ダンスを踊ろう!


 ルトとザック、二人と協力して呪いをかけた犯人を捕まえよう! と決めてから数日後。


 なぜか私は今、必死でダンスの練習に励んでいた。


「もっと背筋を伸ばして! 腕はそっと添えるだけですわ! そんなに力を入れて殿方を掴んではいけません! 目線を下げない! そこ! ステップが違いますわ!」


 ムリムリムリぃ~!

 そんないっぺんに言われてもわかんないよ!


「あっはっは! 前途多難じゃん」

「むうううう」


 くそう、ザックがダンスの相手だったら足を踏んづけてやるのに。


 しかしパートナー役をしてくれているのは上品そうな初老の紳士。この人の足を踏んづけるわけにはいかない。


 ザックもルトもすでに踊れるので特に練習は必要ないらしい。庶民の私とは違うってことですね!


 くう、踏んづけるチャンスがないのが惜しい。


「初めてだからしょうがないよ。大丈夫、あんなに早く走れるんだもの。ナディアはきっと運動神経がいいからすぐ覚えるよ」


 うう、ルトが優しい。

 ルトのフォローで少し気分を持ち直し、気合いを入れてステップを覚え直す。


 タッタッタ、タッタッタ……。


 一体どうして一般庶民の私がダンスを覚えようとしているのか。


 それは、ルトたちがあの侯爵邸で一週間後に行われるという、仮装パーティーの招待状を手に入れてきたからである。


『ここが舞台だ。仮装パーティーだから招待状さえあれば君もあそこに入れる。一週間で、侯爵家に出入りできる立ち居振舞いを身につけてね』

『頑張れよ!』


 そう言って招待状を見せてきたわけですよ。


 いや鬼か! 孤児院育ちのパン屋店員にできるわけないでしょー!?


 しかし彼らは本気だった。


 スパルタ……いや、厳しくも素晴らしい先生を何人も用意してくれて、私はダンスやマナー、教養を一週間みっちり学ばせてもらえるらしい。


 申し訳ないけれど、パン屋にはお休みをもらった。『休むのは構わねぇが、危険なことはすんなよ。一週間後、ちゃんと出てこいよ、わかったな?』と店長が心配そうに言ってくれた。

 優しい店長で本当によかった。


 ……ごめんね店長。ちょっとだけ、危ないことするかもしれない。


 一体二人は何者なのか、と思っていたけれど、ザックについてははっきりした。


『俺んちで勉強すれば?』と連れて来られたのはなんとリングランド商会の邸宅だった。


 リングランド商会って! 誰もが知る大商会なんですけど!?


 生活用品から武器、防具、薬や贅沢品まで、様々な分野の商品を幅広く扱うフェリアエーデンで一、二を争う巨大商会だ。ザックはそこの御曹司らしい。規格外のお金持ちだった。そりゃ報酬なんていらないよね。


 とにかく、ザックが住む大きな邸宅には広々としたダンス練習用のフロアがあって、そこで目下練習中というわけである。


 場所はザックが提供してくれたけれど、教師たちはルトが派遣してくれたらしい。ルトもすごいんだよね。今度は一体どこの御曹司なんだろうか。



「今日はここまでにしておきましょうか」

「あ、ありがとうございました……」


 私はがくりと膝と両手を床についた。


 午前中に教養とマナーの授業、午後からはダンスと立ち居振舞いの練習をみっちりやらされて、一日目にしてくたくただ。


 こ、これ、一週間も続けるの?

 すでに筋肉痛になる前兆が見えてるんですけど。明日まともに動ける気がしないよー!


 ……精霊にお願いしたら、なんとかしてくれるかな?


「お疲れ! お前、良かったらうちに泊まるか? 部屋ならたくさん空いてるし、一週間いてもいいぞ」


 ザックが魅力的な提案をしてくれたけれど、孤児院には何も言ってきていないので、帰らなければならない。


「ありがとうございます、でも……」

「遠慮すんなって! ていうかもう敬語もいいよな? ルト」

「うん、これからしばらく一緒に物事に取り組む仲間なんだし、敬語なんてやめて欲しいな。でも、泊まり込みはやめた方がいいんじゃないかな。女の子が男の家に泊まるなんて、外聞がよくないからね」


 ルトがにこやかに泊まり込みの案を却下した。


「おまえなぁ……」


 ザックが半目になってルトを見た。


 私はなんだか、仲のいい二人の間に入れてもらえたみたいで、むず痒い気持ちになった。


「あ、ありがとう。じゃあ、そうするね。泊まるのは大丈夫。みんな心配するし。じゃあ、私はこれで……」


 私はよろよろと立ち上がり、ドアへ向かおうとした。


「あー待て待て」


 ザックがパチンと指を鳴らすと、どこからともなくズラリと綺麗な女性たちが四人現れた。


 え!? なにごと!?


「じゃ、お前ら頼んだ。ナディア、しっかりやってもらえ。俺らは忙しいから会えないと思うけど、一週間ちゃんとここに通うんだぞ。頑張れよ!」


 そう言って大きく手を振るザックと、笑顔でひらひらと手を振るルトを置いて、私は女性陣に連れ去られた。


「さあ、参りましょうね」

「わたくしどもにお任せくださいませ」


 ええー!? なになに!?


 ずるずると、意外と怪力なお姉さんたちに問答無用で私はどこかへと引き摺られていった。




◇◇◇◇◇


 ナディアたちが去ってから、ザックは大きくため息をついた。


「たった一晩仮装パーティーに行くだけなら、ここまでやらせなくてもいいと思うけどな」


 呆れたようにそう言われたルトは、未だにナディアが消えたドアを見つめながらクスッと笑った。


「どうせこれから必要になるだろうからね。今から少しでも詰め込んでおいた方がいいでしょう?」


 いい笑顔で言ってはいるが、ナディアに教育を施すのは完全にルトの私情である。


 ザックは、猛禽類のような目をしたこの友人に目をつけられてしまったナディアに心底同情したのだった。



◇◇◇◇◇


 連れてこられたのは、なんと家の中にあるサロンだった。

 家の中にサロンって、どうなってるのリングランド邸!


 なんとお姉さんたちは、明日筋肉痛になるであろう私をマッサージしてくれるらしい。至れり尽くせりすぎる。


 しかもこのお姉さんたちはみんな魔力使いで、手をちょうどいい温度に温めることでマッサージによって少しだけ筋肉疲労を癒したり凝りを解したりする作用を高めることができるらしい。


 そんな魔力使いもいるんだ……。ここに来てから驚くことばかりだよ。


 というか、そんな人を四人も抱え込んでいるなんて、ほんとどうなってるのリングランド商会。


 お姉さんたちの素晴らしく気持ちいいマッサージを終え、すっきりした体で帰ろうとすると、お姉さんの一人が一枚の紙を差し出した。


「明日からのスケジュールだそうですわ。わたくしどもも些少ですがお手伝いさせて頂きますので、頑張ってくださいませ」


 そう言って渡された用紙は、早朝から夜遅くまで、びっちり詰まった授業の予定表だった。


 しばらく固まって動けなかったのは仕方ないと思う。


 しかも、結局朝早くから孤児院を出ていつもヘロヘロになって遅くに帰るので、ローナにはめちゃくちゃ心配させてしまった。ごめんね。


 でもザックの家で出してくれるごはんが美味しすぎていっぱい食べてるから、私は元気だよ!



 そして、マッサージがあったとはいえ多少の疲労と筋肉痛に悩まされながらも(精霊たちは筋肉痛は治せないんだって。残念すぎる)私はなんとか一週間を終えた。


 時間と体力の許す限りみっちりと練習した私は、なんとか三種類のダンスをスムーズに踊れるようになっていた。


 全くの初心者にしては、やけにダンスを覚えるのが早いとパートナー役をしてくれたおじさまに褒められたんだよね。私、筋がいいのかも!


「へー、やるじゃんナディア!」

「うん、上手になったね」

「ふふーんっ」


 成果を確認しに来たザックとルトに褒められ、得意になって胸を張ってみる。


 勉強やレッスンはそれはもう大変だったけれど、結構楽しかった。


 元々勉強も運動も嫌いじゃなかったし、新しいことをたくさん学べて嬉しかったのだ。

 中等部には通いたくても通えなかったからなぁ。


「いいえ、まだまだですわ。指先の形が美しく固定できてませんし、たまに目線が泳いでおられます。けれど、もう時間もありませんし、これでよしといたしましょう。力及ばず、申し訳ないですわ」


 くっ、このスパルタ教師! 最後くらい褒めてくれたっていいのにっ!


「ま、これくらい出来れば十分だって! よし、最後に俺が一曲踊ってやるよ」


 ザックが私の腰に手を添えて、右手を拾った。


「えっ、ザック!?」

「音楽よろしく! いくぞ、ナディア!」


 ザックの声で流れ始めたアップテンポな曲に合わせて、くるくるとザックが私を振り回す。


 た、確かに上手だけれど、私、ついていくのに必死だよ! ザックが自分だけ楽しんでいるような……いや、もしかしてザック、私を振り回して楽しんでる?


「もー! ザック!」

「あはははは!」


 私が文句を言ってからは、きちんとリードしてくれた。あんなに最初飛ばしたくせに、まるまる一曲踊っても息一つ乱れていない。それどころか、もう一曲やろうと宣った。


「ダメ。次は俺でしょう?」


 なぜかルトが参戦してきた。

 も、もうヘトヘトなんですけど?


 かんべんして、という気持ちを込めてルトを見つめたけれど、ルトはにっこり笑って私の無言の訴えを却下した。


「大丈夫。今度はトゥールにするから」


 え、トゥール?


 さっきザックと踊ったのはパドルと呼ばれる基本的なダンスで、初めて会った人や友人同士が踊るのにふさわしいダンスと言われている。


 対してトゥールは、親類や恋人、婚約者といったパートナーと踊るのがふさわしいとされる、ゆったりしたリズムの密着度の高いダンスだ。


 男性が女性をトゥールに誘うことは、あなたと親しくなりたいです、と言っているようなものなのですよ、と先生が言っていた。


 ……でもまあ、これは練習だからね。ルトは私が疲れているから、リズムがゆったりしてるトゥールにしようって言ってるだけだよね、うん。


「ねぇ、ザックとは踊ったのに俺とは踊ってくれないのですか、お嬢さん?」


 ルトが気取った言い方でそう言って、私の腰をぐいっと引き寄せた。


 ち、近い! ルトの綺麗な銀髪が私のおでこに当たってるから! 離れてぇ!


「わ、わかった! 踊るから!」


 そう言うと、ルトはクスッと笑って顔を離した。


 くううっ、完璧にからかわれている。年下の女の子をからかって楽しいのかー!


 ルトの合図でトゥールの音楽が流れ始める。


 ゆっくりと、綺麗な所作でルトが私の手を取る。逆の手で腰をさらに引き寄せられ、完全に密着している状態になった。


 ううう、先生と踊っている時は全然気にならなかったのに、年が近い男の子だとめちゃくちゃ恥ずかしい! いや、これはルトの色気のせいなのかも。


 うう、ルトの天然色気魔人ー!


「どうしたの?」

「な、なんでもないっ」


 ザックがニヤニヤしながらこちらを見ているのも少し腹が立つ。


 なんとか平常心を維持してルトの手を取り、トゥールを踊る。


 ザックも上手だったけど、ルトはなんていうか、相当踊り慣れてる感じがする。


 動きが滑らかで、全然姿勢が乱れない。私に触れるルトの手が優しくて、自分がこの人の特別になったような気さえしてくる。一緒に踊っているだけなのに、ひどい勘違いである。


 やばい。心臓がバクバクしてきた。


 ちらりとルトを見上げると、楽しそうににこにこしている。いや、これはニヤニヤしている。被害妄想かもしれないけれど。


 それにしてもなんでこんなご機嫌なんだろうか。私が心臓バクバクさせて焦ってるのがそんなに面白いのか。こんなに密着してたら私の心臓の音なんて伝わってるだろうし。


 くううっ。悔しい!

 じとりとルトを睨みつける。


「こら、ダンスの相手に睨みをきかせるなんてマナー違反だよ?」


 ルトはそれでも楽しそうだ。


「あらごめんなさい、綺麗な銀髪に見とれてしまっていただけなのです、お許しくださいませ」


 一生懸命覚えたお嬢様言葉で返してみる。

 ルトは目を見開いて驚いていた。


 ……そんなにびっくりしなくても。

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