53.黄金の親子
どれだけ揺られたか分からないが、外から楽しそうな談笑の声が聞こえると、いよいよ木箱の蓋が開けられた。
ベルトリウスの目配せを受け、イヴリーチが尾の先から滑るように出ると、周囲から林の中で聞いたのと同じ毛色の歓声が湧いた。
「素晴らしい! いやはや、ドブネズミ共がこんな珍品を回収出来るとは! 奴らもたまにはやるではないか!」
「将軍、あまりお近付きになられては困ります。興奮していつ暴れるとも限らないんですから」
「わぁーっとるわい! その時は術師殿に封じてもらうまでよ!なぁ、術師殿?」
「ええ、眠らせるぐらい容易いものです。お任せを」
「ガハハ! 頼もしいことだ! この魔物、早く主にもお見せしたいものだな!」
ジョウイと荒々しいダミ声の男、そして落ち着いた声色の男との間で会話が飛ぶ中、ベルトリウスもイヴリーチに続き、身をよじって箱から抜け出した。
付属品が登場すると、盛り上がりを見せていた場の空気は一気に冷えた。
ジョウイと対面している体格の良い重装備の老いた男と、ローブを身に着けた男。話の流れ的に重装備の男が”将軍”、ローブの男が”魔術師”なのだろう。無表情の魔術師と違い、ひときわ表情を硬くした将軍の方は、ねずみ色の顎髭を指で揉むようにいじりながらベルトリウスを睨み付け、ピリピリとした空気を撒き散らしていた。
「先にお伝えした通り、彼はこの魔物を思いの通りに操れる唯一の人間です。商談が終われば去りゆく身ですのでお目こぼしを」
「……ふん。下賤の者が」
ジョウイがかしこまって言うと、将軍は静かに毒づいた。
煙たがられるのには慣れているが……嫌がられれば嫌がられるほど、嫌がらせをしたくなるのがこの男である。ベルトリウスはイヴリーチに囁きかけた。
『イヴリーチ、ちょっと脅かしてやれよ』
『うふふ、いじわるだね』
両者とも思ったことを顔に出さずやり取りするのが上手いらしい。イヴリーチはベルトリウスに軽蔑の目を注いでいる将軍へ体を前のめりにすると、林で盗賊達にやったように目を見開き肩を高く張り、歯を剥き出しにして主人を
「フーーーーッ!!」
「ドワッ!? おのれっ、やる気かっ!?」
「将軍っ、傷付けてはいけませんっ!」
「こら!ダメだ! 落ち着け!」
卒然として唸りを上げた未知なる魔物に将軍は飛び退いて腰に掛かる剣を取り、即座に構えた。
静止を求める魔術師の声を背に、ベルトリウスは白々しく手を広げ、城仕えの二人とイヴリーチの間に割って入って止める。
背後で慌てる二人は勿論、斜め後ろにいるジョウイにも意地の悪い表情は見えない。イヴリーチだけが覗き見出来たその口元は、威圧的な将軍の驚きようが思ったより滑稽で面白かったのか、ヒクヒクと小刻みに上下していた。
上出来の演技にベルトリウスはくるっと体の向きを戻すと、特に険しく見つめる将軍に両の手のひらを突き出すように明かして言った。
「すみません、敵意に反応しやすいんです」
「ぐっ……! しっかり管理せんかっ、
「クァーーーーーッ!!」
「こらっ! 止めるんだ!」
「ギェッ!? じゅ、術師殿っ、もう眠らせてしまえ!!」
「ですが……先程はああ言いましたが、公の所有物に対し私の独断で術をかけるのは万が一に責任問題へ繋がるやもしれませんので、ここは公が来るのを待ってからですね……」
二度も爪を立てるポーズで脅された将軍は、味方の魔術師に助けを求めるも煮え切らない態度を取られ、つい急くように言った。
「えぇいっ、軍事総括官のわしが許可しとるんだからやってまえぃ!! これだから融通の利かん頭でっかちは!!」
「なっ……!? わ、私は公がここへ現れるのを待とうと言っているだけでしょうが!! もし私が責められたとしても
「にゃ、にゃにお〜〜〜っ!? このっ……主の御機嫌うかがいめが!!」
「剣振るしか能がない平民上がりのくせに!! いつも城の出身者以外を見下していますが、しょうーーーじきっ同族嫌悪の見苦しさったらないですからねっ、我ら真の貴族から見ればねっ!!」
「あ”ぁ〜〜〜!? 貴様っ、若造の分際で言いおったなぁ〜〜〜っ!?」
「身分に年齢は関係ないでしょうがぁ〜〜〜っ!?」
”フンッ!!”と互いに顔をそっぽに向け、突として始まった将軍と魔術師の押し問答はこれまた突として終りを迎えた。
ただの悪乗りが城仕え同士の子供じみたいさかいに発展するとはベルトリウスも予想だにしなかった。冒頭から蚊帳の外だったジョウイだけは二人の対立に慣れているのか、終始涼しい顔で傍観に徹していた。問題とされていたイヴリーチも、いつの間にか話題が自分からずれていっていることに気付き、威嚇行動を止めてベルトリウスの隣でスンッと真顔で突っ立っていた。
そうして、誰もが口をつぐみ急に静まり返った室内にギギッと扉の動く音が鳴る。
ようやく場を収めてくれる者が現れたのだ。
「何を騒いでいたんだ。ずっと先の廊下まで聞こえていたぞ。城内では慎みを持ちたまえ」
後ろに流して整えられた映える金糸の髪に、鼻下で切り揃えられた同じ色の立派な髭。翠眼に凛としたテノールの声。
背後に引き連れている凝った刺繍の入った赤いドレスの少女の姿も見て取れると、将軍と魔術師は揃って背筋をピンッと伸ばし、風格のある四十代ほどの紳士を迎えた。
軍事総括官と城付きの魔術師がこんな姿勢を取るのは一人しかいない。領主の相貌を知らないベルトリウスでも、彼こそがパジオ・アラスチカだということは理解出来た。そして、後ろに続く少女は恐らく娘だろう。美しく輝く金の髪に翠眼と、特徴が一致している。
パジオと少女は優雅に一団に近付くと、それぞれ恍惚の表情で人蛇に目を奪われた。
「何と……
「……恐れながら主よ、この魔物はたった今暴れかけた獰猛な獣です。他者へ危害を加えないよう術をかけて無力化しておくべきかと」
「だから騒がしかったのか。そうだな、
うっとりと穴が空きそうなくらいに鱗の付いた肌を眺めるパジオに将軍が言うと、パジオは隣の”ミェンタージュ”と呼んだ少女に確認を取った。
ミェンタージュは目玉だけをキョロキョロと動かして父親とイヴリーチを交互に見やり、深く悩むように、か細い指を顎に当てて答えた。
「でも……それは先に将軍が無体を働いたせいでしょう? 暴力で挨拶するのはいけませんわ。真摯に相手をすれば、この子もきっと人に心を開くはずです。それに、この手の商品を競り落とす方というのは自由意思のある魔物を求めていると思うのです。粗暴な獣を手懐けるのを楽しむ方々ですから……すでに飼い慣らされた
「
「……そこまでおっしゃられるなら、仕方ないですわね」
武と知、両頭の重ねての進言により、ミェンタージュは渋々といった様子で承諾した。
皆、イヴリーチを手に入れたていで話を進めている。城関係者が今後の魔物の扱いを定めたところで、また波風を立てたのがベルトリウスだった。
「あの、それで、俺にはいくら支払われるんでしょうか?」
魔術師は面倒くさそうに、パジオとミェンタージュは”そういえば、こんな人間いたな”という顔で、将軍は案の定目をつり上げて怒りを露わにし、三者三様にベルトリウスを見た。
「何という無礼な!! 目の前にあらせられるは護国の要塞を守護せし御方っ、本来ならば貴様のように誇りを持たずふらふらと国を跨ぎ歩く根無し草が御身を拝見することすら一生に一度っ、いや五生に一度もないであろう高貴な御方に対し浅ましくも金銭をせびるなど―― 」
「将軍、話が進まないから少し口を閉じていてくれ」
「はっ、失礼いたしました!!」
気持ち良いくらいに息継ぎなしに繰り出される罵りの数々にベルトリウスが内心感心していると、見兼ねたパジオがチクリと制し、将軍は直立不動の体勢を取り口を縫った。
一呼吸おき、パジオは一見すると穏やかな笑みを浮かべてベルトリウスに向き合った。
「君のことはジョウイから聞いている。君は運がいい。放浪者の
身分の差があるベルトリウスにも物腰柔らかに接するパジオだが、”分際で”という発言からは己の地位からくる高慢さを隠し切れずにいた。
ベルトリウスは将軍とはまた違った蔑視を
「えっと、じゃあ……金貨五十枚、銀貨五十枚、銅貨を五十枚ほど頂けますか?」
「いいだろう。すぐに用意させよう……と、言いたいところだが、我々の関係はもう少し続くわけだ。この魔物に”人間は信用出来る仲間だ”と教え込むまで、君には城に留まってもらう必要がある。いくらかは前金として渡すが、残りはその仕事が終わってからにしよう」
「分かりました……あの、街に降りることは許可して頂けないでしょうか? 城内では俺を良く思わない人もいるでしょうし……」
チラリと将軍に横目をやるベルトリウスに、パジオは一笑した。
「君を疑うわけではないが、役目を終えないまま逃亡なんてことがあると困るのでね、監視役は付けさせてもらう。それでもいいなら自由にしなさい」
「はい、構いません。ありがとうございます」
「よろしい。では私は諸々の手続きを進めるため、ここで失礼する。後の事はミェンに任せる。将軍、ショーディ、頼んだぞ」
「はっ!!」
「おまかせを」
「ジョウイは私と共に来い。話したいことがある」
「分かりました」
ベルトリウスとイヴリーチはさて置き、娘と将軍、ショーディ……というのは魔術師の名だろう。それぞれに指示をし、無事話をまとめたパジオはジョウイを連れてさっさと退出してしまった。
ベルトリウスは領主である父親から直々に仕事を託されたミェンタージュに目をやった。
歳は十五、十六程度。貴族は平民と違い、幼い頃からしっかりとした教育を受けるので城下の同世代の子供とは比べ物にならないくらい賢いのだろうが、”後”というのは無論イヴリーチと自分……裏競売に関することだ。息子ならば次代の育成のために任を預けるということで話は分かるが、若く可憐な少女だと変に勘ぐりたくなる。貴族は男性社会。女性が実権を握る家はまずないからだ。
ともかく、ベルトリウスとしては残った大人を仕切るほどの実力を持った娘なのかと懐疑的だった。
その視線をミェンタージュ本人が気にすることはなかったが、暑苦しい老兵は見逃してくれなかった。
「貴様ぁ、何だぁその目はぁっ!? お嬢様はこの街イチ、いやっ、北方イチの才女なるぞ! これ以上その下劣な
「おやめなさい。はぁ……将軍がいらっしゃると話が進みませんわ。どうぞ軍部にお戻りください。ここは、わたくしとショーディで結構ですから」
「えっ!? いやっ、それは幾ら何でも危険でございますっ!! 以後気をつけますので、どうかこのルヂーもお傍に……っ」
「いえ、結構です。本当に大丈夫です。他に入り口に立っている兵士も連れて行きますし、何かあればショーディに守ってもらいますから。大人しく軍部に戻ってください。これは命令です」
「そ、そんなぁ……」
”しょもん”とうなだれる将軍……ルヂー将軍はチラチラとミェンタージュの方を振り返りながら、促されるがままに部屋を後にした。
これで、残ったのは四名となった。
「さぁ、大切な大切なお二方。別室に移動いたしますので付いてきてくださいな?」
ミェンタージュはニッコリと向日葵のように華やぐ笑顔を見せると、無防備にも背中を見せて先頭を行き、案内を始めた。
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