18.頼みの綱

 何度も殴打されて潰された肉塊は固体というより液体に近かった。あんな簡単にけしかけられるとは……子供は扱いやすくて何よりだ。


「さぁ、そろそろ外に出よう。あんまり長居するのも良くない」


 ベルトリウスは肩で息をするイヴリーチの背をポンポンと軽く叩き、きびすを返して階段へ向かった。

 しかし、マギソンによって重しまで乗せて閉められた扉は押せども引けども開かなかった。


「かぁ〜〜っ、開かねぇじゃねぇかっ! かっこつかねぇなぁ!」


 げんなりしながらもベルトリウスは両手で扉を押し上げ、何度も開放を試みた。


「クソッ、何やってんだあいつ……またどっか先に行っちまったんじゃねぇだろうな……」

「お兄ちゃんどいて」


 ぼやくベルトリウスが後ろから投げ掛けられた声に振り向くと、そこには返り血と肉で全身を染めたイヴリーチがおとぎ話に登場する怪物のような出で立ちで構えていた。暗がりで出会うと、ちょっとした恐怖体験だ。


 イヴリーチは檻にとらわれていた子供達に放ったように、尾による強打で重い扉を木っ端微塵に破壊した。二人が地上へ出ると、出入口一帯にはあの甘ったるい香りが充満していた。

 まさかと思い周囲を見渡すと、部屋の隅の方で扉が壊れた際に生じた瓦礫がれきに混じり、膝を抱えながら顔を伏せて座っているマギソンを発見した。


 ベルトリウスは文句を言いに近付いた。二言三言ふたことみこと声を掛けても顔を上げないので、髪を掴んで無理矢理上げさせると……彼は焦点の合わない目で明後日の方向を向いていた。


「うわっ、お前完全にキマってんじゃねぇか!」

「……ぉ……、ぁ……」


 一種の酩酊めいてい状態に陥っているマギソンを見て、ベルトリウスは呆れ顔で髪を掴み上げていた手を離した。

 目が虚ろなだけでなく、体に力が入らないのか口の端からよだれが垂れている。惨劇の余韻から覚めたイヴリーチも心配そうに声を掛けてみるが、彼は上手く言葉を紡ぐことができなかった。


「ねぇ、大丈夫……?」

「……ぉ、ち……ぁめら……ねむ、ぃぁぃ……」

「おいおい、そんな情けねぇ姿見せねぇでくれよ……はぁ……この調子じゃ地上で活動を続けるのは無理みたいだな。一旦帰るか」

「帰るって、どこに?」

「どこってそりゃあ……まぁ、俺は迎えを呼ぶから、イヴリーチはそいつを見ててくれ」


 そう言うと、ベルトリウスは誰もいない場所に向かって何か話し始めた。

 イヴリーチはマギソンの顔を覗き込んで声を掛けたり、大きな背を撫でてやったりしてみたが、いずれに対しても反応はなかった。その間に用を終えたベルトリウスはこちらに向き直り、後頭部を掻きながら面倒くさそうに言った。


「エカノダ様にクリーパーを寄越すよう頼んだから、しばらく地獄で休憩だ。おいマギソン、今から落下が続くから、吐かねぇように気を持っとけよ」

「……ぉお、むぃ……ぁすく……ぁ……ぃ、も……ちぁう……ゃ……」

「何言ってっか分かんねぇよ……嫌でももうすぐ来ちまうんだ、腹をくくれ。イヴリーチ、こいつを抱えてやってくれ」

「うん、わかった」


 ベルトリウスがマギソンの手を引っ張って立ち上がらせ、イヴリーチが彼の胸に胴を巻き付けて支える……若者達の連携の取れた介抱は完璧だった。


 数分後、三人は無事クリーパーによって回収された。

 地獄に到着するとベルトリウス、次にマギソンを抱えたイヴリーチの順で着地を決める。イヴリーチは脱力しているマギソンになるたけ衝撃を与えないよう気を使って下ろしてくれたのだが、弱り切った体で長時間の浮遊を乗り越えるのは無理があったのか、彼は倒れ込んだ拍子に嘔吐してしまった。

 足元まで吐瀉物としゃぶつが迫り、イヴリーチは短い悲鳴を上げて飛び退いた。代わりにベルトリウスが近寄って、腰に提げられていた皮袋からミハの飲み水を取り出して飲ませてやる。


 事情を聞いて帰還を待っていたエカノダは、獄徒達の騒がしいやり取りを眺めながら小さく溜息を吐いた。


「まさか使えると思って引き入れた魔術師がこんなポンコツとはね。魂も思ったより増えていないし、もっと働いてほしいのだけれど……」


 女王のうれいを耳にし、こじんまりとした成果しか上げていない自覚のあるベルトリウスは苦笑いで受け流した。真面目なイヴリーチは申し訳なさそうに肩をすくめて彼女を見上げている。

 普段のエカノダならここからさらに駄目出しを入れてきそうなものだが、今回は大人しめというか、やけに静かだった。


「あの、怒ってないんですか? もっと稼いでこいとか言われるものかと……」

「そうね、怒ってはいるわ。でも良いタイミングと言えば良いタイミングだった」

「その言い方……何だか嫌な予感が……」


 ベルトリウスの言葉にフッと笑い、エカノダは堂々と腕を組んでこう言った。


「今からよその管理者がうちに襲撃に来る。みんなで迎撃よ」

「ほら最悪だよ……」


 ベルトリウスは眉間を押さえて俯いた。

 一難去ってまた一難。エカノダの唐突な言い渡しはいつもこちらを悩ませてくれる。幼いイヴリーチは驚きのあまりエカノダに詰め寄った。


「なっ、なんで襲ってくるんですかっ!?」

「お前達が帰ってくる前に近所の管理者と口論になったの。それで向こうがすごく怒っちゃって、”今からカチコミに行くから首を洗って待ってろ”、なんて捨て台詞を残していったわ」


 頬に掛かる長い横髪を手で払い、何故か自慢げにフフンッと鼻を鳴らすエカノダにベルトリウスはやりきれない気持ちでいっぱいになった。思った以上にくだらない理由に質問した少女も”うぇぇ……?”と、声にならない呻きを漏らしている。

 二人を激励するように、エカノダはマスクの下で笑みをつくって言った。


「安心なさい。私の記憶では向こうに恐れるほどの戦力になる魔物はいなかったはず。だから今まで攻めて来なかったのよ。単純な数では分が悪いけど、こちらには対魔物用の魔術師がいるじゃない」

「その魔術師、今のびちまってて使い物にならねぇんですが……」

「何とか復活させなさい」

「んな無茶な!」


 ベルトリウスは危機的状況にもかかわらず未だ余裕ぶっているエカノダが信じられなかった。管理者との戦いはこれが初めてになる。魔物との戦い自体一度しか経験がないのだ……それも完敗の。とても勝算があるように思えない。


 出会った当初にエカノダから受けた領地争いの説明では、”管理者は領地争いに勝つと、敗者の獄徒や領地などを丸々奪える”という話だった。

 仮にこちらの陣営が敗者となった場合、待っているのは拒否権のない複数の選択肢だ。

 一つ、エカノダが殺されて全獄徒が共に消滅する可能性……二つ、エカノダは生かされ、獄徒だけが処分される可能性……三つ、エカノダも獄徒も敵の陣営に吸収される可能性……主に考えられるのはこれぐらいであろう。敵からの扱いによっては三つ目はまだ恵まれた道かもしれないが、前述の二つは間違いなく”最悪の結果”だ。

 地獄の性質上、肉体の死は完全なる死ではない。ここは本来、地上で昇天した魂の流刑地るけいち……肉体が滅んだとしても、さまよえる魂となって漂うことになるのだ。

 そして魂とは、地獄においては弄ばれるだけの最も無力な存在。どんな残忍な魔物の手に渡り、終わりのない苦悶を与えられるか……想像するだけで背筋が寒くなる。


 管理者戦、何としても勝たなければならない。

 ベルトリウスは決意を固めた。


 しかし己を除き、自陣の獄徒のほとんどは物理的な攻撃を行う者ばかりだ。巨人ノッコやイヴリーチの怪力が通用しない相手がいるならば、やはり行き着く先には敗北が待っている……となれば、起こさねばなるまい。この過剰摂取者を。



「マギソーーーーン!!!! 頼む起きてくれぇーーーー!!!!」


 ベルトリウスは今にも気を失いかけているマギソンの肩を強く掴んで揺さぶり、大声で呼び掛けた。一旦治まった吐き気がぶり返してしまったマギソンはベルトリウスに向かって胃液をぶち撒け、女性陣からは悲鳴に似た声が上がる。


「うわぁっ……お兄ちゃん、きったなっ……!」

「その体で私に近付くことは許さないわよ」

「命が懸かってんだぞ!! もっと別のことで焦ろよなぁ!?」


 一人必死になるベルトリウスだったが、ちょうどその時、遥か後方でとつとして”ギャーーーーッ!!”と喉が焼き切れそうなほどの絶叫が響いた。地面が揺れ、四人が集まっている付近に大穴が空いたかと思うと、そこからノッコが吐き出される。あの叫びはノッコによるものだったのだ。彼は何者かによって両腕を切断されたようで、おんおんと涙を流しながら一行のそばでのたうち回る。

 そんな彼の泣き声が、敵の襲来を告げる警鐘だった。


「来たわね」


 エカノダの視線の先……地平線の彼方に映る影の列は、確実にこちらへと歩みを進めていた。

 この局面をどう乗り切るか、ベルトリウスは冷や汗をかきながら思考を巡らせていた。

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