54.分かち合えないもの
お国柄だろうか。塗料で渋めの赤に彩られた壁や床、先程の部屋にあった金や銀色に光る装飾品など、城内にあるものはどれもこれもが綺羅びやかだった。燭台ひとつとって見ても、ダストンガルズ家では青銅製の落ち着いた色味のものを使用していたのに対し、こちらは全て
歩を進める度に揺れるミェンタージュのしなやかなブロンドは、華やかなこの建物を巣食う病魔のように
「本当は客間をあてがいたいのだけれど、多くの人間が行き交う上階はストレスになるでしょうから、それなら地下の方がいいわよね? 良い環境とは言い難いけれど、劣悪とまでもいかないから大目に見て」
ミェンタージュは少し砕けた喋り方で、地下へ繋がる入り組んだ階段を
背後を気にすることなく足取り軽やかに進むミェンタージュを、城仕えの魔術師ショーディはハラハラした目で最後尾から注視していた。適当に連れてきた兵士二人を挟んでいるとはいえ、ミェンタージュの後ろには彼女達からすれば得体の知れない魔物が続いているのだから、世話役を預かっているショーディには心労の元であった。
とはいえ、現時点で事件を起こすつもりのないベルトリウスとイヴリーチは大人しく階段を下り、ミェンタージュを追う。そして、分厚い鉄の扉が並ぶ地下牢に辿り着くと、ミェンタージュはお付きの兵士に指示し、最奥の一番広い独房の扉を開けさせた。
「さぁ、あなたの一時的なお部屋よ。何もない所だけれど、長い体をゆっくり伸ばすことぐらいは出来るわ。どうぞ、お入りになって」
カビ臭く湿った地下牢とは対照的な明るい笑顔に勧められるが、イヴリーチは隔たれた空間へすぐに向かおうとはせず、まずはベルトリウスへと相談した。
『どうすればいい……? なんか嫌な感じ……中に入るべき?』
『そうだな……状況的に入るしかないが、すんなり行くのもちょっと怪しいか。警戒してる風に振る舞え。俺と離れたくないって雰囲気を出すんだ』
イヴリーチは言われた通りベルトリウスの背中にサッと隠れ、抑えめの唸り声を上げながら、顔をしかめてミェンタージュを睨み付けた。
「あっ、こらっ! これからお世話になる人にそんな態度取っちゃだめだろ! すみません、本当に……」
「可愛らしい反応ではありませんか。気にしてませんわ。……それよりも、一つのものに依存しているというのは不便ですわね。あなたがいると、あなたにベッタリになってしまう。これでは他の人間との交流なんて不可能。荒療治となりますが、ここはあなたに消えてもらい、その穴を埋めるべく城の使用人達に献身的に世話をさせ、徐々に多くの人間に慣れていってもらうのが無難でしょうか」
「……は?」
「あら、今ので分かりませんでしたの? 下民は長い言葉を聞き取れないんですねぇ。"あなたには死んでいただく"、と言ったのです」
「なっ――」
ミェンタージュは薄く紅を引いた形の良い唇から突然に残酷な言葉を発した。
ベルトリウスは上の部屋でした会話のほとんどが意味のないものじゃないかと呆れつつ、自身の背に爪を食い込ませて動揺しているイヴリーチに念を押した。
『会話を理解していることを悟られるな。間違っても俺が殺されて反撃なんかするなよ? 悲しいってんなら遺体に縋り付いて泣いてるフリでもしてろ』
『でもっ……』
『安心しろ、死んだら地獄からまた降りてくるだけだ。むしろ一度死んだ方が奴らの警戒も薄れ、工作活動がやりやすくなる。ここは素直に殺されよう』
子供故の甘さか、元より仲間意識が強いせいか。"でもでもだって"と渋る呟きが、ベルトリウスの頭の中に行き交っていた。
生存は諦めたベルトリウスだが、だからといって”じゃあどうぞ殺して下さい”と、すんなり死を受け入れるのは不自然だ。後ろに隠れているイヴリーチを頼るように小さな肩を掴んで自身の前に押し出すと、分かりやすいくらいに反応してみせた。
「なっ、なんで俺が死ななきゃいけねぇんだっ!? この子は俺の言うことしか聞かないんだぞっ、俺を殺したら――」
「ええ、だからわたくしどもが直接手を下すわけではありません。その子にやってもらいましょう」
「はぁっ!? 意味のわかんねぇことをっ……!」
ミェンタージュは喚くベルトリウスをクスクスと嘲ると、透き通る翠眼を細めて言った。
「考えてもみなさい。その子を制御するためにあなたがいるなら、売れた後は? 彼女がいるから役立つ人間としてこの城にいるのに、新しい飼い主の手に渡ればあなた、価値のなくなった自分が、本当に大金を手にして無事にガガラを抜け出せると思っていますの? 権力者が虫ケラ相手に大事なお金を捨てると? どうせ、その子が落札された裏で始末されるのがオチです」
「は……ぁ? そ、そんな……」
「それともう一つ。これは個人的なことですが、わたくしもその子が人を殺める瞬間を間近で見てみたいの。ジョウイだけ傍で鑑賞するなんて、卑怯だわ。わたくしも楽しみたいの」
やはり裏競売を指揮する領主の娘がまともであるはずがないか。
そう思いながら、今度はベルトリウスがイヴリーチの背中に隠れるように縋り、顔を伏せて情けない声を漏らす。
「くそっ、だからって……そんな馬鹿な話を信用して、むざむざ殺されてたまるか!」
「稚拙な言葉遣いですこと。ふふ……わたくし、しっかりと策を考えておりますのよ? まず、あなたはその子に突如として暴力を振るう。わたくし達は困惑した様子であなたを止めようとする。その子も驚きながら、暴れるあなたを仕方なく攻撃する。悲嘆にくれる彼女をわたくし達が慰めて、そして打ち解けて……どう? 完璧な計画でしょう?」
「んなもん上手くいくわけないだろっ!! 俺がこの子に命令してっ、ここであんたら全員を殺して逃げれば……!」
「その時は彼女に鎮静の魔術をかけます。動きを封じる代わりに思考も停止してしまうので、生物に掛けると面白みがなくなりますから……最終手段にしておきたいの。うちのショーディは過去に魔物の討伐も経験したことがある優秀な魔術師ですから、一秒も経たないうちに術を放ち、無力化することが出来ます。……とまぁ、長々と語りましたが、彼女を当てにしても、あなたの死は遅かれ早かれというだけで決定事項というわけです。ささっ、無駄な時間は掛けるものではありません! サクッと自滅して下さいませ?」
話が進むに連れベルトリウスの絶望の表情が深まると、ミェンタージュはキャッキャッと手を合わせ、面白おかしく死を急かす。その声に被さるように、頭の中にはイヴリーチの悲痛めいた激昂が響いた。
『信じられない、信じられないっ!! この女っ、遊びで死を迫るなんてっ!!』
『やーめろって。いいから俺を殺せ。別にイヴリーチを恨んだりしないよ。俺は死に慣れてるから大丈夫。今から仕方なしに襲う演技するから、君も仕方なしに反撃するんだ』
『そんなっ、お兄ちゃんはっ……お兄ちゃんは味方なのに……』
犬猫程度の知能しかないフリをするイヴリーチだが、その内では激しく怒り狂っていた。
ベルトリウスは頭の中で返事を終えると、宣言通りイヴリーチの背後から首を絞めるように掴み掛かり、グッと力を込めて叫んだ。
「くそったれ!! お前と出会わなけりゃっ、お前を拾わなければこんなことにゃっ……!!」
「ヴッ……!?」
「……あなたっ、何をやっているの!? おやめなさい!! あなた達っ、やめさせて!!」
「はっ!!」
体勢を崩したイヴリーチにベルトリウスが覆い被さり、手の力を強める。
もつれ合う二人に僅かに笑みをこぼしたミェンタージュは、すぐに声を張り上げてショーディと兵士二人に形だけの指示を出す。ショーディは棒立ちだし、兵士は剣を構えるだけで何もしないが……。
演技とはいえ、容赦なしに己の気道を圧迫してくるベルトリウスに、イヴリーチは本心から来る恐怖に怯えた。
思い出す、目の前の怪しい紫の瞳を初めて見たあの夜……妹の死因、妹が受けた恐怖、妹が受けた痛み。
あの子もこうやって男に覆い被さられて首を絞められた。どうして助けを求めた妹の手を取らずに、一人で逃げてしまったんだろう。
同じ体験をしているのに、強靭な肉体のせいでほんのちょっぴりの息苦しさしか感じない。体よりも、心が苦しい。
愛する者と同じ痛みを与えられないことが、こんなにも辛いだなんて思いもしなかった。
『イヴリーチ今だ!! 殺せ!!』
「お前なんかっ……ここの奴らもっ、全員死んじまえっ!!!!」
ベルトリウスの声が耳と頭で重複する。
イヴリーチは苦しみの末、尾を器用に動かしベルトリウスの腹に巻き付け、力いっぱいに絞め上げた。
人間のなりをしているが向こうも魔物だ。普通の人間よりも硬い肉に、ギュウウウッと中身を潰すように胴を捻りながら絡み付くと、至るところから血管の弾ける音や骨が折れる振動が、鱗を通して生々しく伝わった。
元より単純な力の勝負はイヴリーチに軍配が上がる。何から何まで粉砕されたベルトリウスは、先程まで恨み節を吐いていた口から臓物混じりの大量の血を噴き出した。
「ガッ!!?? オ”ッ、グブッ、ブェッッ!!!!」
「ぁっ……」
目から口から鼻から耳から。穴という穴、僅かな隙間からも血を垂れ流すベルトリウスを前に、イヴリーチは胸を抉られるような感覚に襲われた。
無縁の善き人は殺そう。親しき悪しき友は助けよう。
いつも締まりなく笑っている顔が、己の与える痛みで歪んでいる。
友好的な相手を、仲間を苦しめてしまった。
好意的な相手を手に掛けるなど、望んだ結末ではないというのに――。
「ぁっ……ぁぁぁぁああああ!!!!」
イヴリーチは頭を抱え、巻き付いていたベルトリウスを思わず近くの壁に向かって放り投げてしまった。耐え難い混乱。不快と恐怖から解放されたいと、解放してやりたいと色んな気持ちがごちゃごちゃになって及んだ行為だった。
頑丈な冷たい石の壁を破壊し、ベルトリウスは背中と後頭部を強打した。一層激しい痛みを上乗せされ、もう悶える声を上げることも出来なかった。辺りにはブクブクと血が泡立つ音が聞こえるだけだ。
傍目から見ればよく死なないものだと思えるはずなのだが、それは彼もまた魔物だから、と考える人間は存在しなかった。
ただ、令嬢が生み出した悪夢を共に楽しむか、おぞましい死に方に早く終われと顔をしかめる者だけ。
大粒の涙を流して立ち尽くすイヴリーチ……そこへ、あの囁きが頭の中に訪れた。
『よぅ、やっら……っ、かぃ……ふく、ぃ……たぁ、れっらう……す……』
”回復したら連絡する”
崩れた壁の下で、干からびた蛙のようにうつ伏せに倒れているベルトリウスからだった。
たどたどしい言い方であったが、イヴリーチには確かに伝わった。腹はひしゃげ、白目を剥き痙攣し、上手く脳が機能しなくなった状態においても何とか言葉を届けてくれたベルトリウスの姿に、イヴリーチの挫けかけた心はたちまちに芯を宿した。
彼の頑張りを無駄にしたくない。
こんなにも自己を犠牲にして復讐劇を支えてくれる仲間のためにも、幼き魔物は不屈を誓った。
悲壮を胸に、イヴリーチは大袈裟な身振り手振りで、如何にも心配しているといった風に近付いてくる令嬢に対し、わざと呆然とした態度を続けて近寄るのを許した。
「まぁ、大変っ! あなた大丈夫!? 怪我はなかった!?」
「……ッ!! フーーーーッ!!!!」
「お嬢様っ!!」
「危険ですっ、お下がりを!!」
ひと間隔待ってから、背後からやって来たミェンタージュに反応し、威嚇ポーズを取る。ベルトリウスに注意された通り、攻撃はせず格好だけだ。
ミェンタージュはショーディや兵士の静止を歯牙にも掛けず、肩を大きく上下させて息巻いているイヴリーチへにじり寄り、ゆっくりと両手を広げ、無害を強調した動作で鱗の張り付いた薄い体を優しく包み込んだ。
「大丈夫よ、大丈夫……わたくしはあたなに危害を加えません……安心して……」
まるで聖母の如き囁きに、イヴリーチは全身の肌が総立ちになるのを感じた。
寒気と怒りと……とても一言で表せない感情だ。”どの口が”、と今にも巻き付いてベルトリウスと……いや、ベルトリウスよりも悲惨な方法で殺してやりたかった。だが、ここは冷静にならねば。
イヴリーチは硬直したフリをし、そこから徐々に彼女の背に手を這わせ、抱擁を受け入れて涙をこぼし、上手く泣いてみせた。
「ッフ、ウゥゥ……!」
「ふふっ、よしよし……なんて可哀想で、可愛らしい子なのかしら……」
それはまさに、心なき魔物が陥落した姿に見えただろう。
甘く穏やかに黒い鱗をなぞる少女と、不可思議な肉体で縋り付く少女。
神秘性を感じるひと時であった。
ショーディや兵士が口を半開きにして懐柔の一場面を見守っていると、ミェンタージュはイヴリーチを胸に抱いたまま、未だピクピクと痙攣を繰り返すベルトリウスを指差し、兵士に向かって指示を出した。
「見た目はいいから死体愛好者向けに出すわ。体はどうしようもないわね。上半身だけ切り分けて洗浄。破損部分は、特に顔は丁寧に補修してから保存して」
「はっ!」
ここまで時間が経過していれば普通なら一命を取り留めているはずはないのだが、”懐いていた分、魔物が力を抜いて抵抗した”という見解に勝手に至っていた兵士二人は、違和感を覚えることなくベルトリウスのだるんと垂れた手を取り、両脇を支えて引きずるように階段を登って行った。
『ごめんなさい……』
段差に足を引っ掛けながら連れられてゆくベルトリウスの背中に別れを告げる。
しばし連絡を取れないままの別行動になるが、気を引き締めて事に当たらねば。そして、いの一番にこの残忍な女を……。
自身の体を預けている令嬢の殺め方を考えていると、当のミェンタージュは小さく笑みを浮かべ、確かにイヴリーチに聞こえる声で呟いた。
「欲を出したせいね。貧乏人は貧乏人らしく、その日暮らしで満足してればいいのよ」
血の軌跡を残して地下牢の出入り口へ向かうベルトリウスに吐き捨てられた言葉は、見事にイヴリーチの殺意を助長させた。
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