第7話 僕たちの戦いはこれからだ!

「ウソ……なんで……」


 呆然と呟くパジャマ姿の榛名さんを、僕はただ被せられたネット越しに見上げるしかなかった。


「ア、アカメカブトトカゲだよね? なんで? なんで私の部屋にアカメが……? 全然意味わかんない!」


 まぁ、そうだろうな……僕だっていまだによく分かっていない。ただ言えることは、このシチュエーションは僕にとってまたしても大ピンチだってことだ。


(あ、あの……)


 弁解しようとしたが、僕の口から発せられるのは


「ぎぇ、ぎゃ」


 という人間のものではありえない鳴き声だけ。だったら逃げるしかない……のだが、ネットにはジッパーが付いていて、それはすでに榛名さんの手によって素早く閉じられてしまっている。食い破る? そんな力があれば苦労はしない。

 つまりは八方塞がり、というわけだ。


「あ〜、びっくりした。どうしてアカメが私の部屋なんかに……」


 言いながら、榛名さんはネットの中でじっと蹲っている僕に顔を近づけてきた。人間だったらそのまま唇同士が触れ合ってしまいそうな距離ではあるが、今はそんなことに興奮しているような状況ではない。


「ねぇ、キミ『フレンド』にいた子だよね……どうやって着いてきたのか分からないけど、ちゃんと返してあげなきゃね」


 返す? 返すだって⁉︎ いや、そりゃ榛名さんの立場からすれば当然の判断だ。正当な対価を支払って購入したものではない以上、所持者に返さないと窃盗になってしまう。人にはよっては「ラッキー」とばかりにネコババしてしまうかもしれないが、榛名さんはそんなことを考えるような子ではない。もちろん、そんな子ではないと信じているから僕は彼女に好意を抱いたのだが、こんな時ぐらいはちょっとぐらい魔が差したっていいじゃないか!


「明日、学校から帰ってきたら返しにいくからね。それまで大人しくしてるんだよ」


 突きつけられ細い指先が、まるで僕の生命を奪おうとする凶器のようにさえ思えた。

『フレンド』に戻されてしまえば、もう二度脱出することは叶わないだろう。ザラシュトラが話していた儀式だのアンリ・マンユの復活だの世界の滅亡が眉唾だったとしても、僕にとっては爬虫類のまま一生を終えるしかないというだけ充分絶望的だ。百歩、いや一万歩ほど譲って榛名さんに飼われることになればまだ幸せかもしれないが、アカメカブトトカゲの飼育はハードルが高いと彼女自身が言っていたではないか。


(助けてよ……ねえ、榛名さん……僕だよ、芦屋和人だよ!)


 手も足も出ない僕にできることは、ただみっともなく喚き散らすことだけだった。絶望感に押し潰されそう、とはよく聞く表現だが、僕の場合ははむしろ感情が爆発しそうな感じだ。人間の姿のままだったら泣き喚いていたかもしれない。想いを寄せる女子にそんな無様な姿を見せずに済むことだけが、唯一の救いか。

 クローゼットからプラスチックの飼育ケース……もちろん、僕を一時的に「保護」するためのものだろう……を取り出している榛名さんの背中がひどく遠く見える。


(ちょっと待ってよ、榛名さん……僕の話を聞いてよ……僕は人間なんだ! トカゲじゃないんだよ!)


 もう、限界だった。苦しみと悲しみと、そして彼女への想いが自分のなかでぶつかり合い、混ざり合い、僕の中で大きなうねりとなっていく。今の僕はこの、名状し難い感情を放出する手段を一つしか持っていない。


「榛名さん!」


 一際大きく喚くと、彼女が「え?」と振り返った。余程大きな声が出たのだろ……え?


「いま……喋った?」

「しゃ、喋ったね……」

「ホントに? ホントに喋った?」

「うん、ホントに喋った……よね」


 榛名さんは机の方に戻ってきて、もう一度僕のことを、覗き込んできた。


「ウソ……」

「ウソじゃない! 榛名さん! 僕だよ! 芦屋和人だよ!」


 榛名さんはもう一度「ウソ……」と呟いてその場に立ち尽くした。



 きっと、突然言葉を話せるようになったわけではない。全てはあの発声練習の賜物だろう。考えてみれば、何処かで「もう少し、もう少しで」という感覚を抱いていたような気がする。喉元につっかえていた言葉が溢れ出したのは限界まで高まった感情の爆発によるものだろうが、それも積み重ねてきたものがあったからだろう。これもザラシュトラの導きのおかげ、かもしれない。


「闇と戦うものを導く……か、アンタの使命はホンモノなのかもな」


 と、いうことは僕に課せられた使命も同様なのだろうか……悪神と敵対する神の化身なんて自覚はまったくないのだが。


「何か言った……その、芦屋くん」


 なんとか意思を疎通することに成功した榛名さんだったが、目の前の現実を受け入れることはなかなか難しいようだ。まあ、当然だろう。僕自身もまだ何処かで悪い夢を見ているような気がしているのだから。

 だけど、これはキッパリ現実だ。


「いや、独り言」


 とりあえず事情を説明しようと思ったが、その前に水が欲しいと頼んだら榛名さんはコップに入れた水を用意してくれて、それに指を浸して僕に舐めさせてくれた。榛名さんにとっては爬虫類とのスキンシップ的な感覚なのかもしれないが、僕にしてみれば女子の指を舐めるという行為への背徳感が……うん、悪くない。


 それから、僕は一連の出来事について榛名さんに説明した。『フレンド』が悪神のアジトであることや、店長(なのだそうだ)の道寺と僕が対立し合う神の化身であること。そして僕の身体が生け贄の儀式に使われるであろうことなど、信じられないような話を榛名さんはじっと聞いてくれた。スカートの中にしがみついて脱出した辺りは無難にぼかしたけど。


 長い話が終わると、榛名さんはほうっと息をついた。


「信じられない」


 そりゃそうだ。


「でも、信じるしかないんだよね……」


 何よりも雄弁な証拠が目の前に存在しているのだ。いかに突拍子のない話でも、この事実だけは受け入れざるを得ないだろう。榛名さんは水に浸した指先で、僕の小さな背中を撫でてくれた。乾燥した身体に染み込んでくる水分が心地よい。


「……うん。何ができるか分からないけど、協力するよ」


 やがて、榛名さんは力強く頷いてくれた。ここまでの苦労が報われた瞬間に、胸が熱くなる。


「榛名さん……ありがとう」

「だから安心して、芦屋くん。もし元の身体に戻れなくても、私が責任持って面倒みてあげるから」


 …………え?

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