本城へと戻ってしまった。

 残されたイヴリーチは人形の頭を揉み潰しながら、いささか質の上がった部屋での退屈のしのぎ方を考えていた。

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