20.女のくせに

「あら、向こうは終わったみたいよ」


 エカノダは仲のいい友人に語り掛けるように声を弾ませて言った。

 獄徒達が戦っている一方で、管理者の二人は殴り合いを続けていた。……そう、殴り合い。十メートルほどもあるググウィーグと、何の変哲もない人間と変わらぬ大きさのエカノダがだ。

 ググウィーグは信じられなかった。力自慢の自分がこんなちっぽけな女に対等に渡り合われるなんて、この上ない屈辱だった。


 ググウィーグがエカノダに向かって巨大な拳を振り下ろすと、彼女はヒラリと跳んでかわして反撃を入れてくる。その細い手足からは想像も付かないような威力の殴打と蹴りの連鎖が、ググウィーグの体を構築している鉱石を打ち砕いて弾き飛ばす。

 ググウィーグはよろけながらも、一発でいいから攻撃を当てたいと負けじと拳を振るってみたが、何度やってもエカノダは華麗に避けて反撃に転じてしまう。戦いが始まってからずっとこの繰り返しだ。エカノダは無傷でググウィーグだけが弱っていく。これでは対等どころか劣勢ではないか?


 ググウィーグは沸き上がる怒りに任せ、自身が打てる最速の突きを当たるまで放ち続けた。だが……結果は察しの通りだった。


「お前も諦めの悪い男ね。こんな無様な戦いを続けるぐらいなら潔くとどめを刺されなさい。時間の無駄だわ」


 そう言うと、エカノダはググウィーグの死角である巨顔の真下で飛び上がり、上空にそびえる顎を思い切り蹴り上げた。何の抵抗もできぬまま”ゴゴンッ”と重い音を鳴らし、鉱石の塊はゆっくりと後ろに倒れていった。

 揺らぐ視界の中、己の獄徒を破りエカノダに加勢しようと向かってくるベルトリウスとイヴリーチの姿を目にする……。


 こんなはずではなかった。

 こんな小さな女に負けるはずがない。数ヶ月前、初めて顔を合わせた時のエカノダは獄徒を一匹しか持っていなかった。対してこちらは十八匹……まだまだ管理者としては赤ん坊だ。自分に遠く及ばない存在と思ったから放って置いてやったのに、いつの間にか手駒を増やして地上に使いを送るものだから、焦ってこちらも手持ちで一番使える獄徒を送ってしまった。

 真似たんだ。無力と罵っていた女を。

 こんな、たかが女を……。


 たかが女、たかが女、たかが女、たかが女――。




『大きいのは図体だけね。管理者のくせに臆病に縮こまって、小さい男』




「グ、オォォォォォォォォォォ!!!!!!!!」


 そもそもの原因となったエカノダの台詞が脳裏をよぎる。その瞬間、ググウィーグはした。

 気を失いかけていたググウィーグは体に鞭打って何とか起き上がると、再びエカノダに襲い掛か……らずに、彼女をすり抜け、その先のベルトリウスとイヴリーチをもすり抜けて、すでに絶命してしまった自身の獄徒達の方へ走った。


 このに及んで逃げようなどと考えたのだろうか?

 彼を逃さまいと一同が振り返った時、なんとググウィーグは手に掴んだ獄徒の亡骸を自身の口内へと放り込み、咀嚼を始めていた。

 異様な空気を感じ取ったベルトリウスは、使えないと思って置いてきたマギソンがのんきにググウィーグの足元付近で転がっているのを見て肝を冷やした。


「おい、なんかヤバそうだぞっ……! イヴリーチ、あそこで寝てる馬鹿拾ってきてくれ!」

「うん!」


 ベルトリウスに指示されたイヴリーチは自慢の機動力を活かし、倒れているマギソンを引っ掴むとすぐに転回して元の位置まで戻ってきた。マギソンを連れてエカノダの元に集合した二人は、息を呑んでググウィーグの出方を待った。


 エカノダはある仮説を立てていた。

 以前からググウィーグの能力は管理者にしては地味すぎると感じていたのだ。管理者は特殊な能力を持って生まれるのが常。せっかく当たった能力がただの怪力だなんて、気の毒にすら思えるほどだ。

 だが、真に授かった能力が別にあって、本人がまだそのことに気付いていないだけだとしたら?

 戦いを避けてきたからこそ、発揮する機会に恵まれなかっただけだとしたら……そんなエカノダの懸念を肯定するかのように、咀嚼を終えたググウィーグはピタリと動きを止めて変形を始めた。


 ただでさえ巨大な体は内部で行われる破裂により、さらにボコボコと縦へ横へと膨らみを増していった。急成長の代償として与えられる骨肉の重みは自分自身に押し潰されそうな感覚に陥らせる……十メートルあった体躯は今や二十メートルを超えるまでに大きくなり、ベルトリウス達の嫌な予感を的中させてしまった。

 そしてエカノダが想定した通り、ググウィーグの能力は怪力ではなく”吸収”だったのだ。肝心の能力の中身については判明していないが、この状況が良くないことだけは確かだ。

 エカノダは”どこまでも卑しい男”と心の中でさげすみ、隣でほうけている獄徒二人に命令を下す。


「あれがあいつの能力よ。恐らく私の攻撃も通らなくなっている。今度こそ、その魔術師を叩き起こしなさい」

「えっ、今度こそ完全に落ちてますよっ!?」

「いいから早くしなさい! 私が時間を稼ぐから!」

「くっそ……マギソーーーーン!! マギソンマギソンマギソン起きろこのボケ大事なところで役立たずがっ!!」

「おじさん起きてーー!! みんな死んじゃうよぉ!!」


 ベルトリウスとイヴリーチの呼び声に無反応なマギソンの代わりに、ググウィーグ二人に視線をくれる。ゴゴゴゴッと岩肌がこすれ合う音と共に凶悪な面がこちらを向くと、その顔には先程までなかったはずの骨質の角が不自然に天へ伸びており、腰には爬虫類独特の湿り気を帯びた尻尾が生えていた。これらは全て飲み込まれてしまったググウィーグの獄徒達の外見的な特徴と一致していた。


 頼みの綱である魔術師は二人に任せ、エカノダは単身で勝負を挑みにいった。ググウィーグもまた、変形前より激しく地を鳴らしながら大股で向かってくる。

 エカノダは先手を取って足払いを仕掛けた。だが、ググウィーグはほんの二、三分前とは比べ物にならないくらいの素早さとしなやかさでエカノダの攻撃をかわし、尻尾を上手く回し込んで彼女の小さな背中に死角から凄まじい突きを食らわせると、ひるんだ細身を鷲掴わしづかみにして手中に捕らえた。


「ぐっ!!」

「エ、エカノダッ……! オレノカチ、ダッ!」

「……くっ、ふふっ……獄徒のおかげで、つよくなれた、なんてっ……したっぱにかんしゃ……するのねっ……!」

「ダマレェッ!!!!」

「ぅ”、ぐぅっ”……!!」


 いくら体が大きくなろうと、必ずしも内面が伴って成長するわけではないらしい。挑発に乗ったググウィーグは握り締める力を一層強めた。初めて聞く女王の唸り声にベルトリウスとイヴリーチは大いに焦る。

 いよいよなりふり構っていられない……二人は頬を叩いたり肩を揺らしたりして、とにかくマギソンに呼び掛けた。すると、彼は小さくだが反応を示した。ピクピクと痙攣しながら、ゆっくりとまぶたが開けられる。ベルトリウスとイヴリーチは歓声を上げるとマギソンの上体を支えて起こし、危機迫るエカノダの方へと傾けて懇願した。


「マギソンっ、前に俺に打った光の魔術をあのデカブツにぶつけてくれ!! エカノダ様が死んじまう!! つまり俺達も死ぬ!!」

「ぅ……」

「そうだ目を開けろ!! 頑張れぇーーーーっ!!」

「がんばれぇーーーー!! おじさーーーーん!!」


 マギソンは正面にそびえ立つ鉱石の山を見上げた。山の……その手の中には、身動きの取れないエカノダがいた。

 マギソンは朦朧もうろうとする意識に抗いながら、ポツポツと詠唱を始めた。




 ―― 魔術とは言霊ことだまである。

 この世界が生まれた頃、原初の神々が使っていた言葉には一つ一つに特別な力が宿っていた。言葉は威力を弱めつつも後世に継がれ、創世から一億年以上経った現在でもあらゆる生物が遺伝的に使用できるはずだった。


 体内の魔力を消費し、古代文字を頭の中で正確に思い浮かべ、発声する。


 魔術の発動はそれだけで行えた。簡単そうに思えるが、現代では第一段階である魔力の操作すらままならない者が増えているので、実際に発動まで至る人間は希少となってしまった。さらに、その中で一体どれだけが眼前で斬り掛かってくる敵をいなしながら、複雑な形の古代文字を綺麗に頭の中で描けるだろうか?

 そういった接近戦での問題もあり、魔術師は戦地の後方に配置される流れが生まれた。主ななり手である貴族を失わないようにという考えも一端ではあるが、一番の理由はやはり、威力の大きな魔術には見合った分の大きな隙が生まれてしまうからだ。遠戦か白兵戦、どちらかに一つなのだ。

 そう、普通は……。




 はっきりとしない意識をそれでもどうにか保ち、マギソンは懸命に頭の中で古代文字をなぞった。グニャグニャと歪む文字を必死に整えながら、体内を流れる魔力を操作する。”穢れウーロー絶やすンーン範囲パィヌ”。以前ベルトリウスに放った浄化の術だ。

 詠唱が終わると、ググウィーグとベルトリウス達のちょうど中間地点で地獄に似つかわしくない純白に輝く光が現れた。浄化の術は成功したのだ。マギソンが注ぎ続ける魔力により、光はどんどん大きくなりながらググウィーグの元へと飛んでゆく。


「ナンダコレハッ!!」


 まばゆい光に目がくらんだ頃には、すでにググウィーグの体は宙を漂う不思議な帯に囲まれていた。中身の見えない鳥籠とりかごのように隙間なく巨体を包囲する光は、じわじわと彼に向かって収縮していく。以前同様の術を受けたベルトリウスと同じように、ググウィーグの出っ張った肩や出来立ての角や尻尾は、光に触れるとジュウッと音を立てて焼け始めた。

 突然の激痛にググウィーグは”ギャッ!!”と短い悲鳴を上げた。エカノダを握り締めたまま膝を折り、光から身を守るように体を縮こませた。


 浄化の術は管理者にも効果があるのだ。ベルトリウスはイヴリーチと共にマギソンの背を叩きながら見出した勝機にホッと胸を撫で下ろしたが、そこである重大な事柄に気が付いた。


「あのままだとエカノダ様も巻き込まれね?」


 ……二人は大慌てでマギソンに術の中断を要求した。しかしマギソンにはもう、どうすることもできなかった。彼は術の展開が終了した直後に、魔力の枯渇によって気絶していたからだ。

 最早、成り行きに任せるしかなかった。



「アアッ!? アツイッ、アツイッ!! ヤメサセロォッ!!」


 ググウィーグが手中のエカノダに吠える。エカノダは額に脂汗を浮かべながらも、持ち前の負けん気でかぶりを振る哀れな男を嘲笑った。


「せっかく強くなったのだからっ、自分でどうにか……してみたらっ?」

「クソッ!! クソォォオオオオオオッ!!」


 限界まで体を丸くしても逃れることできず、ついにググウィーグは聖光に抱かれた。それはエカノダも同じで、管理者を覆う清き輝きは数分間にわたり消えることはなかった……。











 蹂躙する光が去った後、ベルトリウスとイヴリーチはマギソンを置いて、四つん這いのまま丸焦げに固まったググウィーグの遺体へと駆け寄った。

 あの角度によって色の変わる玉虫色の美しい石の肌が今や見る影もなく色味のない黒に染まり、所々ひびまで入っている。二人は地についた肘から肩に向かってよじ登り、まるで神に祈るかのように頭部の近くで組まれた手の中を恐る恐る覗き込んだ。


「……見てないで助けなさい」


 そこにはいつもの不遜な態度で二人を見上げる……心なしか安堵の表情を浮かべたエカノダがいた。

 実はマギソンが放った浄化の術は、朦朧とする意識の中で展開したためか意図せず”範囲パィヌ”の効果が変化していたのだ。


 ”ある対象のみを狙う”


 そんな効果が偶然付属するなど、なんと都合の良い話だろう? だが実際に術の構成は変化し、エカノダを守ったのだ。

 当のマギソンですら知らない事実を他者が理解できるわけもない。三人はよく分からないが助かったぐらいの認識で、深くは考えなかった。


 脆くなったググウィーグの指を外側に折り曲げてエカノダを救出する。

 窮屈で硬い手の中から解放されたエカノダは手を頭上に目いっぱい伸ばし、こった体をほぐした。そして、すっきりとした顔付きでベルトリウスとイヴリーチに向き合うと、二人にいたわりの言葉を掛けた。


「初めての管理者退治ご苦労さま、全員悪くない活躍だったわ。この戦いにおける収穫は大きいわよ。あのデカブツ、一丁前に魂の池を持ってるんだから……」

「池……?」


 不敵に笑うエカノダにイヴリーチが小さく首を傾げる。確かに初めてベルトリウスに地獄の説明をしてくれた時、地上から魂が昇ってくる池の話をしていたかもしれない。


「今度一緒に見に行きましょう。今はそうね、まずお前達の強化から始めましょうか。新しい獄徒も産み出すのもいいわね……ふふっ、喧嘩売って儲けたわ! この調子でどんどん仕掛けていこうかしら?」

「それだけはやめてください……」


 上機嫌に歩き出すエカノダについていきながら、ベルトリウスは疲れ果てた顔で答えた。

 色々と危なっかしい場面はあったものの、初の管理者戦……ベルトリウス達は見事に勝利を収めたのであった。

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