3話 PIXA


 ジパング諸島共和国空軍本部……その広大な敷地に、今から約半年前から建設が進められてきた奇妙な建物。

 まるで天を突くかのように途方もなく高く、白い壁で囲まれたその場所は……施設の建設がすでに完成しているのかどうかすら外から見ても全く分からない。何故なら、完全な防音構造になっているためその壁の向こう側からは微かな音すら一切聞こえて来ないのだ。

 サトシとセイラの2人が案内されて向かった勤務先は、そんな建物である……。


 サトシは毎日この空軍本部に勤めていたが、新しく支給されたこの白いライダースーツを着て、彼がこの妙な建物を訪れたのは、これが初めてである。

 そして旧市街で偶然7年ぶりに出会い、今エアバイクの後部座席に跨がっているセイラも、左胸と背中に【PIXA】という文字が付いたその同じ服を身に付けているのだ。


「まったくどうなっているんだ、ここは……駐車場どころか入り口すら見当たらないなんて」

「ねぇ……あそこに見えるの、ひょっとしたら内部との通信用コンソールとかじゃないかなぁ。とりあえず、あそこを調べてみるのはどう?」


 そびえ立つ白い壁だけで、扉などの入り口なども全くないその壁面に、確かに操作盤のようなものがポツンと付いていたのを彼女が見つけた。


 サトシは操作盤に手を触れる……しかしこれといって反応がない。

 ところが、後部座席のセイラが操作盤にそっと手を触れてみると……ブゥンという音と共にコンソールが起動した。


『施設関係者サトシ・ブライトン、セイラ・エンヴィディア、2名の生体認証を確認。乗用車から降りることなく、そのまま中へと進みなさい』


 機械的な音声アナウンスが聞こえてきた。


「そうか、それだけセキュリティレベルが厳しいってことか……」

「えぇ……っと、それってどういうこと?」


 これは、エアカーやエアバイクなど乗用車内に、関係者以外の者が紛れ込んでいることを防ぐための、高度なセキュリティシステムである。

 運転手が関係者であっても、カージャックなどの脅迫行為を受けて立ち入る場合があることを考慮し、乗用車内に存在するすべての人物の生体認証を求められるのだ。また政府高官や要人であっても、いわゆる顔パスなどが一切通用しないという意味もある。


「なるほどねぇ、でも一体どこに入口が……」


 ガコンッ――!


 突然ナナハンを停車していた下の地面が斜め前方に傾いて下がり、急に現れたそのトンネルのような空間の中へと引き寄せられた……。


「――いきなりかよっ。セイラ、しっかりと捕まってるんだぞ」

「うんっ――」


 サトシは自分の腰に回された彼女の両腕を、しっかりと脇を締めセイラが振り落とされることがないように固定した。


 だが、何度も説明するがナナハンには当然安全のために伸縮性のあるシートベルトが取り付けられているため、座席から転落するということは基本的にない。


 ……やがてその真っ暗なトンネルの先に、ちょうど乗用車1台ほどがそのまま収納できそうなガレージが見えてきた。


 しかし、どういう訳かここで行き止まりになっている……まさか、関係者専用の駐車場とでも言うのだろうか。30m四方くらいの広さがある。

 エアバイクを進み入れると、セキュリティシステムによるものなのか、ナナハンが勝手に機能を停止。今度は赤い光の輪が、天井と床から2人を包み込む。


「あ、これは分かる。たしか赤外線検査ね……」

「あぁ、X線検査もだな。どうやらこの施設には何重にもセキュリティが掛けられているらしい。しかし、いつになったら……」

「ちょっとサトシっ、こっち見て――」


 ッ!?


 彼が後部座席にいるセイラの方を振り向くと、いつの間にか床が上昇していて周囲の壁面がガラス面となっていて、ガレージ内から見下ろすように施設内の様子が窺える……。


 あれは【格納庫】……それにしては随分と中が広い。それに【爆撃機】……のような何かが、大袈裟なくらいの大きさのシートにすっぽりと覆われているのが目に止まった。


 ガレージ内にフロアを示す階層は何も表示されておらず、果たして現在何階フロアにいるのか検討もつかない。それも駐車場内に操作盤のようなものがあるが、彼らはここに来て何も触れていない。ただこのガレージが勝手に動いているのである……。


 先ほどの格納庫のような空間を抜けるとオフィスフロアのような空間が目に飛び込んで来る。

 どうやら、建物内は一部天井が吹き抜けたような構造になっているらしい。


「一体どこまで登って行くっていうのよ……」

「あぁ、何階くらいまであるんだろうなぁ」




 やがて、ようやくガレージがとあるフロアで自動的に止まった……。


 それも入ってきた入口側ではなく進行方向のガラス面がブゥンッと左右に開くと、電子黒板が設置されてあるブリーフィングルームのような部屋に辿り着く。

 そこには、いかにも政府の重役とでもいうような50代前半くらいのビジネススーツを着た初老の白人の男が出迎えていた。


『ようこそ、サトシ・ブライトンにセイラ・エンヴィディア。ここが君たちの新しい職場だ。さぁ、こちらへ入って来なさい……エアバイクはそのエレベーターガレージに乗せたままで構わない』


「「ど、どうも……」」


 2人はその初老の男に会釈し、ナナハンから降りるとそのブリーフィングルームのような一室へと入る。

 どうやら室内には他にも、同様の白いライダースーツを着た4人の男女がすでにソファに腰かけていた。


「んっ?」


 サトシはその中の1人と、以前同じ任務で一緒に仕事をしたことがあった。向こうもそのことに気づいたのか軽く手を上げる……彼もまだ若い方ではあるが、所々に傷痕があり幾多の死戦をくぐり抜けてきた軍人のような雰囲気がある。スキンヘッドの大柄な30代半ばくらいの黒人の男がそうだ。

 2人は初老の男に案内され、床から突き出た柔らかそうなソファーに腰をかける。


 やがて、彼が説明を始めた……。


『ようやくメンバーが揃った。改めて自己紹介をしよう。わたしの名はフィリップ・カッセル准将……今日から君たちが配属されることになったこの【PIXA】で管理を任せられている』


 ッ――!?


「「「――これは閣下殿、失礼いたしました」」」


 集められた6人の内、サトシを含めた3人の男が一斉に直立して准将に改めて最敬礼を交わす。

 黒人の男の他にもう1人、メンバーの中に軍人がいたらしい。ちょうど赤い髪を逆立てたような、20代半ばくらいのツンツン頭をした白人の男だ。


『構わん、座りたまえ……』


「「「ははぁっ――」」」


 どうやら冒頭の話から察するに他の4人の男女も、サトシやセイラと同じように今日からここへ赴任して来たらしい。

 しかし、このライダースーツのような服にも記載されている一体PIXAというのは、何を意味しているのだろうか……フィリップ・カッセル准将が話を続ける。


『皆、今日から突然ここに配属されて、何も分からないと思うので状況の説明をするとしよう。そして、これから話すことはさらに最高機密指定であることも同時に付け加えておく。まず始めに……知っての通り現在この地球においては、悪化の一途を辿った地球温暖化や数々の大戦による環境破壊の影響で、今や地球に生きる全ての生命が本来の活動を維持することが困難となってしまった。そうした中でも、以前として世界規模で増え続けた人口問題とそれによる食糧危機も、人類は一向に解消することができないままでいる訳だ。そこで政府は今から数ヶ月前とある調査機関に依頼し、その最新型のスーパーコンピュータ【ユニバース】を使って、ある計算をしてもらった。するとどうだ、そのコンピュータがついに1つの悲惨な結末を弾き出してしまったのだ……そう、この地球がもう後10年ほどで、人類が生存することが不可能な環境にまで陥るという驚愕な事実をっ』


 ――ッ!?


『そして、この由々しき事態を重く見た我がジパング諸島共和国政府は、世界第一位を誇る最先端の科学技術の粋を集め、この状況を打破する為にいち早く計画に乗り出した……だが、その研究の結果判明したことは、滅亡までのカウントダウンがあまりにも早く、すなわちこのエックスデーを回避することが絶対に不可能というデータだけだった。しかし、ここで僅かに残された人類最後の希望として候補に挙げられたその手段こそ、この地球全人類を丸ごと別の惑星へと移住させるというプロジェクトなのだ……』


「「「「な、なんだって?」」」」


 皆、准将の話をただ茫然と静かに聞き入っていた。

 そこで、フィリップ・カッセル准将はこう話を続けた……。


『そう……この話を聞いた諸君らは惑星移住……そんなことが果たして可能なのかと思うだろう? そこで、我がジパング諸島共和国がその不可能を可能にしてみせた要因の1つが、【ヒッグス粒子】の全容を解明したことにある』


「ま……まさか、あのヒッグス粒子の全容が明らかになった。だって……?」

「(ちょっとサトシ。私この人がさっきから何を言っているのか、さっぱり分かんないだけど……)」


 隣のソファーに座っているセイラが、困った様子でサトシの服を軽く引っ張りこう呟いてきた。


「(あ……後でまた説明するよ。とりあえずヒッグス粒子ってのはな……まぁ、簡単に言うとこうだ)」



【ヒッグス粒子】

 諸説あるが……物質に与えられている質量(重さ)の決め手となる《素粒子》と言われている。

 また素粒子とは物質を構成する最小単位であり、これを大きさ順に並べると……分子>原子>原子核や電子>素粒子となる。



『このヒッグス粒子の解明によって、重さが限りなく0に近くなる技術と特殊素材を用いて、光速での飛行をも可能にした最新鋭のスペースシップが……宇宙母艦〈つくよみ〉だ。ここに来る際、諸君らもそれをエレベーターの中から目にしたことだろう』


「(ねぇ、それってあれかなぁ……格納庫みたいなところで凄いシートに覆われてたあの大きなやつ?)」

「(あぁ、おそらくそうだろうな……)」


 フィリップ・カッセル准将は、さらに説明を続けた。


『そして、宇宙母艦〈つくよみ〉による光速飛行と、それによる長距離長期間の宇宙移動に欠かせなかったもう1つの技術が、より安全で正確な生命活動一時休眠装置……いわゆる【コールドスリープ】である。なおこの2つの高度な技術は、かのアルベルト・アインシュタイン氏によって発表された、相対性理論に基づいて開発されたもので……』


「(サトシっ、ちょっと私お手上げなんだけど……コオルドスレイブ、ソウタイセイリローン? もう意味が分かんないよぉ)」

「(セイラぁ、これは少しは知っておいてもいいような話だぞ。あのな……アインシュタインってのは随分と昔の人なんだけど、20世紀最大の物理学者とか言われていたユダヤ人の博士のことで)」

「(あぁっ、それって……あの白髪のロン毛でアッカンベーしてるお爺さんのこと?)」

「そうそうっ、そして相対性理論ってのは……光の速度に近い速さで動くものは、時間が遅く流れるとかいう彼が打ち出した理論のことだよ。要は……光速飛行ができるその宇宙母艦〈つくよみ〉で移動すれば時間の流れも遅くなるから、何光年も先の宇宙を移動したって歳を取らずに済むって話だろ」

「(ちょっ……サトシっ――)」


 ッ……!?


『わたしの至らない説明を、わざわざ補足してくれて感謝しよう。【コールドスリープ】については少し解釈が違うが〈つくよみ〉については、概ねその見解で合っている。悲劇のエースパイロットと言われたサトシ・ブライトン少尉。いや、今は降格して……たしか准尉だったか?』

「うぅっ……申し訳ありませんでした」


 サトシはセイラへの説明につい熱が入ってしまったのか、いつの間にか口に出して言ってしまっていたらしい。それも、彼女の前で自身の汚点を暴露されるという形で反撃を食らってしまった。


 セイラも間が悪かったことを悔やみ、下をうつ向きながら横目で彼が呼ばれた2つ名のことも気になり、心配そうに見つめていた。


「お熱いんだからぁ、お2人さんっ」


 特に悪気はなく、素直に場を和ませようとフォローしたのだろう。

 赤髪を逆立てたツンツン頭の男が、調子の良い突っ込みを入れた。


『悪いがこれ以上の私語は慎んでもらおう、メカニックの鬼……いやその後は悪魔と呼ばれたシモン・クリード中尉。いや、君も少し前までは大尉だったか?』

「うっぐ、すい……ません」


 赤髪の彼もまた、その呼び名からすると過去に何かあったのだろうか。痛いところを突かれたようで、首を垂れてうつ向いた。


 軍関係者のみならず、社会人であればたとえどんな組織においても階級を降格されるということが、余程の失態かミスを犯さない限り起こり得ないことであるというのは周知の事実。

 准将はここにいる皆のそういった【過去の汚点】を晒け出しながら、それ以上の秘密さえも把握している可能性を示唆することで、自分たちの立場や状況。ひいては、この場における圧倒的な優位性を見事に決定付けてみせた。


『諸君らは……今話しているような状況が、地球の裏側で起きていることだとでも思っているのかね? そんなことだから、この地球が後10年ほどで暮らしていくことができなくなる状況にまで陥るのだ。いいかね……諸君らは、それぞれの勤務地で失態を犯しながらもその技量を見込まれたが故に、今回この組織のメンバーに加えられたのだ』


 ガタンッ!


「はっ……パイロット、それにメカニック。そしてスペースシップ……ということは、まさか准将っ?」


 何かに気づいたのか、武人のようなスキンヘッドの黒人の男が、ここに集められた6人のメンバーを改めて見渡した。


『そう……今集まったこの6人のメンバーこそ、その宇宙母艦〈つくよみ〉の乗組員ということだ。バルカン半島の英雄バール・グラント元中佐、君にはその船の艦長をしてもらう。諸君ら6人を乗せた宇宙母艦は地球人類の新たな移住先を探し、さっそく明日から〈つくよみ〉に乗り込み宇宙へ出発してもらいたい。なお……ほぼ皆が劣性の者たちばかりであるが、これを最後のチャンスだと思って励んで欲しい。そして諸君らが今日から配属されたこの組織、そう……この建物こそ惑星移住研究開発機構……通称【PIXA】だ』



【PIXA】

 Planet Immigrate eXploration Agency 

 惑星移住研究開発機構の頭文字を取ったもので、ジパング諸島共和国空軍本部内に設置された政府直下の超極秘組織である。



 先ほどとは空気が一変し、ブリーフィングルーム内は重苦しい緊迫感に包まれる。

 ここに来て、事態の重要性と現実味が一気に増したことで、6人の肩には様々なプレッシャーが重くのしかかった……。



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