19.管理者、襲来

 中身とは、そう簡単に変わるものではない。

 霊界に昇る魂のほとんどは生前の記憶や性質を引き継いでいる。


 管理者ググウィーグ。

 エカノダの数ヶ月前に魔物として誕生し、荒野の一角を統べてきた男だ。人間の頃から粗暴だったググウィーグにとって、地獄はこれ以上ないほど居心地のよい場所だった。己を縛り付ける法も人間も存在しない、どれだけ他者をいたぶるも自由。ずっと求めていた場所だ。

 しかし、全くの敵なしというわけでもなかった。ググウィーグが保有する”怪力”の能力は荒野で過ごす魔物の中では実用的な部類に入ったが、単純且つ地味な才が故に、同様の力を有する魔物は他にごまんといた。ググウィーグもそれを分かっていた。だから彼は多くを望まないことにした。


 喧嘩を吹っ掛けられても乗らない。

 無闇に領地を広げようとしない。


 臆病者と評されようが構わない。この二つの誓いを守るだけで楽しく弱者を蹂躙じゅうりんし続けられるのだ。そう思っていた、そう思っていたのに……隣地で新たに誕生したエカノダという管理者はやすやすとググウィーグの心を掻き乱した。人間だった頃に散々もてあそんできた女という存在が闊歩かっぽしているだけでも気に食わないのに、奴は顔を合わせる度にこちらに挑発の言葉を向けてくるではないか? ろくに獄徒もいないくせにと、ググウィーグは苛立ちを募らせていた。

 本能はすぐにでも戦えと急き立ててくる……だが、己で定めた誓いが二の足を踏ませる……そうこうしている間にエカノダの領地には魔物が増えていった。まだまだ数は自軍に及ばないものの、ググウィーグは次第に焦るようになった。


 女は男にひざまずいていればいいのだ。誓いには反するが、エカノダ程度なら潰しても問題ないだろう。

 そう考えていた矢先に彼女からまた腹立たしい挑発を受け、ググウィーグはついに重い腰を上げた。自身の獄徒を引き連れ、エカノダの領地へと足を踏み入れようとしていたのだ……。




◇◇◇




「エカノダァ!! 約束通り来てやったゼェ!!!!」


 体長約十メートル。光の当たり具合によって色を変える不思議な鉱石でできた巨体は、軍団の中央でひときわ目立っていた。

 名を呼ばれたエカノダは鬱陶うっとうしそうな顔でベルトリウスに近寄り、こそこそと耳打ちをする。


「大声を出すのは品がないから、私の代わりに”ごたごた言ってないで早くかかって来い”とお前が叫びなさい」

「何で俺なんですかっ、自分で言って下さい! ってか開幕を早めるのは止めて下さい! まだ起きてないんですよコイツ!?」


 健闘むなしく白目をむいて寝転んでしまったマギソンを指差してベルトリウスがわめく。エカノダは諦めたように目を細め、まだ遠くにいるググウィーグらを睨んで言った。


「仕方ない……では地獄の戦い方を見せてやりましょう」


 すると再度地面が大きく揺れ、一瞬の間の後に敵の集団から悲鳴が上がった。見れば二十ほどあった影がほとんど消え、残った者で足並みの揃わぬ踊りを披露しているかのようにびはねて騒ぎ合っている。


「不意打ち! 先手必勝! 敵を前に棒立ちなんて愚の骨頂よ!」


 たった今、大声が何だかんだと気にしていた人物とは思えぬほどに、エカノダは体をらせて大胆な高笑いを響かせた。

 ベルトリウスはすぐにクリーパーの仕業だと気付いた。今は仲間であるし、そういう能力を持った魔物だと理解しているので恐怖を感じることはなくなったが、突然足元にびっしりと歯の生えた大穴が空くと、それはもう驚いてしまうものだ。恐らく消えたググウィーグの配下達はクリーパーにおいしく頂かれてしまったのだろう。


 よもやこの戦い、クリーパーが単騎で勝利を収めるのではないかと淡い期待を抱いたところで、そんな甘い話はないと知らしめるように”ピィアアアアアッ!!”と初めて聞くクリーパーの叫びが、荒野に流れる風に乗って吹き抜けていった。


「舐めた真似ッ……してくれたじゃねぇかヨォォォォ!!!!」


 雑魚を一掃して地中に潜ったクリーパーはググウィーグに狙いを定めてもう一度地表に顔を出したが、ググウィーグは広がる穴が自身の巨体を飲み込もうとする瞬間を見計らい、真下に現れた歯に向かって超硬度の重拳を叩き付けたのだ。

 今までろくに反撃を受けたことのなかったクリーパーは、バキッ!! と一気に数本分の歯を根本から折られ、痛みと驚きで地中へ逃げ帰ってしまった。


 風向きが変わり、ググウィーグはニヤリと笑って、生き残った数匹の獄徒と共にこちらへと駆け出した。


「げぇっ! 来やがった!」

「あの馬鹿みたいに大きな管理者は私がやるわ。ベルトリウスとイヴリーチは獄徒の方を相手しなさい」

「エカノダ様っ、一人で大丈夫なの!?」


 心配するイヴリーチにたおやかな笑みを返すと、エカノダは突進してくるググウィーグに向かって自らも走り出した。

 エカノダの言う通り、今は自分の心配をするしかない……ベルトリウスは管理者二人の横手を抜けてやって来る敵に目をやった。驚くことに、そこには見覚えのある者がいた。


「ヨォ〜〜〜〜、オメー生きてたのかぁ〜〜〜〜?」


 間延びした声は適度な距離を空けて立ち止まると、先が二股に分かれた細長い舌をチロチロと揺らしてみせた。

 カナーでベルトリウスを殺したトカゲ男だ。


 トカゲ男は琥珀色の瞳を細め、どうして生きているのかと言いたげな顔でベルトリウスを見つめながら、ポリポリと額を掻く。


「まさかお隣サンだったとはなぁ? まーた殺してやれるなんて嬉しいぜぇ」

「お兄ちゃん、そいつは私がやるよ」


 二人の間にイヴリーチが割って入る。彼女を見るなりトカゲ男は細めていた目をカッと開いて、未熟な体を彩る、なめらかで美しい黒鱗を舐めるように眺めて喜びの声を上げた。


「おほぉ〜〜〜〜っ! かんわい〜いお嬢さんじゃネェかぁ! オレぁこんな体になる前から蛇やトカゲがだぁい好きでよぉ、こりゃトンデモネェご褒美だなァ? 殺さず持って帰っちまおう!」

「あんたみたいな変態に負けるわけないから」


 戦闘態勢に入ったイヴリーチはすかさずトカゲ男の懐へと滑り込み、筋の張り詰まった強靭きょうじんな肉体に巻き付いた。首、肩、腹、股関節を同時に強く締められているというのに、トカゲ男は若干ふらつくだけで未だ笑みを崩さずにいた。


「グッ……! まっさか、ソッチから来てくれっ……とは、なァッ!!」


 イヴリーチも怪力だが、対するトカゲ男も並外れた筋力の持ち主だ。腹部に絡み付いた胴をしっかり掴むと、トカゲ男は腹の中心を基点にして体を内側にたたみ、負けじとイヴリーチの胴を圧迫してきた。


「あがっ!!」

「グへッ……! こんくら……べ……! だぜぇ……!」


 互いの骨がポキポキと音を立てて折れ始める。トカゲ男の言った通り、鱗を纏った二者は根比べで雌雄しゆうを決しようとしていた。

 しかし、遅れてやってきたググウィーグ側の獄徒三体が、横槍を入れるかのように仲間であるトカゲ男に加勢しようと接近する。

 ベルトリウスは舌打ちをし、叩き起こそうと躍起やっきになっていたマギソンをほっぽり出して腰の鉈に手を回し、少女を狙う無粋なやからに向かって駆け出した。


 文字通り絡み合う男女を尻目に追い越すと、ベルトリウスはまず正面に位置する魔物に向かって鉈を振り下ろした。魔物はあっさりと攻撃を避けると、がら空きだったベルトリウスの脇腹に鋭い爪を突き刺した……だが、これこそが彼の狙いだった。

 猛毒の血は腹に刺さった爪を伝い体内へと潜り込み、全身を巡って内と外から同時に肉体を溶かし始めた。敵の魔物はたちまちに悲痛な叫び声を上げると、急いで腹から手を引っこ抜き、体を掻きむしりながら地に伏してのたうち回った。

 倒れた仲間の身に何が起こったのか理解の及ばなかった残りの二体は、先の仲間のしくじりを生かさず、事もあろうに再度同じ方法でベルトリウスを攻撃した。結果は言わずもがな……返り血を浴びた二匹は初めに片付けた魔物と同じ運命を辿ることとなった。


 邪魔者の始末を終えると、ベルトリウスはイヴリーチの元へと引き返した。二人はまだ根比べの最中だったが、どちら共いつ落ちてもおかしくない状態だった。

 ベルトリウスは向こうに到達するまでの間に、ありったけの力を込めて生成した強烈な毒を手のひらに纏わせておいた。そして絡み付くイヴリーチの胴の隙間から突き出ていたトカゲ男の頭部目掛け、たっぷりと毒を塗り付けてやった。


「アギャアアアアアアアア!!!!」


 強化された毒はすぐに硬い鱗を突き破り、下層の肉まで侵蝕した。悲鳴が上がりトカゲ男からの圧迫が緩んだ隙に、イヴリーチは渾身の力で相手の体中の骨を粉砕した。

 背骨の辺りから一段と大きな”ゴキンッ!”という音が聞こえるとイヴリーチは絡ませていた胴を離し、トカゲ男はグニャグニャと軟体動物のように爪先から地になだれ、二度と起き上がることはなかった。


「カナーでの借りは返したぜ」


 仕返しを果たしたベルトリウスはすっきりとした表情で、乱れた前髪をかき上げながら朽ちゆく姿を見下ろして呟いた。

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