52.これも数日後には笑い話

 コリッツァー盗賊団と落ち合い現在進行形で歩みを進めているのは、街の下方に広がる雑木林の一角だった。

 先頭をタラハマが行き、ベルトリウスとイヴリーチを隠すように盗賊団が囲い並ぶ。

 誰もがが無言のままタラハマの後に続いていると、ある開けた場所に辿り着いた。


 辺りは鬱蒼うっそうと生い茂る木々で溢れているのに、そこだけ樹木を上から引っこ抜いたようにポッカリと円型の広場が出来上がっている。

 月明かりの下、盗賊団を待ち構えていたのは十数人ほどの武装した人間と、中心に重々しく置かれた長方形のしっかりとした作りの木箱だった。


 彼らはまず顔を見せたタラハマに目を向けると、後ろのイヴリーチに気が付き感嘆の声を漏らしながら不躾に凝視した。

 逆に、盗賊陣の注目は身なりの良い一人の男に集まった。


「やぁやぁやぁ、こいつは驚いた! どうやって捕まえてきたのかな? とっても可愛いお嬢さんじゃないか!」


 手を叩きながら抑揚の効いた声で嬉しそうに語る男。

 彼こそがジョイ商会を率いる商会長、ジョウイだった。

 手や顔のシワからして三十代後半だろうか。肌ツヤが良いため若々しく見える。整えられた濃褐色の髪や髭、肩に羽織っている質の良い毛皮のコートは、誰が尋ねなくとも裕福な生活を送っていると物語っていた。


 先刻のベルトリウスの諭しが無ければ、イヴリーチは真っ先にあの首元目掛けて飛び付いていただろう。

 集中的に送られる剥き出しの敵意に、ジョウイは不敵な笑みを浮かべて応えた。


 嫌な空気が流れ始めた取引現場で、話を切り出したのはタラハマだった。

 商売相手と手元の魔物……二つの交差する視線を遮るように、神妙な面持ちでジョウイと交渉を始める。


「ジョウイ、引き渡す前に条件がある」

「何だ? 報酬の上乗せか? 素晴らしい作品だ、構わんぞ」

「嬉しい申し出だが、そうじゃない。あの魔物は自分を捕らえた男の言うことしか聞かないんだ。調教を終えるまで、この男を同行させた方が無難だ」

「彼を?」


 タラハマの意見を聞き、ジョウイはベルトリウスの顔から手足からを舐めるように見た。

 冬場にしては若干薄着なこと以外、気になる点はない。


「この場で命令すればいいじゃないか、以降は我々の言うことを聞くようにと。こちらも無闇に一般人を取引に関わらせたくないんだよ。プロのやり方じゃない」

「……この子は人の言うことをしっかりと理解出来るわけじゃないんだ。何となく雰囲気を掴んでいるだけで、命令に従うなんて大層なことは無理だ……」


 ”場に気後れしているが、悟られないように気丈に振る舞う男”の演技をしたベルトリウスが返すと、ジョウイは無言で顎髭を触り、数秒の間考えを巡らせてから口を開いた。


「仕事柄色んな人間を見てきたが、君はチグハグだ。訳あり人間に囲まれて怯えているように見える一方、どこか平然としているようにも見える。それに、今日は盗賊達の態度が変だ。タラハマ以外の構成員諸君が、君が喋りだした途端に顔を強張らせている。魔物に対してならまだしも、隣の一般人の一言一句を気にするなんて少しおかしくないか? 実際のところ、君は何を考えているんだ?」

「そんなこと言われても……俺がトチってこの子を暴れさせようとしないか勝手に恐ろしがってるだけだろ。俺はただ……ただ金が欲しいだけだ。旅の資金を得たいだけ。金さえ手に入れば、すぐに余所の街に消えるよ。お望みなら国外にでもな」

「ふぅむ……では、彼女をどうやって捕まえた?」

「ガガラに来る途中の森で怪我しているのを手当してやったら、懐いて付いてきたんだ」

「それだけのことで魔物がやすやすと従うかな? 薬を使ったとか、弱みを握ったとか、何かないのか?」

「いや、本当に何も……あれかな、俺が男前だから……とか?」

「フッ! ……いやぁ、つい職業病で疑りすぎたかな? うちはお貴族様とも交流のある大きな商売屋だからねぇ、妙な考えを持つ人間が近付いてくるから慎重な審査を行ってるんだ。君はなかなか面白い、この状況でも堂々口が立つなら詐欺師に向いてるよ。ちょっと連れてってもいいかな、って気になってきた。一つ、テストをして決めようか」


 ジョウイは傍に控える部下に手を振って合図した。

 数人がジョウイの後ろに位置する木箱を囲むと、ゴソゴソと中から大きな麻袋を担ぎ出して、雑に地面に放り投げた。そして、袋の口を開けて中身を明らかにすると、ジョウイは出会った時からの同じ調子でベルトリウスに笑いかけた。


「用済みのゴミだ。これを仕留めるよう命令してみてくれ。本当に言うことを聞くのか確認したい」


 袋から出てきたのは、虚ろな目をして顔をボコボコに腫らした見知らぬ男だった。

 手足は縛られ、口には布で猿轡さるぐつわを噛まされている。ほとんどの指が折られて変形しているし、服の至る所から血が滲んでいるし……尋問を受けた後なのは一目瞭然だった。


 とどめを刺すのにためらいはないのだが、一応、今は一般人という設定なので、ベルトリウスは分かりやすく顔に力を入れて動揺してみせた。


「い、いいのか? この男は、一体……」

「ゴミについての質問は結構。安心しろ、彼女の力がどの程度なのか知りたいだけなんだ。それと……君の価値もね。獰猛な獣には猛獣使いが必要だが、子猫には愛でる飼い主だけで充分だろう? 彼女の実力次第では、君には消えてもらうことになるかも……重要な取引を知る第三者がいると思うと、私は恐ろしくて夜も眠れないからね」

「おいジョウイ、あの魔物の力は俺達が身を持って知っている。あいつはうちの団員を何人か食い殺したんだ、確かめるまでもない。この男がいなければ暴れさくるんだぞ」

「助け舟を出すなんて珍しいじゃないかタラハマ? 残念ながら私は自分の目で見たものしか信じないんだ。彼と彼女が己の価値を示せない場合は、潔く死んでもらうしかない」


 ジョウイは優雅に首を横に振った。

 ムドーから地下での出来事を、仲間に仕掛けられた毒についてを聞いているタラハマは、ベルトリウスの気に障るようなことを極力避けたい一心で焦って割って入ったのだが、ジョウイからしてみればそれは余計に、目の前の謎の旅人が盗賊団を操って良からぬ企みをしているようにしか見えなかった。


 ここまで引っ張れば違和感はないかと、ベルトリウスはイヴリーチに連絡を取った。


『俺がそれっぽい言葉を吐いたら転がってる男を殺せ。やり方は何でもいい。どうせ俺らがやらなくても死ぬ運命にある人間だ』


 発破をかけるのも忘れず、ベルトリウスは周囲の注目を集める中、斜め左後ろにいるイヴリーチへと振り向いた。


「あー……あの男を殺すんだ、分かるか? こうげき、する。ころす。できる?」


 片手で数えるほどの小さな子供に言うように、倒れている男を指差し、身振り手振りでジョウイに”伝えてますよ”と見せつけてやる。

 手刀を振り下ろすポーズや、殴るポーズなど。馬鹿みたいに忙しく体を動かすベルトリウスに、イヴリーチは思わず笑いそうになるのを堪えて、何となく分かったふりをして頷いた。

 シュルシュルとベルトリウスとタラハマの横を通り過ぎて前へ出ると、構えや溜めもなしに太い尾を振り上げ、勢いよく横たわる男の腹に叩き落とす。


「ホ”ア”ッ”ッ”!!!!!!!!」


 強い衝撃に、男の腹は一瞬で破裂した。

 イヴリーチが尾を持ち上げると破裂した腹が地面と共にへこんでいるのが分かり、人間の肉体が紙のように薄っぺらに、ぺたんこになっている様に周囲は息を呑んだ。口の猿轡は衝撃によって腹から喉へとせり上げってきた血や臓器に押し出され、気付かぬ間にスポーンとどこかへ飛んでいっていた。

 恐ろしいのは、男は即死出来なかったというところだ。

 彼は約一分の間、生存していた。苦しみという苦しみを味わい尽くしてやっと絶命したが、人間何の罪を犯せばこんな終わり方になるのかと問いたくなるような最期である。


 そんな男の死に対し、イヴリーチは何も感じるものがなかった。

 もう腹はくくっているのだ。男が何者で、どうしてこの力試しの場に捧げられたのかもどうでもいい。

 障害となるなら、どんな罪無き聖人でも手に掛ける覚悟がある。

 少女の考えは地獄の瘴気に当てられ、救いの手が届かないほどに濁り切っていた。

 この行いが、愛する妹への手向けだと信じていた。


 ギラギラと不気味に浮かび輝く真紅の瞳が、息絶えた男からジョウイに移る。

 恨みの籠もった瞳が自身に向けられると、ジョウイはドッと冷や汗を流した。

 まるで、次はお前の番だと言われているようで……心臓は急速に動きを早めた。

 バクッバクッバクッ、と他者にも聞こえているのではないかという鼓動に慌てて胸に手を寄せ押さえていると、この状況において不釣り合いな喜びの声を上げる者が一人いた。


「ははっ、すごいっ! やっぱり俺の言うことを聞くんだ! これで信じてくれただろう!?」


 興奮して叫ぶベルトリウスに、その場の全員が引き気味に彼を見た。

 朗らかに笑う相手に目を向けられ、ジョウイは己の優位性を損なわないよう軽く深呼吸をしてから言葉を発した。


「……確かに、彼女は子猫ではないようだ。猛獣使いくんも共に行こう。これから向かう先は特別な場所だ、くれぐれも暴走しないように抑えつけてくれよ? さぁ、二人共、木箱の中に入って。どうぞごゆっくり、楽しい人力移動の旅を」

「……え、俺も?」

「抑えつけろと言っただろう。彼女が君の姿が見えない不安で暴れたらどうする」


 ジョウイはもっともらしく述べた。

 木箱に入れと命令したのは、通常の荷に見せかけて門を突破するという古典的な方法を使おうとしているのだろう。いくら領主お抱えの商人とはいえ、異形の怪物を連れて堂々衆目の前を横切る真似は出来ない。


 ベルトリウスは諦めて中に入り、イヴリーチを手招きした。

 戸惑う様子もなく続く姿に、あの暴虐の面影はない。この場面だけ切り取れば従順な愛玩動物にも見えただろう。

 身長が百八十センチ近くあるベルトリウスと、長い胴体を持つイヴリーチが共に入れば、箱の中は身動きが取れないほどぎゅうぎゅう詰めになった。その上、箱を支えて移動する人間達の足並みがバラバラときたものだから、二人はコバエを介して愚痴という名の内緒話を展開していた。


『早く着かないかな。着いたらすぐ皆殺しにしていい?』

『ばっ! 街を丸ごと潰せる絶好の機会なんだぞっ、俺の言うことちゃんと聞かなきゃダメだからな!?』

『はぁーい……』

『はぁ……どこぞの魔術師と違って、前向きすぎるってのもあれだな……』


 人知れず中で賑やかにやっている一方、箱を運ぶ商会の人間達はいつ暴走するか分からない魔物への恐怖を抱きながら、ぎこちなく足を進めていた。

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