2話 不穏な空気


 2075年式のエアバイク【ナナハン】を駆り、サトシはドーム状に外界から隔たれたこの未来都市、その専用道路を颯爽とひた走る……。


 彼が操るこの水上バイクのような乗り物は、現在のエアバイクとしては比較的旧式のモデルで、すでに30年も前にメーカーで生産終了となった言わば絶版車である。最新のモデルには安全面と快適性が考慮され、車のような天板ルーフと後部座席の同乗者と会話ができるスピーカーが取り付けられたタイプまである。

 しかしその点、天板ルーフもスピーカーも設置されていないナナハンは、旧世界のアメリカンバイクのようなクラシックなフォルムのデザインと、コンピュータ制御にとらわれず操縦士の体重移動による取り回しがある程度可能であるため、旧世界のロードバイクのように軽快なフットワークを楽しむことができる。そのため、今でも一部マニアの間からは驚異的な人気を誇り、その最高出力は1000psを優に超えている。

 解説すると……1000ccの優れたロードバイクで200ps、4000ccの4輪車で600psであることを考えると、実に驚愕な数値であることが分かるだろう。もちろん一般の公道で規定を大きく超えた速度を発揮することができないよう、通常マシンにはそうプログラムされているのだが……。


「くっ……何が『人々が安全で安心して暮らせる豊かな社会を』だ? 安全で安心できない人や物を、今の社会はいとも簡単に切り捨てていく……」


 キュイィン、キュイィンッ!


 彼がエアバイクのシステムコンソールを操作すると、突然車体のアンダーネオンがライトアップされ、まるで息を吹き返したようにナナハンが心地よい音を立てて急激に加速していく……。


「ヒイィヤッ……ホォウゥゥゥッ」


 そう、前置きしたことはあくまでメーカーから出荷された純正のままであるならばという話。

 パイロットとして優秀なサトシは、これを当然のように外観からは分からないよう自ら改造し、このエアバイクのリミッターをいつでも解除することができるようにしているのだ。


 ウゥゥゥン、ファンファンファンファン……!


「やっべ、もう嗅ぎ付けられたか? こっちは大事なミッションが待ってるんだ。ゆっくり走ってられないんだって」


 彼の尋常でない速度を感知した警察の覆面偵察機が、これを排除しようと上空から迫り来る。


『そこの旧式のエアバイク、規定の速度を大きく超えています。スピードを落として路肩に寄せなさい。止まりなさい……おいっ、止まれぇぇぇっ』

「じょ……冗談じゃねえ、こんな時に捕まってたまるかよぉっ」


 キュイィィィン――ッ!


 サトシはエアバイクを路肩の方へ向かわせると車体前方を大きく上に傾け、ちょうどウィリーのような状態で瞬く間に速度を上げていく。

 そのまま専用道路脇に激突するかと誰もが思っていた矢先、なんとオーバーハングした防護壁をジャンプ台のように利用し、これを乗り越えたかと思うと、鮮やかに道路から逸脱し落下しながらその場から立ち去っていった……。


『い、一体何だったんだあいつは……ウィリーして脱線して行きやがっただと? おいっ、今のお前も見たか? 何てクレイジーな奴なんだ……』

『えぇ……見事なテクニックでしたね。しかも奴が向かった先は古い道路や建物の瓦礫が散乱し、我々の捜査や法すらも及ばない劣性の貧困層が住む旧市街地。先輩、これはしてやられましたね』


 通常のエアバイクであれば、専用道路の範囲を大きく逸脱した危険な運転行為はシステム上無理なことである。

 それすら、彼が改造したエアバイク【ナナハン】とサトシの操縦技術を持ってすれば、決して不可能なことではなかった。




 さて……彼が200mほど落下していった先の旧市街地、そこは地上から300mほどにあり、上空に都市を建設する際の言わば【基礎となる埋め立て地】のような場所である。

 上の新市街地を建てるために日常的にあらゆるゴミや瓦礫、重犯罪者までもが上の街から排出されて来るため、環境は劣悪であるがそれでも地上よりはまだマシと言う程度。もちろん完全にスラム化しており、ギャングなどが取り仕切る独自のルールがあるため新市街地の法や常識など、そこでは一切通用しない。


 だがこの旧市街地こそ、サトシのような本来劣性の者たちが住まう場所であり、たとえ歩行者事故などが起きようと当然見過ごされてしまう荒れ果てたスラム街なのだ。

 ちなみに、ここから上の街へと向かう場合は新市街地の市民権が必要となる。


「上手く撒いたか。しかし久しぶりにこっちの街に来たもんだ……しかも、このままこっちを通っていく方が職場までの近道になりそうだな。けど、ここはあの孤児院がなくなった以外は、どこも以前と変わっちゃいな……ん?」


 古びて建物が傾いた簡素なビジネスホテルの前で、彼と同じ左胸と背中に【PIXA】という文字が付いた白いライダースーツのような服装をした……やたらスタイルのいい金髪セミロングの若い女性がこっちを向いて手を振っていた。


『ちょっとぉ、そこのカッコいいエアバイクのお兄さぁん、こっちこっちいっ……』


 遠目で見てもかなりの美人である。

 しかも、その白い服に屈託のない笑顔と金髪が良く映えて一種の神々しさすら感じる。しかし、この荒れ果てた旧市街とは対照的で、どう見ても場違いであることから明らかに怪し過ぎる。

 どこぞのマフィアの女か。言葉巧みに男を騙して部屋へ誘い込み、薬物で眠らせるか気絶させている内に身ぐるみを剥がす。いや、それだけでなく一生金づるにされるだろう……そう、この旧市街に暮らしている住人ならば間違いなく警戒の対象となる。


 だが、その女性が自分と同じ服装をしていたことでサトシは興味を持ち、徐行しながら彼女の方へと近付いてみた。


『はぁ……ようやく捕まった。実は随分と久しぶりにここを訪れたまでは良かったんだけど、これから行かなきゃいけないところがあるの……良かったら乗せてってくれない。同じような服着てるんだし、ねぇいいでしょお?』

「あのですねぇ、あなたここが一体どういう街か知らない訳じゃないでしょ? そんな素人でも引っ掛からないような誘い方だから、誰も止まってくれなっ……」


 ッ――!?


『えぇっ――ひょっとして……サトシ?』

「おいっ、そういうお前は――もしかして……セイラか?」


 顔を見合わせるや否や、互いの容姿を確かめ合うと2人は強く身体を抱き締め合い、共に無事を確認するかのように肩を2回ほど軽く叩いた。


 この行為は、スラム地域である旧市街の住人独特の挨拶のようなものである。

 なぜなら劣性の者たちが暮らすこの街では、毎日いつ何が起こってもおかしくはない。互いに見知った者と、明日また必ず生きて会えるとは限らないのだ。ましてやそれが、生存率10%と言われた同じ孤児院で育った者同士・・ならば、なおさらである。


「あぁっ、サトシ……本当に良かった、生きていたのね。こんなに立派になって」

「セイラこそ……こんなにキレイになっちまって。その天然ボケが健在していなかったら、誰だか分からなかったぞ」


 彼女の名はセイラ・エンヴィディア。サトシとは同じ22歳の青い瞳をした白人女性である。

 彼とは幼少の頃から同じ孤児院で一緒に育ったが、やがて見つかった病弱な実の母親の元へと引き取られ彼女が孤児院を去ったのは、もうじき1年で2人とも成人を迎えようという15歳の時だった。


 聞けば、なんと彼女もサトシと同じ場所へと向かうところだったらしい。そして現在の彼女の職業は空軍ではないが、何やら政府関係の仕事をしていて今日からこっちに赴任して来たのだそうだ。

 そこで、昔いた孤児院をひと目見たいと思い、わざわざ旧市街のこの古びたビジネスホテルに泊まっていたのだという。


「7年ぶりか……にしても、無謀にもかかわらず何故か運がいいところは昔から変わらないな、セイラ」

「もぅ、どういう意味よ……じゃ、後ろに乗るね」

「あぁ……言っておくが、このエアバイクの後部座席に人を乗せるのはお前が初めてだからな。それも女性を……」

「えっ、なぁに?」

「な、何でもねぇよ。そこ軽く流しとけよ。まぁ、あれだ憧れみたいなもんだ」

「ふふ、何それぇ……サトシも照れると口が悪くなるのは相変わらずね。ほらっ、顔が赤くなってるぞぉ」

「う、うるせぇなぁ……んじゃ、行くぞぉっ」


 キュイィン、キュイィンッ!


 サトシはセイラを後ろに乗せ、自慢のエアバイク【ナナハン】を再始動させると、手慣れた様子で迷路のような旧市街を駆け抜け、やがて新市街地へと向かうゲートにたどり着いた。

 2人とも新市街の市民権を守衛に見せると、大きなエレベーターシャフトを使い、新市街地へと躍り出るなりその先のとある広大な施設を目指す……。


 そう、目指す場所とは……小さな島々が上空で連なるこの国が、その高度な技術力と戦力を誇示し、今もなおこの世界において優位な位置で存続し続けることができた由縁となった軍事施設。

 すなわちジパング諸島共和国空軍、その本部が置かれている基地である。


「サトシの運転も上手になったものねぇ。昔は知らない乗り物をどこかで見つけて来ては、下手に走り回してよく壊してたっけ」


 後部座席の彼女が、サトシの耳元で話しかける。


「あれはなぁ……元々壊れていて近くに捨てられてたやつを俺が拾って修理してたんだ。あの時は上手くいかなったが、今思えば部品が全然足りてなかったんだ。でも、もしあの時に上手く修理できてさえいれば……お前を」

「えっ、何だって? サトシ聞こえないよぉっ」


 ナナハンも例外なくこの時代のエアバイクには、伸縮性のシートベルトが取り付けられているため、座席から転落するということは基本的にない。

 そのため、ヘルメットを付ける必要もなくなったが、前述のようにナナハンにはルーフやスピーカーなども付いていないクラシックなデザイン。そのため、特に操縦士が後部にいる同乗者に話しかけようとすると、この速度で風に遮られてしまい聞こえないのだ。いかにカッコよくて乗りやすくても、これだけがナナハンの弱点である。




「……セイラ、着いたぞ。ここが空軍本部だ」

「わぁっ……ここまで来てこんなに間近で見たのは初めてだわ」


 規格外に高い塀と、途方もなく広大な政府所有の敷地……彼女セイラは、今回ここへ新しく赴任して来たのだ。

 サトシは以前こことは違う基地にエースパイロットとして所属していたが、今は彼が毎日事務員として通勤している職場である。


 サトシはゲートの守衛所へ行き慣れたように敬礼を交わすと、門番の兵たちが普段と違った特異な目で見つめてきた……。


「どうしたん……あぁ、この服の所為だな。実は昨日支給されて、今日からこの服装で来るように言われたんだ」

『そうか、そりゃ大変だ。何故ならお前さん達が向かう場所は……あの建物ってことになるからだ――』


 門番の兵が、サトシがいつも向かう勤務先とは違った建物を指し示す。

 その方向は……まるで天まで昇るかのような高い壁で囲まれた何の変哲もない区画しかなく、外からだとそこで一体何が行われているのか想像もつかず一切分からない。


「ちょっ……まさか、あのただ白い壁で囲まれたところがそうだって言うの?」

『あぁ、そうだ。おれたちも、その服装で来た奴をそこへ案内するよう、上から指示を受けているだけでこれ以上は何も知らないんだ。だが、お前さんたちの職場はあの建物の中ということで間違いない』


 いかに天然で無謀なセイラでも、さすがに不安を隠せないのか、彼女はサトシの腰に回していた両腕を少し震わせながらさらに強く抱き締めた。

 その区画は、大きな国立大学の敷地がそのまま入ってもまだ収まり切れない程の規模である。そんな建物の中に、一体何があるというのだろう。


「あぁ……分かったよ、ありがとう。セイラ、とにかく行ってみよう」

「う、うん……」


 ……サトシは、ゆっくりとナナハンの車体をその建物に向けて前進した。

 すると門番たちがいた後方からあまり聞き取れなかったが、その先で待っていた2人の展開を予想していたかのように不穏な話し声がヒソヒソと聞こえていた……。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る