第8話 『フレンド』ふたたび

 ザラシュトラ。

 ザラスシュトラ、ゾロアスターとも。

 古代ペルシアの神官であり、ゾロアスター教の開祖。その生涯には謎が多く、生年も紀元前18世紀から紀元前7世紀まで幅広く様々な説が唱えられている……


 翌朝、僕は学校へと向かう榛名さんの胸ポケットの中にいた。少々窮屈ではあるが温かく柔らかい感触と良い匂いに包まれて、もしかしたらココこそが天国なのかもしれない。


「ねえ、芦屋くん」


 小声で呼ばれて見上げれば、スマートフォンの液晶画面を見ながら榛名さんが怪訝な表情を浮かべている。バスの中はほぼ満席に近いが、榛名さんの隣には誰も座ってはいない。小声の会話なら周りに気づかれることはないだろう。


「芦屋くんの言ってたザラシュトラって、このザラシュトラなの?」


 榛名さんは検索結果が表示されたスマートフォンの画面を、さりげなく僕に見える角度に持ってきてくれた。


「さあ……?」


 だけどその問いには答えようがない。僕は彼がそう名乗ったからザラシュトラだと認識しているだけだし、もしあの状況で坂本龍馬の生まれ変わりとか言われたら信じてしまっていたかもしれない。


「まあ、三千年前に生まれたにしては俗っぽいな、とは思うけどね。言われてみれば」

「……芦屋くん、その人って本当に信じても大丈夫?」

「……うん、僕は信じても大丈夫だと思う」


 榛名さんが胡散臭く感じているのはよく分かるし、僕だってどこかでそう思っている。あのフトアゴが本当にそんな大それた人物だとはとても信じられないし、僕が神様の生まれ変わり(?)なんてのもただのヨタ話で、本当は僕を乗せるための方便じゃないのかと思ってる。

 それでも、彼は自分のことを顧みずに僕を助けてくれた。

 僕が人間の言葉を話せる可能性を示唆してくれて、そのきっかけを作ってくれたのも、あの神通力とやらで僕を脱出させてくれたのも彼だ。

 当然、僕がいなくなったことはすでに気付かれているだろうし、僕の脱走にザラシュトラが関わっていることだって道寺にはお見通しだろう。そのことで何か酷い仕打ちを受ける可能性だってあったのに。


「本物のザラシュトラかどうかなんて関係ないよ。僕は、僕を助けてくれた彼の恩義に報いたい」


 僕の言葉に驚いたのか、榛名さんは少しだけ目を見開いてから……優しい笑みを浮かべた。


「そっか……うん、納得した。芦屋くんがそういうのなら私もその人……フトアゴを信じることにする」

「ありがとう、榛名さん」

「それとさ、なんか今の芦屋くん、ちょっとカッコよかったよ」


 ドキリ、として改めて見上げると、榛名さんは少しだけ顔を赤らめているようにも見えた。これって、もしかして……


「はぁ……やっぱりアカメいいなぁ」


 あ、やっぱりそっちでしたか。



 放課後、僕たちはまた『フレンド』にやってきた。榛名さんとの協力体制を築くことに成功したことをザラシュトラに報告し、次の行動について相談するためだ。

 問題はザラシュトラが無事でいるかどうかだが……それを確認しようにもまだ僕たちは店内に足を踏み入れることができていない。それ以前の一悶着が片付いていないからだ。

 僕が榛名さんに助けを求めることは、道寺にも予測されているだろう。ここの脱出に成功した上で、何らかの方法でコミュニケーションを取ることができれば……というアカメカブトトカゲにはかなり厳しい条件付きであるが、可能性はゼロではないと道寺も考えているはずだ。もちろん厳重に警戒するほどではないだろうが、少なくとも頭の隅に置いておくぐらいのレベルではある。

 だから今、榛名さんはこの店に顔を出すべきではないのだ。何しろ昨日の今日だ。二日連続で来店という、普段のルーティンと外れた行動を道寺はどう判断するか……僕との接触を疑われることは榛名さんの身に危険が生じるということなのだ。


「危険なことぐらい分かってるよ」


 遠巻きに店舗を眺める路上で、僕たちは揉めていた。何しろ相手は白昼の路上で僕を襲い、拉致するようなヤツだ。榛名さんに対してもどんな手を出してくるか分かったもんじゃない。


「でも、じゃあどうやって中に入ってザラシュトラと接触するの? どうやって脱出するの? 芦屋くん一人じゃどうにもならないじゃない」


 榛名さんの言うことはもっともだ。だけど、僕にはちょっと考えがある。


「落ち着いてよ、榛名さん。僕に考えがある」


 僕が目をつけたのは外壁から突き出している換気口だった。この身体なら道寺たちの目に着かず出入りできるかもしれない。ただ、位置的に高い所にあるので榛名さんに手伝って貰う必要があるが。


「あぁ、そのためのこれだったんだ」


 榛名さんがポン、とカバンを叩く。中には、さっき雑貨店で購入してもらった、いわゆる『自撮り棒』が入っている。外国人観光者がよく持っている、先端にスマートフォンを取り付けて自撮りができるあの棒だ。それにしがみついて持ち上げてもらえば充分に届くだろう。問題はネズミなんかと遭遇したらどうするかだが…….そこは全力で逃げるしかない。

 それに、換気用のダクトを伝えば店のバックヤードに潜入することができるかもしれない。一度入れてもらったことがあるという榛名さんによれば在庫品の段ボールが山ほど積まれているそうだから、僕の身体を隠すにはうってつけの場所だと言えるだろう。移動させるリスクを考えれば、ザラシュトラのいう儀式とやらもそこで行われるのかもしれない。


「あれだけ苦労して脱出したのに、また戻るとはね」

「仕方ないよ。まずは身体を見つけないと」


 頷いた榛名さんは目立たないよう店の裏から隣のビルとの間の路地側に回り込み、伸縮式になっている自撮り棒を伸ばして先端のスマートフォンをホールドする部分に僕を乗せてくれた。


「芦屋くん、気を付けてね」


 不安気に見送る榛名さんに尻尾を振って応えてから、僕は闇の中へと踏み込んでいった。

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