ローナの想い
翌日、パン屋の店長に尋ねてみた。
「店長、大通りを右に行く狭い路地の奥にある、とびきり大きいお屋敷って知ってますか?」
店長は茶色い口ひげを綺麗に整えていてとても恰幅が良い。今年四十三歳になるらしいけれど、同じ色をした髪はもうなく、つるっとした頭をしている。店長が言うには、剃ったらしい。これまた恰幅のいい奥さんのサラさんと二人でお店を経営していて、息子さんが二人いる。
「でかいお屋敷だぁ? そりゃおめぇ、侯爵様の屋敷だろ。つーか、知らなかったのか?」
こ、侯爵!?
大貴族だった! 興味なかったから知らなかったよ!
「おめぇまさか、侯爵様に何かやらかしたんじゃねえだろうな!?」
「そ、そんなわけないじゃないですか!」
まだ何もしてません!
「確か、財務長官をしてるコンスタンス侯爵のお屋敷だぞ。だが、あんまいい噂は聞かねぇな。横暴な貴族だって有名だ。悪いこた言わねぇから、関わり合いになるんじゃねえぞ」
そ、そんな大物だったなんて。でも、悪い噂が平民にまで広がるような人物なら、呪いにも手を出しそう?
うーん、と眉間に皺を寄せていると、店長が心配そうに眉を下げた。
「ナディア、おめぇは真面目ないい子だ。だが、ちっとばかし無茶をするところが玉に傷だな。何考えてるか知らねぇが、困ったことがあるなら俺もサラも助けになる。物騒なことに首を突っ込むんじゃねえぞ。いいか? わかったか?」
店長は少し口は悪いけど、とてもいい人だよね。
「ありがとうございます、店長」
私は感謝の気持ちを込めて、笑顔を見せた。
休憩時間。
裏口にあるベンチで一人まかないのパンを食べていると、精霊たちがやってきた。
《ナディア、休憩?》
《パン、おいしい?》
精霊たちは、とても可愛い。
手のひらサイズで、大きな頭は一人一人形が微妙に違う。まんまるだったり縦長だったり横長だったり。
先が尖っていたり、燃えてるみたいだったり。
円らな目も、大きかったり小さかったり、つり目な子もいる。
小さな体には小さな手足があるけれど、指はなくて先が細くなっている。
色とりどりに光っていて、ふわふわと漂う。
《パン美味しいよ。みんなも食べられたらいいんだけど》
《ぼくら食べない》
《魔力食べる》
みんなは人間から魔力をもらって食べているらしい。
動物や、植物からもらったりもするみたい。
私はあげられなくて、ごめんね。
《ねえ、公爵令嬢に呪いをかけている人は誰なのか知ってる?》
《わかんな~い》
《近くにいればわかるよ》
《嫌な感じがするんだよ》
嫌な感じって、やっぱりあのお屋敷が怪しいな。
《嫌な感じがする侯爵家のお屋敷は、呪いと関係があると思う?》
《なんのこと~?》
《侯爵家ってなにー?》
あ、ダメか。
精霊たちはいつも私の周囲にいるけれど、いつも同じ精霊がそばにいるというわけではなく、気ままに漂い、たまたま近くにいる子たちと会話する、という感じなのだ。
遠くへ行ってもらって何か指示ができるわけではないし、遠くにいる精霊とは会話できない。私から離れるとすぐに他のことに気が向いて、私なことは忘れてしまうみたい。精霊は気まぐれなのだ。
近くにいると、みんな常に友好的に接してくれるんだけどね。
ちなみに一定距離離れると、私にも姿が見えなくなる。不思議だなぁと思うけれど、そういうものなのだと納得している。
それから、仕事後に当てどなく王都をまわってみた。
精霊たちは呪いをかけている人物がわかるようなので、他にも反応する場所はないか、と思ったのだ。
呪いをかけるには離れすぎてはダメなので、犯人は王都にいると思われる、とお城からのお知らせに書いてあった。
こっそりと魔術を使い、速く移動できるようにしたり、疲れないようにしたりして二日で王都中をまわった。
けれど結局、精霊たちが反応する場所は他になかった。
うーん、こうなると、やっぱりあの侯爵邸が怪しいよね……。
お城からのお達しがあってから三日後、ついに私は行動に出るべく、例のお屋敷へ向かうことにした。
「お姉様?」
「わっ!?」
早朝、孤児院を出ようと玄関の扉に手をかけたところで、ローナに声をかけられた。
「びっくりした……どしたのローナ、こんなに朝早く」
どきどきしながら問うと、訝しげな顔をしたローナが逆に問い返してきた。
「お姉様こそ……今日はお仕事の日ではなかったはずですよね? どちらへ行かれるのですか?」
ローナが私の予定を熟知している。おかしい。
平民は十歳になると仕事を始めるのが普通だ。五歳から十歳までは国立の基礎学校で無料で勉強させてもらえるけれど、その後は有料の中等部になるので、大抵の平民はその後それぞれが仕事を見つけて働き始める。
みんな特に院長先生にも予定を伝えたりはしていないので、いつもの時間に出れば仕事に行っていると思ってもらえるはずだと考えていたのに。
「いや、あの、その、ちょっと散歩に」
やばい。かなりどもってしまった。
「お姉様がお散歩がお好きだとは、初めて知りました。わたくしもぜひご一緒させてくださいませ」
にっこりと言うローナの目が笑っていない気がする。なぜだ。
「いや、えっと……」
まずい。ローナをあの不穏なお屋敷に連れていくわけにはいかないけれど、上手い言い訳が思いつかない。
あわあわしていると、ローナが、はぁ……とため息をついた。
「お姉様。どうせ、例のお知らせを聞いて、お一人で危ない橋を渡るおつもりなのでしょう。お姉様の不思議な力を使えば、犯人を特定したり、うまくいけば捕らえられる可能性すらありますものね」
ローナが鋭すぎる。どうしてバレたのか。
「ローナ、あのね、危険なことをするつもりはないのよ、私だって怖いもん。でも、ちょっと怪しいなって思う場所があって、出来るだけ調べてみようかなって。無理をするつもりはないのよ、本当に」
今はまだ怪しいとしか言えないけれど、あそこへ行って精霊たちに聞いてみれば、犯人を特定できるかもしれない。少なくとも、呪いと関係があるかはわかると思う。犯人を捕まえるのは無理でも、特定だけでもできたら、その情報分の報酬はもらえる。
必要以上に無茶をして危険なことに手を出すようなつもりはないのだ。
「呪いをかけるような人が、危険でないはずがありません。まして次期王妃候補の公爵令嬢に呪いをかけているのです。周囲を探るような平民がいれば、即排除されるでしょう。生死の保証はありません」
おおう、そんな風にはっきり言われると、さすがに尻込みしそうになっちゃう。
でも、これはチャンスでもあるのだ。精霊たちは頼りになるし、できるところまではやってみたい。
意を決してローナを見据える。
「ローナ、私、やっぱり……」
「……わたくしも連れていってください、と言っても、ダメなのでしょうね」
えぇ!?
それは無理!
一緒にいてくれたら精神的には心強いけれど、ローナは全くもって普通の十三歳の女の子だ。
私だって自分の身を守れる自信もないのに、ローナを連れてなんていけない。
「……」
私は何も言えず、眉を下げて俯いた。
ローナは悲しげな顔をして、私の右手をとり、両手で握りしめた。
「お姉様、あなたは優しくて勇敢な、わたくしの英雄です。今も孤児院の状況を慮って、一人で解決しようとなさっている。それなのに、わたくしは何もお手伝いしてさしあげることができません。わたくし、悔しいのです。わたくしももっと、お姉様のお力になりたいのに……」
ローナは今にも泣きだしそうな顔になっている。
私は驚いて、目を瞬かせた。
ローナがそんなことを思っていたなんて。
「ローナはいつも助けてくれてるよ。孤児院のことを率先してやってくれるし、お針子の仕事でもらったお給料もほとんど孤児院に入れてくれてるじゃない。小さい子たちの面倒もたくさん見てくれるし、院長先生も、ローナが来てくれて助かったって言ってたよ」
「そんなことは、当たり前のことです。居場所を与えてくれた院長先生にも感謝しています。でも、わたくしが一番恩返しをしたいのは、お姉様なんです。お姉様のお役に立ちたいけれど、力不足なのが悔しいのです」
ローナはもはや悲痛な顔をしている。
私はだんだん焦ってきた。
「ローナ……」
困った。一体どうしたらいいんだろう。
「……わかりました。わたくし、お姉様を困らせたいわけではないのです。わたくし、きちんと待っておりますから、お約束してくださいませ。無茶はせず、必ず無事に帰ってくると」
ぎゅっと、手を握られる。ローナの想いに、胸が熱くなった。
「……わかった、約束する。無茶はしないよ」
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