第11話 無邪気なプレデター

 わずか二日、実質的にはそれ以下の時間でできることは多くなかった。

 最大の問題はやはり、戦うための手段だ。榛名さんとも話し合った結果、やはり火を使うしかない、という結論に落ち着いたのだが、いったいどうすればそれが可能なのか。この身体ではライターを持ち歩くことなど不可能だし、あったところで着火することができない。

 何かないだろうか、ということで思案した榛名さんが思いついたのは『ブックマッチ』というヤツだった。二つ折りになった厚紙の台紙に薄っぺらいマッチが十本ほどセットされているものだ。昔は飲食店なんかでよく配布されていたものらしく、元喫煙者だった榛名さんの父親が貰ってきていたものがまだいくらか残っていたそうだ。

 しかし確かに背負って動けるサイズと重さではあるが、問題はいかにして点火するか、だ。もちろん、折り取ったマッチを口に咥えて、先端を側薬部分に擦り付けるしかないのだがこれがなかなか難しい。何度も練習を繰り返してようやく十回に三回ぐらいは成功するといったレベルなので、実際に武器として使えるかどうかはかなり微妙なところだ。


「まぁ、ないよりマシか」

「うん……使わないに越したことはないけどね……」


 榛名さんの表情が浮かないのは、やはり火災に発展する恐れがあるからだろう。敵の動揺を誘うには点火した火を何かに……あのバックヤードだったら手近のダンボールしかないけど……に引火させる必要がある。もし火が燃え広がれば、結局はザラシュトラの放火作戦と同じことになりかねない。


「でも、今はできることをやるしかないよ」

「……そうだね」


 榛名さんとは違って僕が少し楽観的なのは。たとえ火災が起きたとしても責任は僕にあるということだ。もちろん、自分は無関係であると割り切っていられる性格の榛名さんではないが、それでも自分が手を下したか否かでは心理的にも大きく異なることだろう。



 そうこうしているうちに、二日などという時間はあっという間に去っていった。ついに訪れた今日は新月の夜。閉店時間に合わせて僕たちはまた『フレンド』に向かって出発した。


「今日で六日目、か」


 何が起きるか分からないので、できるだけこの付近を訪れた痕跡は残さない方がいいだろう……という理由でバスを避け、今日は自転車での移動である。ポケットの中で呟く僕の声は榛名さんには届かなかったようだ。

 もう一週間近くも、僕は行方不明なっている。家族にも学校にも心配をかけていることだろう。もし今日の作戦が成功したらしたで今度はどんな騒動になるかは見当も付かない。


「芦屋くん、もうすぐ着くよ」

「了解」


 まぁ、そんな心配は後回しだ。今はとりあえず、目の前の困難に全力で立ち向かうしかない。


 例によって自撮り棒の先に掴まって換気口まで運んでもらう。前と違うのは時間帯と、背中に背負ったブックマッチだ。固定している輪ゴムには所々に紙ヤスリで傷を入れて、いざという時には噛み切って使いやすいようにしている。


「……次に会う時には、人間の姿だね」


 振り返れば、榛名さんは微笑を浮かべていた。しかしその瞳の中に揺れているのは、隠しようのない不安の色だ。無理もないだろう……こんな安っぽいブックマッチ一つを武器に暗黒神とやりあおうというのだ。無茶というか、正気の沙汰ではありえない。

 それでも、やるしかないのだ。このまま手をこまねいていたって誰も救われない。例え結果は同じでも、何もせずに後悔するのだけはゴメンだ。


「榛名さん、色々とありがとう。戻ってきたらお礼するから何か考えてて」

「大丈夫、それならもう考えてるから」


 榛名さんは瞳に涙を滲ませながら、無理やりに悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「爬虫類イベントに付き合ってもらうって」


 思わず吹き出しかけた。榛名さんはどこまで行っても榛名さんだ。


「いいな、それ……それじゃあ」


 名残りは尽きないが、いつまでもこうしてはいられない。すでに閉店時間を周り、店の照明は落とされている。間も無く、儀式が始まるはずだ。僕は前だけを向いて埃っぽい闇の中へと突き進んでいった。ところが……


「……なんだよ、これ」


 バックヤードの出口となる換気口の前にダンボール箱が置かれていた。その向こうからは確かに人の気配がするが……このままでは潜入することができない。もちろん、僕が目一杯押したところでどうなるものでもないのは、言うまでもない。

 問題は、これが意図的に置かれたものかどうか、ということだが……


「まぁ、多分わざとだよな」


 僕はため息をついた。この分では全ての通路が塞がれている可能性がある。もしもそうだったらお手上げだ。

 だけど、この直接的なやり方には少し違和感がある。ザラシュトラは敵が無力な僕たちを侮っていると言っていた。確かに、僕が儀式に乱入したところで邪魔などできるはずはない、と考えるのが普通だ。だったらどうする? 僕なら、僕の目の前で僕を殺して(ややこしいな)絶望の表情を堪能するだろう。

 もちろん道寺が同じような事を考えているかどうかは分からないが、ここはヤツの性格の悪さに期待しよう……と、なると回り道をさせて途中に罠、というのが定番か。


「手間をかけさせやがるな、もう」


 文句を言っていても仕方がない。どんな罠が待っているかは知らないが後戻りだけはできないのだ。僕は分岐しているところまで戻って違う方向に進み始めた。



「ヨイショ」


 と僕が顔を出したのは店舗の方だった。薄ぼんやりとした明かりに浮かび上がる光景の中に、様々な生き物の気配を感じる。爬虫類のみならず、夜行性の動物も少なくないのでそれぞれ活発に動き回っているようだ。

 もう一度ザラシュトラに声をかけて行こうかと思ったがやめておいた。悠長に話している時間はないし、どうせ顔を見に行ったところで(何をしている、早く行け)とか言われるのがオチだからだ。


 眼下のダンボール箱から他のダンボールへと飛び移りながら、徐々に下へと向かっていく。僕が目指しているのはこの間見つけた、バックヤードへと続く下の換気口だ。こっちも塞がれていればまた考え直さなければならないが、今は試してみるしかない。

 床に降りて、目的の場所へと進んでいく。今なら人目もないので身を隠しながら回り道をする必要もないだろう。


 ……なんて考えたのが運のツキだった。道寺のヤツはとんでもない罠をここに仕掛けていたのだ。

 暗がりの中で輝く、好奇心に満ちた金色の双眸に気づいた瞬間、僕は自分の背筋が凍りつくような恐怖を覚えた。

 黒い影が、僕をめがけて跳んだ。頭上から襲いくる鋭い爪をギリギリでかわし、僕は手近な棚の下に潜り込む。

 それでも追撃は止まず、それは狭い隙間に腕を突っ込んでまで僕を捕まえようとする。

 そこに悪意はない。あるのは無邪気な好奇心のみ。

 それは今の僕にとって天敵ともいえる動物。


 猫だった。

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