第9話 邪龍の像

 埃っぽく、暗い闇の先にようやく光がさしこんできた。換気ダクトは思ったほど入り組んだものではないようだが、果てが見えない暗黒の中をひたすら進むのは気が滅入るものだった。

 ネズミに出会わなかったことに安心しながら光に向かって進んでいくと、ダンボールの積まれた薄暗い空間に出た。どうやらここがバックヤードのようだ。見渡せば出入り口が二ヶ所。方角からすると片方は店の方に続く扉で、もう片方のシャッターは荷物の搬入用出入り口だろう。


「ここに僕の身体が……あるのかな?」


 見る限り、僕の身体はなさそうだが、まあ当たり前だろう、剥き出してその辺に放置してるわけなどあるはずがない。

 見渡す限りのダンボールの山。中には大きな機材でも入っているのか、やたらと巨大なものもあって、もしかしたらその辺りが怪しいのかもしれない。開けられるものなら開けて中身をチェックしたいところだが、いかんせんこの身体では手も足も出ない。


「やっぱり、儀式とやらを待つしかないのか……ん?」


 バックヤードの一番奥の山に一つだけ半開きのダンボール箱が置いてあった。大抵の箱には商品名なんかが印刷されているが、その箱だけには何も書かれていない。大きさは人間の身体で一抱えほど……もちろん僕の身体が収まるサイズではないが、なんとなく気になった。


「う〜ん……」


 これはちょっと悩ましいところだ。箱の中を確認するには換気口から出て、あそこまで行くしかない。しかし、一度この換気口を後にするとダンボールの山と壁をよじ登ってもう一度戻って来ることができるかどうかは微妙なところだ。ちょっとリスクが高過ぎる気もする。

 しかし、行くしかない。道寺のヤツを出し抜くためには少しでも有利な情報を掴んでおく必要があるのだ。思い切って、僕は一メートルほど下のダンボールに向かって飛び降りた。着地の瞬間、転がって衝撃を逃したらそのままダンボールから飛び出しそうになってヒヤリとした。二メートル下のコンクリートの床なんて僕にとってはまさしく奈落の底だ。


「やべぇ……」


 汗は出ないが、人間だったら冷や汗ものだ……外では榛名さんが待ってる。こんなところで死んでる場合じゃない。


 長い時間と労力を費やして、僕はようやく目的のダンボールにたどり着いた。なんとかよじ登って、空いている蓋のところから頭を突っ込んで中を覗き込んでみる。


「なんだよ……これ……」


 箱の中には何か石造りの物体が収められいるようだったが、ほとんどが梱包材に埋まっているような状態で全体を確認することはできない。見る限りではかなり古い物のようだが……石像、だろうか。何らかの生物を思わせるような意匠が確認できる。

 しかし、その一部しか見えていないというのにこの異様な迫力は何なのだろう……僕の直感が、断じてただの石像なんかじゃないと告げている。これはとんでもない悪意を秘めた危険なものだ。もしかすると、これが儀式のキモとなるアイテムなのかもしれない。

 いっそここでぶっ壊してやれたらいいんだろうけど、残念ながらここでもやっぱり……ここまできて何もできないもどかしさに苛立ちを覚えながら、僕は石像から離れた。


「ん?」


 元の換気口に戻ろうとした僕は、眼下の壁に四角い換気口があるのに気づいた。空気を循環させるのに高い場所と低い場所に換気口が設けられているのかもしれない。しかも、方角から考えれば店舗の方に続いている可能性もある。

 しばらく考えてから、僕はその中に入ってみることに決めた。



 ザラシュトラは眠っているようだったが、近づくと僕の気配を感じたのか、ゆっくりと顔を上げた。しかし、眼に輝きがない。どうやら昨日のダメージがまだ残っているようだ。


(……無事だったか)

(うん、アンタのおかげでね。榛名さんとも無事にコンタクトすることができたよ)


 昨日の今日だというのに、爬虫類の言葉での会話は酷く懐かしいような気がする。


(アンタは無事だったの? 僕が逃げたことで何かされたりはしなかった?)


 ザラシュトラは首を振った。


(ヤツらは私やキミには何もできやしないと高をくくっている。キミのことも、逃げ出してところで何処かで野垂れ死ぬしかないと考えていただろうな……)


 ザラシュトラの視線が僕の背後に向けられた。一際高い場所に設置されたケージにはもちろん、あのオバケトカゲモドキがいる。


(ヤツは無力な私たちが足掻く様を楽しんでいるのさ)


 なるほど、性格の悪いヤツだ。まあ悪神だから当たり前だけど。


(ザラシュトラ、さっきバックヤードで妙な物を見たんだけど)


 僕があの石像のことを話すと、黙って聞いていたザラシュトラは大きくため息をついた。


(なるほど……時は近い、というわけか)

(ザラシュトラ、あれが何なのか知っているんですか?)


 ザラシュトラは頷いた。


(それは恐らく、邪龍アジ・ダハーカの像だ。ドゥルジはキミの中にある神の……アシャ・ワヒスタの血を捧げることでアジ・ダハーカを復活させるつもりだろう)


 邪龍アジ・ダハーカ……榛名さんがゾロアスター教のことを調べた時にその名前も出てきたと記憶している。確か、アンリ・マンユが創造した破壊の化身……


(復活したアジ・ダハーカは汚された血を伝ってその主の身体に入り込み、邪悪なる爬虫類の姿で復活を果たすこととなる)

(えっと……どういうこと?)


 ザラシュトラは顔を上げ、まっすぐに僕の顔を見た。


(キミだ。キミがアジ・ダハーカになるということだ)

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