俺たちはあのモフモフを忘れない

三田のぶてぃえる

第1章 終末宣告

1話 新たな朝


 2121年の地球……。

 そこでは、数々の世界大戦と度重なる環境破壊によってオゾン層が完全に消滅。地球温暖化が爆発的に加速し日中の平均気温は悪化の一途を辿った。


 規格外の強烈な紫外線や、有害な放射線を含んだ太陽光線は地表に壊滅的な打撃を与え、陸地はそのほとんどが砂漠化。北極と南極の氷も次々と溶け出し、海面は数百メートルも上昇。ヨーロッパとロシアはほぼ完全に水没。地中海と黒海、カスピ海がスカンジナビア半島のあるバルト海と繋がり、南のオーストラリア大陸や南米もそのほとんどが水没。北米もニューヨークやワシントンDCがあった東側が水没。多くの国が海中へと沈んだ。今や地球の総面積は海の割合が80%に対し陸地は僅か20%と成り果てた。

 化学物質によって汚染された川や海には絶えず毒物が流れ、食物連鎖のループにより地球に生きる全ての生命が本来の活動を維持することがもはや困難となったのである。


 ここに至って世界の5主要国は、南アフリカ連邦、アラブ同盟、中華連合、ジパング諸島共和国、西カナダアメリカ合衆国。その他は小さな島々を残すのみであった。

 人々は地上から約500mほどの高さに、人工的に建設したオゾンドームと広大な空中道路網を張り巡らせ、そこに近未来都市を築くことで新たな暮らしを実現していた。

 しかしそれでも自生する植物は育ちづらく、自然と共に生きることができなくなった野生の動物たちは一般的な犬猫や鳥などすら、絶対数が限りなく少ないものとなっていた。残された少数の動物たちをペットとして所有することができるのは、今や一部の限られた富裕層のみである。

 というのも、木々や草花といった自然の植物が大変貴重であるため、人工的な建造物だけで作られた未来都市では、身近な動物でも飼育することは衛生面からも困難を極めるのだ。そのため一般的な人々は、オリジナルに極めて酷似したアンドロイド型の動物を、ペットとして共に暮らしていた。


 無類の動物好きで、中でも猫が大好きというサトシ。彼もまたそのような1人であった……。




『ニャァアァ……』


「うぅん……っだよぉ、もう少し寝かせてくれよ。昨夜は中々寝つけなかったんだからさぁ……」


 床から突き出たハンモック型のカプセルのようなベッドの上で、ぐっすりと眠っていた彼の身体に飛び乗ってサトシを起こしに来たのは、アンドロイド型の雌の黒猫【NANA】である。


 NANAはアンドロイドとは思えないほどフワフワの毛並みを有しており、その仕草や習性までもオリジナルに酷似して製作され、自己学習機能AIも搭載されている高性能なモデルだ。

 唯一オリジナルと違うところといえば、その動力が充分過ぎるほど照りつけられる太陽光であることと、排泄などを一切しないことぐらいだろう。

 NANAは、以前から起こすように指示され学習していた朝の時刻になったため、きちんと主人を起こしに来てくれたという訳である。


「ん……ってことは、もう朝の7時か? こうしちゃいられない。たしか今日から大事なミッションが始まるって話しだったな。ありがとうNANA」


『ニャアァ……』


 NANAは彼の身体から床へと飛び移ると、そのまま【お座りの姿勢】でサトシの目だけを一点に見つめ、何か物欲しそうにしているようだ。


「分かった分かった、ご飯だろ……ちょっと待ってるんだぞ」


 サトシは少し薄暗い部屋の端にあるブラインドを開けると、朝の日射しが差し込む特殊なサンルームへと躍り出た。

 そして、何やら大きめの宝石箱のような物を開け、中に設置された金の延べ棒のような固形物を取り出すとまたすぐに部屋へと戻り、今度はNANAの側に置いてある皿型ユニットの窪みにそれをカチリとはめ込んだ。

 すると、そこへNANAが待ち望んでいたように近寄り、金の延べ棒のような固形物をピチャピチャと音を立て黙々と舐め始めた。


「どうだ、美味しいかぁ?」


 そう……この金の延べ棒のような固形物は、アンドロイド型の動物にとっていわゆる【疑似餌のような物】だ。だが、これはあくまでその仕草を模しているというだけで、本当の意味で食事を取っている訳ではない。

 NANAは、この固形物を舌のような伝導体に触れさせることによって、サンルームに設置された宝石箱のようなものに蓄積された太陽光を、体内に搭載された内蔵電池に取り入れることで、自らを充電させているのである。


「さて……と、俺も朝食を済ませるとするか」


 そう言うと、彼は少し面倒くさそうに室内の小型ワインセラーのような箱の方へ向かい、その中に並べられた土くれのような塊を1つ手に取ると、立ったままカジリついた。

 その部屋には冷蔵庫のような物もなければ、ガスコンロやIHクッキングヒーターのような調理器具はどこにも見当たらない。


 そう……この2121年の地球には、ガスはおろか電気などの生活インフラに使用するエネルギーが絶対的に不足しているのだ。そのため唯一政府から支給されているのは、サンルームに設置してある太陽光を蓄電するためのモジュールくらいなのだ。

 しかしその電力も空調や照明、テレビや生活水に使用する水の浄化などで消費するとほとんど残らない。ただそれもこの世界における生活水準からすると、まだいい方である。

 この時代の代表的な食べ物は、ほとんど調理を必要としない小麦を加工した薄味のパンか、大豆の粉末を固めて作った麺類などと相場が決まっている。また、現代人のように朝は急ぎのためにパンを。昼や夕食に麺類を摂取するというパターンが多かった。


 もちろんこのような味気のない食生活になったすべての原因は、環境破壊と温暖化によって動植物はおろか魚介類、野菜や果実なども安定した生産供給ができないため調味料の類いを、ほぼ製造することができなくなってしまったことが大きく関係している。

 そして、簡単な大豆食品の加工程度であれば機械がやってくれるため、もはや料理という概念そのものがこの世界において存在しないのだ。

 しかし、医療やマシンの修理などのメンテナンス的な作業やその操作。精密なコンピュータをコントロールするためのオペレーター業務などは、不測な事態に備えるため依然として人間の手によって直接行われていた。


『ここで臨時ニュースをお伝えしますっ』


 ッ……!?


 そのとき、何やら機械的な音声が室内に響き渡り、天井から突然モニターのような物が吊るされて下りて来る。


 ブゥ……ウンッ!


 そう、テレビジョンである。

 あらかじめ興味のある事柄やキーワードを登録しておくことで、そのジャンルやカテゴリーの番組が放送される際に家主が目覚めていると、自動的に電源が入るようセットされているのだ……。


『IT業界の革命児と言われていたベルスロート・ゼフィオン氏(28)が、経営する【ユニバーサル・コーポレーション】社と、非合法NGO団体【国境なき孤児院】の両代表を、昨日付けで辞任する意向を発表いたしました』


「な、なん……だって?」


『詳しい経緯については、氏が開発しジパング共和国政府に提供していたスーパーコンピュータに、何らかの問題が起きたのではないかと研究者の間では囁かれています。なお、氏が財産の一部を投入し密かに発足、援助していた【国境なき孤児院】は今後は政府の管理下へと置かれ……』


 サトシはそのニュースに釘付けになり、他人事とは思えないほど茫然とその場に立ち尽くしていた。


 というのも……彼は幼くして両親を事故で失い、親戚からも見放されたあげく孤児院に引き取られて育ったという過去を持っていたからである。そのサトシが親戚たちに見放されたのも、この時代における特殊なルールの1つ……今も世界各国で推進されている【人口管理政策】が原因であった。

 さらに彼は、ベルスロート・ゼフィオン氏が非合法NGO団体【国境なき孤児院】の代表をしていたことを、インターネットの裏サイトで知っており、陰ながら氏を応援していたのである。



【人口管理政策】

 2121年の地球の総人口は……約半数にあたる30億人にまで減少していた。

 そして、大戦後の影響によってさらに加速した地球の環境変化から来る食糧危機。これに待ったをかけるため、ついに世界各国政府は遺伝子の優劣による人口の管理化を推し進めるまでになっていた。

 その内容は……人道的にも表立って政府が自国民を粛正する訳にもいかないため、あくまで優性の子供たちを政府が用意した環境の良い教育施設に通学させるというものである。だがその一方で、劣性の子供たちは実の親元でのみ可能な自宅教育だけしか許可されていない。

 それもまだ実の親がいる子供はマシな方である。何故ならば……サトシのように身寄りのない劣性の子供たちは、政府から建前上用意されただけの極めて劣悪な環境の孤児院へ移されることになるのだ。その施設では、ケガや病気による適切な処置が行われていないため、そこで彼ら子供たちが15歳の成人となるまでの生存率は、実にその10%ほどしかないと言われている。(もちろん医療機器はおろか、医薬品そのものが大変貴重でもあるのだが)

 ちなみに、親戚や他人が劣性の子供たちの保護者(身受け)となることは、基本的に政策の規則上許されない軽犯罪に該当する。だがこれも野良猫にエサを与えるようなもので、一種のマナー違反程度であるためそこまでの厳罰に処せられることはない。

 だが、実際に親戚や他人が劣性の孤児を養う場合は、極めて高額な罰金を支払わなければならず、これを全うすることは例え富裕層の者でも決して容易なことではなかった。


 一方で非合法NGO団体【国境なき孤児院】での食糧配給率は高く、余程の治療や回復が困難な病気でも抱えない限りその生存率は50%を超えていたということからも、その影響力は計り知れない。

 しかしながら世間への立場上、およそ人目につかないスラム街の片隅で人道的な運営がなされ、貧困層から絶大な支持を得ていた。


「あのゼフィオンさんが、どうして……まったく、この世界は本当に必要とされている人間の区別さえつかなくなっちまってるのか?」


 この未来の地球での在り方に、以前からサトシはずっと深い憤りを感じていた。


 だが、もし彼が富裕層の家や優性遺伝子を持って生まれていたならばどうなっていただろう? 果たしてその立場でも今同じことが言えただろうか……理不尽な環境と社会の底辺を、充分過ぎるほどその目で見てきた彼だからこそ、それが分かるのかも知れない。


 話しは少し逸れたが今から遡ること約半年前……とある任務で不祥事を起こしてしまった彼は、ここしばらくずっと本来の仕事から事務職へと左遷され、その職場でも居場所を失っていた。

 それが突然、今日から大事なミッションが始まると、上司から特別な仕事の話しを持ち掛けられたのがつい昨日のことである。


「ふぅ……じゃあ、行ってくるよNANA」


『ニャアァッ』


 昨日上司から支給された左胸と背中に【PIXA】という文字が付いた白いライダースーツのような服装に身を包んだ彼は、自室からエレベーターシャフトへと乗り込むと、地上から約500mの高さである新市街地の1階へと向かった……。


 ガレージに着くなり自分の愛車である2075年式、通称ナナハンと呼ばれる……今で言う水上バイクに似た【エアバイク】に跨がる。

 彼がマシンのシステムコンソールに手を触れるとCPUがサトシの生体認証を読み取り、キュィンと心地よい音を立てて起動し、地面から50cmほど浮上した。


 

 本名はサトシ・ブライトン。その日系黄色人の彼は茶髪に黒い瞳の好青年である。

 そして、彼が今いる複数の島々だけを残し上空で海洋都市のように連なったこの国が、かつては日本と呼ばれ……今では世界第一位の科学力を誇る世界に名高い主要国【多民族国家ジパング諸島共和国】である。

 そして彼の職業こそこの国の空軍兵士であり、操縦することだけ・・に関して言えば、誰にも負けない優秀なエースパイロットであった。



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